みこころネット

ファチマ・クルセーダー、昔のカトリック書籍などを掲載します。

ファチマの聖母マリア 2-4

2016-09-28 22:17:33 | ファチマの聖母(考察)
われわれは教会における悪魔の徒党に対して抵抗しなければならない

おとめマリアに信頼する者にとって、悪は「堕落のうちにある」、「不道徳と驕りの誤謬の闇の中に沈んでいる」われわれの世界の中だけにあるのではない。悪はまた教会それ自身の中にも存在する。そこでは、悪魔は、常に「大胆な厚かましさで先頭を切っている」彼の「追従者たち」と彼の「徒党」を持っているのである。彼らに直面して、抵抗する勇気を持たない非常に多くの「臆病な人々」が存在する。そして、シスター・ルシアは多くの司教たちが彼らの中に数えられる、と述べることを恐れない。さらに、それは単に生ぬるさあるいは司牧的な怠慢の問題ばかりではなくて、攻撃されているのは信仰それ自身であるということをシスター・ルシアは明らかに理解させようとしている。彼女は「誤った教義」そして「悪魔的な混乱」「盲目」について語っており、そしてこのことは教会においてまさに「大きな責任を持っている」人々の間に見られるのである。彼女は非常に多くの司牧者たちが「世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せている」という事実を深く悲しんでいるのである。誰が、サタンがその主人公である世界....へと自らを明け渡した教会の危機をこれ以上によく記述することができるであろうか?

しかし、シスター・ルシアは「聖母は悪魔的な方向逸脱のこれらの時代が来なければならなかったことを知っておられた」と強調している。幻視者のこれらすべての言葉は、そしてわれわれが引用することができる非常に多くの他の人々の言葉は、1917年7月13日にその第三の秘密において聖母が、もし聖母の要求が従われないならば、教会を突然襲うであろうこの「悪魔的な方向逸脱」を特別に予言しておられたとすれば、完全に説明されるのであり、そして非常にはっきりと目立つのである。

聖書によって告知されている「時の終わり」の大棄教

第三の秘密の内容に関して彼女に質問したある人に対して、シスター・ルシアはある日次のように答えた。「それは福音書の中に、そして黙示録の中にあります。それらを読みなさい」と。彼女は同様にまたフエンテス神父に、聖母が「私たちが世の最後の時代にいる」ということを明瞭に彼女にお見せになったということを打ち明けた。このことは、世の終わりの時、そして最後の審判の時を意味するのではないということを、われわれは強調しなければならない。というのは、マリアの汚れなき御心の勝利が最初に来なければならないからである。第三の秘密の内容を慎重にほのめかしているラッツィンガー枢機卿自身次の三つの重要な要素に言及した。すなわち、「信仰を脅かす諸々の危険」、「最後の時代の重要性」そして「この第三の秘密に含まれている」預言は「聖書に告知されてきたものと一致している」という事実である。われわれは、ある日ルシアが黙示録の第8章と第13章を指摘したということさえ知っている。

それが、私が今日そのように無視されたわが主の、聖パウロの、そして聖ヨハネの偉大な教えを、私の書物の最後の二つの章で取り上げる理由である! すなわち、諸困難の告知、異端、そして最後に「最後の時代」に教会の中で起こるであろう大棄教である。そして聖書の、−特に黙示録の−諸預言と、二十世紀の初頭のファチマの聖母の偉大な預言との客観的な比較は実際非常に多くのそしてまったく驚くべき平行を示している。

III. 最終的にファチマの聖母に聴き従うことが緊急である

われわれは教会のすべての信徒たちにマリアの秘密の完全なそして全部のテキストを、その明快な真理性、その預言的な豊かさそしてその神的な透明性において、遅滞することなく知らせることよりも重要で必要でそして緊急なことはないということを理解するために十分に述べた。ここで、この公開の緊急性の基礎となっている多くのそして堅固な諸理由を引用することが適切であろう。

第三の秘密はなぜ明らかにされるべきであるか

1. 「聖母がそれを望まれているからである。」実際、われわれは聖母の意志は、聖母がそれを三人の羊飼いたちに明らかにされた1917年7月13日の恩恵の瞬間以来少しも変化していないし、また聖母がトィイの修道院においてシスター・ルシアに御出現になり、彼女にそれのテキストを書き下ろすように求められた1944年1月2日以来変化しなかったということを知っている。聖母はこの預言的な神命が明らかにされること、それが知られることを望んでおられるのである。そして聖母のメッセージを伝える者であるシスター・ルシアはこの公開を望み続けたし、彼女が許された限り、彼女は権威のうちにある人々からそれを緊急に要求した、ということをわれわれは知っている。

2. 諸々の霊魂の善のためである。なぜなら、非常にしばしば繰り返された誤りとは反対に、秘密はもっぱら教皇にだけ向けられたものではないからである。二人の先行者たちと同様に、それはすべての信徒にむけられたものである。教会の子として、われわれはすべてマリアの子どもである。われわれはすべてわれわれの天の御母がこの非常に危険な時期に、われわれ−われわれ自身とわれわれの子どもたち、われわれにとって大切であるすべての人々−を救うために、われわれの祖先から受け取った真のカトリックの信仰をわれわれの心のうちに損なわずに生き生きと保つために、われわれに宛てられた救いの警告を知る権利を持っている。

3. この秘密が明らかにされない限り、世界の平和は悲劇的に脅威にさらされたままであり続けるであろう!私はそのことをこう解釈する。われわれは、神がそうであるようにとそれを要求されたように、ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されない限り、ロシアは回心させられないであろうと固く信じる。そしてロシアが回心させられない限り、その無神論的そして迫害的なボルシェヴィズムからそしてロシアを奴隷化している悪魔的な諸力の支配から解放されない限り、核の黙示録の危険は世界に対する一つの恐るべき脅威として残るであろう。

神は世界の平和がわれわれの世紀においては、ファチマに御出現になった神のいと聖なる御母の命令に対する教皇および司教たちの熱心な子としての従順に依存しているということを望まれた。ところで、無原罪の仲介者に対する信仰の、信頼する従順のこの行為−それを通じてわれわれの司牧者たちはロシアの奉献を遂行するであろう−は同様にまた、−私はとりわけ、とさえ言いたいが−秘密の受容と公開を前提とする。それは一つの歴史の教訓である:1960年以来、聖母の秘密の意図的な、無礼な秘匿は聖母の他の諸要求をまさに正確に遂行することの拒否と手に手を携えてきた。他方において、第三の秘密の公開は教会がファチマ・メッセージの神的な確実性と重要性を公式に承認したという明白なしるしであろう。ロシアの奉献に対する主要な障碍の一つはその場合には取り除かれるであろう!

4. 最後にそして特に、教会の善のためである。疑いもなく、教会がその歴史において最も重大な危機を経つつある間に、あらゆる種類の異端が教えられ、広められ、神の民を至る所で毒しつつある間に、1960年以来、パウロ六世の表現を用いるならば、教会の「自己破壊」が続いている間に、そして「悪魔の煙」(注20)が聖なる場所の中に浸透したときに、われわれが経験しつつあるまさにこの「信仰の危機」に関して−おとめマリアの救いに役立つ言葉を無視し、軽視し、軽蔑し続けることは非常に残念なことであり、そして確かに犯罪的でさえあろう。天の元后が1917年という早い時期にその危険を予言されたのであるから、そして聖母が確かにそれの真の原因を指摘されたのであるから、そしてさらに、聖母が効果的な救済策を提示されたのであるから、1960年に公に知らされるように意図されたこれらの救済策がなおわれわれに明らかにされなければならないということは一つの恐るべき恥ではないだろうか?25年間にわたって数百万の霊魂がこの「悪魔的な方向逸脱」において苦しみ、そして天が彼らに提供している例外的な援助をかたじけなく受けようとする教会の司牧者なしに永遠に失われるという危険に曝されてきたということはけしからぬことではないだろうか?

われわれは繰り返し教皇に願わなければならない

今やファチマの秘密の公開のためにわれわれの繰り返しの嘆願を教皇に提出し続けることをわれわれに義務づける非常に多くの理由が存在する。それは聖母の名誉のためであり、われわれの兄弟たちの救いのためであり、世界の平和のため、教会の刷新のためである。最近の偽りの報告がわれわれに信じさせようとしているように、ファチマの秘密は「それが誤解される恐れがある」から公開されることはできないと告げられることがないようにしよう。1917年に、われわれがそれ以来目撃してきた当時予見できなかった非常に多くの出来事を予見し、告知された預言者たちの元后が、聖母の秘密を教会にとって完全に役立たないものとする点まで、この危険を予見することに失敗されたというようなことが可能であろうか?これは考えられ得ないことである!そうではない。聖母の秘密は解釈において少しも曖昧さや困難を持たない明らかなものである、ということについてわれわれは確信を持つことができる。次のように言うことさえ敢えてしようではないか!すなわち、むしろわれわれの司牧者を不安にさせているのはそのあまりにも大きな明瞭性のゆえではないだろうか?それゆえに、教皇が神からすべての障碍を最終的に克服することを彼に許す光と強さを受けることができるようにたゆまずに祈ろうではないか。すでに遅いのであるが、しかし、イエズスはシスター・ルシアを通して「イエズスとマリアに依り頼むのに決して遅すぎるということはないであろう」と告げておられる。

最後に、そして次のことで私は結論を出そうと思う。もし教皇がまだその個人的な権威を行使することによって聖母の最後の秘密を公開する決断をすることがおできにならないならば、彼は秘密は信徒に知らされるべきであるという聖母のはっきりした命令に従うために、少なくとも教皇庁の長官、あるいはレイリアの司教、あるいは幻視者自身に、完全な自由を許されるべきではないだろうか?

第三の秘密は「禁書目録に載せられている」のか?

なぜなら、25年間以上にわたってファチマの秘密が、そしてそれだけがある仕方で禁書目録に載せられているということは一つの驚くべき事実だからである(注21)。シスター・ルシアが、そして彼女だけが沈黙を強いられている。1966年11月15日に教皇パウロ六世は教会によってまだ承認されていない新しい御出現、啓示、あるいは預言を認可なしに広める書物やパンフレットの公刊を禁じた教会法法典の第1399項と第2318項とを廃止された。そしてこの新しい廃止は今や新しい法典の中にあるのである(注22)。その結果、1966年以来この最もすばらしい啓示を誰でも公刊しキリスト者の間に広めることができる。いかなる欺瞞も、そして悪魔的な行為も、何一つもはや禁じられていない。あらゆる事柄は公刊することを認可されている。そして「虚偽の君」は世界中に偽の御出現といかさまのメッセージを増やすことによって巧みにこの認可を利用している。それらは至る所に自由に広まり、そして無数の信徒を迷わせている。最も確実にそして最も問題なしに神からのものであるファチマのメッセージ、秘密だけが公刊することを破廉恥にも禁じられている唯一のメッセージである。

結論は明らかである。ファチマの幻視者に語らせるべき時もまた到来しているのである。そして彼女を通して無原罪のおとめ、神の母でありわれわれの母、われわれすべての愛すべきそしてすべてのものが愛している仲介者そして共なる救済者も語られる時が来ているのである。聖母に聴くことは緊急のことである。というのは、聖母が1917年7月13日に御自身でわれわれに告げられたように、「聖母だけがわれわれを救うことができる」からである(注23)。

われわれの最後の希望−ファチマの聖母

聖母の三つの秘密は実際、神が聖母にゆだねられたその三重の力と三重の使命をわれわれに明らかにしている。神はわれわれの世紀に聖母のこの使命を最も人目をひく仕方で明らかにすることを望まれた。神が霊魂、すべての霊魂を回心させ、それらを救おうと望まれるのは聖母を通してであり、地獄の幻視と聖母の無原罪の御心の啓示、第一の恐るべきそして驚くべき秘密を通してである。なぜなら、聖母は「憐れみの御母」であり「天の門」だからである。神がキリスト教世界を救い、恐るべき諸戦争と共産主義の奴隷化からわれわれを救い出すために求めておられるのは聖母を通して−聖母の第二の秘密における命令、約束、脅威を通してである!なぜなら、神は聖母を「平和の元后」として立てられたからである。さらに、神が教会の上に押し寄せてきているあの「悪魔的な波」、聖所においてさえ支配権を持っている不信仰そして現代の棄教を広めそして助長しているあらゆる暗黒の諸力を今日克服するために望んでおられるのは聖母を通して、聖母の第三の秘密の預言を通してである。なぜなら、聖母は「真の信仰の擁護者」であり、そして聖母だけがその御子から全世界における諸々の異端のすべてを克服する力を受けられたからである。すなわち、'Cunctas haereses tu sola interemisti in universo mundo!'「あなただけが全世界において全異端を克服された!」

われわれの大きな希望!

そして聖母の偉大な秘密がわれわれに明らかにしている無原罪の仲介者のこの三重の使命は同様にまたわれわれのくじくことのできない希望のための揺るがすことのできない基盤である。確かに、聖母の秘密が最終的に完全に明らかにされ、そして真正のものとして認められるとき、ロシアが最終的に聖母に荘厳に奉献されるとき、そして初土曜日の償いの信心が公式に承認されるとき、忠実で力強いおとめ、「信じる者の童貞」、「力ある童貞」がそのすばらしい約束を果たされるということをわれわれは確信することができるのである。

喜びに満たされてわれわれはそのときイエズスの聖心の普遍的な支配を準備する聖母の汚れなき御心の勝利を目撃するであろう。めざましい回心の奇跡を通じてその悪魔たちから解放されたロシアはローマの統一の羊の群に戻るであろう。カトリック信仰がすべての諸民族に説かれるであろう。そして無数の霊魂は一人の牧者の導きの下にキリストの唯一の聖なるカトリックの使徒的ローマ教会における救いの泉へと喜びのうちに進むであろう!

その通り、この時間は来るであろう。しかし、われわれ自身愛をもってこの瞬間以後聖母のすべての要求を遂行することによってそれを早めなければならない。

なぜなら、聖母はわれわれを必要としておられるからである。聖マキシミリアノ・コルベがいつも言っていたように、「現代は悪魔によって支配されており、そして悪魔は未来にはもっと多くさえなるであろう....無原罪の聖母だけが神からサタンに対する勝利の約束を受けられた。しかし、天の栄光のうちにおられる聖母は聖母と共に働くわれわれを今日必要としておられる。聖母は御自分に完全に奉献され、聖母の手の中でサタンを克服する一つの力となる、そして聖母の導きの下に神の国を確立するための効果的な手段となる霊魂を求めておられる。」

脚注

1. 付録を見よ。
2. フレール・ミッシェルの書物『第三の秘密』、33-56ページおよび467-478ページを見よ。
3. これは少なくともマザー・パスカリーナがジャーナリストのロベール・セルーに1957年5月14日にヴァティカンでの写真報告集会の機会に確証したことである(『第三の秘密』、484-486ページ)。[マザー・パスカリーナは教皇ピオ十二世の世話をした数人のシスターたちの監督をしていた]。
4. 『第三の秘密』、486-502ページ。
5. 巡礼の像の行列の間に、鳩が放された。ときどき鳩たちは飛び去るよりもむしろ像の足下に群をなした。(『第三の秘密』、99-103,251,533,534ページ)。
6. 『第三の秘密』、578-586ページ。
7. このつじつまの合わない主題は『科学と諸事実』、381-434および482-528ページにある。[ダニス神父は彼が最初に1944年にこの主題を公刊したとき、ルーヴァン大学の神学教授であった。基本的に、彼はシスター・ルチアの覚え書き(1935-1941年に書かれた)は信頼できないものであると主張した。]これは上に注記したように、フレール・ミッシェルによってその第1巻において完全に反駁されている。
8. 『第三の秘密』、721-734ページ。
9. 枢機卿の「ヴァリエーション」からわれわれが引き出すことができる結論については『第三の秘密』、818-840ページ。
10. この日に教皇ヨハネ・パウロ二世は世界をマリアの無原罪の御心に奉献したが、世界のすべての司教たちに彼らの関係する教区からこの行為に参加するように求めた後に、ロシアについては(名を挙げずに)間接的に言及した。
11. 『第三の秘密』、英語版642-663ページ。
12. 『チヴィルタ・カットリカ』の1960年6月の版。
13. フエンテス神父へのこの宣言は、アロンゾ神父と私もまた示しているように、確実に真正なものである。私はこのことを私の書物『第三の秘密』、503-510、549-554ページにおいて論証した。それについて私が、アロンゾ神父に従って、その議論の余地のない真正性を示している、1957年12月のフエンテス神父へのシスター・ルチアの宣言(『第三の秘密』、503-510、549-554ページ)はファティマのメッセージの一つの際だった綜合である。私の友人たちへの書簡において1962年に公刊され、そして再び1974年に『二十世紀におけるカトリック反宗教改革』(No.87,p.12,フランス語版)においても公刊された、このテキストは常に非常に時宜にかなっていたが、広まり続けるに値するものである(テキストについては『第三の秘密』、504-508ページを見よ)。
14. それによって世界平和がもたらされるであろう主たる超自然的な手段は、1925年12月10日と1929年6月13日に聖母によって要求された、教皇と世界の全司教とによるマリアの無原罪の御心へのロシアの奉献と初土曜日の償いの聖体拝領(付録を見よ)である。
15. 地獄の永遠の火から救われるためには各々のカトリック者はその信仰を失ってはならないということはカトリック教会の教義であるから、司教はそのように強い声明を出すことができた。明らかに身体的な絶滅は永遠にわたっての地獄への霊魂の喪失ほどには悪いものではない。それが第三の秘密において宣言されたこの懲罰が戦争や死よりも悪い理由である。
16. 『第三の秘密』、683-693ページ。
17. われわれの知識によれば、ただアントニオ・マリア・マルティンス神父とゲラルデス・フレイレ神父だけが他の仮説を主張し続けている。それによれば第三の秘密はポルトガル、その海外植民地そして全世界への共産主義の拡大に関わっているとされる(『第三の秘密』、735-744ページ)。
18. 『第三の秘密』、694-720ページ。
19. 『第三の秘密』、745-762ページ。
20. 教皇パウロ六世は1968年12月7日に行った教会の「自己破壊」を嘆いた。1972年6月29日のある説教において教会に入り込んだ「サタンの煙」に言及した。『第三の秘密』、849ページ、注1および2を見よ。
22. 新教会法法典は1983年1月25日に公布された。
23. 一つのファティマの秘密の三つの部分はこの日付で与えられた。われわれはそれらを(一つの話し方において)三つの秘密と呼ぶことができるであろう。

終わり
96/11/27 三上 茂 試訳

ファチマの聖母マリア 2-3

2016-09-28 22:16:22 | ファチマの聖母(考察)
誤った秘密と誤った仮説

この信頼できるデータに基づくならば、われわれは25年間にわたって次々と公刊されてきた誤った秘密の全系列を捨てることができる。私はそれらのすべてを私の著作において引用している。そして私は例えば、それらのうちの最も有名なもの、ドイツの雑誌「ノイエス・オイローパ」によって1963年に普及された、そして無数の雑誌において絶えずリプリントされている「秘密」がいんちきであるということを論証した。このテキストの中にはこのことを十分に証明するいくつかの恐るべき誤謬がある。さらに、それは真の秘密の単なる「抜粋」の問題であるけれども、とわれわれは告げられるのであるが、これらの「抜粋」はすでにルシアが第三の秘密の全体を書き下ろした紙片の少なくとも四倍の長さのものになってしまうのである(注11)。

われわれは同様にまた、多くの誤った仮説を捨てることができる。確かに、カプリーレ神父が敢えて主張するように、われわれは単なる「祈りと償いへの招き」に関わっているのではない(注12)。おとめマリアは1917年10月13日の公的なメッセージを一語づつ繰り返させた一つのメッセージを打ち明けるために1944年あるいは1960年まで待つようにルシアに求められたのではない!

[(フランス語から英語への)翻訳者の注:それは25行の秘密を書き下ろす際に、1943年10月から1944年1月までに経験した極端な困難を説明しないであろう。もしそれが単なる祈りと償いへの呼びかけであったならば、そのような困難は存在しなかったであろう]。

それは幸福の問題でもない。ファチマの第三の秘密は、公会議は「一つの新しいペンテコステ」、「教会にとっての一つの新しい春の時期」であろうと宣言している教皇ヨハネ二十三世の楽観主義の見解とも一致しない。もしそうであったならば、彼自身が、あるいは彼の後継者たちがそれをわれわれに公表したであろう。カレイェイラ枢機卿はまさに正当にもこう言っている。「もしそれが楽しいものであったなら、われわれはそう告げられていたであろう。われわれは何事も告げられなかったのであるから、事実はそれが悲しいものであるということである。」その通りである。それは明らかに重大で悲劇的なものである。

それはまた世界の終わりの告知でもない。というのは、ファチマの預言は一つの驚くべきそして無条件の約束でもって終わっているからである。それは時を選ばずいつも説かれるべき約束である。というのは、それは揺るがすことのできない希望の源泉だからである。すなわち、「終わりに、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献し、ロシアは回心するでしょう。そして平和の時期が世界に与えられるでしょう。」

それは第三次世界大戦の告知であろうか?核戦争の告知であろうか?そう考えることは理に叶っているであろう。なぜなら、ここでは預言は最も明快な政治的分析を確証する以外のことを何もしないだろうからである。おとめマリアはわれわれをそのように悲劇的に脅かしているこの最も恐るべき未来の戦争を予言されたのであろうか?

アロンゾ神父と共に、私はこれは明らかに第三の秘密の本質的な部分ではないと考える。そして私はこのことを確実な理由で言うのである:すなわち、物質的懲罰の、新しい戦争の、そして教会に対する迫害のこの予言は第二の秘密の特別な内容を構成する。われわれはなおこれらの単純な言葉の恐るべき重要性について反省したであろうか?すなわち、「善人は殉教するでしょう、教皇は多く苦しむでしょう、様々の国民が絶滅させられるでしょう」。シスター・ルシアはフエンテス神父にこう打ち明けた。「祝せられたおとめは私たちに多くの諸国民が地の表から消えるでしょう、ロシアは、もしわれわれがあの不幸な国民の回心を前もって獲得していないならば、全世界を(その罪のゆえに)罰するために天によって選ばれた懲罰の道具となるでしょう」(注13)。それが、「絶滅させられる」という言葉がその明白な意味において:すなわち、絶滅させられる、完全に破滅させられる、と文字通り受け取られることが恐れられる理由である。1917年には起こりそうもないことであったが、この悲劇的な脅威は核時代における今日のわれわれにとってはもはやこじつけの議論ではない。

それゆえに、なおわれわれを脅かしているすべての物質的な罰は、核戦争のような、あるいは全地球への共産主義の拡大のような最も恐るべき罰でさえ、聖母によってその第二の秘密においてすでに予言されているということは明らかである。そしてわれわれは遅すぎるようになる前にそれらを回避するための超自然的な手段をも知っているのである(注14)。アロンゾ神父によれば、われわれは秘密の第三の部分においてはこれらの物質的な懲罰については何も繰り返されていないということを確実に知ることができる。あるいは、少なくともそれについて再び言及されているとしても(まったくあり得ることであるが)、このことは第三の秘密の本質的な部分ではないだろうと、私は付け加えるであろう。実際、秘密は三つの相互に関連した、しかし異なった部分から構成され、そして天によって確定されたその公開の日付が同じ日付ではないから、秘密の第三の部分が数行のスペースのうちに第二の部分と同じことを繰り返していない、と確実に言うことができる。

霊的な懲罰

疑いもなく、第三の秘密は一つの霊的な懲罰に主として言及しているのである。飢饉、戦争、迫害よりもそれはもっと悪く、もっと恐ろしいものである。なぜなら、それは霊魂、その救い、あるいはその永遠の破滅に関わっているからである。1966年にヴェナンシオ司教によってファチマの公式記録保管人として指名された故アロンゾ神父は、これが第三の秘密が含んでいるものである、ということを証明した。彼は、不幸なことに公刊することを禁止された14巻から成る彼の批判的な大著の巻の一つにおいてそれについて書いた。しかし、彼は1981年12月12日の彼の死の前に、彼の結論を様々のパンフレットそして神学雑誌の多くの論文においてわれわれに知らせることができた。

私の個人的な研究は新しい記録が確証させることになった彼のテーゼについて明らかにし、完成しそしてより特殊的であることを私に許しただけである。

ここに最も重要なことがある。1984年9月10日にレイリア・ファチマの現在の司教コスメ・ド・アマラル司教はウィーンの技術大学の大講堂(アウラ・マグナ)において、質疑の中で次のように述べた。「ファチマの第三の秘密は原爆や核弾頭あるいはSS20ミサイルについて語っているのではない。その内容はただわれわれの信仰にのみ関わるものである。この秘密を破局の告知あるいは核によるホロコーストと同一視することはこのメッセージの意味をゆがめるものである。ある大陸の信仰の喪失はある民族の絶滅よりも悪い。そして信仰がヨーロッパにおいて常に減退しつつあるということは真実である」(注15)。

十年間、このファチマの司教は第三の秘密の内容に関して完全な沈黙を守ってきた。彼がそのように断固として一つの公式的な陳述をするために口を開くとき、われわれは彼がこのことを前もってシスター・ルシアに相談せずに言ったのではないと、道徳的に確実に言うことができる。1981年に彼がすでに幻視者にその主題に関して質問したと言いながら、いくつかの誤った秘密を反駁していたから、われわれはこのことについていっそう確信を持つことができる。

このことは、アロンゾ神父のテーゼは今やファチマの司教によって公式に確証されたということを意味する。それは教会内における恐るべき危機である。それは、もし無原罪の聖母の要求が十分に遂行されないならば[起こる]、まさにわれわれの時代に対して聖母が予言した信仰の喪失であり、そしてわれわれが1960年以来目撃してきたのはこのドラマである。本質的なことが言われたので、私は今や第三の秘密の真の内容に関する私の証明の主要な段階に言及することに満足するであろう。

信仰の喪失

第一章において(注16)私は第三の秘密が特殊的に信仰の喪失を取り扱っているということを証明する諸理由を挙げた。それはわれわれがすでに知っている秘密の主要な要素である。実際、われわれはそれの内容だけ以上のことを知っている。シスター・ルシアはわれわれに対してそれの第一の文章を指摘しようと望んだ。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう....云々」幻視者が秘密の最初の二つの部分を書き下ろし、そして彼女の覚え書きにおいて第二番目に秘密の結論を書いたときに、確実にそして意図して付け加えたこの短い文章は決定的に重要である。それは非常に明確に第三の秘密への鍵をわれわれに提供する。

ここにアロンゾ神父の賢明な注解がある。「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存されるでしょう」この文章はまったく明確に他の諸国民に降りかかるであろう信仰の危機的な状態を意味する。すなわち、ポルトガルがその信仰を守るであろうのに対して、信仰の危機が存在するであろうということを意味する。」アロンゾ神父はさらに次のように書く。「それゆえに、マリアの御心の偉大な勝利に先行する時期に秘密の第三の部分の対象である恐るべき事柄が起こるであろう。どのようなものか?『もしポルトガルにおいては信仰の教義は常に保存される』ならば、われわれはそのことから、完全に明瞭に、教会の他の諸部分においてはこれらの教義は曖昧なものとなるか、あるいはさもなければ失われさえするであろう、と推論することができる。」

専門家の大部分すなわちマルティン・ドス・レイス、ガランバ参事会員、ヴェナンシオ司教、ルイス・コンドル神父、メシアス・ディアス・コエルホ神父はこの解釈を採用した。先の11月18日、彼がパリで行ったコンフェランスの中でローランタン神父は彼自身もこの解決に賛成であると述べた(注17)。

ラッツィンガー枢機卿自身この意味において、第三の秘密は「信仰とキリスト者の生活を脅かす危険」に関わると言いながら、ヴィットリオ・メッソーリに対して語ったということを付け加えよう。最後に、われわれが言ったように、ファチマの現在の司教はそれ以上になお明白である。彼はそれが数カ国の国民と全大陸のスケールにおける信仰の危機であるということを理解させた。そのような喪失は聖書の中にその名前を持っている。すなわち、それは棄教である。この言葉は秘密のテキストのうちに見出される可能性がある。

司牧者のたじろぎと罰

他の章において(注18)、私はそれ以上のことがあるということを示している。すなわち、第三の秘密は確かに25年間教会に打撃を与えてきた前例のない信仰の危機における聖職に任じられた霊魂、司祭、そして司教自身でさえの重い責任を強調している。私はそれらのいくつかの証明、いくつかの非常に明瞭な指摘を提供する。私はここであなたたちにアロンゾ神父を引用することで満足しなければならない。「それゆえに、第三の秘密のテキストは教会内部の信仰の危機と司牧者自身の怠慢、そして高位聖職者による重大な司牧的怠慢を具体的に示しているということは完全にありそうなことである。」

これらの非常に重大な言葉を、アロンゾ神父は確かに書かなかったし、またそれらを全体的なインパクトを注意深く考えることなく非常に明瞭にそしてあからさまに公刊しなかった。ファチマの公式の記録保管者として、彼は労働とさまざまのインタビュー、シスター・ルシアとのさまざまの会話の10年の後に、少なくとも幻視者の暗黙の同意において確信させられることなしにそのように大胆なそしてそのように赤熱した立場を採用しなかっただろうか?その答えはまったくいかなる疑念をも許さないものである。

聖職階級の諸欠陥のこの宣言は三人の幻視者たちが教皇のために絶えず祈り、多く祈り、犠牲を捧げることへと自らを強いることになったつきまとって離れない関心、シスター・ルシアがこのテキストを思い切って書き下ろ前に直面しなければならなかった乗り越えることがでいないほどの不安の三ヶ月を説明する。それは最後に楽観論者のヨハネ二十三世以来の諸教皇があらゆる犠牲を払ってもそれを隠そうと努めながら、後のその公表まで躊躇し、遅らせ、絶えず延期したのはなぜかを説明する。

悪魔的な方向逸脱の波

第三章において(注19)、私はシスター・ルシアが明らかに、われわれの時代における悪魔の解放を強調している彼女の言葉や手紙のいくつかの中で第三の秘密の一つの主題を反響させているということを示している。すでに1957年に、彼女はフエンテス神父にこう打ち明けた。「いとも聖なるおとめは私に、聖母に対する一つの決定的な戦いにまさに参加しようとしている....そして悪魔は何が最も神に反することであるか、そして何が最も多くの霊魂を可能な限り最も短い時間で悪魔に獲得させるか、を知っている、言われました。悪魔は神へ聖別された霊魂を獲得するためにはあらゆることをします。なぜなら、このやり方で、悪魔はその指導者に見放された信者の霊魂を離れさせることに成功するでしょうし、そのことによってますます容易に悪魔は彼らを捉えるでしょうから。」

しかし、彼女が教会の現在の危機を記述するためにいくつかの際だった表現を用いているのは特に1969-1970年のほとんど知られていないがしかし非常に重要な一連の手紙の中でである。そして、非常に謙遜で、また権威を非常に尊敬している一つの霊魂の持ち主のペンを通じて、そのような強い表現は明らかに信仰の防御と教会の福祉に関するその最後のメッセージにおける汚れなきおとめのまさに口から聞いた言葉の反響である、ということをよく注意しよう。

彼女はある司祭に次のように書いている。「私はあなたの手紙によって、あなたがわれわれの時代の方向逸脱によって心を奪われているのが分かります。実際、非常に多くの人々が世界に吹き荒れている悪魔的な波によって支配されるままにわが身を委せているということ、そして彼らが誤りを見ることができない点まで盲目になっているということを悲しく思います!主たる誤りは彼らが祈りを放棄したということ、彼らがこのようにして神から疎遠になったということです。そして神なしにはすべては欠けたものです。」

「悪魔は非常に狡猾で、私たちを攻撃するために私たちの弱点を探しています。」

「もし私たちが神から強さを得るために勤勉で注意深くないならば、私たちは倒れるでしょう。なぜなら、私たちの時代は非常に邪悪であり、そして私たちは弱いからです。ただ神の強さだけが私たちをしっかりと立たせることができるのです。」

マリア信心の擁護に熱心に関わっているある友人への手紙の中で、シスター・ルシアは次のように書いている。

「人々に毎日ロザリオを唱えるようにさせてください。聖母は、私たちが誤った教義によって欺かれないように、悪魔的な方向逸脱のこれらの時代にわれわれを強めるかのように、御出現の度に必ずそのことを繰り返しておられます。....不幸にも、宗教的な事柄において人々はその大部分が無知であり、そして導かれるところへはどこへでも連れて行かれることを許しています。それゆえ、彼らを導く義務を持っている者の大きな責任は....」

「世界を襲い、霊魂を欺いているのは一つの悪魔的な方向逸脱です。『悪魔』に対して立ち上がることが必要です。」

1970年9月16日に、彼女はある宗教的な友人にこう書いています:「私たちのお可哀想な主よ、主はそのように大きな愛でもって私たちを救われました。そして主はそのようにわずかしか理解されていないのです!そのようにわずかしか愛されていないのです!そのように悪しくしか仕えられていないのです!そのように大きな混乱を見ること、そして責任ある地位を占めているそのように多くの人々のうちにそれを見ることは苦痛なものです!....私たちにとって、私たちにとって可能な限りたくさん、私たちは一つのなおより親密な主との一致を通じて償いをしなければなりません....あなたが言っていることがらを見ることは私を苦しめます。しかし今はそのことがここでもまた同じように起こっています!....事実は悪魔が善の見せかけの下に悪へ導くことに成功しているということ、そして盲目になった人々が他の人々を導き始めているということです....これは主が福音書において私たちに語られたことに似ています。そして多くの霊魂はその中へ連れて行かれることを自らに許しています。私は、神の教会における平和のために、司祭たちやすべての聖別された霊魂たちのために、特にそのように欺かれそして間違った方向へ導かれている人々のために、喜んで私自身を犠牲にし、私の命を神に捧げます!」

ファチマの聖母マリア 2-2

2016-09-28 22:15:50 | ファチマの聖母(考察)
一致した熱心な期待

歳を取った人々はそのことを記憶しているが、1960年が近づくにつれて、全キリスト教徒は約束された秘密の公開を信頼して待った。そしてあなた達イタリア人(ここにいる)、あなた達は1959年に全国でマリアの汚れなき御心に対する献身の大運動が起こったことを知っている。数カ月間にわたってファチマのおとめがその跡を熱狂的な群衆を引きつけながら、そしていたるところで聖母の恩寵の奇跡、けた外れの熱狂、回心の奇跡、鳩の奇跡(注5)を振りまきながら、[イタリア]半島を縦横に通った。1959年9月13日には全司教がマリアの汚れなき御心にイタリアを荘厳に奉献した。不幸なことに、その運動は教皇ヨハネ二十三世によって殆ど鼓舞されなかったので、彼の沈黙と留保は注意されないままで過ぎ去ることはできなかった。

教皇ヨハネ二十三世は秘密を読まれ、そしてそれを公表することを拒否される

われわれは教皇が1959年8月17日にカステルガンドルフォで第三の秘密の封筒を、当時聖座の公式官であったモンシニョル・フィリップによって、彼のもとに持って来させられたことを知っている。教皇への秘密のこの伝達がこのように一つの公式的な性格を持ち、そしてその周りにある種の荘厳さを集めているということに注意しよう。そのことはその当時ファチマが遇せられた尊敬を示している。教皇ヨハネ二十三世は封筒を直ちに開けられなかった。彼は「私は私の告解聴聞者と共にそれを読むことを待っている」と宣言することに満足された。モンシニョル・カポヴィッラは正確にこう述べている。「数日後に秘密は読まれた。」「しかし、[ポルトガル語という]言語に特有の表現によって起こる困難のゆえに国務省のポルトガル語の翻訳者、モンシニョル・パウロ・ホセ・タヴァレスの援助が要求された。」彼は後にマカオの司教となった。後に教皇ヨハネ二十三世はそれを聖座の長官、オッタヴィアーニ枢機卿に読ませられた。

ここで簡単な括弧書きを入れておこう。確かにわれわれは「私的な啓示」を判断することは当局に属しているということをよく知っている。1960年には、教会がすでに公式に、グルーナー神父がさっきわれわれに思い出させてくれたように、議論の余地のない預言と輝かしい奇跡によって他のいかなる御出現よりもさらにより堅固に証明されたファチマの御出現の神的な真性性を承認していたということは明らかであった。シスター・ルシアを通じて伝えられた、いと祝せられたおとめの命令に一致して責任を負わされた二人の高位聖職者、レイリアの司教とリスボンの大司教は遅くとも1960年までには完全な内容を公表するように公式的に努力した。15年間以上にわたって、いかなる権威のある宣言も枢機卿、司教そして聖堂参事会員のガランバ師やバルタス師あるいはメシアス・ディアス・コエルホ神父のような有名なファチマ専門家たちによって世界中にこだましたこれらの繰り返された約束を反駁することはできなかった。教皇ピオ十二世の同意によって1942年に最初の二つの秘密の公開はさらに一つの前例をなした。その結果、信者はこの約束された啓示を最高の権威から期待する権利を完全に持っていたのである。彼らは少なくとも教皇の側での一つの正確なそして率直な説明に対する権利を持っていた。

悲しいかな、1960年2月8日に突然、ファチマの第三の秘密は公表されないということが簡単な新聞発表を通じて知らされた。それはそのまさに本性によって完全に無責任である一つの無名の決定であった。それを動機づけた理由は何であったのか?ヴァチカン・コミュニケはただつじつまの合わない、そして矛盾さえしたいいわけを提供しただけである。この無名の新聞発表の終わりの部分は裏切りでさえある。「教会はファチマの御出現を承認しているけれども、三人の羊飼いの子どもたちがおとめマリアが彼らに告げられたと言ったそれらの言葉の真実性を保証する責任を取ることを望まない」(注6)。このように、明らかにヴァチカンはダニス神父の支持され得ない立場(このつじつまの合わない論調の詳細な説明と分析は第一巻にある)(注7)を自らのものとしたばかりでなく、このコミュニケはさらに問題を生み出すものであった。それはシスター・ルシアの信頼性とファチマ・メッセージ全体に最も恥ずべき疑惑を公的にそして何ら妥当な理由もなしに投げかけているのである。

モンシニョル・カポヴィッラによれば、数人のローマの高位聖職者たちが相談を受けたということである。しかし、確かなことは責任を負っているポルトガルの当局者が明らかに無視されたということである。ヴェナンシオ司教もカレイェイラ枢機卿もローマによって相談を受けなかった、あるいは知らされなかったのである。

1960年2月8日のこの悲しむべき新聞発表を再読し分析すると、あるいはさらに、「チヴィルタ・カットリカ」紙においてカプリーレ神父によって6月に発表された憐れむべき記事を研究することによってさえ、ファチマの主題の関してローマ自身における責任ある当局者たちによって発言されてきたつじつまの合わないこと、不正確なことそして誤りの多くの例によってわれわれは落胆させられる。このことはあなたたちに、1960年までにその秘密を明らかにしなさいと要求された無原罪のおとめ、使徒たちの元后の明白な意志に何の注意も払わないという決定がいかに正当化されないものであり、正当化され得ないものであるかを、告げている。それがファチマ論争に大きな害を与えたこともまた確かである。

われわれは、いと祝せられたおとめに対する信心がカトリック教会のまさにふところにおいて目に見える仕方で、そして次に驚くべき仕方で減退し始めたのは「マリアの秘密」に対するこの公式の無視以後のこの時期からであったと言うことができる。これまで以上にシスター・ルシアの次の言葉が当てはまる。「祝せられたおとめは非常に悲しんでおられます。なぜなら、誰も聖母のメッセージに注意を払わないからです」。そしてこの誤りは数え切れないほどの結果をもたらすことになった、とわれわれは敢えて言わなければならない。なぜなら、ファチマの諸々の預言や命令を無視することにおいて無視されてきたのは、世界を前にしてあざ笑われてきたのは、神御自身だったからである。無原罪のお方、母親としての警告を通じて告げられた条件的な罰はそのとき悲劇的、不可避的に下されることになったのである。

II. 第三の秘密は明かされていないか?

オッタヴィアーニ枢機卿は、教皇ヨハネ二十三世は秘密を「一つの非常に深い、暗い井戸のようである資料保管所の一つの中に置いたので、その底には紙が落ち、誰ももうそれを見ることができない」と語った。われわれはシスター・ルシアの手書き原稿がどうなったかを非常によく知っている。われわれはそれの本質的な内容を発見することさえできる。1917年7月13日にわれわれの時代のために聖母がお与えになったこの警告の中で聖母はわれわれに何を告げておられるのか?まず第一に、われわれはこの秘密に関して四つの確実なそして客観的な事実を確立することができる。そしてそれらは秘密の解明においてわれわれの歩みを大いに進歩させることができるものである。

1. 第一の主要な事実:われわれは第三の秘密の文脈を知っている。厳密に言えば、1917年7月13日に完全に啓示された実際にはたった一つの秘密がある。ところで、この複合的全体について現在のところわれわれは四つの部分のうちの三つの部分を知っている。われわれは秘密の始まりの部分、最初の二つの部分、そして聖母がわれわれに約束しておられる「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、世界に平和の時期が与えられるでしょう」という結論によって確実に形成されている最後の部分を知っている。シスター・ルシア自身が秘密の第二の部分に関して、第三の秘密がたまたま挿入されることになると書いたのは、テキストにおいて「等々...」に続くこのすでによく知られた文脈においてである。そのようなことが最後の秘密の内容の発見において先へ進むことをわれわれに許すためにわれわれにとって一つの重要な道しるべである事実である。後者はその直接的な文脈と一致し、そしてファチマのメッセージの全体と調和的に一致しなければならない。

2. 第二の重要な事実:もしそれが啓示された状況がその基本的な統一性をわれわれに証明するならば、その書き下ろしのドラマティックな状況はそれ自身においてわれわれにその悲劇的な重大さを明らかにする。

3. 第三の非常に解明的な事実:1960年以来、諸教皇がそれを公表することを拒否してこられたのはその内容のせいであり、そしてただこの理由でだけである。

まず第一に、すでに見たように、教皇ヨハネ二十三世は全カトリック教会の熱狂的なそして切望的な期待にもかかわらず、それを公表することを拒否された。

パウロ六世はまっすぐに同じ態度を採用された。1963年6月21日に教皇に選出され、しばらく後に彼は秘密のテキストを要求された。このことはこの主題に関する彼の生き生きとして関心を証明している。誰も教皇ヨハネ二十三世がそれに関してしたことを知らなかったので、彼らはヨハネ二十三世の秘書であるモンシニョル・カポヴィッラに尋ねた。彼は手書き原稿がどこに置かれていたかを指摘した。教皇パウロ六世はその時点でそれを確かに読まれた。しかし彼はそれについて語られなかった。しかしながら、あなたたちも知っているように、1967年2月11日、ファチマ御出現の50周年が近づいたので、オッタヴィアーニ枢機卿は教皇の名において、ファチマの第三の秘密の主題に関して、それがまだ公表されないということを説明するために一つの長い宣言を作った。私の書物の中で、私はこのテキストを引用しそして分析した。ポルトガルの専門家たちに従って、私はどんな犠牲を払っても秘密を公表しないことを正当化するためにこの聖座の高位聖職者、教会における真理の至高の保証者がつじつまの合わないこと、そして明らかな虚偽を大量に集めることを強いられているということを検証せざるを得なかった(注8)。そして悲しいことには、われわれは1984年に彼の後継者であるラッツィンガー枢機卿によって述べられた理由はもはや首尾一貫していないということを見るであろう。

ヨハネ・パウロ一世はファチマの聖母に非常に献身しておられた方であった。彼は1977年にコヴァ・ダ・イリアへの巡礼に行かれた。そして非常に奇妙な事実であるが、シスター・ルシア自身が彼と会うことを要求した。それゆえにルチアーニ枢機卿はコインブラのカルメル修道院へ出かけ、この幻視者と長い間話をした。私はシスター・ルシアが彼と第三の秘密について語り、そして彼にその本質的な内容を明かしたということを検証する位置にいる。彼はその秘密によって非常な感銘を受けた。彼はイタリアに帰った時に周りの人々に、彼がどのように感動させられたか、そしてそのメッセージがどのように重大なものであるかを話した。彼はそれからファチマについて精力的な言葉で語りまた書いた。そして彼が明らかに聖人であると考えたシスター・ルシアへの感嘆と完全な信頼を表明した(私はこれらの未公刊の事実についてのすべての証明を第四巻において示すであろう)。教皇になる以前に、彼は明らかに何かあることをする前には世論を準備することを望まれた。不幸なことに、彼は何かあることを言うことができる前に悲劇的にわれわれから取り去られた。

ヨハネ・パウロ二世は1982年5月13日にファチマの巡礼に出かけられる前に、ポルトガル語に特有である、秘密のある表現を翻訳してもらうために教皇庁からポルトガル人の翻訳者の援助を求められた。それゆえに、彼もまた第三の秘密を読まれたのである。しかし彼もまた公表することを選ばれなかった。

最後に、われわれはラッツィンガー枢機卿がまた同様にそれを読まれたということを知っている。というのは、彼はイタリアのジャーナリスト、ヴィットリオ・メッソーリに、彼がそれを読んだということを語られたからである。ラッツィンガー枢機卿は、その内容を非常に異なった言葉でほのめかしながら、−それはわれわれにとって意味があるが−1984年11月と1985年6月の二度の機会に、それについて書いてさえおられる。私は自分の書物の中で、これら二つの続けて公刊された版の梗概について公刊し注解した(注9)。

4. 第四の主要な事実:第三の秘密の預言は1960年以来、われわれの目の前に現在の時点においては公表されていない。実際、ファチマの預言の実現には一つの時間表、一つの年表がある。

一方において、秘密の結論によって告げられた時間にはわれわれはまだ到達していないということは実際確かである。なぜか?そうされなければならず、そしていつかそうされるであろうように、ロシアがまだマリアの汚れなき御心に奉献されなかったからである。シスター・ルシアは1984年3月25日の行為の後でさえこのことを明らかに知らせた。ロシアはまだ回心していないし、そして世界は平和ではない、それから遙かに遠い!それゆえに、われわれはまだ預言の終わりにはいないのである。

他方において、第三の秘密において告げられた諸々の出来事は単にわれわれの未来に関係があるだけではない。なぜなら、われわれはもう一つの導きのしるし、すなわち1960年という年を持っているからである。聖母は秘密は1960年には公表されるべきことを要求なさった。というのはルシアはオッタヴィアーニ枢機卿に「1960年にはメッセージはより明瞭に現れるでしょう」と語ったからである。ところで、一つの預言を何の疑いもなしにある特別の日付以後からより明らかにするようになる唯一の理由はその実現の始まりである。そしてわれわれは「第三の秘密において聖母によって予言された罰はすでに始まりました」と言っているルシアからのもう一つ別の言明を持っている。

預言の出発点と終局点がこのように決定されたので、われわれは確実に、現在われわれは聖母が言っておられる時期に生きている、と言うことができる。それゆえ、われわれは第三の秘密を生きているのである。われわれはそれが告げている諸々の出来事の証人である。

ファチマの聖母マリア 2

2016-09-28 22:12:49 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア
明らかにされたファチマの秘密

The Fatima Crusader Issue より

序論

5月13日から10月13日の一連の御出現において一般公衆に対して聖母によって与えられたファチマのメッセージの他に、聖母は1917年7月13日にシスター・ルシアと教会当局によってすべての信者に後に与えられることになった一つの秘密を明かされた。

その秘密は三つの異なった部分に分けられる。そしてシスター・ルシアは彼女の司教の承認と共に1941年に最初の二つの部分を明らかにした。第三の部分は1944年1月2日から1月9日の間に書き止められた。それは彼女の司教への聖なる従順の下に、そしてファチマの聖母がシスター・ルシアに、実際神が秘密の第三の部分が今書かれるべきであると確証なさった後に書かれたのである。(秘密の第三の部分は通常第三の秘密として言及される)。教皇とレイリア司教はそれを直ちに読むことができた。

聖母は秘密のこの第三の部分は遅くとも1960年までには信者に知らされることを求められた。秘密の第一および第二の部分と同様に、それは明快で、容易に理解されるものである。秘密の第二の部分と同様にそれは預言的である。われわれは今第三の秘密を生き延びているのである。あなたは永遠の破滅からあなたの霊魂とあなたの愛する者の霊魂を救うためにその内容を知る必要があるだろう。

第三の秘密はフレール・ミッシェル によって明らかにされてきた。彼は4年間の研究の後にこの研究を書くのに最も資格のある人物である。彼の結論は16年間にわたってファチマの公式の記録保管人であったアロンゾ神父の結論と同じである。あなたはこの研究を読み終えるときには、あなたが実際第三の秘密の実体を知っているということを知るであろう。

これは一つの深い、読みやすいそしてにもかかわらず深く感動させられる研究である。というのは、それはヴァチカンが34年間にわたって葬ってきた秘密に確実に迫っているからである。この記事は教会に対して、数百万の霊魂の救いに対して、そして究極的に世界史に対して大きな衝撃を与えるはずである。

ファチマのメッセージは一つの天上の光、二十世紀に対する恩寵と救いの機会、教会史のなかで比べるもののない一つのメッセージそして一つの出来事、今日までなお明らかにされていないわれわれの時代の最も重大で重要な出来事である。それゆえ、またこの研究は、それが最終的に、それがひとたび広く知られるようになると教会と世界をアンティキリストの勢力から救うであろうショッキングな、しかし役に立つ秘密をあなたに告げるから、重大で重要である。

現在これらの悪魔的な勢力は数百万の霊魂を永遠の破滅へ、そして全世界をアンチキリストへの奴隷化へと陥れようとしている。一方で、多くの国が「絶滅させられ」、「地の表から拭い去られ」るであろう。

これらの言葉を読み、それらについて熟考し、そしてそれらを他の人々に分かちなさい。この研究の内容はファチマの第三の秘密を明らかにしているから、それが広く知られるということが最も重要であり最も緊急を要することである。

この知識はサタンがわれわれを繋ぎ止めている鎖から人類と教皇を救う力を最終的に解き放つであろう。この秘密は教皇ヨハネ・パウロ二世がファチマで「諸国および全人類の上に迫っている殆ど黙示録的な脅威」と呼ばれたものを避けるための鍵である。
「明らかにされたファチマの秘密」

聖三位一体のフレール・ミッシェル
ファチマの第三の秘密は公式にはまだ明らかにされていないので、一見するとわれわれはその内容について何も知り得ないということは明らかであるように思われる。しかしながら、これはただ見かけの上でだけそうである。なぜなら、この重要な秘密が、それが1917年に聖母によってアルジュストレルの三人の羊飼いの子どもたちに明らかにされたとき、あるいは1944年にシスター・ルシアによって書き留められたとき、あるいはなお再び1960年に教皇ヨハネ23世によって世界に公式に明らかにされるはずであったときには、絶対的に知り得ないものであったとしても、そのことは今日ではもはや通用しないのである。なぜなら、40年以上にわたって、それに関する多くの確実な事実が知られるようになったからである。

それらは今日、そこから歴史家がその全歴史を跡づけ、その本質的な内容をかなりの程度確実に明らかにすることができる確実な情報の一つの印象的な量を形成している。そのようなものは第三の秘密の神秘に完全に捧げられている『ファチマに関する全真実』という私の三巻の書物を書くことにおける私の二重の関心であった。

簡潔に纏めなければならなかったので、それを単純化し、そしてその多くの部分を要約したけれどもそうしながら、私があなたに提示しようとしているのはこの詳細な論証である。しかし、私は聖母のこの最後の秘密がどれほど重要であるかをあなたに示すためにそれについて十分に語るであろう。聖母の要求に従ってそれが世界に明らかにされるということが、いかにファチマのメッセージのまさに核心であるか、そして最後にそのことが教会の善のためになぜ緊急のことであるのかを示そうと思う。

I. 第三の秘密のドラマ

シスター・ルシアが最初にファチマの秘密の三つの異なった部分への区分について言及したのは1941年7月/8月の彼女の第三の覚え書きにおいてであった。「秘密は三つの異なった問題から構成されています」と彼女は書いている。「そして私はそれらのうちの二つを明らかにするでしょう」。第一は地獄の幻視と霊魂の救いのために神によって人類に提供された至高の救済策としてのマリアの汚れなき御心の指摘である。「霊魂を救うために神は私の汚れなき御心への奉献を世界の中に確立することを望んでおられます」。第二は、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献と月の第一土曜日の償いの聖体拝領の実践を通じて神が世界に与えようと望まれている奇跡的な平和に関する偉大な預言である(注1)。「もし人々が私の命令を守るならば、ロシアは回心し、世界は平和を保つでしょう」。そしてまた、もし人々が聖母の要求に従わないことに固執するならば、恐るべき罰が下されることの告知もある。秘密の第三の部分に関しては、1941年にシスター・ルシアは今のところ彼女はそれを明らかにすることを許されていないと述べている。

秘密の書き下ろしと伝達

この重要なメッセージの書き下ろしと伝達についてのドラマチックな説明は1943年に始まる。摂理の時刻がそのとき打ったのである。シスター・ルシアはそのとき、スペインのトゥイのドロテア会修道院で生活していた。1943年6月に彼女は突然重い病気にかかった。彼女の状態は非常に危険だったので、レイリアの司教、ダ・シルヴァ司教は心配になった。彼は彼女が聖母の第三の秘密を明らかにする前に死ぬのではないかと恐れ、それは教会に対する一つの例外的な恩寵の喪失であろうと考えた。司教の友人であり忠告者であった聖堂参事会員カランバはそのとき、彼に一つの非常に賢明な考えを示唆した。すなわち、司教は少なくともシスター・ルシアに直ちに第三の秘密のテキストを書き下ろすことを求め、そして次に彼女が後に開封されるように蝋で封印された封筒の中にそれを入れるということである。

それゆえに、1943年9月15日にダ・シルヴァ司教はトゥイに行き、シスター・ルシアに「もし彼女が本当にそう望むならば」秘密を書き下ろすように頼んだ。しかし、この幻視者は確かに聖霊に鼓舞されてこの曖昧な命令に満足しなかった。彼女は彼女の司教に一つの書かれた命令、形式的で完全に明確な命令を要求した−それは非常に重要なことである。ファチマの聖母の最後のメッセージは以前の聖母の他の要求と同じように、驚くべき約束と結びついていた。それはわれわれの二十世紀に、その最も緊急な必要に応じるために、神によって提供された一つの例外的な恩寵である。しかし再び、教会の司牧者たちが、神がその無原罪の聖母の甘美な黙想を通じて世界に与えることを欲しておられる恩寵のこの流出の道具となるために天の計画に対して十分な信仰と従順を持つ必要がある。1943年に神はそれがレイリアの司教であることを欲された。レイリアの司教はこのメッセンジャーが第三の秘密を書き下ろすことを要求した。

最後に、1943年10月半ばにダ・シルヴァ司教は決心した。彼はシスター・ルシアに、彼女に彼女が彼に嘆願した明白な命令を与えて、手紙を書いた。しかしながら、今や諸困難が起こった。シスター・ルシアはその当時殆ど3カ月の間ある不可思議なそして恐るべき不安を経験した。彼女は、彼女が仕事机の前に坐り、秘密を書き下ろすためにペンをとる度毎に、そうすることを邪魔されるのを感じたと語った。明らかに、われわれは無原罪の聖母のメッセンジャーに対するサタンの最後の攻撃をそこに見なければならない。

この偉大な預言がサタンの霊魂に対する支配と教会のまさに核心へと入り込もうとするサタンの計画に対するどのように恐るべき武器であるか、遂行されようとしていた壮大な出来事の大きさをこのように示した幻視者によって堪え忍ばれたそのような試練を考えるならば、秘密は紙の上に書き留められるべきである。

クリスマスイヴの日に、シスター・ルシアは彼女が与えられた命令にまだ従うことができないということを彼女の指導者に打ち明けた。

最後に、1944年の1月2日に(このことは殆ど知られていない)、祝福されたおとめマリア御自身が再びルシアに御出現になった。聖母はルシアにそのようなことは真に神の意志であるということ、そして聖母は彼女に命令されたことを書くことを完成するための光と力を与えるということを確約なさった。

シスター・ルシアがその受取人であるダ・シルヴァ司教に完全に確実にそれを伝えるために払った極端な配慮は彼女がこの記録に帰している例外的な重要性の一つの新しい証拠である。

彼女はそれを司教以外の他の誰にも委ねることを望まなかった。貴重な記録を入れた蝋で封印された封筒をシスター・ルシアの手から受け取ったのはグルザの大司教、フェレイラ司教であった。彼はそれを同じ日の夕方ダ・シルヴァ司教に手渡した。

秘密の教会当局への伝達に関しては最も重要な次の四つの事実を強調する必要がある。

事実#1. 秘密の直接の受取人はダ・シルヴァ司教であり、そして彼はそれを直ちに読むことができたはずであった。シスター・ルシアは聖母からそう言われたと司教に語った。しかし、引き受けなければならない責任によって恐れをなして、彼はそれについて知識を持つことを敢えてせず、欲しなかった。彼はそこでそれを聖座に委ねようと試みた。しかし、ローマはそれを受け取ることを拒否した。そこで、もしダ・シルヴァ司教が死ぬようなことがあれば、その封筒はリスボンの大司教、カレイェイラ枢機卿に委ねられることになった。それゆえに、1960年以後にしばしば繰り返して言われてきたように、第三の秘密が明白にそしてもっぱら教皇に向けられたものである、と言うことは誤りである。

事実#2. しかしながら、シスター・ルシアがピウス十二世がそれ以上遅れることなしに秘密を知ることを望んだということを、私は私の書物においてそれについてのいくつかの証拠を挙げている。不幸なことにそのことは起こらなかった。

事実#3. ダ・シルヴァ司教が封筒を開けることを望まないことに固執していることを確証して、シスター・ルシアは、ガランバ聖堂参事会員の言葉によれば、「第三の秘密は彼女が死ぬか、あるいは1960年には、どちらが最初に起こっても、開けられて世界に対して読まれるべきであるということを司教に約束させた」。シスター・ルシアの繰り返された陳述についての一つの説明がわれわれに与える一連の証言はこの事実が絶対的な確実さで確立されることを可能にした。

事実#4. 最後に、シスター・ルシアの死後直ちに、あるいはいずれにせよ遅くとも1960年には秘密を公開するというこの約束は聖母マリア御自身による一つの要求に確実に一致している。事実、1946年にバルタス聖堂参事会員が幻視者になぜ1960年まで待つ必要があるのかと尋ねたとき、シスター・ルシアは彼にダ・シルヴァ司教がいる前で、「聖母がそう望んでおられるからです」と答えた。

手短に述べたが、私はそのことを私の書物の中で堅固に確立した。そしてわれわれは聖母の最後の秘密が最終的に教会の司牧者たちによって信じられ、そして信者たちに公開されることを神が望まれたというすべての証拠を持っている。このことは最も早くて1944年の初めに、あるいは遅くとも1960年までにはなされていなければならなかった。というのはシスター・ルシアはさらにこう説明したからである。「それはそのときにはもっと明白になっていたでしょう」。(注2)

ローマへの移送

私はここで第三の秘密の歴史における一つのなお不可解なエピソードにとどまっていることはできない。1957年に聖座はそのときまでレイリア/ファチマの司教の宮殿に保管されていた第三の秘密のテキストを要求した。このイニシャティヴを取ったのは誰か?どのような意図で?諸事実の詳細な分析によって私はもっともらしい仮説を立てることはできたが、しかしいかなる確実さにも達しなかった。

1957年3月半ばに、ダ・シルヴァ司教は彼の副司教ヴェナンシオにその貴重な記録を当時のリスボンのローマ教皇大使チェント司教に渡す責任を委ねた。ヴェナンシオ司教は彼の司教に、最後に秘密を読み、そしてローマにマニュスクリプトを送る前にそのコピーを作るように懇願した。しかし老司教は彼の拒否に固執した。ヴェナンシオ司教−彼は1983年2月13日にファチマで私にこのことを語ったが−は封筒を光のほうへと持ち上げている間に、それを眺めることに満足しなければならなかった。彼はその正確な大きさを測った一枚の紙片が封筒の中にあるのを見ることができた。われわれはこのようにして第三の秘密がそれほど長いものではない、恐らく20行から25行くらいの長さのものであるということを知るのである。すなわち、それは第二の秘密と同じ位の長さである。このことはある捏造者たちがファチマの真の秘密であるとして公衆に対して押しつけている余りにも長いいくつかのテキストを確かに真正のものではないとして拒否することをわれわれに許すものである。

1957年4月16日に、封印された封筒がローマに到着した。それからどうなったであろうか?それは教皇ピオ十二世のオフィスの中の「聖座の秘密」と記された一つの小さな箱の中にに置かれた(注3)。このことをジャーナリストのロベール・セルーに打ち明けたのはマザー・パスカリーナであり、彼が近頃この事実を確証したのである。

教皇ピオ十二世は秘密を読まれたか?

驚くべきことだと思われるであろうが、その答えは殆ど確実にノーである。アロンゾ神父と同様に、私はこの結論に対していくつかの堅固な議論を与える。明らかに、オッタヴィアーニ枢機卿、そして教皇ヨハネ二十三世の秘書であったモンシニョル・カポヴィッラの証言がある。彼らはわれわれに教皇がそれを教皇ピオ十二世の死の1年後、1959年に開けたとき、封筒はなお封印されたままであったと語った。

それゆえに、シスター・ルシアが1957年12月26日に、当時ジャシンタとフランシスコの列聖訴訟のポストゥラトルであったフエンテス神父に宛てた荘厳な言葉をわれわれは理解するのである。彼女はこう言っている。「聖母は非常に悲しんでおられます。なぜなら、聖母のメッセージに対して誰も何の注意も払わないからです。...よい人たちも悪い人たちも...

よい人たちは彼らの道を続けています、しかしメッセージには注意を払わないで...私は詳細な点について何も別のことを言うことはできません。というのはそれはまだ秘密ですから...ただ教皇とファチマの司教だけが聖母の意志に従ってそれを知ることができるでしょう...しかし、彼らは影響されることを望まなかったのでそれを知ろうとはしませんでした。」

それゆえに、教皇ピオ十二世は明らかに1960年を待つことのほうを選ばれた。しかし彼はそれ以前に亡くなられた。教会にとって何という損失だろう!(注4)

ファチマの聖母マリア 1-3

2016-09-28 15:37:00 | ファチマの聖母(考察)
ロシアは回心しつつあるのではなくて堕落しつつある

ゴルバチョフ氏はこの国[アメリカ]から来た一人のカトリック司祭から、あなたの宗教的信条は何であるかと尋ねられた。そして彼はこう答えた。「私は自分が無神論者であることを一度も隠したことはない」。そして、ボリス・エリツィンは同じことを主張した。しかし、自分は少しばかり迷信家であるので、それでときどき教会に行くと言った。

迷信は信仰ではない。ロシアの回心は存在しない。キリスト者であるロシア人がいないとは言っていない。私はすべての男も女も最後のロシア人にいたるまで一人のよいカトリックのロシア人もいないということを示唆しているのではない。しかし、ロシアの国は回心していない。

さらに、われわれの「ファチマ・クルーセイダー」36においてわれわれが指摘したように、1989年以来起こってきた諸変化は堕落であって、回心ではない。ジョン・コッターは彼の論文の中で、「ニューヨーク・タイムズ」、「トロント・サン」、「ザ・グローブ・アンド・メイル」や他の信用のある新聞(世間によれば)から引用している。そしてロシアにおいて起こっていることはロシアの人々の道徳のより大きな堕落であると指摘している。

そして単にロシアにおいてばかりでなく、ポーランドにおいても、ハンガリーにおいても、その他の国々においても同じことである。

いわゆる小屋共産主義を持つこれらの国々は実際、それ以来プレイボーイ誌、セックス・ショップ等々の輸入を増やした。それゆえ、もしわれわれがただプロパガンダを単に聴いているならば、十分容易にそうなるように、われわれの精神において誤って解釈しないようにしよう。実際、ロシアにおける諸変化はロシア社会のある局面をより西欧社会に似たものとしている。すなわち、それらは西欧が世界中に促進した堕落と腐敗によりいっそう似ているのである。

私がジョンの論文から取り除かなければならなかった事柄がある。それはそれらが真実ではないからではなく、私の雑誌は成人によってばかりでなく、子どもたちによっても読まれているからであり、また私は彼の議論にすべて賛同することができなかったからである。しかし、それは圧倒的なものである。彼が提供している証拠はロシアにおける諸変化がそこの人々のより大きな堕落を生み出したということを証明している。

今日ロシアは戦争の準備を加速させている。

彼らが決して語らない、あるいはたとえそれについて彼らが語るとしても、あなたたちが実際に姿を得ることができないような奇妙な仕方においてである何かがあるということに注意することはあなたたちにとって興味のあることである。それは少なくとも彼らのある人にとって一つの真の試金石である。われわれがほとんど提供することができない穀物や食料(われわれの食料貯蔵水準はこの十数年最低の水準である)でロシアの人々を養うことに突進しているのに、ロシアの人々は、彼らの指導者たちを通じて、彼らの経済資源のますます多くのものを軍事支出に費やし続けている。

彼らは6週ごとに一隻の原子力潜水艦を建造した。そして彼らはその生産を今年、昨年そして一昨年と維持した。もし私の間違いでなければ、一隻の原潜は数百万ドルかかると思う。

彼らは合衆国が費やす2倍の金額を費やしている。そして彼らは軍事支出に彼らの国民総生産のほぼ40%近くを費やしている。われわれが軍縮をしている間に彼らは再軍備をし、そして彼らの軍事力を近代化している。

彼らは戦争の準備をしているのである。そしてすでに彼らは、メディアが言うのとは反対に、あなたたちが告げられているのとは反対に、6倍から8倍強力である。現在の合衆国よりも6倍から8倍強力である。そして彼らは彼らの支出を倍加し、そして再倍加している。

彼らは愚かにそうしているのではない。合衆国はその金のほとんどを開発に費やしている。合衆国は約30%を賃金に使っている(私は兵隊たちに対して文句を言っているのではない)。一方、ロシア人たちは彼らの給料がはるかに低いので賃金に約10%しか使っていない。

しかし、第二に、アメリカ合衆国は研究と開発に費やしている。そのほとんどは決して展開されなかった。

ロシア人たちは苦にしない。彼らが自分たち自身で開発しないものを、彼らは西側から盗む。あるいはわれわれが彼らに与える。そしてそのとき彼らは複製し、大量生産する。

ところで、あなたたちが質問したこれらの事実、明らかにあなたたちは多くの嘘を告げられてきたが、一人の人間があなたに反対のことを告げていると信じることは難しい。私は、われわれが数年前に「クルーセイダー」においてそれらを公にしたように、あなたたちに参考文献を示すことができる。私はもっと多くの資料をあなたたちに示すことができる。

しかし、あなたはすべてあなた自身で、ロシア人たちの経済的なバスケットケースについて語っているすべてのこれらの事柄のうちに一生懸命に見ることさえなしに注意することができる。そしてわれわれがいかに彼らを援助しなければならないか、あなたにほとんど何のデータも与えられていないということを見出すであろう。この知識はまったく公のものである。それは隠されてでもいるかのようなものではない。それはこれらの新聞に利用できないものではない。それはまったく利用可能である。そしてあなたはそれをまったく容易に得ることができる。しかし、それは一般公衆に公開されているのではない。そのことが欺瞞の一部である。

私は軍事科学はまったく魅力的なものであると思う。私は数年前にそれに関して読み始めた。というのは、人々が私にロシアは回心しつつある、事態は良好である、等々と告げようとしたからである。しかし、聖母の言葉を知って、私はこれはそうであることができないと言った。そしてそれゆえ、私が世間がわれわれに提供するいわゆる事実を掘り返し始めたとき、私がそれらは嘘であることがわかった。

例えば、彼らがわれわれに、ゴルバチョフ氏は平和の人であると告げていたとき、彼がニコライ・オガルコフという名によって一人の人物をソヴィエト連邦において可能な最高の官職へと昇進させたということを知ることは興味のあることである。ニコライ・オガルコフは1982年に「祖国の防衛」という婉曲的に表題をつけられた小さなパンフレットを著した人物である。そしてその中で、彼はわれわれに、世界を打倒するための「プランB」を持っていると語っている。

私はそのプランをあなたたちに非常に簡単に概略しよう。ある晴れた日、何の挑発もなしに、彼は全開核攻撃を、告知なし、挑発なしに、要求する。その中で彼は1億3500万人のアメリカ人が戦闘の最初の30分間で死ぬだろうと見積もっている。すなわち、それは何らかの報復のための機会がある以前にということである。

そしてそれが、ほかでもないミハイル・ゴルバチョフがソヴィエト連邦における可能な最高の地位へと昇進させた人物である。それゆえ、ゴルバチョフのわれわれとの平和なんてまあそのようなものなのである。

われわれがロシアについてのこれらの事実や姿を信じようが信じまいが、重要なことはファチマの聖母がわれわれに告げておられることである。聖母はわれわれに、ロシアはわれわれがそのかわいそうな民族の回心を手にすることができないならば、全世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具であろうと告げられている。ところで、聖母はロシアの民主化を手にするとは言われなかった。聖母は回心について語られた。それは一つのこと、悪魔的な共産主義あるいは無神論からの回心、そしてカトリック信仰への回心を意味する。

教皇ヨハネ・パウロ二世は知っておられる

例えば、教皇ヨハネ・パウロ二世は、今年ファチマに来られたときに、他の形式の無神論によって取って代わられたマルキシズムの危険について語られた。彼はそのことを1991年5月13日にファチマで言われた。教皇はロシアの回心が起こらなかったということは知っているということを公に間接的に認められたのである。教皇は彼が実際に言っている事柄のメッセージを受け取るに十分鋭い人々に告げるためにやや隠された仕方でお話しされなければならなかった。明らかに彼は公然と話すほどに十分に自由であるとは感じておられない。

ロシアの回心は一つの事柄を意味する。すなわち、それは単にロシアにおける2億の人々ばかりでなく、また同様に社会的諸制度もまたカトリック信仰に回心するだろうということである。国家が、公的な諸当局が、彼らの法律と制度がキリストの律法を反映しているということはまだ起こっていない。

もしわれわれがロシアの回心を手にすることがないならば、そのときわれわれはなお、われわれの方へと向けられた彼らのミサイルによって(今日までわれわれがそうであるように)脅威を受けるのである。われわれがここ[アメリカ]に持っているあらゆるサイロに対して、彼らはその一つのサイロに向けられた3発のミサイルを持っている。

聖母はわれわれに解決を与えておられる。しかしわれわれはこの解決が一つであり、そしてたった一つであるということを理解しなければならない。第二の解決あるいは二者択一の解決は存在しない。 われわれはあのかわいそうな民族の回心を手にしなければならないのである。

他の選択は存在しない

われわれはどのようにしてロシアの回心を手にするのか?確かに、われわれは、少なくともミサの終わりのロシアの回心のための祈りがなお必要であるということを理解しているあの司祭たちによってわれわれがミサの終わりにそうするように、祈ることはよいことである。家庭での、教会での、等々でのわれわれ自身のロザリオにおいてロシアの回心のために祈りなさい。確かに、祈りは最も効果的である。しかし、究極的に、そして最終的にロシアの回心はただ一つの仕方でみ起こるだろう。それは聖母がわれわれに与えられた手段、道具によって起こるであろう。

あなたたち誰もがある人に手紙を書いたことがきっとあると思う。あなたは聡明であるかもしれない、あなたは非常に文才があるかもしれない、等々。しかしあなたたちのうちの誰一人、それがタイプライターであれ、あるいはコンピューターであれ、ペンであれ、鉛筆であれ、書く道具なしには書くことができない。まさにわれわれの本性によってわれわれは制限されており、われわれは書くための道具に依存しているのである。

ある道具なしにはわれわれは書くことができない。そして聖母がロシアの回心のためにわれわれに与えらえる道具なしには、われわれはロシアの回心を手にすることはできない。この道具は一つであり、そしてただ一つである。われわれは、聖母が検証された奇跡と預言によって言われることを聖母がわれわれに告げ、確証されるということを知っている。

そして、それなしにはわれわれがロシアの回心を手にすることができないその道具は何であるのか?その道具は神がモーセに与え給うた道具、彼の腕を紅海の上に伸べるという命令に似た何かあるものである。ロシアの回心の場合における道具は特殊化された事柄におけるロシアの奉献である。
 ある人々は、不幸なことに司祭たちすら、これはまじないあるいは魔術あるいは何かそのようなもののように響くと指摘した。そのように聖なる事柄についてそのように語ることは冒涜あるいはそれに近いことである。それは確かに魔術ではないしまじないでもない。

そう言うことについての神学的背景をあなたたちに示したいと思う。まず第一に、聖アウグスチヌスはわれわれに、神はわれわれがそれに値しないことを御存知であるとしても、神がわれわれに与えることを望み給うある種の特別な計らいがある、と説明している。神は、それにもかかわらず、われわれに対する大いなる愛とその憐れみにおいてわれわれにこれらの恵みを与えることを望まれる。しかし、神はわれわれが高慢になり、われわれが幾分それに値すると考えるであろうということを知っておられるがゆえに、これらの恵みを諸聖人の功績と取りなしに取って置かれる。

そしてそれゆえ、世界平和の恵み、ロシアの回心の恵みは祝福されたおとめマリアに、その取り次ぎに、その功績に取って置かれた。われわれはマリアの汚れなき御心を通じて以外にはロシアの回心を手にすることはないであろう。

真の平和はただ聖母を通じて

われわれはファチマのメッセージを通じて、世界の平和とロシアの回心はマリアの汚れなき御心に委ねられたということを告げられている。そのことはそれが他の誰にも委ねられなかったということを意味している。そのことは、神御自身はマリアの汚れなき御心を通じて以外にはロシアを回心させることを望まれない、世界の平和をもたらすことを望まれないということを意味する。

もちろん、このことは神がそれをお出来にならないということを示唆しない。神御自身は神の意志をこの仕方で宣言されたということであり、そして神はその決心を変えようとはなさらないということを示唆している。それが、聖母がご自分のことについて三人称で語られるときに、「ただロザリオの聖母だけがあなたたちを救うことができる」と言われる理由である。

聖母はファチマに御出現になった。そして三ヶ月後に御自身をロザリオの聖母と同一視された。そしてそれゆえ、神はこの恩寵がただ聖母を通じてのみわれわれに与えられることを望まれたのである。さらに、神は聖母が称賛を受けることを望まれる。神は聖母が御自身でそうなさることを望まれない。神はそれはただ聖母を通じてのみであるということを世界が認めることを望まれる。

ところで、なぜ神はそうされることを望まれるのであろうか?神はいくつかの理由でそうされることを望まれる。まず第一に、われわれはファチマのメッセージにおいて、7月13日に子どもたちに地獄の幻視を示された後に、聖母が「あなたたちはかわいそうな罪人たちが行く地獄を見ました。神が世界に私の汚れなき御心への奉献を確立しようと望まれるのは彼らを救うためです」と言われた、ということを告げられている。

そしてそれゆえ、神は聖母が称賛を受けることを望んでおられるのである。神は人々が、聖母の功績とその取り次ぎの力を認め、その結果われわれが聖母に献身するように、この時期にわれわれの最善の者でさえますますそうであるように、望んでおられるのである。

神はロシアの回心のこの劇的な瞬間、歴史のこの絶頂の瞬間を、マリアの汚れなき御心に属すべきものと見られるために、留保されたのである。それが、神がロシアの回心を従順のこの行為、教皇と司教たちによる奉献のこの行為に留保された理由である。それは一つの荘厳なそして公の行為でなければならない。

いかなる奉献がなされなければならないのか?

ある人は私に、教皇がある日、彼のチャペルの私室でそれをしたということを告げようとした。私は彼がそのチャペルの私室で何かあることをすることを非常に喜ぶが、しかし、それは確かにファチマの聖母が求められたことではない。それは一つの荘厳な公の行為でなければならない。それゆえに、それは聖なることで、またよいことであると私は確信しているけれども、そのチャペルにおけるどんな私的な行為もファチマの聖母の要求を満たすものではないのである。それはもっぱらロシアだけでなければならない。

さて、ある人々は再び、余りにも細かいくだらない区別だてあるいは律法尊重主義あるいは彼らがわれわれを告発したい何であれあるものという点でわれわれを非難するであろう。しかし、一般的な奉献と特殊的な奉献との間には非常に大きな相違がある。

まず第一に奉献とは何であるか?

何かあるものを奉献するということはそれを取って置くこと、それをもっぱら神への奉仕のために捧げることである。それは奉献されていないものから区別される。それゆえ、ある特別の国を奉献するためには、われわれはそれを名を挙げて奉献しなければならない。世界を神への奉仕のために取って置くことは特殊的な奉献の行為をすることではない。

特殊的な奉献の霊的な諸実例

おそらく私はこのことをいくつかの霊的な例によって示すことができる。預言者がイェッセの息子が王に塗油されるされるべきであると告げられたとき、彼はイェッセに彼の息子たちを連れて来るように求めた。イェッセは8人の息子を持っていた。彼はそのうちの7人を連れて来た。そして羊の世話をさせるために一番下の息子を家に残してきた。

さて、預言者は最初の息子を呼び出してそして言った。「いや、この子ではない」。2番目の息子にも、「いや、この子ではない」。3番目の息子にも「いや違う」、4番目にも「違う、違う、違う」。彼らのうちの7人とも神によって選ばれた特別の子ではないとして拒絶された。

それゆえ、預言者はイェッセにもう息子はいないのか?と尋ねた。イェッセは言った。「もう一人家にいます。」それから、王は言った。「彼をここへ連れて来い」。それでイェッセは人を送って彼を連れて来させた。そしてそれが、塗油されるべき特別の者、特殊的な仕方で神への奉仕のために取って置かれるべき者であったその息子であった。

その息子はダヴィデ王であった。

聖パウロが他の数人のキリスト者と共に祈っていて、聖霊が新約聖書の預言者たちの一人を通じて語られたとき、部屋には数人の人がいた。彼らのうちにサウロとバルナバと他の何人かがいた−他の人々は明確に特定されていなかった。そして聖霊は語られそして言われた。「私はあなたたち、サウロとバルナバをわたしのために取って置きたい」と。

さて、その部屋で祈っていた彼らのうちのすべての者がみな洗礼を受けていたということを思い出してほしい。彼らは皆、すでにその特殊的な洗礼によって神に奉献されていた。しかし、求められた奉献、取り分けは何かある別のことであった。そしてそれゆえ、彼らは祈り、断食し、そしてそれからサウロとバルナバ両者に按手した。

ところで、要求された一つの特別の奉献が存在した。それはサウロとバルナバを特定した。他の人々は特定されなかった。他の人々は按手を受けなかった。奉献され、取って置かれたのはただサウロとバルナバだけであった。

そしてそれゆえ、神がある特定の人物あるいは国を奉献されるべく特定されるとき、それが神が意味されるものである。

それは一つの国を他の国々から取って置かない一般的な奉献とはまったく異なる。
聖母はトィイでこう言われた。「神が教皇にロシアの奉献をするように世界の全司教に命令するように求められる時が来ました」。

聖母はロシアの特殊的な奉献を要求される

聖母は世界とロシアの間の区別をしておられる。聖母は世界のカトリック司教たちが特殊的にロシアを奉献することを欲しておられる。聖母はロシアが救われるのはこの手段によってであるということをどのように語るかを知っておられ、それが何を意味するかを知っておられ、そしてそう言われたのである。それはそれによってロシアが回心させられる道具である。この道具なしには、ロシアの回心は起こらないであろう。そしてそれゆえ、われわれはこの道具の独自性とこの道具の必然性を強調しなければならない。私は教皇ピオ十一世に反対ではない。私は教皇ピオ十二世に反対ではない。私は教皇ヨハネ二十三世に、あるいは教皇パウロ六世に、あるいは教皇ヨハネ・パウロ二世に反対ではない。しかし、もしこの真理が明白な仕方で知らされないならば、われわれはすべていっそう悪い方へ落ち込むであろう。

犯罪的なジャーナリズム

誰かある人が1951年、1952年にこのことを公に言っていてくれたらなあ、と考えてほしい。教皇ピオ十二世がロシアを奉献したときに真理がそのとき公に知らされていたらなあ、と。しかし、不幸にも、彼らは世界の全司教が彼に加わらなければならないということを彼に告げるのを忘れたのだ。カイヨン神父は、「犯罪的な」ジャーナリストとして、ファチマの聖母のメッセージを寸断して損なった人々に言及した。というのは、教皇にロシアの奉献をさせることにおいて道具的なものであったポストノフ夫人によってもし真理が明白に知られていたならば、彼女がそれが司教たちの奉献の行為を要求しているということを知ってさえいたならば、それは1952年になされたかもしれない。

しかし、カイヨン神父と同様に、ロシアの奉献を促進することに年月を費やしたフランスの教授はこう言った。「いかに犯罪的な手がそれらの言葉を取り去り、そして司教たちが奉献のこの行為に含まれていなければならなかったということをそれが特定した場所に置いたことか....」犯罪的という言葉を用いることはそれほど強い言葉ではない。

私が1985年にわれわれのシンポジウムで彼がそう言うのを最初に聴いたとき、私は彼が言ったことについて考え始めた。私は彼が犯罪的という言葉を用いることが正しいかどうか確信が持てなかった。しかしそれについて考えれば考えるほど、ますます私は彼が正しいということを理解した。

ファチマの敵どもはあなたたちに対して嘘を言うに違いない

  そしてそれゆえ、もしあなたたちにとって真理を知ることが重要でなかったならば、そのとき誤った情報操作を試み、そしてあなたたちを欺くそのように大きな努力は存在しなかったであろう。それが、1989年と1990年にシスター・ルシアの六通の偽の手紙が出回った理由である。今日、それらは完全に信用を落とした。それらはおそらくファチマ・メッセージに反対する教会内部の誤った情報操作の最も巧妙に仕組まれた努力であった。

われわれはシスター・ルシア自身の血に従った隠匿の年表Chronology of a Coverup after Sister Lucy's bloodと呼ばれる一つの小さなパンフレットを出版した。シスターは私に直接シスター・ルシアはタイプしていないと言った。出回っていたシスター・ルシアによるものだと言われている6通の偽りの手紙がある。−それらのうちの一通はマリア・ベレム宛、一通はポール・レオナード神父宛、一通はウォルター・クネルカー宛、等々である。すべて[の手紙]は同じことを主張している。すべて[の手紙]はそれらに付されたシスター・ルシアの見かけ上のサインをもったコンピューターによって作られたものである。それら6通は全部偽りの手紙である。

前表紙にシスター・ルシアの絵のついた「ファチマ・クルーセイダー」No.35号で、われわれは彼女が30年間にわたって沈黙させられてきたと指摘した。われわれはまたその中に隠匿の年表(ある教会当局者たちと幾人かの平信徒の人々による完全なファチマ・メッセージを抑圧する30年以上の努力に関する)を発表した。

マザー・プリオーレスはファチマ・クルーセイダーを擁護する

われわれは今年、1991年5月10日に、コインブラのカルメル会のマザー・プリオーレスによって擁護された。(彼女はわれわれ自身に何の欠点もなかったから、われわれの友人になったわけではない)。 彼女はリスボンで発刊されている「オ・ジュルナール」というポルトガルの週刊誌におけるインタビューの中である公式声明を出した。

彼女はシスター・ルシアと彼女の手紙を書くことについて尋ねられた際に、こう言っている。「シスター・ルシアは彼女がそうしようと望むままに、書き、返事を出し、あるいはそうしなかったりします。しかし、彼女が返事をするときには、彼女自身の自筆で返事を出します。」

彼女がポルトガル語で用いた表現、"de propria pugna"はイタリア語の表現、"propia pugna"と同じであり、それは字義通りには「自分自身の手で」という意味である。それは「あなた自身の手書きにおいて」という表現である。

そしてそれゆえ、2年間にわたって彼らはシスター・ルシアの50年間以上の証言の信用を落とそうと試みてきたのである。その証言の中で彼女は繰り返し、奉献は荘厳でなければらない、公のものでなければならない、ただロシアだけの奉献でなければならない、そして全司教がそれに加わらなければならない、そしてそれは同じ日に、同じ時間になされなければならない、と主張してきたのである。

彼女は尋ねられ、そして話すことを許されたときにはいつも、このことを繰り返してきた。過去2年間、これらの嘘つきたち、これらの偽作者たち、これらの犯罪的ジャーナリストたちは、奉献はなされた、シスター・ルシアがそう言ったという嘘を広げようと努めてきたのである。

次のことを理解することはわれわれにとって大切である。すなわち、あなたたちにとって知らされるということがもし重要でなかったならば、もしそれについてあなたたちが何もすることがなかったならば、なぜ彼らはあなたたちに嘘をつくことに手をわずらわしたのであろうか?なぜ彼らは一般公衆に対してこの誤った情報を広めたのであろうか?あなたたちが知らされることが重要であるということ以外にはそれの目的はないであろう。ファチマの敵どもにとってはあなたたちが真理を否定されることが重要なのである。

われわれの第一の忠誠−それはイエズスとマリアへの忠誠である

「みんな一緒に友人であろう、そうすればすべてすばらしく、申し分がない」と言うことは遙かに楽しいし、遙かに容易であろう。そしていつかわれわれは、聖母がわれわれに、「最後に、私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と告げられるがゆえに、そう言うことができるであろう。

われわれの第一の忠誠を聖母に捧げよう。誤った忠誠をある役職者、ヴァチカンにいる役職者にさえ捧げないようにしよう。かれらはファチマの聖母の理解よりも何がなされるべきかについての彼らの理解を促進するのである。

私はある人の善意を問題にしようとは望まない。私はここで誰かを裁こうとしているのではない。神は人々の内面を知り給う。しかし、たとえわれわれがここで誰かある人の内面を裁こうとしているのではないとしても、聖書の次の言葉を理解することはわれわれにとって大切である。「悪いものを善いものと、そして善いものを悪いものと呼んではならない」。

教会の基本的な決断

あなたたちは教会が教会の最高のこと、同様に最低のことに触れる一つの基本的な決断に直面しているということを見ている。それは教皇からただの平信徒に至るまでそうである。

そして教会が直面しているその選択は何であるか。すなわち、共産主義、マルクス主義、戦闘的無神論はイエズス・キリストと教会に対する敵対を誓った。それは聖母が聖書において予言された(創世記3:15)創世記の時代へと実際に戻る大昔からの戦いである。そして神はアダムとイヴに話しかけられる一方で、悪魔サタンにこう言われた。「私はおまえ(すなわちサタン)と女(すなわち祝せられたおとめマリア)の間に、おまえの子孫(すなわち悪魔の追随者、地獄にいる悪魔ばかりでなく、またここ地上での彼の追随者)とマリアの子孫の間に、敵対を置く」。そのことは、もちろん、第一にイエズス・キリストに関わることであるが、しかしまた同様にその子らにも関わることである。「そしておまえはマリアを待ち伏せするであろう。そしてマリアはおまえの頭を砕くであろう」。そして蛇の頭を砕くその勝利はファチマにおいて予言された。「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう」。

そしてそれゆえ、サタンの軍勢は歴史的に、教会と聖母の子ら、信徒たちに対する彼らの攻撃をますます強めるために結集した。そしてわれわれはこの戦闘における頂点の時代にいるのである。シスター・ルシアは、例えば、悪魔が聖母との最後の戦闘のためにむずむずしている、とわれわれに告げている。それから、彼女は続けてその最終戦争は一方が勝ち、他方が負ける戦闘であると言っている。そしてその時は今である。

われわれが見ることができるサタンの軍勢の一つ、サタンに従う人々は確かに世界的な共産主義であり、それは一つの悪魔的な教義である。カール・マルクス自身その詩のなかで自分自身のことについて書きながら、このことを認めている。私は私の書物『世界の奴隷化か、それとも平和か−それは教皇にまで至る−』をあなたたちに見なさいと言おう。その序文でポール・レオナード神父は、マルクスは無神論者ではなくて、悪魔主義者である、彼は自分の霊魂を悪魔に売った、そして彼は人類を破滅へ引きずり込もうとしたと指摘している。

そのような悪はわれわれにとって考えることが難しい。しかし、その承認は彼自身の自筆でなされている。それが彼が自分自身について言っていることである。ポール神父はマルクスの詩を分析し、そして共産主義は実際悪魔的であると指摘している。

そして設立される際のその目的はキリスト教、すなわちキリスト教諸国を破壊すること、そして教会それ自身を破壊することである。

教会はそこで、それがどんな色彩あるいは名称(今、その名称を変えつつあると思われる)をそれ自身に適用しようと、その真の目的は変えないそのような、この不倶戴天の敵に直面しているのである。教会はそのように強力なそして執念深い敵の前で一つの基本的な選択に直面している。教会は逃げようとすることができる。教会は戦おうとすることができる。あるいは教会は交渉しようとすることができる。

共産主義あるいはその後継者がキリスト教を破壊することを決定したかぎり、教会はただこの三つの選択、すなわち、逃げる、戦う、交渉する[という選択]しか持たない。

教会はどこにも逃げることができない。というのは、共産主義も教会も共に世界的な広がりを持つものだからである。もちろん、個々人は一つの都市から次の都市へと迫害を逃れることはできるけれども、しかし教会は逃げることができない。

それゆえに、二つの選択、交渉するかそれとも戦うかのいずれか、が残される。

ファチマの聖母は、この対決に勝利するただ一つの道しかない、とわれわれに告げておられる。それはこの戦闘を聖母の武器で戦うことである。「ただ私だけがあなたたちを助けることができます」。「ロシアが回心させられるのはこの手段によってです」。「私たちがあの可哀想な民族の回心を手にしないならば、ロシアは全世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具です」。

それゆえ、ファチマの聖母はこの戦闘に勝利する唯一の道しか存在しない、そしてそれは霊的な手段、霊的な武器を使うことによってであり、そして勝利するためにこれらの霊的な武器でもって戦うようにとわれわれに告げておられる。もしわれわれがそれら[の武器]を用いないならば、われわれは確実に負けるであろう。そのことは純然たる現実である。それが事柄の真理である。簡潔に言えばそういうことである。

 
ヴァチカンの高官たちは誤った選択をしている

不幸にも、ヴァチカンの高官たちは交渉を始めた。1962年のヴァチカン−モスクワ協定は歴史的記録の問題である。しかしもしわれわれがそれをすこし詳細にさえ研究しようと欲するならば、ユリッシズ・フロリディ神父の『モスクワとヴァチカン』という書物を読むことができる。その中で彼は1917年から1979年までのヴァチカンとモスクワの間の外交関係を追跡している。

あなたたちはマラキ・マルタンの書物『イエズス会士たち』の85-88ページ(それをわれわれは彼の許可を得てファチマ・クルーセイダーにおいて公刊した)のうちにカッサロリ枢機卿および他の4人の枢機卿の教皇との会見について[の記事を]読むことができる。その[会見の]中で、カッサロリ枢機卿は1981年、教皇狙撃の約一ヶ月前に、もし教皇がイエズス会士たちを、彼らのマルキシズムのために圧迫するならば、報復でもって[何かをすると]教皇を脅した。

彼[カッサロリ枢機卿]は教皇、現在の教皇、に彼がヴァチカン−モスクワ協定を続けることを引き受けたということを思い起こさせた。

ヴァチカン−モスクワ協定とは何なのか?共産主義者たちは教皇ヨハネ二十三世と彼の後継者たちから共産主義の誤謬を非難しないように約束を取り付けた。自然的秩序における、すなわち恩寵の武器を考慮に入れない教会は一つの武器を持っている。そしてそれは真理である。しかし、もし真理が示されないならば、それはもはや一つの武器ではない。それは鞘に収まったままの剣のようなものである。

ヴァチカンの高官たちはモスクワとの彼らの交渉において共産主義の誤謬を非難しないことに同意した。そのような協定は、私が公に言い、そして公に書いたように、まず何よりも不道徳であり、一つの裏切りである。そして私はあなたたちに一瞬のうちに証明するであろう。共産主義の勢力に対するわれわれの敗北と教会の喪失を確実にする。

もしあなたたちが1960年という年を覚えているならば、同時に共産主義者でありそしてカトリック者である人物について考えることはカトリックの教えについて何かを知っているある人にとっては不可能であった。そのように考えることがなぜ普通の人にとって考えられないことであったのだろうか?それは教会が共産主義とカトリック信仰との間の和解不可能性を宣言しそして繰り返し宣言したからである。

ヴァチカンが繰り返し宣言しそして再宣言したから、それについてほんの一瞬の間でも考える人にとっては、誰も同時にカトリックであり、かつ共産主義者であることはできない、ということは明らかであったのである。しかし、今はヴァチカンの側での沈黙の30年間と共に−私はあらゆる点で犯罪的な沈黙を加えたいところであるが−われわれはいわゆる「解放神学」を持っている。その中ではひとは同時によいカトリックであり、かつマルクス主義者であり得るということがまじめに示唆され、あるいは主張されさえしている。

そのような示唆はまったくばかげている。しかし、それにもかかわらず、他の点では知性を持っているまじめな人や人々がそのような説を主張するのである。そのことはもしこれらの過去30年間ヴァチカンを沈黙させたヴァチカン−モスクワ協定がなかったならば、あり得なかったであろう。このヴァチカン−モスクワ協定は単にあなたたちのカトリック信仰に直接反するものであるだけでなく、またあなたたち自身の肉体的な福祉にも直接反するものである。われわれは、もしそれが早晩撤回されないならば、共産主義者たちによって葬られるであろう。

ヴァチカン−モスクワ協定は一つの裏切りである

なぜ私はこれを一つの裏切りと呼ぶことができるのか?私はジャン・ウーセによってこの協定が書かれている節を最初に読んだ。彼はそれについての彼の考えを公刊することにおいてばかりでなく、この協定の存在を実際にドキュメントすることにおいて道具的である。彼は一つの裏切りとしてそれに言及した。最初私は、ちょうど私がカイヨン神父は、彼が聖母の言葉を取り上げ、そしてそのメッセージを曲解したこれらの「犯罪的」ジャーナリストたちに言及したときに、少しばかり誇張していると考えたように、彼は行き過ぎたと考えた。

ジャン・ウーセはなぜヴァチカン−モスクワ協定にサインすることを一つの裏切りと呼んだのか?「司教」bishopという言葉はギリシャ語に由来する、と私は教えられた。そしてそれは「見張り番」を意味する。エゼキエルと呼ばれる旧約聖書の書物を読むと、エゼキエルは見張り番と比較されている。そしてエゼキエルは見張り番としての彼の義務を告げられる。彼は、こう告げられる。もし私がイスラエルを見張る壁の上に一人の見張り番を指名するならば、そして見張り番が誰も見張っていない真夜中に、敵のところに野原を横切って行き、敵が近づいているときに叫び声を上げないという協定を彼と結ぶならば、その見張り番は聖なる信任を裏切ったのである。そして神は、彼の聖なる義務を果たさなかったその見張り番の手で敵の攻撃のゆえに虐殺されて死んだ市民たちの各々の血を要求されるであろう。

それゆえ、神の敵ども、教会の敵どもと協定を結び、敵が近づくときに叫び声を上げないことは一つの裏切りである。それは他の何ものとしても言及され得ない。私はこれによって彼らがこのことを不誠実にしたとか、彼らがこれを悪意をもってしたとは言っていない。しかし、客観的に言えばそれは聖なる信任の裏切りである。

そしてそのような協定はまず何よりも神の前に正しくない。それはいかなる道徳的水準も持っていない。その上、数年前にわれわれがあるラジオ番組を作っていたときにミチェリ神父が指摘したように、ヴァチカン−モスクワ協定が働かないことを示す25年間の経験を持っていた。

それについての第一の事柄は、ロシア人たちは鉄のカーテンの背後のわれわれの兄弟たちの迫害を減らすという協定の彼らの側面を決して遵守しなかった。彼らはただ彼らの戦術を変えただけであった。私は私のテレビ・ショーでヨセフ・テレリャに会ったが、彼は一つの理由で、たった一つの理由で−彼がカトリックであったがゆえに−23年間を獄中に過ごした。そして彼は彼の刑期を、その協定が初めに締結されたあたり、あるいはその後の、1960年代に始めたのである。彼はわれわれが知っている一人の人である。しかし、他の数千人の人々がいる。

そしてそれゆえ、ヴァチカン−モスクワ協定は教皇がなぜ奉献をされないかの主要な政治的障碍である。というのは、奉献は共産主義の誤謬に対する一つの直接的な攻撃だろうからである。

なぜある人々がファチマを偽り伝えるか

あなたたちはファチマ・メッセージについてただその信心の局面(私は確かにそれに賛成し、それを支持する。私が以前に述べたように、ロザリオ、スカプラリオ、そして聖母の汚れなき御心への個人的な奉献は非常に大切である)においてだけ語るが、しかし、彼らが、ファチマのメッセージは同様にまたロシアの誤りについても語っており、そしてそれは同様にまたロシアの奉献の絶対的な必要性についても語っているということを指摘する点までなぜ先へ進まないのか、ということを知りたいだろう。

それは、教会の中にヴァチカン−モスクワ協定の無分別なそして裏切り的な政策に対して支持を与えなければならないと感じる人々、あるいはさもなければ、この裏切りの協定を支持するあれらの教会役職者に忠誠でなければならないと感じている人々がいるからである。

それが、われわれにとって教会の現代の状況の光に照らしてわれわれ自身の責任を理解することが大切である理由である。われわれは信仰を擁護するというわれわれの義務を負っている。われわれはファチマ・メッセージを知らせる義務を持っている。われわれはわれわれ自身がファチマ・メッセージを生きる義務を持っている。われわれは、われわれの祈りによって、そしてわれわれの犠牲によって、そして同様にまたわれわれの働きによって、聖母の汚れなき御心の勝利をもたらすためにわれわれができるすべてのことをする義務を持っている。

それゆえ、私はあなたたちができる限り多くのファチマ・クルーセイダーのコピーを取り、あなたたちの隣人たちや友人たちに配布し、このことについて語り、知らせ、毎日ロザリオを唱え、そして教皇、司教たちのために犠牲を捧げ、祈るように勧めたい。われわれは同様にまたそれは教皇に対する慈悲と忠誠の行為、実際彼に対する援助であるということを理解しなければならない。

> 彼が教皇になることによって引き受けたこの責任、ただ彼だけが遂行することができる一つの面倒な義務のゆえに、−それは彼自身の手段を越える−彼は神の恩寵を必要としている。たとえ私が教皇になるとしても−そして確かにそれは決して起こらないが−私もまた、私自身同じことを言ったであろう。

誰が彼自身の力によってファチマが命じたロシアの奉献をすることができようか。

このことは教皇ヨハネ・パウロ二世あるいは彼の先行者たちの誰かの批判を意味するものではない。彼が奉献のこの行為をしないことの結果は恐るべきものである。それらはわれわれ自身にとって、そしてわれわれの国にとって恐るべきものであるだけでなく、それらは特にそして個人的に教皇と司教たちにとって恐るべきものである。

いくつかのファチマ・グループはシスター・ルシアに対する聖母の言葉を無視している

我らの主御自身がシスター・ルシアに教えられたただ二つの祈りだけがファチマに関するほとんどどの書物あるいは雑誌にも公表されていないということは興味のあることである。

2日間で私はファチマとリアンジョへ巡礼に行くことにしている。リアンジョはサンチアゴ・コンポステラから遠くないスペインの小さな沿岸都市である。

我らの主がシスター・ルシアに二つの祈りを書き取らせたのはここ[リアンジョ]であった。宗教的なものに関心があるすべての人々にとって(そして彼らはファチマのメッセージの宗教的な面に関心があるはずである)我らの主御自身が書き取らせたこれら二つの祈りが他のグループによって英語で公表されないていないのはなぜなのか?それはそれら[二つの祈り]が、我らの主が同時に与え給うた一つのメッセージと関連しているからである。そしてそのメッセージは実際、難しい。しかし有益なものである。

私はそれがどのように起こったかをあなたたちに話したい。シスター・ルシアは病気だった。彼女は疲れていた。そして彼女は彼女にしきりに尋ねる人々から逃れる必要があった。それはちょうど御出現が教会によって承認された直後であった。それゆえ、1931年8月に、シスター・ルシアは彼女の上長によって、姓名を隠して小さな海辺の村に送られた。彼女が滞在していた家の人々でさえ彼女が誰であるか知らなかった。[そのことを知っているのは]その家の主人だけで、他の誰も知らなかった。そして彼女はそこ、リアンジョの聖堂、聖母に捧げられたチャペルにいた。そして彼女はスペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして世界の回心のために祈っていた。

我らの主が彼女に語りかけ、そして「あなたはそれらの国々の回心のために祈ることによって私を非常に喜ばせる。この恵みをまた私の母にも願い求めなさい」と言われたのは、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパ、ロシアそして世界の回心のためのこれらの祈りの間にであった。主はそのとき彼女に二つの祈りを書き取らせられた。

ひとつ[の祈り]は次のような祈りである。「マリアの甘美な御心よ、ロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の救いでありますように」。われわれが同様にまたファチマ・クルーセイダーにおいて公表したもう一つの祈りはこうである。「あなたの純なるそして無原罪の御孕りによって、おおマリアよ、私のためにロシア、スペイン、ポルトガル、ヨーロッパそして全世界の回心を手に入れてください」。

イエズスはそのファチマの命令を遅らせそして妨害する人々に警告される

そしてそのとき我らの主はシスター・ルシアの祈りをコメントしそしてそれを褒めた後に、続けてこう言われた。「彼らが私の命令の遂行を遅らせることにおいてフランスの王の例に従うならば、彼らは彼[フランス王]に従って不幸に陥るだろうということを私のしもべたちに知らせなさい」。
フランスの王への言及は何であろうか?フランスの王は聖心によってフランスを聖心に奉献するように命令された。そしてフランスの王たちは100年間にわたって、これ[奉献]をすることを拒絶してきた。その命令は聖心によって聖マルガリタ・マリア・アラコックに与えられ、そして王に伝えられた。

それは1689年6月17日に与えられた。その日まで100年間フランスの王たちは従うことを拒絶した。そして1789年6月17日、100年後のちょうどその日に、フランス王は第三階級によってその権力を奪われ、そして4年後に公衆の前でギロチンによって処刑された。

「私の命令の遂行を遅らせることにおいて彼らがフランス王の例に従うならば、彼らは彼のように、彼に従って不幸に陥るだろうということを私のしもべたちに知らせなさい」。これら[の言葉]は恐るべき言葉である。それは一つの脅威であり、そして一つの予言である。我らの主は、もしそれが重要な問題ではなかったならば、ファチマに献身していると主張している人々の間にさえ一般に広められている、彼らは従わなければならないことはないという嘘にもかかわらず、もし彼らが従う義務を負わせられていなかったならば、教皇や司教たちに対するそのように恐ろしい懲罰を予言されなかったであろう。

それが私が私の書物の全部の部分をこの主題に当て、そしてそれを世界のすべての司教に送った理由である。そこにおけるその論証のどれかを反駁する一つの解答もなかった。そしてわれわれはその全部分、恐らく50数ページをわれわれの唯一の希望であるイエズスとマリアのこの命令に従うべき教皇と司教たちの義務に関して捧げた。

我らの主はこの懲罰でもって彼らに脅威を与えられた。同時に主はここにいるわれわれすべての者に忠告を与えておられる。

主は遅延について不満を述べておられる一方で、続いて次のように言っておられる。「彼らはそれを為すであろう。しかし、それはもう遅いであろう」。それで言ってみれば、主はその注意をわれわれに、教皇や司教たちのように一つの国を奉献する力を明らかに持っていない信徒、そして司祭たちに、向けておられるのである。主はその注意をわれわれに向け、そしてこう言われる。「イエズスとマリアに依り頼むことには決して遅すぎるということはない」と。

われわれの個人的な義務はイエズスとマリアに依り頼むことである。そのことはわれわれに、天使が子どもたちに語ったときの次の言葉を思い出させる。「イエズスの聖心とマリアの御心はあなたたちの嘆願の声を注意して聴かれます」。ちょっと考えてみてほしい。イエズスの聖心とマリアの御心が待っておられる、ということを。われわれから聴くことを期待し、待っておられる、われわれの嘆願の声に注意しておられるということを。

「イエズスとマリアに依り頼むということには決して遅すぎるということはない」というこれらの言葉によって、我らの主はわれわれすべてをより大きな祈りへと招いておられる。祈りなさい、祈りなさい、特に今、あなたたちはロシアの奉献が為されなかったゆえに、あなたたちが極めて危険な状況に置かれているということを知るようになったのだから。

もしロシアの奉献がすぐに為されないならば、われわれはこの世において恐るべき苦しみを受ける危険にあり、そして多くの霊魂は永遠に地獄に堕ちる危険にある。あなたたちは今それが非常に遅いということを知っているから、今、イエズスと我らの天の御母に祈るためにイエズスの招きを聴き、それに従っていただきたい。

私はこの話の後では、われわれが最初に出発したときよりも、あなたたちが諸々の事実、危険、時の遅さ、そして解決についてより意識するようになったということを希望している。

しかし、気を落とさないで欲しい。希望を棄てないで頂きたい。イエズスとマリアに依り頼むことには決して遅すぎるということはないということを思い出して欲しい。それはわれわれが常に心に留めておかなければならないことである。イエズスとマリアへのわれわれの祈りを増すことによってそれを実践に移すことを忘れないで欲しい。

終わり
96/11/27 三上 茂訳

ファチマの聖母マリア 1-2

2016-09-28 15:36:23 | ファチマの聖母(考察)
平信徒でさえわれわれの祝せられた信仰を擁護しなければならない

われわれは429 A.D.に教会史におけるこのことのもう一つ別の例を持っている。エフェソにおける大主教であったネストリウスは満員の大聖堂の中で説教をしていた。その中で彼は祝せられたおとめマリアは神の母ではないと言った。

これは教会がその教義を決定する以前のことであったことを思い起こして頂きたい。大聖堂の中で立ち上がって、そしてネストリウス、会衆、そしてそこにいたすべての聖職者にこれは異端であると告げたのは大聖堂の中にいた司祭たちではなく、そこに居合わせた他の司教たちではなく、一人の平信徒であった。

その平信徒の主張が正当であると立証されたのはそれから2年後、431 A.D.年のことであった。彼の信仰の擁護はエフェソの公会議を開催する原因になった。その結果として、431 A.D.年10月11日に−それは1560年前のことであるが−聖母はエフェソ公会議の荘厳な決定によって真に神の母であると宣言されたのである。

そして聖ロベルト・ベラルミンについてもそうである。彼は単に聖人であるばかりでなく、教会博士でもある。彼はわれわれに、信仰が危機に瀕しているときには、一人の司教、あるいは一人の枢機卿、あるいは一人の教皇(彼は含めている)のうちからでさえ、その人は誰であろうと、公に非難されるとわれわれに告げている。

ところで、カトリック教会には列聖された数千人の聖人がいる。しかし、カトリック教会にはただ32人の博士しかいない。博士はまず第一に聖人である。しかし第二に彼はまた聖人たちの間で学問のある人でもある。そして彼の教説はそれが模範的であるということ、そして聖人たちの間においてさえ最も教訓的であるということを見るために二重に検討されてきたのである。

聖ロベルト・ベラルミンはそのような一人の人、そのような一人の聖人である。そして彼の特殊性は彼が教皇制の擁護者であり、教会が神によって建てられたものであることの彼の擁護のゆえに博士であるという点である。聖ベラルミンの例は、もしあなたたちのうちの誰かが「新たにされた」集会に出席したとすれば、今日教えられているものとは全く正反対のものである。「新たにされた」集会においては、例えば、あなたは、もし誰かある人が異端をとうとうと述べるならば、声をあげるべきではなく、彼を非難すべきではなく、親切な、友情にあふれた微笑みを維持することになっている、等々と告げられる。

これらの人々の多くは必ず善意をもって誤りに陥っている。われわれは彼らを敵あるいは悪意のある人と考えるべきではない。しかし、それにもかかわらず、特に、ファチマの第三の秘密が、信仰が内部から掘り崩されているがゆえに、われわれは危険な状態にあるということを告げているこの時期には真理は弁護され、そして信仰は擁護されなければならない。

第三の秘密は明かされなければならない

それが、聖母が第三の秘密が信徒たちに明かされるべきだと望まれた、そして今もなお望んでおられる理由である。あなたたちが多くの他の場所で告げられた嘘と違って、第三の秘密は教皇だけに宛てられたものではない。確かにそれは教皇に宛てられたものであるが、しかし彼だけに宛てられたのではない。それは全信徒に宛てられているのである。

私は、あなたたちのうちの多くの人々が1960年にはわれわれが第三の秘密の開示に対して持っていた期待を思い出すと確信している。その期待は、ファチマの司教が遅くとも1960年には、あるいはもしシスター・ルシアが死んだ場合にはそれ以前に明かすであろうとシスター・ルシアに荘厳に約束したがゆえに、根拠のないものではなかった。

そしてリスボンの総大司教・枢機卿は公式的に約束した。彼は、もしファチマの司教、ファチマの最初の司教ダ・シルヴァ司教が1960年以前に死んだら、彼が個人的にそれを見る、第三の秘密は信徒に明かされる、と公式に約束した。これは公式の記録に属する事柄である。それは歴史的事実の問題である。

ところで、フレール・ミッシェルはそのことを彼の書物の第3巻465-479ページに記録している。われわれが言っているほとんどすべてのことがわれわれの敵対者たちによって問題視されているので、あなたたちが参考文献を知ることは大切である。われわれはまたFatima Crusader Issue No. pages 18,19および39にこれらの多くの参考文献を挙げておいた。それゆえに、私はわれわれの信仰を擁護することの重要性のゆえに、第三の秘密の重要性を強調しなければならない。

われわれ各自は神がわれわれに与え給うた恩寵の程度に従って、われわれの能力、そしてわれわれの機会の程度に応じて、ファチマのメッセージによってばかりでなく、堅振におけるキリストの兵士としての、そして洗礼における神の子としてのまさにあなたの義務によって、カトリック信仰を擁護する荘厳な義務を持っている。

誰も同じ程度に信仰を理解するのではない。誰も同じ能力を持っているわけではないし、教えられる同じ機会を持っているわけではない。しかし、われわれすべてが知っている信仰についてのある基本的な事柄がある。

聖トマスはわれわれにこう告げている。使徒信条の条項はあからさまに信じられなければならない。もし誰かがそれらを否定するならば、たとえ彼が聖なる神学における博士であろうとも、使徒信条あるいはニケア信条において述べられたカトリック信仰のある条項を否定するならば、彼は非難されなければならない。そしてあなたは、彼がその誤りの中を歩み続けることに固執するならば彼と共に歩んではならない。

愛の使徒である聖ヨハネはローマの通りでマルキオンを悪魔の子として公に非難した人であった。それゆえ、もしあなたが神を愛し、そしてあなたがあなたの隣人を愛するならば、それはわれわれがつまらないものであるということを意味しない。それはわれわれが神を熱烈に愛し、そしてわれわれが神の意志に従ってわれわれの隣人を愛するということを意味する。

もしわれわれが善を愛するならば、そのときわれわれは悪を憎まなければならない。そのことは詩編44において我らの主について言われているように、善を愛することのまさに本性である。「あなたは正義を愛し、不正を憎まれました。神、あなたの神はあなたの同胞たちを越えて、あなたに塗油なさいました」。

そしてそれゆえ、悪を憎むことはキリスト者のしるしである。われわれは罪人を愛しなければならないが、しかしそれにもかかわらず罪を憎まなければならない。

信仰に反する異端と誤謬が撃退されなければならないのはなぜか?

異端は殺人よりも悪い。現在、われわれの時代にはそのことはいささか奇妙に、あるいは一つの誇張と響くかもしれない。しかし、それは完全に真である。そしてまさに正確に真である。というのは、殺人はただ身体を殺すだけである。それが悪いことは悪いのであり、私はそのことを全然軽視しようとは思わない。しかし、身体を殺すことは霊魂を殺すことあるいは霊魂を永遠にわたって地獄へと宣告することほどには悪くない。そしてそれが異端がすることである。

ひとたびある人が異端に陥るとき、もし彼がこのことを知りながらするならば、彼はすでに大罪を犯したということを、あなたは知っている。そしてたとえ彼がこのことを故意にしているのでないとしても、矯正されても、自らを正すことを拒むならば、そのとき彼は大罪に陥る。

ある人が信仰を失うとき、あなたは彼は無防備であると言ってもよい。というのは、罪人、大罪にある人(しかし、異端の罪に陥っていない人)は少なくとも自分自身のために祈る力を持っているからである。しかし、信仰を失う人は祈りをする信仰を欠いているゆえに自分自身のために祈ることができない。

そしてそれゆえ、聖母は彼らのために祈り、彼らのために犠牲をする人が誰もいないので、地獄に堕ちる多くの霊魂がいると言われるのである。彼らは彼らのために祈ってくれる人を持たない。そしてそれが、教皇ピオ十二世が指摘しているように(それは一つの大きな神秘である、しかしそれにもかかわらず真である)、救われる霊魂の数がカトリック者が神の恩寵とどのようによく協力するかということに依存している理由である。

それがファチマの聖母が罪人たちのために祈り、そして償いをするようにわれわれに願われた理由である。そして聖母がわれわれが重大な危険、われわれの信仰のこの危険に陥っているのをご覧になられるがゆえに、われわれに警告するために来られたのである。

われわれは今重大な危険に陥っている!

さて、私はこの危険は特に1960年に始まったということに言及することから話を始めた。われわれはどのようにしてこれがその年であるということを知ったのであろうか?よろしい、シスター・ルシアは「なぜ1960年にだけ秘密は明かされることになったのか?なぜそれを今明かさないのか?」と質問された。これはファチマ作家の一人、モンシニョル・バルタスが1946年にダ・シルヴァ司教のいる前で彼女にした質問であった。そして彼女は非常に興味のある答えをした。「そのときにはそれがいっそう明らかになっているでしょうから」。

1955年にオッタヴィアーニ枢機卿は第三の秘密についてシスター・ルシアに語った。そしてオッタヴィアーニ枢機卿は後で第三の秘密を読んだ。そして第三の秘密が一つの預言であるということを理解した。一つの預言がいっそう明らかになるということは、それが実現され始めるということ以外にはどう理解されるであろうか。そしてそれゆえ、第三の秘密は1960年に明かされ始めた一つの預言なのである。

われわれはまた同様に秘密のもう一方の別の終端を知っている。われわれがそれが止むということを知っている。それは聖母が「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。ロシアは回心するでしょう。そして平和の一時期が人類に与えられるでしょう」と言われるときに、聖母の言葉が実現された時に終わるだろうということを知っている。そしてこのことはまだ起こっていないのである。われわれは1960年と聖母の勝利の時の間にいるのである。そしてそれゆえ、われわれの信仰が今掘り崩されているということを特に忠告されるということはわれわれにとってよいことである。

アロンゾ神父は沈黙した。その生涯の最後の16年間をファチマの公式記録保管者として過ごしたアロンゾ神父はシスター・ルシアと話す多くの機会を持った。彼の死の前に、彼はその著作のいくつかを公刊させることができた。しかし、彼の著作の大部分−それは14巻にもなるが−は今日まで公刊することを許されていない。しかし、フォックス神父のような異端者たちは異端的なことを書くことができ、それらを公刊することができる。そして誰もそれについて何もしないのである。

現在10年間にわたってアロンゾ神父の14巻の書物は葬られて来た。それらは教会当局によって公刊を許可されていない。われわれが繰り返し証明したように、シスター・ルシアが過去31年間にわたって沈黙させられてきたのと同じである。

アロンゾ神父は、彼が死ぬ前に、ある神学雑誌において一つの短い論文を発表した。その中で彼は、第三の秘密はわれわれの信仰に対する諸危険(ラッツィンガー枢機卿もまた完全に是認した一つの事実)に言及しているということを記録した。アロンゾ神父はさらに先へ進み、第三の秘密は今日の教会内部での背教の状態として高位聖職者の罪に言及していると言った。

ところでシスター・ルシアは過去に、彼女が別の時にいるときに、第三の秘密についての誤った理論を論駁するために呼び出された。シスター・ルシアは今日までいかなる仕方でも第三の秘密についてのアロンゾ神父の分析を決して否定したり、あるいは攻撃したことはなかったし、あるいは訂正しようとしたことはない。

実際、1970年代の彼女の手紙の中に書かれたものを読むならば(フレール・ミッシェルは彼の書物の中でさまざまの手紙を引用している)、われわれはアロンゾ神父がこの説をありもしないことからでっちあげたのではないということを見ることができる。シスター・ルシアは教会において大きな責任を持った人々でさえ感染している悪魔的な方向逸脱について語っている。彼女はこのことを一度ではなく、多くの異なった機会に言っている。

 
聖ヨハネ・グアルベルトは公表する

7月12日が祝日である聖ヨハネ・グアルベルトは当時の教皇にフィレンツェの大司教がその職を買うことによって、すなわち、聖職売買によって得たということを告げようと努力した。教皇は、その時代の他の聖人、聖ペトルス・ダミアヌスがそうしたように、彼の言うことを聴いた。しかし、彼らは確信するに至らなかった。

それゆえ、聖ヨハネ・グアルベルトはヴァロンブローザ(私はイタリアで勉強しているときにそこを訪ねた)へと戻り、彼が言っていることが真実であるということを証明するための一つの奇跡をはたらくという神からの一つの特別の霊感をそこで受けた。それはあなたがあなたの霊感に確信をもたない限り確かに企てるはずのない、最も劇的な奇跡であった。

聖ヨハネ・グアルベルトは一つの大きな火を起こさせた。彼は町の人々すべてに来て、そして神が彼とフィレンツェの大司教の間を証言なさるのを目撃し、そして誰が正しいかを見るようにと呼び集めた。彼は人間が注意を払わないので彼の証人として神を呼び求めたのである。

聖ヨハネ・グアルベルトはフィレンツェの大司教は彼が持っていた高い職務に値しないというすべての人々に対する積極的な公の証明を約束した。彼は彼と悪しき大司教との間を判断なさるように神に呼びかけた。彼は彼の修道士たちの一人を彼が正しいという証明として、さもなければ確実な死から守るという奇跡を働いてくださるよう神に願った。

そしてそのようにこの火が起こされ、準備ができ、そして町の人々が集められたとき、聖ヨハネ・グアルベルトは兄弟聖イグナティウスに聖なる従順の下に、火を通って歩くように命じた。

今や神は巨大な篝火を通り抜けるこの人に奇跡を働かれた。彼はもし神が彼を守られなかったならば、明らかに死んでいたであろう。彼は反対側に傷を負わず、焼かれもせずに出て来た。そして人々は神が彼らに与えられたこの証言の前に彼らの義務を理解した。彼らは疑いのどんな影をも越えて、大司教が司教に任命されるために賄賂を使った悪い人間であるということを知った。

今やその大司教を町から追放することが彼らの義務であった。それが彼らがその同じ日に行なったことであった。

そしてそれゆえ、あなたたちに第三の秘密は重要ではない、あるいはそれはあなたたちに知らせるように宛てられたものではない、あるいはそれらの事柄についてあなたが為し得ることは何もないと告げる人々のために、聖ヨハネ・グアルベルトの時代のフィレンツェの人々が一人の悪い羊飼いから教会とフィレンツェの教区を救うために呼び出されたということを理解してほしい。

今日の教会にとっての危険は約千年前のフィレンツェの教区に降りかかったことよりもはるかに劇的であり、はるかに悪い。それが、まず何よりも危険が存在するということを理解することがわれわれにとってなお重要である理由である。われわれが危険に気づかないならば、われわれは何もしないであろう。そして第二に、われわれがすることが何もないとわれわれが考えるならば、われわれは何もしないであろう。明らかに、もし聖母がわれわれにとってすることが何もないと考えられたのならば、聖母はわれわれの信仰が危険に陥っている、そしてその危険はカトリック教会の内部から来ているということをわれわれに告げようとなさらなかったであろう。

第三の秘密は聖職階級を非難している

もしあなたたちがなぜ第三の秘密が明かされないのか、なぜシスター・ルシアが31年間にわたって沈黙させられているのか、なぜアロンゾ神父の14巻の書物が公刊を禁じられているのか、を知りたいのならば、それは第三の秘密が今日の聖職階級の多くの者の現在の方向を非難しているからである。そしてもしあなたたちがファチマの聖母があなたたちがそうすることを望まれなかったということを知ったならば、聖職階級に同調しないからであろう。それがわれわれにとってまず何よりも祈りと犠牲において聖母と我らの主へと立ち戻ることがなぜ緊急であるかの理由である。

聖ペトロが牢獄にいたとき、あなたたちが使徒行伝のうちに読むように、全教会は日夜彼のために祈った。そしてそれゆえ、神は天使を送って彼の足かせから彼を救われた。彼は一日二十四時間二人あるいは四人の看守の間にはさまれて手錠をかけられ、また足かせをはめられていた。これは人間にとって逃亡不可能な状況である。にもかかわらず、神は聖ペトロを解放された。

教皇と教会は教会の初期の時代、ヘロデの時代における聖ペトロのように、言ってみれば足かせをはめられている。そして聖母がわれわれにするように求めておられることは教皇のために祈り、犠牲をすることである。

例えばフレール・ミッシェルの書物の中で、第三の秘密を読むと、彼は三人の子どもの大きな犠牲を指摘してる。ちょうど7歳であったジャシンタがそのいとこと兄弟と共に8月13日に誘拐され、死の脅しの下に一般の犯罪者と一緒に牢獄に閉じこめられたことを考えてみなさい。彼女は泣き始めた。彼女は、死にそうになったからではなく、母親をもう見ることができないだろうから、泣いたのである。

彼女を慰めるために、シスター・ルシアは彼女がジャシンタに大いに興味があることを知っていたあるものでもって気を紛らわせようと努めた。彼女はこう言った。「私たちはこのことを犠牲として捧げることができるでしょう。私たちはそれを罪人たちのための犠牲として捧げることができるでしょう。私たちはそれを聖母の汚れなき御心に対する償いにおいて捧げることができるでしょう。私たちはそれを教皇のために捧げることができるでしょう」。ジャシンタが彼女の犠牲をどの意向のために捧げるかを尋ねられて、彼女が「私はそれをそれらのすべてのために捧げます」と答えたということに注目することは興味のあることである。ジャシンタは教皇についての二つの幻視をした。彼女はこれら二つの幻視を見た唯一人の人間であった。

一つは「飢えのために泣いているそして食べるものを何も持っていない人々でいっぱいの道路と野原。そして無原罪の聖母の前で祈っている教会における教皇。そして彼と共に祈っている大勢の人々」の幻視であった(Frere Michel, The Whole Truth About Fatima, Vol.III, page 716を見よ)。

そして別の時にジャシンタはこう言った。「私は両手のなかに頭を埋め、テーブルの側に跪いて、泣いている、非常に大きな家にいる教皇を見ました。家の外には多くの人々がいました。彼らのうちのある者は石を投げ、他の者は彼を呪い、汚い言葉を使っていました。かわいそうな教皇、私たちは彼のために大いに祈らなければなりません」(Frere Michel, The Whole Truth About Fatima, Vol.III, page 715を見よ)。

教皇についてのこれらの幻視はジャシンタに永続的な印象を与えた。ジャシンタは繰り返し教皇のために祈る必要を強調し、そして繰り返し繰り返し彼女自身そうすることを約束した。彼女は教皇のために多くの祈り、苦しみ、犠牲を捧げた(Frere Michel, The Whole Truth About Fatima, Vol.III, page 717-720を見よ)。

教皇はファチマのメッセージにおいて初めから終わりまで、特に第二の秘密おいて、そして明らかに第三の秘密において、取り上げられていると言ってもよいだろう。最終的にはすべては教皇にかかっている。それは非常に大きな責任である。それはいかなる人の手段をも越えた一つの責任である。彼の名前が何であれ、彼が教皇ピオ十一世であれ、教皇ピオ十二世であれ、教皇パウロ六世であれ、教皇ヨハネ・パウロ二世であれ、そうである。

それにもかかわらず、神は彼にこの巨大な責任を果たすことを期待されるのである。

奉献は紅海の奇跡のようなものではない。旧約における神の民の偉大な指導者を考えてみよ。モーセのことを考えてみよ。彼はファラオに民を神を礼拝するために行かせるように確信させたがその後に、ファラオは心を変えて彼らに対して彼の軍隊を送った。そしてそれゆえ、彼らは砂漠を出て、逃れる場所がなかった。彼らの前には紅海が横たわり、そして背後には彼らを殺す準備を整えて彼らに襲いかかろうとするエジプト軍がいる。神の民は鎧甲もなく、武器も持たずに、行く所がない。

神は紅海がどこにあるかを忘れておられなかった。また神はファラオの気が変わり、彼らを攻撃するために出発したということを忘れ、あるいは理解されなかったのでもない。しかし、むしろ、神はそれからより大きな善を引き出すために、言ってみれば彼らの歴史のこの頂点へと彼らをもたらされたのである。単にモーセの権威を再び言明するためばかりでなく、洗礼のシンボルや他の多くの事柄をわれわれに与えるためにである。

神はモーセの側での従順と信仰の行為を求められた。そしてこの従順の行為は人間的な知恵の光に照らせば非常に賢明であるとは思われなかった。(結局、神がもし語られなかったならば、彼らにとって逃げる、あるいは隠れる、あるいは散り散りになることがより賢明であったろう)。彼らは彼らの生き残りをモーセを通しての解放に依存するように求められたのである。

そしてモーセは信仰と従順のこの行為を求められた。モーセは彼が告げられたことをした。彼は紅海の上に彼の腕を伸ばした。そうすると海が開け、彼らは救われた。そして、歴史において実際に起こったその光景はわれわれが今日がおかれている現実のシンボルである。

新約聖書における神の民は、彼らがそのことを理解していようといまいと、取り囲まれている。そして彼らは大虐殺へと定められている。そしてわれわれは、教皇が最終的にロシアを奉献するというこの命令に従うとき、神のより偉大でさえある行為によって救われるであろう。

シスター・ルシアが説明したように、「聖母は何度も私自身に、そしてジャシンタとフランシスコに、ロシアは、もしわれわれがその前にそのかわいそうな民の回心を獲得していないならば、全世界を罰するために天によって選ばれた懲罰の道具である、ということを告げられました。」

懲罰の道具を用いる神という観念に驚く人々のために、私はエレミヤの時代に言及しよう。エレミヤはエルサレムの聖なる都は捕囚において取り去られる、これら悪しき異教徒であるバビロニア人がエルサレムに対する戦闘において勝利するであろうと予言した。

ところで、その当時エルサレムに住んでいた人、ダヴィデとその子孫への約束を知っていた人にとって、預言者エレミヤによるそのような予言は異端と思われた。それはメシアの到来の約束、そしてエルサレムの都への約束と調和させることは不可能だと思われた。

ある人々は信仰を自分たちは知っていると考えるその無知において、エレミヤが言わなければならなかったことを拒否した。

彼らはそれを拒否し、その結果彼らは肉体的な危険に陥った。彼らは虐殺され、また補囚へと連れ去られた。神は預言者たちを通じて、神が神の民を彼らの罪のゆえに罰するためにバビロンを用いたと説明された。

ファチマはロシアが世界を再び奴隷化すると予言している。これは今日のカトリック教会の光景である。全世界が悪魔的な共産主義に従属するということは、我らの主が「世の終わりまでのすべての日を通じて」その教会と共にいる、と約束されたのだから、不可能であると考える考えるカトリック者がいる。

聖母は共産主義には言及されなかった。聖母はロシアの誤謬に言及された。そしてロシアは全世界の懲罰の道具であろうということに言及された。

1946年にアメリカの作家で歴史の教授であるウィリアム・トマス・ウォルシュはシスター・ルシアにインタビューした。そして彼は彼女にこう尋ねた。「われわれは今日預言のどの段階にいるのですか?」そして彼女はこう答えた。「私たちはロシアがその誤謬を全世界に広めつつある段階にいます」。彼は彼女に尋ねた。「それはロシアが世界中のあらゆる国を征服するという意味ですか?」そして彼女は言った。「そうです。」ウォルシュ教授は彼女がその質問を理解しなかったと考えたので、彼女に対する質問の言葉を換えて、今度はこう言った。「そしてそのことはアメリカ合衆国を含みますか?」そして彼女は言った。「そうです。」

それゆえ、われわれにとって、あなたたちが、テレビ・セットをつけ、あるいは新聞を読む時に得ているいわゆるニュース(もっと正確に言えば誤った情報)は常に真理であるのではないということを理解することはよいことである。まず何よりもわれわれにロシアは回心しつつあると告げる教会内部の人々に対して答えるために、われわれはゴルバチョフが全国的なテレビにおいて自分は無神論者であると語ったということを指摘する。彼はこのことを、私がもっと正確には「クークークー」と呼ぶであろういわゆる「クーデタ」の後で言った。

 

ファチマの聖母マリア 1-1

2016-09-28 15:34:38 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア
「それが知られるようにしなさい」

The Fatima Crusader, Issue 39 Winter 1992より

ニコラウス・グルーナー神父


明らかにわれわれはこの仕事を、われわれの事務局並びにわれわれが国中から、そして世界中から得ている支持の両方で、多くの善良な人々の援助なしには為すことができないであろう。

そしてそれらの支持者の中に私はわれわれの立場を支持すると書いてくださり、そして教皇がファチマの聖母のまさに特殊的な要求に従ってロシアの奉献を為すために命令されるときはいつでも喜んで従うと指摘してくださった400人以上の司教に言及したいと思う。

われわれが勝利する側にいるということを理解することはわれわれにとって重要である。もちろん、勝利する側は「最後に私の汚れなき御心は勝利するでしょう」と言われるファチマの聖母をまず第一に含んでいる。そしてそれゆえに、気を落とさないことがわれわれにとって重要である。

同時にわれわれは盲目であってはならず、そしてわれわれの頭を砂の中につっこまないようにすべきである。不幸なことに、今日公的、私的の両面において、われわれを欺こうとする多くの努力が存在している。そしてこれらの努力は、我らの主が悪魔についてそう言及されたように、虚偽の父によって最終的には鼓舞されている。

真理なしにはわれわれは勝利することができないがゆえに、真理を広める必要性を理解することはわれわれにとって重要である。もしわれわれが何に反対しているかを理解しないならば、われわれはそれについて何をなすべきか、そして聖母をどのように助けるかを知らないであろう。

聖マキシミリアノ・コルベが指摘したように、これらの最後の時はサタンによってますます多く支配されるであろう。そして祝福されたおとめだけが蛇の頭を砕くことができるということが、祝福されたおとめに取って置かれたのである。

同時に、聖マキシミリアノは、聖母がこの勝利において、われわれが聖母を助けることを望んでおられ、そしてそのことを期待しておられる、と指摘している。聖母はそのすべてを御自身でおできになるが、しかし、聖母は多くの手を持つことを選ばれたのでありそして多くの手がすべて必要とされているのである。

 
聖母を助けるためにはわれわれはまず何よりも知らされる必要があるということを思い出そう

祝福されたおとめはわれわれの助けを必要としておられる。聖母を助けるためには、われわれは知らされることが必要である。そしてそれが聖母がファチマに来られた理由である。聖母はまず第一にわれわれの祈りを求めるために来られ、そしてロザリオを毎日祈ることを求めておられる。

というのは、私がそれを絶えず表明しない、あるいはそれについて語らないということは私がロザリオの重要性を最小限に見積もっているあるいは小さくしているということを意味しないからである。そして確かに聖母はまたわれわれにスカプラリオをまとい、そしてわれわれ自身を聖母の汚れなき御心に奉献することをも求められた。

あなたたちはファチマのメッセージを二つの部分:信心に関する事柄に言及する部分と彼らが「政治」と呼ぶものに関わる事柄に関する部分、に分ける人々がいるということを知っている。

しかし、聖母は一人であり、そして聖母のメッセージは一つである。聖母の全メッセージのすべての局面はわれわれの霊魂の救いと神のより大いなる栄光に関わるものである。メッセージの信心的な局面とファチマの誤った信奉者たちが「政治」として言及するものの間には一つの実在的な統一が存在する。

われわれの霊魂の創造者であられる神は同様にまた人間社会そしてそこにおけるわれわれの場所の創造者でもあられるがゆえに、それらすべては関係づけられているのである。聖母御自身が政治と経済に関心を持っておられるように、神はそれに非常に関心を持っておられる。しかし、政治や経済が最も重要な事柄であるからではない。それらは確実にそうではない。われわれの救い、われわれの永遠の救いが最も重要である。

しかし、明らかにもし政治的、経済的そして軍事的な状況が、カトリック者が神と彼らの同胞である人間との平和のうちに生活することができるようなものであったならば、われわれの霊魂を救うことは遙かに容易なものとなるであろう。例えば、教会への彼らの忠誠のゆえに捕虜収容所で今日故意に傷つけられ、苦しめられそして殺されているクロアチアの人々にとって、もし彼らの敵が彼らをこの極端な試練にさらさなかったならば、彼らの霊魂を救うことはより容易であったであろう。彼らの(そしてわれわれの)うちのあるものはそのような迫害の下では忠実であり続けないであろう。

同じように、世界中の人々にとって、毎年ここ(アメリカ)で2千500万、そして世界中で5千万にも及ぶ赤ん坊をその母親の胎内で殺すような法律ではまったくない法律を擁護する政体よりもむしろ王たるキリストの王たることを公に承認する政体においての方が、世界中の人々にとって彼ら自身を救うためには容易であろう。

世界は背教の状態にある。しかしもっと正確に言えば背教は教会に侵入したのである。それが第三の秘密が関わっていることである。一つの短い話の中でなぜわれわれは第三の秘密が教会における背教に言及していると言うことができるかに関して、あなたたちにその諸理由を説明し、与えることは私にとって難しいことである。しかし、私はあなたたちがあなたたち自身で見ることができるいくつかの事実に言及するように努めようと思う。

一つはもちろん教皇自身がファチマで言われたことである。「愛のすべての力でもって、聖霊において育まれ、そしてすべての人の救いを望んでおられる御母が、その子どもたちの救いのまさに基盤が掘り崩されるのをご覧になるときに、黙ったままでおられることがおできになるだろうか?」そして彼は彼自身の問いにこう答える。「いいえ、聖母はおできになりません!」。

ところで、聖アタナシウスはわれわれの救いのまさに基盤はわれわれのカトリック信仰であるとわれわれに告げている。もっと正確に言うならば、聖アタナシウスに帰せられているカトリック信条はわれわれにこう告げている。「救われることを望む者は全体的にすべてのカトリック信仰にすがりつかなければならない。」第一ヴァチカン公会議はカトリック者にとって信仰を離れることにはどんな言い訳もどんな正当化も存在しないということをわれわれに告げている。

信仰は、聖ヨハネが聖書の中でわれわれに告げているように、世界に打ち勝つものである。教皇が、われわれを非常に愛しておられる御母がわれわれの救いのまさに基盤が掘り崩されるのをご覧になるとき、沈黙したままでおられることはできないとわれわれに告げるとき、教皇と聖母はわれわれが現在その中をくぐり抜けているわれわれの信仰の危険に言及されているのである。

われわれの信仰は危険のまっただなかにある

  それが第三の秘密が関わっている事柄である。われわれはこのことを教皇のこのあまり明白でない指摘から知るばかりでなく、またヴィットリオ・メッソーリに対してあの有名なインタビューを許したラッツィンガー枢機卿からも知るのである。そのインタビューはイタリアの雑誌『イエズス』において公表された。そのうちの一語たりともラッツィンガー枢機卿がテキストを承認することなしには公表されなかった。ラッツィンガー枢機卿はこの中でこう尋ねられている。「あなたは第三の秘密を読みましたか?」「はい。」「それは何に言及しているのですか?」「第三の秘密はわれわれの信仰の危険に、そしてそれゆえにキリスト者の生命に、そしてそれゆえに世界の生命に言及しています。」ラッツィンガー枢機卿は第三の秘密を読んだ少数の人のうちの一人である。そして彼はそれはわれわれの信仰に対する危険に言及しているとわれわれに告げているのである。

さて、もしあなたが聖書を読むならば、そしてもしあなたが反キリストが来るという預言を読むならば、例えば聖パウロによる「テサロニケ人への手紙」のうちに、反キリストは大背教までは、すなわち、信仰と実践における[カトリック]信仰からの大離脱までは来ないであろうということを読む。ところで、聖母は第三の秘密においてこの背教に言及しておられるのである。もしそれが大背教でないならば、ファチマの聖母がわれわれの時代のためにわれわれに警告に来られたのはそれに似た背教である。

第三の秘密はわれわれがまさに現在生きているこの瞬間に言及している。それは1960年以前のある時期に言及しているのではない。そしてそれは教皇がロシアを奉献する、聖母の勝利の後の時期に言及しているのではない。

われわれはそのことを再び、シスター・ルシアが他の人々の間で、オッタヴィアーニ枢機卿によってわれわれに引用した言葉からも知る。私はフレール・ミッシェルの書物、『第三の秘密』において参照するように私が注意を促した詳細な記述と典拠をあなたたちに示す。その書物において彼はこのことを説明し、そしてあなたたちに、私が短い話のなかでそうすることができるよりももっとよく、証拠書類と出典を与えている。

この書物は第三の秘密を明らかにしている。私は、この書物を読んだ後には誰でも第三の秘密が何であるかを知っていると確信を持つに違いないと信じる。彼は言葉そのものを知っているわけではない。しかし、彼は確かに第三の秘密が何であるかの核心を知っている。それは、フレール・ミッシェルが再三にわたって指摘しているように、われわれの信仰に対する危険に言及している。それ以上に、それはアロンゾ神父が指摘したように、今日の教会内部の背教の状態に対する高位聖職者、すなわち、司教や枢機卿たち−彼らのすべてではなく、彼らのうちのある者であるが−の罪に言及している。

われわれの洗礼はわれわれが知らされることを要求する

それがわれわれにとって知らされることが非常に重要である理由である。というのは、ご存じのように、われわれは、われわれの洗礼によって、そしてわれわれの堅振[の秘跡]によってなおいっそう、信仰に関する一つの義務を持っているからである。われわれの信仰はわれわれの救いの基礎である。そして逆にわれわれ一人ひとりはわれわれが能力と機会を持っている程度に応じて、そしてわれわれができる程度に応じて信仰を擁護する義務を負っている。

聖トマスはわれわれにこう告げている。われわれの信仰を擁護する義務は、もし必要ならば司教や枢機卿を、教皇をすら、公に正すことをわれわれに要求するほどの負担の重いものである、と。これは反逆的な、あるいは無礼なことであろうか?そうではなく、反対に、われわれは聖書によってわれわれに与えられた規則を持っている。それは聖ペトロをその面前で非難した聖パウロについてわれわれに告げている。

それは何かさほど重要でない事柄に関することではなく、むしろまさに信仰の本質に関することであった。聖ペトロは何ら異端的なことを言ったのではなくて、一つの誤った印象を引き起こしながら、あたかも一つの異端が真であるかのように行為したのである。明らかに聖ペトロはこのことを善意をもってしていた。しかし、にもかかわらず、彼は誤っていた。そして聖パウロは聖ペトロを正さなければならなかった。そして公に彼はそうしなければならなかったのである。

聖パウロが聖書において書いている教訓をわれわれが学ぶことができるように、少しばかりそのことを説明しよう。私がこれを読み、そしてこれを研究した最初はそれは私にとって驚きであった。それゆえ明らかにあなたたちのうちのある人々は聖パウロと聖ペトロのこの例によって憤慨するだろう。

しかし、その教訓は聖パウロがわれわれに告げているように、聖書のすべてはわれわれの学習のために、われわれの教授のために、そしてわれわれの慰めのために、霊感を受けてそこにあるということである。神は聖ペトロがこの誤りを犯すことを許された。それは、私が言ったように、善意をもって為された。彼は教会における平和を欲したためにそれをした。しかし、それにもかかわらず、それは誤りであった。

そのことの背景は何であったか?聖ペトロはエルサレムからアンチオキアへ下って行った。そしてそこで彼は、救われるためにはあなたたちは洗礼を受けると同様に割礼を受けなければならないと主張するキリスト者であるユダヤ化するグループを非難しなかった。

ところで、エルサレムの最初の公会議はすでに割礼は救いのために必要ではないということを決定していた。聖トマス・アクィナスはその『神学大全』の中で割礼を主張することは一つの背教の行為、信仰の否定の行為であるということを証明している。というのは、旧約聖書のあの秘跡は未来におけるキリストの到来を証言していたからである。

ひとたびキリストが到来されたらそのとき割礼はもはや必要ではなくなったのであり、そしてそれに固執することはイエズスがキリストであることを否定することであった。聖パウロは本能的にその危険を理解した。聖ペトロはユダヤ化する人々が正しいとは言わなかった。彼がしたことのすべては単に割礼を受けていないキリスト者たちとは会食しなかっただけである。こうすることによって彼は、モーセの律法が言ったように、彼らが清くないがゆえに彼らと会食することを彼が拒否しているという印象を与えたのである。

それゆえに、割礼を受けていない人と会食しないことによって、ユダヤ化するグループは他の人々にこう言うことができたのである。「見よ、あなたたちは誤っていて、私たちは正しい。」「教皇はわれわれと一致している。彼はあなたたちが割礼を受けていないがゆえに、清くないと考えている。それが彼があなたたちと会食しない理由である」。

しかしながら、ペトロはそうは言わなかった。しかし、にもかかわらず、彼の行為によって彼は、彼らが正しく、そして彼らの教義を広めていると考える異端を引き起こしたのである。そしてそれゆえに、聖パウロは信仰に対する危険を理解して、そして教皇の威信に反してすら、信仰は擁護されなければならないという彼の義務を理解して、公に語り、そして彼を非難したのであった。彼は聖ペトロに言った。「あなたは真理のうちに立っていない。」

それが、彼が遠慮なく声を上げたのは聖パウロが使徒であったからだということばかりでなくて、実際それは洗礼を受けた、男であれ女であれすべての平信徒の義務であるということを理解することがわれわれに取って重要である理由である。

ファチマの聖母マリア vii

2016-09-28 15:19:05 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち


世界平和はファチマの聖母に対するカトリック司教たちの応答にかかっている - さまざまの典拠 -

1982年5月13日の奉献に関して、われわれは天の元后の命令は満たされなかったということを示すためにさまざまの出所から以下の証言ををも公表する。
1)ゴッビ神父の証言 注1)

さまざまの報告は、司祭のマリア運動のゴッビ神父が、尋ねられたときにはいつでも、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求めておられる聖母の要求は1982年5月13日に教皇によって満たされなかったということを明らかにしてきたということを指摘している。
2)教皇がまだされなかったこと 注2)

1982年5月13日にファチマで教皇がマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求めておられるファチマの聖母の要求をまだ満たされなかったことは真である。注3)

しかしながら、教皇は次のように言うことによって彼にとってそのときにはそうすることがまだ可能ではなかったということを指摘された:「私は現在の 諸状況の中ですることが可能であったあらゆることをしようとした」と。さらに、これまで以上に「より重要」でまた「より緊急」であると教皇が強調された ファチマの聖母のメッセージの特別の局面はその「悔い改めと回心への福音的な呼びかけ」:すなわち、聖母の要求の実現のための前提条件、であった。それゆ えに、ファチマの聖母のメッセージを1983年の司教会議の主題とすることによって、教皇は、これまで聖母の要求の実現を不可能としてきたそのような抵抗 を克服するに十分な「悔い改めと回心への聖母の福音的な呼びかけ」に対する応答をこのことが引き起こす手段となるかもしれないと希望しておられると思われ るであろう。
希望の根拠

1982年5月13日にファチマで単に教皇が神の要求を満たすことができなかったがゆえに絶望する根拠は、それゆえに、ないのである。その 反対に、ファチマの聖母のメッセージを1983年の司教会議の主題とすることにおける教皇の行動はわれわれに、これまでに可能であったより以上の積極的な 希望のより大きな根拠を与える。なぜなら、教皇は彼自身個人的に聖母が要求なさった共同的奉献の必要性と緊急性を確信されていると思われるからである。

それゆえに、われわれは1983年司教会議がこのことを可能にするように働きそして祈らなければならない。
3)奉献はなおなされるべきである注4)

反対に、教皇がマリアの汚れなき御心へのロシアの共同的奉献を求めておられる聖母の要求を満たすことに向かって可能だと考えるあらゆることを教皇がなしておられることにわれわれは神に感謝と言う。

しかしわれわれの感謝は共同的奉献がまだなされるべきであるという事実に対してわれわれの眼を閉ざすものではない。

なぜなら、1982年5月13日の奉献はそのものとしてロシアに言及さえしなかったからである。またそれはいかなる意味においても共同的[奉献]で はなかった。実際、司教たちは、直ぐに行われる教皇のファチマへの訪問について彼らに知らせる手紙の中でカザロリ枢機卿によって奉献の行為に参加するよう に求められさえしなかったのである。
4)ロシアの共同奉献は完全であったか?注5)

1982年5月13日に達成が不可能であった一つの非常に重要な行為が達成されるべきものとしてまだ残されている。教皇にとって、司教たち が世界中の彼ら自身の司教座聖堂において奉献のこの荘厳かつ公的な行為に参加する、マリアの汚れなき御心へのロシアの奉献のためのある特別の日を明示する ことがなお残っている。

5)幻視者たちのうちの唯一の生存者シスター・ルチアによれば 注6)、マリアの汚れなき御心へのロシアの共同奉献はファチマ・メッセージを実行しているキリスト者の十分な数があるときに起こるであろう。この理由で、 われわれは読者たちに、初土曜日の償いを求めておられる聖母の要求を果たすよう、そしてそれに加えて、毎日ロザリオを祈り、ファチマ・メッセージを生き、 玄義のうちに含まれている償いと祈りをするように促す。今日神が求め、要求なさっている償いは各人の日常生活の諸々の義務を果たし、神のおきてを守ること である。キリスト者たちの間の慎みのなさと避妊の実践が広まると共に、第六戒と第九戒がほとんど例外なく犯されている。1943年にわれらの主がシス ター・ルチアに御出現になったとき、主は、「何であれ主のおきての遵守が彼らに要求しているものを喜んで断念する非常に少数の霊魂しかいないことに痛烈に そして悲しみに満ちて」苦情を述べられた。

われわれが読者たちにするもう一つの要求は、ある定められた日に、教皇がマリアの汚れなき御心へのロシアの奉献を全司教たちと一緒にするように、教 皇に請願するようさまざまの司教会議に願う手紙を書き、また他の人々にも書いてもらうことである。アメリカ合衆国の360人の司教たちはすでにこのような 仕方で教皇に請願した。(Christ to the World, No. 3-4 of 1982, p.247 を見よ。)

6)過去数年間に、およそ500人の司教たちと300万人の人々が共同奉献を求めてローマに請願した。注7)なぜそれがまだ達成され ていないのか、その理由を説明して、有名な神学者、哲学者であるパリのアンドレ・リシャール神父はこう述べた:「最終的に、われわれは神の御意志のうちに 解答を探さなければならない。というのは政治的そして神学的な諸々の反対は適切に解答されたからである。」彼はまた世界的な意識の欠如が(シスター・ルチ アへの主の言葉のうちに)われらの主によって望まれている結果、すなわち全世界がロシアにおける約束された変化はこの奉献がなされた後にマリアの汚れなき 御心を通じて特殊的に手に入れられるであろうということを認めるということ、をも感じた。


Supplement to Approches Magazine No. 79 entitled "Fatima after May 13, 1982 What Now?" and published in 1982. 1983年9月に Fatima Crusader は直接ゴッビ神父にこの証言を確かめた。
Supplement to Approches Magazine No.78 entitled "For Catholic Order and Peace: By Heaven's Command and a Papal Initiative".
Cf."Fatima after May 13, 1982 What Now?" Supplement to Approches Magazine No.78, pp.3-6.

Supplement to Approches Magazine No.81 entitled "The Urgency of Fatima Today"
Soul Magazine May - June 1983 Issue, p.7.
Christ to the World, Special Issue on the Fatima Message, July - August 1983, p.172. Published in Rome with the approval of the Vicarate of Rome.
'Fatima, the Great Sign' by Francis Johnston, TAN Publisheres, published in 1979, p.89.

ファチマの聖母マリア vi

2016-09-28 15:17:32 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア

世界の奴隷化か、それとも平和か...
それは教皇にかかっている

ニコラス・グルーナー神父と他のファチマ専門家たち


ロシアはファチマの聖母によって
命じられた定式においてマリアに
奉献されたことは決してない

ロシアがファチマの聖母によって要求された特 殊的な1929年の仕方に従ってマリアの汚れなき御心に奉献されたことは決してないということを是認することにおいて Paul Augustin Mayer, O.S.B.枢機卿に最近もう二人の枢機卿が加わった。三人の教皇補佐役レベルの枢機卿は四つの集会の間に、十二ヶ国から来た少なくとも十五人の証人たち の前で、ファチマの聖母の要求なさったロシアの奉献が、広まった反対のまゆつば的報道にもかかわらず、決して果たされたことはなかったと結論された。
世界平和への第一歩

二つの最近のマリアに関する公表が次の人々によってなされた:( a )1987年11月26日のローマでカリフォルニアからの一人の証人の前で、そして再び1987年12月7日にニューヨークからの三人の証人の前で、 Alfons Maria Stickler, S.D.B. 枢機卿によって;そして( b )1988年1月27日にニューヨーク・シティにおいて、一人のニューヨーク州在住者の前で Joseph Ratzinger 枢機卿によって。
四人の証人との三回の会合

1987年11月26日 -- ロスアンゼルスの David Martin との私的な約束。スティックラー枢機卿は、ロシアの奉献を要求する、教皇への手紙の「伝達の道具」であることに同意した後で、教皇がロシアを奉献されるか どうか疑問に思った。というのは教皇は彼の司教たちの支持を欠いているからである。スティックラー枢機卿はこう言われた:「彼ら(司教たち)は彼(教皇) に従わない!」と。枢機卿は、ローマの司教に従わないのは、単にアメリカの司教たちだけではなく、全世界の司教たちであるとつけ加えられた。

77歳になる枢機卿は教皇に従わない司教たちに言及しながら、こう結論された。「われわれは強くあらねばならない。あなたたちの司教たちに抵抗しなさい。彼らに従ってはならない!」

1987年12月7日 -- ニューヨーク・シティからの Micael Mangan と Francis Harrington との私的約束。教皇ヨハネ・パウロ二世はなぜロシアの特別の奉献というファチマの聖母の要求をまだ守っておられないのかという質問に対してスティックラー 枢機卿は答えられた。枢機卿はこう言われた。「教皇ピオ十二世は、彼の全世界の奉献の中にロシアを含めて、すでにロシアを奉献なさった。しかしそれはファ チマの聖母によって要求された形式においてはなされなかった。」教皇ヨハネ・パウロ二世が奉献はすでに果たされたと信じておられるかどうかについて意見を 求められたとき、枢機卿はこう答えられた:「それは教皇の決定であって、私の決定ではない。司教たちの何人かは教皇に同意しないであろう。教皇はおそらく こう言われるであろう。『司教たちは私に耳を貸さないであろう。それゆえ私はそうしたくない!』と。」彼はこう結論した:「奉献はなされていない。諸々の 条件は満たされていない!」

1988年1月27日 -- John O'Connor 枢機卿と証人 Elizabeth Rooney を含む1000人の人々が出席した、ラッツィンガー枢機卿がエラスムスについて講義したニューヨーク・シティの聖ペトロ教会。講義の後、個人的な求めに応 じて、ラッツィンガー枢機卿はその司祭としての祝福を与え、そしてそれから彼女の奉献の要求に確証の七語をもって答えられた。「[枢機卿]閣下、 私はあなたに、教皇ヨハネ・パウロ二世が、直ちにそして世界のすべての司教たちと一致して汚れなきマリアの御心にロシアを奉献なさるよう求めたいので す。」ラッツィンガー枢機卿は答えられた:「私はそれがなされるべきであることを知っています![I know it has to be done!]...その意味は1988年1月27日までには奉献はまだなされなかったということである。
枢機卿たちに拍手

教皇とすべての司教たちに対するファチマの聖母の特殊的な要求が満たされないままになっているという彼らの個人的な承認に関してわれわれは スティックラー枢機卿とラッツィンガー枢機卿にたいへん恩義がある。われわれはまた、ファチマの聖母の特殊的な要求がいまだに果たされていないという彼の 初期の承認に関してマイヤー枢機卿に恩義がある。われわれはインド、マドラス出身の出版業者 Viktor Kulanday と他の十一ヶ国からの彼の仲間たちの前での1987年10月25日の公表に関して Paul Augustin Mayer 枢機卿に感謝する。

キリストの御母の1917年から1929年にかけての要求に対する教会内の他の人々による継続している無関心の極端に不幸な結果は、共産主義ロシアによる1億人以上の死者と全世界の奴隷化を意味し得る。
司教たちを義務づける世論

われわれは、ローマ教皇補佐役の三人の枢機卿によるこの承認が、それによってこの最も緊急のロシアの奉献が最終的にファチマの聖母の要求に 従って起こる世論を形成する助けとなるであろうということに希望を持っている。なぜなら、そのことは非常に遅いのであり、またわれわれが世界に平和をもた らし、キリスト教文明を救うことについて持っている一つの希望に対する何人かの司教たちによる反対がなお存在しているからである。

それゆえに、われわれは努力を倍加しなければならない。われわれは世論を動員しなければならない。なかんずくわれわれは家庭、近隣社会、われわれの 都市の中に、そして世界中にロザリオ十字軍を持たなければならない。われわれは遅すぎるようになる前にこのことを今しなければならない。

ファチマの聖母マリア v The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003

2016-09-28 15:15:53 | ファチマの聖母(考察)
ファチマの聖母マリア
終わりに

The Fatima Crusader Issue 73, Spring 2003より

マーク・フェロウズ

ファチマの聖母は子どもたちに言われました。「終わりに私の汚れなき御心は勝利するでしょう。教皇はロシアを私に奉献するでしょう。そしてロシアは回心し、平和の一時期が世界に与えられるでしょう。」注1 問題は、私たちは終わりにいるのでしょうか?ということです。

 バチカンの位階の何人かの影響力を持つ人々によれば、答はイエスです。2000年5月13日ファチマでフランシスコ・マルトとヤシンタ・マルトのための 列福式の後、国務省長官アンジェロ・ソダノ枢機卿は数十万人の巡礼者たちに、ファチマの秘密はただ過去の出来事にだけ関わっていたのだと告げました。すな わち、それらの出来事とはロシアの共産主義と教皇ヨハネ・パウロ二世聖下に対する1981年の暗殺未遂事件です。

 信仰教義聖省(CDF)長官ヨゼフ・ラッツィンガー枢機卿はそれに同意しました。『ファチマのメッセージ』という表題のラッツィンガー枢 機卿とモンシニョール・ベルトーネによって出された2000年6月の文書の中で、ラッツィンガーはこう述べました:「私たちはソダノ枢機卿と共に... ファチマの第三の秘密が言及している出来事は今や過去の一部と思われる、と主張しなければなりません。」注2

 最近(2001年12月)、バチカンはタルシジオ・ベルトーネ大司教(CDF秘書官)とファチマの御出現の唯一の生き残りの幻視者である95歳のシス ター・ルチアとの間のインタビューを公表しました。モンシニョール・ベルトーネによれば、彼らのインタビューの中で、シスター・ルチアは、彼女の以前の諸 陳述とは反対に、教皇ヨハネ・パウロ二世が1984年にマリアの汚れなき御心にロシアを首尾よく奉献したと述べました。注3 さらに、モンシニョール・ベルトーネは、シスター・ルチアが、ふたたび彼女の以前の指摘とは反対に、注4 今やバチカンがファチマ第三の秘密全部を公表したと信じていると主張しました。注5

 そこで、バチカンによれば、私たちは1917年7月13日にファチマの聖母によって言及された「終わり」に達したのです。教皇はロシアを奉献しました。 そしてファチマ・メッセージ全体が公表されました。聖母は「終わりに」御自分の汚れなき御心が勝利するでしょう、ロシアは回心するでしょう、そして世界は 平和の一時期を享受するでしょうと言われました。もしバチカンがそのファチマ・メッセージの評価において正しいのであれば、私たちは今マリアの汚れなき御 心の勝利を経験しているのでなければなりません。

ロシアの回心

 読者の皆さんはこのことを理解しないことに対して言い訳をすることが許されるでしょう。ファチマの聖母によれば、ロシアの奉献と同時に起こるロシアのカ トリシズムへの回心は微妙でした。ほぼ600万のロシア・カトリック教徒 注6 は、1億4500万の人々の三分の二が分派的な正教会に属している国注7 においては、小さな、法的に迫害を受けている少数派です。その正教会の大主教は教皇がロシアを訪問するのを受け入れることを拒否しています。

 さらに、大主教アレクセイ二世のあるスポークスマンが、教会は「決してカトリックではなかった我が国の人々の間で宣教活動」を試みるかもしれないという 憤りを表明した最近の激しい非難のような、正教会からの表明の中にカトリシズムへの隠された、あるいは萌芽的な回心の証拠を見出すことは困難です。注8 ロシアのカトリシズムへの回心はそのように微妙なので、アレクセイはバチカンのロシア・カトリック教会のいくつかの司教区への単なる再編成を「非友好的な 行為」と呼んだのです。非友好的な行為について話しながら、4月にはロシア警察はロシア最大の司教区のカトリック司教モンシニョール・ジェルズィー・マズ ア(Msgr.Jerzy Mazur)を拘留し、そして、何の説明もなしに、彼に戻ることを禁じて、ロシアの土地から追放しました。注9 今や、それは微妙です。

 忠実なロシア・カトリック教徒の小さな残りの者たちが彼らの国のカトリシズムへの回心に気づいていないということはあり得ることです。彼らは、悪い状況 を最善のものにすることに慣れていると人は想像します。そしてロシアにおける状況は悪く、底の知れないものとなりつつあります。社会の諸々の指標はカトリ シズムへの国家的な回心を指してなくて、野蛮への堕落を指しています。その詳細な点は至るところで記録にとどめられてきましたが注10 しかし、中絶、アルコール中毒そして組織的犯罪の嘆かわしいほどに高い率として簡単に要約することができす。

 問題の不都合な事実はロシアの堕落が教皇ヨハネ・パウロ二世の1984年の汚れなき御心への世界の奉献の後に加速していると思われたこと です。注11 ベルリンの壁の崩壊、民主的政府での外見上の諸々の試み、商業主義と西欧文化のロシアへの流入はロシアが数十年の共産主義者による抑圧の後に「正常化し」 つつあるしるしとして受け取られました。そのことは論争の余地のあることですけれども、これらのしるし--ロシアの最近のNATOへの編入を含めて-- 注12 のどれひとつも、ファチマの預言の極めて重要性のあるカトリシズムへの宗教的回心の証拠ではありません。

 この点に関してシスター・ルチアが1936年に書いた手紙の一部を思い起こすことは価値のあることです。ロシアの奉献についてのある司祭の質問にシスター・ルチアはこう答えました:

 「私はわれらの主にその問題について話しました。そしてそんなに以前のことではなかったのですが、主に、教皇が奉献することなしに、なぜ主がロシアを回心させられないのですかと尋ねました。(主はお答えになりました。)『なぜなら、私は私の全教会がその奉献をマリアの汚れなき御心の勝利として認め、その結果教会がその信心を後に広め、汚れなき御心への信心を私の聖心への信心の傍に置くようになることを望んでいるからだ。』

 『教皇のためにたくさん祈りなさい。彼は奉献を行うであろうが、しかしそれは遅いだろう...それにもかかわらず、マリアの汚れなき御心はロシアを救うであろう。それは彼女に委ねられたのだ』」注13

それゆえ、「それは遅いであろう」けれども、終わりに、マリアの汚れなき御心がロシアを救うであろうということを私たちは神の権威に基づいて手にしている のです。マリアを適切に称えるためには、教皇と司教たちにとってロシアをマリアの汚れなき御心に荘厳な仕方で奉献することが必要なのです。そのときにのみ ロシアは回心します。従って、世界の奉献は神が求めておられることではないということを力説することは単なる語義論ではないのです。

 汚れなき御心が適切に称えられるように--イエズスは「世界の中に私の汚れなき御心への信心を確立することを望んでおられます」と祝せられたおとめはル チアに告げられました 注14--という神の強い要求があるとすれば、私たちは、ロシアの回心が、その巨大さにおいて--ちょうどレーニンとボルシェヴィキが権力を握る直前の --1917年10月13日の最後のファチマの御出現において起こった太陽の奇跡に似た、注意を集める一つの驚異的な出来事であると考えても間違いではな いでしょう。

 そのような出来事が起こらなかったということは--もしそれが必要であったならば--ロシアがなおカトリシズムへ回心しなければならないというさらなる 証拠です。その理由は、ロシアがファチマ・メッセージの要求に従ってマリアの汚れなき御心に奉献されなかったということです。

第三の秘密は見ることができる

 聖母はまた、「終わりに」ロシアの奉献、回心と同時に起こる平和の一時期が来るでしょうとおっしゃいました。しかしながら、2001年9月11日の出来 事がくっきりと目立たせたように、平和はありません。もろもろの市民戦争とカトリック教会の迫害--特にイスラムによる--が世界中で毎日起こっていま す。これらの酔いを醒まさせる出来事はアッシジのような十分に宣伝された異宗教間のエキュメニカルな集まりに対する耳障りな対位旋律です。

 私たちはファチマ・メッセージの終わりにいるのでしょうか?私たちはファチマの聖母がその汚れなき御心の勝利とともに起こるでしょうと約束なさった平和 の一時期に生きているのでしょうか?不幸なことに、このことを支持する事実は何もありません。それでは、私たちはいったいどこにいるのでしょうか?

 私たちがカトリック教会における注目すべき大変動の時期に生きているということは単に統計や無数の公会議後の嫌悪をもよおす話によって支持されたもっと もらしい議論だけではありません。それは現在の教皇、その先任者である教皇パウロ六世そしてラッツィンガー枢機卿のような位階の他の有名なメンバーによっ て証言された一つの事実なのです。彼らが用いた句「信仰の危機」は諸修道会における徹底的な堕落、無味乾燥な、絶えず下落して行く典礼、そ れに対応するミサ出席の急激な減少、聖体におけるキリストの真の現前という信仰の下落、教皇の権威に対する世界の司教団の無関心あるいは反抗の態度そして 信仰の普遍的喪失の他の多くの指標--一言にして、背教のための総てを包括する用語なのです。

 (最近の最も大きな破局は数十年にわたって祈って--praying--きたのではなくて、青少年を食い物にして--preying--きた数百人のア メリカの同性愛聖職者たちの発見でした。少なくとも異性愛の男性の中でなぜ司祭職への召命が減少しているかを不思議に思っている人が誰かいるでしょうか? この最近の危機の気の遠くなるような大きさはアメリカの聖職階級制度の次のような反応によっては軽減されません。すなわち、苦悩なし、良心の呵責なし、悔 恨なし。広報被害調整を行う一団体によって演じられるよく管理された記者会見。)

 スキャンダル、異端、逸脱行動の気の滅入るような長々とした説明を文書で証明するよりはむしろ、ほとんどの読者はおそらくすでに、教会には、世界におい てと同様に、平和がないということを意識していると言うだけで十分です。マリアの汚れなき御心が教会において勝利なさらなかった 注15 ということは明らかだと思われます。そして汚れなき御心がロシアにおいて勝利なさらなかったということはたぶんこの理由のためです。

 どれが私たちをファチマの第三の秘密へと連れてゆくのでしょうか?そして私たちはどこにいるのかという質問に対する答えへと連れてゆくのでしょうか?正 確に言うと、私たちは、単に平信徒ばかりでなく、司祭、司教、そして枢機卿たちに影響を及ぼしている一つの激しく震動する背教を教会が経験しているという ことを認めるためにファチマ第三の秘密の正確な内容を知る必要はないのです。しかしながら、すべてのファチマ専門家たち、そしてもちろんシスター・ルチア が、第三の秘密は教会の最高の段階での広汎な背教に関係しているということをあからさまに暗示してきた、あるいははっきりと述べてきたということは興味の あることです。

 教会史の中には背教に支配された他の時期がありました。しかしそれらのうち、公的な御出現において神の御母によって預言され、そしてその時に先だって一 つの処方・命令が与えられたことはほとんどありませんでした。もし、たいていの専門家が考えるように、ファチマ第三の秘密が教会の最高段階における背教に 関係しているとするならば、祝せられたおとめが第三の秘密は1960年に教会によって公表されるよう望まれたことは確かに重大です。注16 このように、第三の秘密の時が始まったのです。そしてその時は真理からの大きな逸脱と同時に起こっているのです。ファチマの処方・命令に従うまでは、逸脱 は続くでしょうし、十中八九加速するでしょう。悪は、善と同じように、それ自身のはずみを、そして無数のまだ見たことのない結果を持っています。

 それゆえ、私たちはどこにいるのでしょうか?私たちはファチマ・メッセージの「終わりに」はいません。私たちは大背教の時の中に生きています。その時 は、1960年に公表されるはずだと考えられていた第三の秘密とほとんど正確に同時に起こっています。私のつまらない意見では、これは単なる「偶然の一 致」ではありません。

終わりの前に
 2000年にラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネは第三の秘密全体を明らかにするといわれる『ファチマのメッセージ』とい う表題の小冊子を刊行しました。しかしながら、この文書について奇妙なことは、それがファチマ専門家たちによって第三の秘密の始まりであると一般に信じら れている言葉:すなわち、「ポルトガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう...」という語句を取り上げなかったということです。注17

教会が指名したファチマの歴史家、ホアキン・アロンゾ神父は次のように説明しました:「すべての著者は、どのようにルチアが、第四回顧録の中で、『ポルト ガルにおいては信仰の教義は常に保たれるでしょう...』という言葉をともなった有名な節を導入したかを考慮に入れてきました。彼らは第三の「事柄」がそ こに始まるということは確実であると推測しました。これらの言葉は秘密の第三部の啓示を導入するのです。」注18

アロンゾ神父はファチマに関する彼の多くの巻数の著作を研究している間にしばしばシスター・ルチアに話しました。フレール・ミッシェルは第三の秘密に関するアロンゾの意見を次のように要約しています:

 「それゆえに、そのテキストが教会内部の信仰の危機、そして司牧者たち自身の怠慢に具体的に言及しているということはまったくあり得ることです。彼(ア ロンゾ)はさらに『教会のまさに内部での内的闘争そして上層の位階による重大な司牧上の怠慢、教会の上層位階の諸欠陥』について話しています。」注19

 もしアロンゾ神父とフレール・ミッシェルが正しいならば、多くの事柄--ファチマの第三の秘密を明らかにしているとされているが、しかし実際は秘密の唯 一の知られてている語句を省いている、ラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネによる小冊子の発行--が説明されます。注20

 シスター・ルチアは聖職者をしっかりつかまえた「悪魔的な方向感覚喪失」について話しました。実際、教会と世界における悪の水準を客観的に見るとき、そ して次に高名な教会人たちが、悲惨のこの哀れな時期を「人間性の新しい到来」あるいはもっと悪いことに、聖霊の働きとして説明するのを聞くとき、方向感覚 を失っていると感じることは容易です。公会議以前の諸教皇が現在の楽観主義を共有していなかったということに注目することは興味のあることです。

 第二バチカン公会議が開かれる前5年にはならない時期に亡くなった教皇ピオ十二世はこう宣言しました:

 「われわれは現在の時がキリストによって予告されたもろもろの出来事の恐ろしい局面であると信じています。暗闇が今にも世界の上に落ちかかろうとしているように思われます。人類は極度の危機につかまれています。」注21

 彼の先任者、教皇聖ピオ十世は次の幻視を語りました:「私は、私の後継者たちの一人が彼の兄弟たちの死体の上を飛んで行くのを見ました。彼はどこかに変 装して逃避しようとしています。そして短い引退の後に彼は残酷な死に方で死にます。世界の現在の邪悪さは世界の終わりの前に起こらなければならない悲しみ の始まりに過ぎないのです。」注22

 聖ピオ十世教皇の幻視はラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネが第三の秘密全体として描写したシスター・ルチアの幻視に似ています。シス ター・ルチアは一人の教皇が「半分廃墟になった大きな都市」の中を少数の残りの者たちを、多くの死体を通り過ぎ、険しい山を登って一つの十字架へと導いて 行くのを見ました。そこで教皇と彼に従う人々は一団となって殺されます。注23 聖ピオ十世教皇とシスター・ルチアの幻視は福者ヤシンタ・マルトの泣いている教皇についての幻視を思い起こさせます。教皇は敵たちによって取り囲まれ、 「その頭を両手に埋めてテーブルの傍に跪いて」います。そしてその幻視は「飢えで泣いており、食べるものを何ももっていない人々で一杯の幹線道路や道路、 野原」注24 の幻視です。

 ヤシンタの幻視はしばしば第二次世界大戦と教皇ピオ十二世に言及していると考えられています。しかしヤシンタは一つの未来の葛藤を示されたのかもしれま せん。マックグリン(McGlynn)神父が1950年に指摘したように、「彼女の(マリアの)メッセージの中にはこれ(平和)がもう一つ別の戦争の前に 達成されるであろうという指摘は何もありません。」注25 しかしながら、問題は、ルチアとヤシンタによって--そしてたぶんピオ十世によって--見られた出来事が、「終わり」の前に、すなわち、マリアの汚れなき 御心の勝利、ロシアの奉献と回心、そして平和の時期の前に実現するかもしれないということです。アロンゾ神父は言いました:

 「マリアの御心の最終的な勝利は確実であり、そしてそれは決定的であるでしょう。しかし、それは「終わりに」、すなわち、火、血そして涙の洗礼のうちに、罪深い人類の恐るべき浄化の後に、起こるでしょう。」注26

 アロンゾ神父の言外の意味は酔いを醒ますものです。彼は、私たちが「悲しみの始まり」にいるという点で聖ピオ十世と一致していると思われるでしょう。どれほどもっと多くの破局が、ファチマの処方・命令に私たちが従う前に起こるのでしょうか。

勝利の幻視
 ラッツィンガー枢機卿とモンシニョール・ベルトーネの『ファチマのメッセージ』におけるシスター・ルチアの幻視は第三の秘密に言及してい ると考えられています。そしてそうかもしれません--その内容から見て、それはまた第二の秘密と一般に呼ばれているものをも意味し得るけれども--。その 第二の秘密とは:諸国が絶滅させられ、善人が殉教し、教皇が「多く苦しむ」という結果に終わるロシアの誤謬についてのマリアの警告です。他のファチマの幻 視は一般に第一の秘密と呼ばれているものに関わっていました。すなわち、彼らのために祈り、犠牲する人が誰もいないので、--雪片のように、とルチアは 言っています--地獄へと堕ちて行く多数の霊魂の幻視です。  しかし無視されてはならないもう一つのファチマ幻視があります。それは1917年6月13日の御出現の間に起こりました。ルチアに「私の汚れなき御心は あなたの避難所となるでしょう」と約束なさった後で、マリアは両手を、ミサのときの主はあなたたちと共に Dominus vobiscum--ルチアは後にそれと比較しました--のジェスチャーで開かれました。注27 聖母の手のひらからは、同時にフランシスコとヤシンタを天に連れてゆき、地上にいるルチアを浸すと見えた「おびただしい光」の線が放射しました。

 「聖母の右手の手のひらの前にはそれを貫き通している棘によって取り囲まれた一つの心臓がありました。」ルチアはこう言いました。「私たちはこれが人類 の罪によって蹂躙され、償いを求めているマリアの汚れなき御心だということを理解しました。」注28 聖母の手のひらからの光は「私たちの心の奥底まで貫きました」とルチアは言いました。こう付け加えながら:「私は、その日には、この光の主たる目的が私た ちの内部にある特別の知識とマリアの汚れなき御心に対する愛とを注ぎ入れることであったと思います。ちょうど他の二回の場合には、神といとも聖なる三位一 体の神秘に関してそうなさることが意図されていたのと同様に。」注29

 「その日以来」とルチアはその第三回顧録の中に書いています。「私たちの心はマリアの汚れなき御心に対するいっそう熱烈な愛でいっぱいになりました。」注30 汚れなき御心のこの勝利は幻視者たちの生活の中でどのように見えたのでしょうか?

 その多くは、祝せられたおとめの生活と同じように、隠されていました。子どもたちはマリアが彼らにお与えになった秘密を守りました。彼らは、聖書が「こ れらすべてのことを心の中で思いめぐらしている」とマリアを記述しているのと同じ仕方で、それを彼らの心の中で思いめぐらしていました。彼らはたくさん祈 りました。そして痛悔と苦しみに対する渇きを強めました。ヤシンタ、フランシスコそしてルチアが皆強い結び目のある縄を身に帯び、彼らの年代の子どもとし ては非常にまれである他の肉体的な苦行をしていたということが後になって分かりました。

 たぶん苦しみに対する彼らの熱意は祝せられた三位一体への愛の外的な現れだったのです。ルチアは以前の御出現においてマリアが彼らに神と聖三位一体の親 密な知識を準備されたのだと言いました。祝せられた乙女よりもよく、神をどのように愛するかということを誰が私たちに教えることができるでしょうか?神を どのように喜ばせるかをどの被造物がもっとよく知っているのか、あるいは神が望んでおられることをどの被造物がもっと熱心に望むでしょうか?そしてもし神 が、あの子どもたちがイエズスとマリアのみこころに対して犯される罪を償うために痛快と苦行をすることを望まれるとすれば、このことは私たち残りの者に とって何を意味しているのでしょうか?

 マリアのマントは彼女のすべての子どもたちを覆うために拡がります。しかし、それは彼らをその十字架から保護しません。その代わりとして、適切に用いら れた十字架は神の愛を加速し、被造物と創造主の間のより親密な知識を発達させます。フランシスコ・マルトは、病気が彼を床につききりにさせたとき、その最 後の日まで祝せられた秘蹟[御聖体]の前で彼のすべての自由な時間を過ごしたほどに強い「隠れたイエズス」に対する愛を発達させました。彼はルチアに、自 分が多く苦しんだということを告白しました。そしてこうつけ加えました:「そんなことはかまわないんだ。ぼくはわれらの主を慰めるために苦しむ。そしても うすぐ主と共にいるでしょう。」注31

 彼が死んだとき、ヤシンタは病気が余りにも重くて、彼の葬式に出席できませんでした。彼女はフランシスコが死んだベッドに置かれました。しかし、自分の 家や家族から遠く離れて死ぬことが彼女の運命でした。彼女は汚れなき御心を熱愛していました。そして祝せられたおとめがヤシンタに多く苦しんだ後にリスボ ンの病院でひとりで死ぬことになるということをお示しになったとき、少女はそのいやな運命を涙でもって、しかし不平をこぼさずに、抱きしめたのです。ヤシ ンタはルチアに告げました:「私を燃やし、イエズスの聖心とマリアの御心を私にたいそう愛させるために私がここで私の胸の中に持っているあの光をみんなの 心の中に置くことができさえすればいいのに。」注32

 ヤシンタがそう呼んだように、「天の小さなお母さん」は子どもたちに、あなたたちは「たくさん苦しむでしょう」と告げられました。しかし、彼女は「神の 恵みがあなたたちの慰めとなるでしょう」と約束なさいました。ルチアにはもう一つ約束を加えられました。「私は決してあなたを見捨てません。私の汚れなき 御心はあなたの避難所、そしてあなたを神に導く道となるでしょう。」注33 見捨てられないという保証はたしかに彼女のいとこたちと同じように、隠れた悔悟の長い生活の間、シスター・ルチアを慰めるために意図されたものでした。

 これらの子どもたちの生活は祝せられた乙女の生活にいかに似ていることでしょう。聖母の御心は悲しみの剣と悲嘆の棘によって再三再四貫かれました。マリ アが十字架を避けられなかったように、マリアに従う人は誰一人十字架を避けることはできません--それが三人のポルトガルの羊飼いの子どもたちであれ、あ るいはロシア・カトリック教徒の残りの者であれ--。どれだけ長くかかろうとも、マリアは最後に普遍的に勝利なさるでしょう。なぜなら、神がそのようにお 定めになったからです。それまでは、霊魂たちの生活におけるマリアの汚れなき御心の勝利はマリア御自身の生活と同じように、あるいは完全に神のうちに没頭 した生活のように、謙遜で隠れたものです。

 世間の目には、そのような勝利は、十字架の勝利がサンヘドリンにとってそうであったと同じように、理解不可能なものです。マリアの子どもたちであること を望む人々が、見るための目、聞くための耳、そしてすばらしい愛の私たちの母のこの悲しみに満ちたそして汚れなき御心に最後まで従う恵みを与えられますよ うに。

 脚注:

(1)Fr. Louis Kondor, SVD, Editor, Fatima in Lucia's Own Words, The Ravengate Press, p,162.

(2)The Message of Fatima, The booklet published by Cardinal Ratzinger and Mgr Bertone on June 26, 2000.

(3)シスター・ルチアは事実有効な奉献はロシアを名を挙げて明白に言及しなければならない、そしてはっきりと世界の司教団を含まなければ ならないと首尾一貫して主張していました。教皇ヨハネ・パウロ二世の1984年のマリアの汚れなき御心への世界の奉献はそのどちらも行いませんでした。

(4)イタリアの日刊紙la Repubblicaのウエッブ・ページはシスター・ルチアの古い友人であるLuigi Bianchi神父とのインタビューを載せました。そのインタビューの中でビアンキ神父はルチアが、バチカンは第三の秘密の「水で薄めた」版を出したにすぎないという彼の評価に同意したと言いました。Catholic Family News(CFN)の2001年11月号はその英語訳つきのイタリア語でのその論考の写真複写を公表しました。

(5)2001年12月20日にバチカンによって出された新聞発表から。そして後に2002年1月29日のL'Osservatore Romanoの英語版において公表された。

(6)しかしながら、あらゆることが議論されています。正教会はロシアにはこのように多いカトリック教徒は存在しないと主張しています。バチカンはロシアのカトリック教徒の人口は1300万人だと述べています。

(7)2002年4月1日モスクワからのAP News Reportから。見出しは「ロシア正教会の長はバチカンとの対話は保留となったままだと言っている」。

(8)「ロシアの正教会はバチカンの司教区計画によって怒っている」と2002年2月11日のAgence France Presseは報道しました。

(9)2002年4月20日のFides News Report からのCatholicにおいて報道されたとおりです。

(10)2000年夏のCatholic Family News(CFN)において公表された『この現在の暗闇』シリーズにおけるこの論考の著者によって。

(11)ロシアがマリアの汚れなき御心に奉献されなければならないというファチマの聖母の要求が満たされたということはある人々によって主張されてきました。そのような主張は一般にそれを支持する証拠を提出することなしになされています。

(12)ロシアの大統領ウラディミール・プーチンはNATO条約に調印したとき、世界テロリズムに対して合衆国と一緒に戦うと誓いながら、 ローマ近郊の5月サミットの会合で大成功の成績を収めました。プーチンは教皇ヨハネ・パウロ二世を真似る最善を尽くしながら、記者団にこう語りました。 「われわれは、われわれを結びつけるものがわれわれを分割するものよりまさると確信している」と。news.colm.auを見よ。--"NATO- Russia pact signed, May 29, 2002."

(13)Frere Michel de la Sainte Trinite, The Whole Truth About Fatima, Volume II, Immaculate Heart Publications, p.631.(以下、TWTAFとして言及)イタリック体にした言葉はシスター・ルチアに対するわれらの主の答えです。

(14)Fatima in Lucia's Own Words, p.161.

(15)現在の典礼暦においては汚れなき御心の祝日は選択的(祝っても祝わなくてもどちらでもよい=訳者注)です。--これは考えられる限り最低のランクです。

(16)TWTAF, Volume III, p.472.1946年にカノン・バルタス(Canon Barthas)に秘密はなぜ1960年に明らかにされなければならないのかと尋ねられたとき、ルチアはこう答えました:「なぜなら、祝せられたおとめが それをそのように望んでおられるからです。」このことはまた、ルチアの司教、ダ・シルヴァ司教の答えでもあります。

(17)Fatima in Lucia's Own Words, op.cit., p.162.(Lucy's fourth memoir).

(18)Father Joaquin Alonso, C.M.F., The Secret of Fatima, Fact and Legend, Revised Edition, The Ravengate Press, Cambridge, 1979. pp.69-70.

(19)See Frere Michel, The Whole Truth About Fatima, Volume III,p.704,published by Immaculate Heart Publications. Frere Michelはアロンゾ神父のThe Secret of Fatima, Fact and Legendのスペイン語訳から引用しています。

(20)なぞめいた、説明のない脚注を除いて。

(21)Yves Dupont, Catholic Prophecy, The Coming Chastisement, Rockford, Illinois, Tan Books, 1970, p.22において引用されているように。

(22)同上書、p.22において引用されているように。

(23)Cardinal Ratzinger and Msgr.Bertone The Message of Fatima, p.17.

(24)Kondor, op. cit., pp.108-9において引用されているように、ルチアの第三回顧録から。

(25)Thomas McGlynn, O.P., Vision of Fatima, Little, Brown And Company, Boston, 1950, p.213.

(26)Catholic Counter Reformation Journal, English language translation, August 2000, p.30 において引用されているように。強調は筆者の付加。

(27)McGlynn,op.cit., p.95.ルチアはまた祝せられたおとめを「光の波」に身を浸しておられる方として記述しました。(p.103.)

(28)Fatima in Lucia's Own Words,Fourth Memoir, p.161.

(29)Fatima in Lucia's Own Words,Third Memoir, p.107.

(30)Ibid., p.107.

(31)William Thomas Walsh, Our Lady of Fatima, The Macmillan Company, New York, 1947, p.168.

(32)Ibid., p.178.

(33)Fatima in Lucia's Own Words,p.161.