みこころネット

ファチマ・クルセーダー、昔のカトリック書籍などを掲載します。

ファチマの聖母マリア 2

2016-09-28 22:12:49 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア
明らかにされたファチマの秘密

The Fatima Crusader Issue より

序論

5月13日から10月13日の一連の御出現において一般公衆に対して聖母によって与えられたファチマのメッセージの他に、聖母は1917年7月13日にシスター・ルシアと教会当局によってすべての信者に後に与えられることになった一つの秘密を明かされた。

その秘密は三つの異なった部分に分けられる。そしてシスター・ルシアは彼女の司教の承認と共に1941年に最初の二つの部分を明らかにした。第三の部分は1944年1月2日から1月9日の間に書き止められた。それは彼女の司教への聖なる従順の下に、そしてファチマの聖母がシスター・ルシアに、実際神が秘密の第三の部分が今書かれるべきであると確証なさった後に書かれたのである。(秘密の第三の部分は通常第三の秘密として言及される)。教皇とレイリア司教はそれを直ちに読むことができた。

聖母は秘密のこの第三の部分は遅くとも1960年までには信者に知らされることを求められた。秘密の第一および第二の部分と同様に、それは明快で、容易に理解されるものである。秘密の第二の部分と同様にそれは預言的である。われわれは今第三の秘密を生き延びているのである。あなたは永遠の破滅からあなたの霊魂とあなたの愛する者の霊魂を救うためにその内容を知る必要があるだろう。

第三の秘密はフレール・ミッシェル によって明らかにされてきた。彼は4年間の研究の後にこの研究を書くのに最も資格のある人物である。彼の結論は16年間にわたってファチマの公式の記録保管人であったアロンゾ神父の結論と同じである。あなたはこの研究を読み終えるときには、あなたが実際第三の秘密の実体を知っているということを知るであろう。

これは一つの深い、読みやすいそしてにもかかわらず深く感動させられる研究である。というのは、それはヴァチカンが34年間にわたって葬ってきた秘密に確実に迫っているからである。この記事は教会に対して、数百万の霊魂の救いに対して、そして究極的に世界史に対して大きな衝撃を与えるはずである。

ファチマのメッセージは一つの天上の光、二十世紀に対する恩寵と救いの機会、教会史のなかで比べるもののない一つのメッセージそして一つの出来事、今日までなお明らかにされていないわれわれの時代の最も重大で重要な出来事である。それゆえ、またこの研究は、それが最終的に、それがひとたび広く知られるようになると教会と世界をアンティキリストの勢力から救うであろうショッキングな、しかし役に立つ秘密をあなたに告げるから、重大で重要である。

現在これらの悪魔的な勢力は数百万の霊魂を永遠の破滅へ、そして全世界をアンチキリストへの奴隷化へと陥れようとしている。一方で、多くの国が「絶滅させられ」、「地の表から拭い去られ」るであろう。

これらの言葉を読み、それらについて熟考し、そしてそれらを他の人々に分かちなさい。この研究の内容はファチマの第三の秘密を明らかにしているから、それが広く知られるということが最も重要であり最も緊急を要することである。

この知識はサタンがわれわれを繋ぎ止めている鎖から人類と教皇を救う力を最終的に解き放つであろう。この秘密は教皇ヨハネ・パウロ二世がファチマで「諸国および全人類の上に迫っている殆ど黙示録的な脅威」と呼ばれたものを避けるための鍵である。
「明らかにされたファチマの秘密」

聖三位一体のフレール・ミッシェル
ファチマの第三の秘密は公式にはまだ明らかにされていないので、一見するとわれわれはその内容について何も知り得ないということは明らかであるように思われる。しかしながら、これはただ見かけの上でだけそうである。なぜなら、この重要な秘密が、それが1917年に聖母によってアルジュストレルの三人の羊飼いの子どもたちに明らかにされたとき、あるいは1944年にシスター・ルシアによって書き留められたとき、あるいはなお再び1960年に教皇ヨハネ23世によって世界に公式に明らかにされるはずであったときには、絶対的に知り得ないものであったとしても、そのことは今日ではもはや通用しないのである。なぜなら、40年以上にわたって、それに関する多くの確実な事実が知られるようになったからである。

それらは今日、そこから歴史家がその全歴史を跡づけ、その本質的な内容をかなりの程度確実に明らかにすることができる確実な情報の一つの印象的な量を形成している。そのようなものは第三の秘密の神秘に完全に捧げられている『ファチマに関する全真実』という私の三巻の書物を書くことにおける私の二重の関心であった。

簡潔に纏めなければならなかったので、それを単純化し、そしてその多くの部分を要約したけれどもそうしながら、私があなたに提示しようとしているのはこの詳細な論証である。しかし、私は聖母のこの最後の秘密がどれほど重要であるかをあなたに示すためにそれについて十分に語るであろう。聖母の要求に従ってそれが世界に明らかにされるということが、いかにファチマのメッセージのまさに核心であるか、そして最後にそのことが教会の善のためになぜ緊急のことであるのかを示そうと思う。

I. 第三の秘密のドラマ

シスター・ルシアが最初にファチマの秘密の三つの異なった部分への区分について言及したのは1941年7月/8月の彼女の第三の覚え書きにおいてであった。「秘密は三つの異なった問題から構成されています」と彼女は書いている。「そして私はそれらのうちの二つを明らかにするでしょう」。第一は地獄の幻視と霊魂の救いのために神によって人類に提供された至高の救済策としてのマリアの汚れなき御心の指摘である。「霊魂を救うために神は私の汚れなき御心への奉献を世界の中に確立することを望んでおられます」。第二は、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献と月の第一土曜日の償いの聖体拝領の実践を通じて神が世界に与えようと望まれている奇跡的な平和に関する偉大な預言である(注1)。「もし人々が私の命令を守るならば、ロシアは回心し、世界は平和を保つでしょう」。そしてまた、もし人々が聖母の要求に従わないことに固執するならば、恐るべき罰が下されることの告知もある。秘密の第三の部分に関しては、1941年にシスター・ルシアは今のところ彼女はそれを明らかにすることを許されていないと述べている。

秘密の書き下ろしと伝達

この重要なメッセージの書き下ろしと伝達についてのドラマチックな説明は1943年に始まる。摂理の時刻がそのとき打ったのである。シスター・ルシアはそのとき、スペインのトゥイのドロテア会修道院で生活していた。1943年6月に彼女は突然重い病気にかかった。彼女の状態は非常に危険だったので、レイリアの司教、ダ・シルヴァ司教は心配になった。彼は彼女が聖母の第三の秘密を明らかにする前に死ぬのではないかと恐れ、それは教会に対する一つの例外的な恩寵の喪失であろうと考えた。司教の友人であり忠告者であった聖堂参事会員カランバはそのとき、彼に一つの非常に賢明な考えを示唆した。すなわち、司教は少なくともシスター・ルシアに直ちに第三の秘密のテキストを書き下ろすことを求め、そして次に彼女が後に開封されるように蝋で封印された封筒の中にそれを入れるということである。

それゆえに、1943年9月15日にダ・シルヴァ司教はトゥイに行き、シスター・ルシアに「もし彼女が本当にそう望むならば」秘密を書き下ろすように頼んだ。しかし、この幻視者は確かに聖霊に鼓舞されてこの曖昧な命令に満足しなかった。彼女は彼女の司教に一つの書かれた命令、形式的で完全に明確な命令を要求した−それは非常に重要なことである。ファチマの聖母の最後のメッセージは以前の聖母の他の要求と同じように、驚くべき約束と結びついていた。それはわれわれの二十世紀に、その最も緊急な必要に応じるために、神によって提供された一つの例外的な恩寵である。しかし再び、教会の司牧者たちが、神がその無原罪の聖母の甘美な黙想を通じて世界に与えることを欲しておられる恩寵のこの流出の道具となるために天の計画に対して十分な信仰と従順を持つ必要がある。1943年に神はそれがレイリアの司教であることを欲された。レイリアの司教はこのメッセンジャーが第三の秘密を書き下ろすことを要求した。

最後に、1943年10月半ばにダ・シルヴァ司教は決心した。彼はシスター・ルシアに、彼女に彼女が彼に嘆願した明白な命令を与えて、手紙を書いた。しかしながら、今や諸困難が起こった。シスター・ルシアはその当時殆ど3カ月の間ある不可思議なそして恐るべき不安を経験した。彼女は、彼女が仕事机の前に坐り、秘密を書き下ろすためにペンをとる度毎に、そうすることを邪魔されるのを感じたと語った。明らかに、われわれは無原罪の聖母のメッセンジャーに対するサタンの最後の攻撃をそこに見なければならない。

この偉大な預言がサタンの霊魂に対する支配と教会のまさに核心へと入り込もうとするサタンの計画に対するどのように恐るべき武器であるか、遂行されようとしていた壮大な出来事の大きさをこのように示した幻視者によって堪え忍ばれたそのような試練を考えるならば、秘密は紙の上に書き留められるべきである。

クリスマスイヴの日に、シスター・ルシアは彼女が与えられた命令にまだ従うことができないということを彼女の指導者に打ち明けた。

最後に、1944年の1月2日に(このことは殆ど知られていない)、祝福されたおとめマリア御自身が再びルシアに御出現になった。聖母はルシアにそのようなことは真に神の意志であるということ、そして聖母は彼女に命令されたことを書くことを完成するための光と力を与えるということを確約なさった。

シスター・ルシアがその受取人であるダ・シルヴァ司教に完全に確実にそれを伝えるために払った極端な配慮は彼女がこの記録に帰している例外的な重要性の一つの新しい証拠である。

彼女はそれを司教以外の他の誰にも委ねることを望まなかった。貴重な記録を入れた蝋で封印された封筒をシスター・ルシアの手から受け取ったのはグルザの大司教、フェレイラ司教であった。彼はそれを同じ日の夕方ダ・シルヴァ司教に手渡した。

秘密の教会当局への伝達に関しては最も重要な次の四つの事実を強調する必要がある。

事実#1. 秘密の直接の受取人はダ・シルヴァ司教であり、そして彼はそれを直ちに読むことができたはずであった。シスター・ルシアは聖母からそう言われたと司教に語った。しかし、引き受けなければならない責任によって恐れをなして、彼はそれについて知識を持つことを敢えてせず、欲しなかった。彼はそこでそれを聖座に委ねようと試みた。しかし、ローマはそれを受け取ることを拒否した。そこで、もしダ・シルヴァ司教が死ぬようなことがあれば、その封筒はリスボンの大司教、カレイェイラ枢機卿に委ねられることになった。それゆえに、1960年以後にしばしば繰り返して言われてきたように、第三の秘密が明白にそしてもっぱら教皇に向けられたものである、と言うことは誤りである。

事実#2. しかしながら、シスター・ルシアがピウス十二世がそれ以上遅れることなしに秘密を知ることを望んだということを、私は私の書物においてそれについてのいくつかの証拠を挙げている。不幸なことにそのことは起こらなかった。

事実#3. ダ・シルヴァ司教が封筒を開けることを望まないことに固執していることを確証して、シスター・ルシアは、ガランバ聖堂参事会員の言葉によれば、「第三の秘密は彼女が死ぬか、あるいは1960年には、どちらが最初に起こっても、開けられて世界に対して読まれるべきであるということを司教に約束させた」。シスター・ルシアの繰り返された陳述についての一つの説明がわれわれに与える一連の証言はこの事実が絶対的な確実さで確立されることを可能にした。

事実#4. 最後に、シスター・ルシアの死後直ちに、あるいはいずれにせよ遅くとも1960年には秘密を公開するというこの約束は聖母マリア御自身による一つの要求に確実に一致している。事実、1946年にバルタス聖堂参事会員が幻視者になぜ1960年まで待つ必要があるのかと尋ねたとき、シスター・ルシアは彼にダ・シルヴァ司教がいる前で、「聖母がそう望んでおられるからです」と答えた。

手短に述べたが、私はそのことを私の書物の中で堅固に確立した。そしてわれわれは聖母の最後の秘密が最終的に教会の司牧者たちによって信じられ、そして信者たちに公開されることを神が望まれたというすべての証拠を持っている。このことは最も早くて1944年の初めに、あるいは遅くとも1960年までにはなされていなければならなかった。というのはシスター・ルシアはさらにこう説明したからである。「それはそのときにはもっと明白になっていたでしょう」。(注2)

ローマへの移送

私はここで第三の秘密の歴史における一つのなお不可解なエピソードにとどまっていることはできない。1957年に聖座はそのときまでレイリア/ファチマの司教の宮殿に保管されていた第三の秘密のテキストを要求した。このイニシャティヴを取ったのは誰か?どのような意図で?諸事実の詳細な分析によって私はもっともらしい仮説を立てることはできたが、しかしいかなる確実さにも達しなかった。

1957年3月半ばに、ダ・シルヴァ司教は彼の副司教ヴェナンシオにその貴重な記録を当時のリスボンのローマ教皇大使チェント司教に渡す責任を委ねた。ヴェナンシオ司教は彼の司教に、最後に秘密を読み、そしてローマにマニュスクリプトを送る前にそのコピーを作るように懇願した。しかし老司教は彼の拒否に固執した。ヴェナンシオ司教−彼は1983年2月13日にファチマで私にこのことを語ったが−は封筒を光のほうへと持ち上げている間に、それを眺めることに満足しなければならなかった。彼はその正確な大きさを測った一枚の紙片が封筒の中にあるのを見ることができた。われわれはこのようにして第三の秘密がそれほど長いものではない、恐らく20行から25行くらいの長さのものであるということを知るのである。すなわち、それは第二の秘密と同じ位の長さである。このことはある捏造者たちがファチマの真の秘密であるとして公衆に対して押しつけている余りにも長いいくつかのテキストを確かに真正のものではないとして拒否することをわれわれに許すものである。

1957年4月16日に、封印された封筒がローマに到着した。それからどうなったであろうか?それは教皇ピオ十二世のオフィスの中の「聖座の秘密」と記された一つの小さな箱の中にに置かれた(注3)。このことをジャーナリストのロベール・セルーに打ち明けたのはマザー・パスカリーナであり、彼が近頃この事実を確証したのである。

教皇ピオ十二世は秘密を読まれたか?

驚くべきことだと思われるであろうが、その答えは殆ど確実にノーである。アロンゾ神父と同様に、私はこの結論に対していくつかの堅固な議論を与える。明らかに、オッタヴィアーニ枢機卿、そして教皇ヨハネ二十三世の秘書であったモンシニョル・カポヴィッラの証言がある。彼らはわれわれに教皇がそれを教皇ピオ十二世の死の1年後、1959年に開けたとき、封筒はなお封印されたままであったと語った。

それゆえに、シスター・ルシアが1957年12月26日に、当時ジャシンタとフランシスコの列聖訴訟のポストゥラトルであったフエンテス神父に宛てた荘厳な言葉をわれわれは理解するのである。彼女はこう言っている。「聖母は非常に悲しんでおられます。なぜなら、聖母のメッセージに対して誰も何の注意も払わないからです。...よい人たちも悪い人たちも...

よい人たちは彼らの道を続けています、しかしメッセージには注意を払わないで...私は詳細な点について何も別のことを言うことはできません。というのはそれはまだ秘密ですから...ただ教皇とファチマの司教だけが聖母の意志に従ってそれを知ることができるでしょう...しかし、彼らは影響されることを望まなかったのでそれを知ろうとはしませんでした。」

それゆえに、教皇ピオ十二世は明らかに1960年を待つことのほうを選ばれた。しかし彼はそれ以前に亡くなられた。教会にとって何という損失だろう!(注4)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。