ねむい

2008-06-29 22:51:01 | 雑事
昨日今日と仕事でして、ああ疲れた。明日は月曜で、また一週間が始まるのですな、ああ嫌だ。とにかく、がんばりましょ。でもま、仕事も順調、音楽も順調、順風満帆、たぶん。

流れる音楽

2008-06-27 23:29:50 | 音楽
NHKの「サラリーマンNEO」という番組に、セクスィー部長が登場します。そのBGM、ドラゴン・アッシュが流れるんですけど、ラテンな楽曲が琴線に触れまして買ってみました『The Best of Dragon Ash with Changes vol.2』。ブレイク・ビーツにダブ、ラップ、歪んだギターに、ラテンのリズム。良いですね。

チャーリー・パーカー『Confirmation: Best of the Verve Years』は、来月のライブのために買いました。少人数いかにもバップなコンボでは、実に緻密なパーカーのソロを聴くことができます。

いまさら『ピンポン』のサウンド・トラックを入手しまして、スーパーカーの楽曲を聴いています。今もCMで流れますね、テクノな「Strobolights」。お気に入りです。

『Tokyo Gakushi』は、内容もよく分からず購入してみました。諸外国の民族楽器に通じた日本人演奏家のコンピレーション。タブラにウード、ケルティック・ハープと篠笛、三味線。安易な”聴きやすさ”に流れず、あくまでその楽器の生まれた土地の音楽に敬意をあらわす姿勢。唯一のセッション曲もどこかデコボコしていますが、新たな地平を感じます。


さあて

2008-06-25 23:19:55 | 雑事
何を書いたら良いでしょう。いくつかアイデアがあったような気がしたのですが、あれ夢中で仕事してたら忘れてしまいました。本も二三冊読みかけですが、読了に至っておりませんし、音楽も実に地味な鍛錬を日々続けております。まあ、なにはともあれ元気です。

資料と楽器

2008-06-23 23:56:28 | 雑事
先週、勉強会でした。大学教授や大学院生に混じり、二十世紀のアイルランド政治社会史。面白かったです。もっぱらアイルランドは文学とポップミュージックしか知らなくて、イェーツとジョイス、ケルト音楽とU2、みたいな感じですが知見が深まりました。日米関係とか、日本近現代史とか、とにかく資料に関わって、研究者と会って、ほそぼそながら読める本は読むと。

ほそぼそと言えば、来月のライブのため、地道に曲を練習しています。パーカーは、やっぱ難しい。だいたい八割ぐらいのテンポでは、充分な演奏ができるようになりましたが、まだまだですな。しかもしかも、テーマを吹けたからって、ジャズにはならない。コードを分析して、スケールを選択して、アドリブのラインぐらいは考えとかなきゃ、です。間に合うかなあ。

アルミニウムの城

2008-06-21 19:40:20 | 雑事
最近、尿酸値やら経済的問題やらで、家呑みではビールは一本、あとはチューハイと決めているわけですが、アルミ缶が出るのは同じこと、山と溜まってしまいました。

ここまで溜め込んだのは初。いい加減片づけなきゃ、とは思うのですが、元々ものぐさなのに加え、多忙を言い訳に、どうやら新記録は日々更新されています。

今日の仕事もようやく終わり、これから酒呑んで音楽してきます。明日は、とにかく寝るぞお。

『日本の音』

2008-06-15 23:52:21 | 書籍
小泉文夫、平凡社ライブラリー、1994年。先日紹介した『日本伝統音楽の研究』に引き続き、同著者の日本音楽に関する書物です。三部構成になっていて、第三部は理論編。『研究』の良い復習になりました。第二部は奈良平安から続く雅楽(最近、東儀秀樹がひちりきという笛で活躍していますね)、同時期に日本に入った仏教音楽(これにはお坊さんの大合唱である声明から郷土芸能化した古い形の盆踊りなども含まれます)。中世に入り琵琶楽と、武士に愛され成長した能・狂言。やがて豊穣な江戸文化のなかで、尺八、箏、三味線の発展、と時代をおって解説されています。

第一部はアジア、さらには世界における日本音楽の位置づけと、その現代的課題。第二部で語られたほとんどの伝統音楽が、この現代日本において、ほぼ当時の姿で、ほそぼそながらも生きながらえている、というのが日本音楽の非常な特徴になっています。家元や流派に結びついた極端に保守的で閉鎖的な制度によってではありますが。その”保存装置”のお陰で、次々と古い形の音楽が民謡や郷土芸能といった周縁に追いやられ忘れられる西洋音楽と違い、多彩な伝統音楽が残されたのですから、弊害はあれ保守的だというだけでの非難は的外れと思います。

で、その豊穣な伝統音楽群は戦後どうなったか。著者は既に明治期からの現象だと言いますが、学校という音楽教育の現場で日本伝統音楽は全く排除された、排除され続けていると指摘します。例えば絵画では浮世絵が西洋の印象派にまで拡い影響を与え、日本画は世界的なステータスを得ています。文学は二葉亭四迷などの言文一致運動や漱石、鴎外の苦闘を経て、伝統的な散文と西洋社会から入ってきたノベルを、非常に高いレベルで融合することに成功しました。

しかし、音楽の教科書は西洋一辺倒、小学生に入るや否やハーモニカやリコーダーを持たせ、ピアノの伴奏に合わせドレミを奏でさせる。西洋的なハーモニーシステムを信奉し、もしも子どもが祖父の民謡がそうであったように、一部の音を揺らしたり微かにフラットさせれば、確実に音痴の烙印が押されるでしょう。クラシックを聴かせ、思いつく風景を書けなどという信じ難い課題があって、しかもなお信じ難いことに、それには正解が存在したりします。

伝統ブームに乗った文部省によって、取って付けたように箏曲が取り上げられていたりしますが、だいたいそれは端折られ、そもそも教師がそんなもの知らないのですから、教えようがありません。ただただ楽譜にしたがって奏で歌うことを強要され、テストでは息も止まるほどの緊張を強いられます。これ、音楽と言えるでしょうか。音楽は本来、楽しく自由で気持ちの良いものですし、それは古くからの日本の音楽の多くに存在しているものです。その遺産を引き継がない日本の教育は、もったいないどころか、まさに文化的損失を招いていると言ってよいかと思います。


ジャズとか

2008-06-13 23:54:12 | 音楽
来週、ロックバンドの練習があるのですが、なぜかビッグバンド・ジャズの超有名曲を演ることになりまして、三管用にアレンジしております。吹奏楽あがりのトランペットは楽譜が読めるので、手書きで譜面を用意してと。トロンボーンはボーカルも兼ねているので、とりあえずベタなメロディを吹いてもらいましょうか。基本的にはベニー・グッドマンのオリジナルにしたがって、トランペットとサックスの掛け合いが中心かな。これにスラップ・ベースが加わるとどんな感じになるのやら。

昨夜は同僚と東京でジャズ・コンボの演奏を聴いてきました。年齢の近い方々で、なんと来月共演することに。ばりばりツー・ファイブのビ・バップ・チューンですが、さてどうなるでしょうね。少し時間があるので、とりあえずテーマを覚えて、アナライズしてアドリブの筋道も考えなきゃ。先週のボサノバといい、相当にそっち方面が続いています。楽しみ楽しみ。

『一億三千万人のための小説教室』

2008-06-11 23:57:49 | 書籍
高橋源一郎、岩波選書、2002年。懐かしいです、高橋源一郎。デビュー作からの八十年代三部作を文庫で読み、その後ボルヘスやスタニスワフ・レムへのオマージュのようなパロディのようなメタ・フィクショナルで実験的な『惑星P-13の秘密』を読んで、大感激。サブカルチャーを呑み込みながら、かつ前衛的な作風で日本のアヴァン/ポップ文学を押し進めた作家です。

既に書かれた多くの文学作品を”ははおやのことば”のように真似ることから書くことは始まり、”あなただけの一人だけの道、その道の向こうにあるものを”やがて”つかまえる”。ベストセラー小説のようなどこかで読んだことのある、ありふれたストーリーや結末を持つミステリーや恋愛小説では決してなく、誰も見たことがない行ったことがない場所を目指す。「いまそこにある小説は、わたしたち人間の限界を描いています。しかし、これから書かれる新しい小説は、その限界の向こうにいる人間を描くでしょう」。

そんなことがポップな文体で綴られています。これはつまり高橋源一郎のアヴァンギャルド宣言と読んでよいと思います。新しい何かを掴むためには、過去の作品から何かを学ばなければならないと、この本にはさまざまな引用のほか、詳細なブックガイドに一章が充てられています。前衛であるために、伝統を知る。これは、モダンからポスト・モダンへと歩みを進めてきた表現活動の基礎となった考え方でした。

ところで、いま前衛は生きているのでしょうか。小説も音楽も、まるでサプリメントのように、今日は疲れているから癒しの音楽と軽い恋愛小説、なんとなく気分が落ち込んでいるからアッパーな音楽と元気で明るい小説、といった具合に日々消費されます。いみじくもサックス吹きの菊池成孔は、そんな音楽の現状を、個人の趣味と気分に限りなく応えジャンルがどこまでも細分化されるアダルト・ヴィデオに例えました。

そこでは、伝統はおろか、歴史さえ抹殺され、ただ、いま、があるだけです。過去はR35のように、単に郷愁とともに思い出されるだけ。歴史/伝統を知ろうとすることは、過去にこだわる鬱陶しい行いであり、長い文章を書くことはうだうだと、くだを巻くかのような行いであり、言葉は思ったまま感じたままに書き歌うことが正直なことであり、内容よりも文法やスタイルにこだわるのは正直でない行いである、という雰囲気、価値観、あるいは強迫観念。

まったくアヴァンギャルドであることは生きにくく、高橋源一郎もアヴァン文学では生計を立てられないのか、競馬解説者をやっていたかと思えば、いつの間にか大学教授になっていました。過激な思想言動を持った作家である島田雅彦も同じ道を歩いています。しかし、筆者はどうにも逃れられません。いつまでも伝統を学び、長い文章を書くことで考えを深め、かつ音楽や文章の細部にこだわり続け、誰も知らない場所を目指し続けることでしょう。

ひと休み

2008-06-09 23:36:45 | 音楽
昨日の演奏も無事終えました。共演者の方々、お客さま、ありがとうございました。ボサノバ・ギターの方とのデュオで二曲、さらに出演者全員で二曲、演奏しました。テナーサックス、大人っぽくてセクシーな音色だったとの言葉をいただきまして、普段のロックバンドでのやんちゃなサックス、セッションでのガオーなフリークサックスとは違った一面を出すことができました。ガットギターやアコースティックギターとの共演、板についてきました。

ソプラノやそのほかのサブ楽器は音色の選択範囲は狭いです。しかし、テナーはサブトーン(吐息まじりの深い音、今回のアコライブ)、クリーントーン(効率良く鳴る、チンドンで多用)、グロウルトーン(唸るような歪んだ音、ロック向き)、フリークトーン(ダブルトーンや超高音のフラジオ、インパクトが欲しい深夜のセッション用)と、とても幅広く使用できます。加えて、通常の運指を超えた広い音域と、ささやくような音量から耳をつんざく爆音までのダイナミクス。まったくテナーは面白いです。

なにはともあれ、きちんとしたライブの予定はしばらく無くなりまして、ほっと一息ついています。梅雨に入りまして、湿度に弱い筆者はこの時期なんとなく調子も落ちますし、仕事も引き続き忙しく、少し演奏は控えめにしようかと思っています。のんびりします。

化粧が目にしみる

2008-06-07 23:38:54 | 音楽
はい、今日はチンドン興行でした。国際交流でのお祭りイベント。着物姿に鬘をかぶり駅までの長い道のり練り歩けば、額から流れる珠のような汗。白塗りが流れ、目に入り、これが痛いこと、痛いこと。と、思ったんですが、チンドンはビジュアル系さらに遡ることグラムロックに先駆け自らに化粧を施し、今晩あたりも駅前で盛んに行われているであろうアコースティックな路上ライブよりも長い歴史を誇るストリートパフォーマンスなのですな。

明日も浦和でライブですが、お昼に行けば良いとのことで、アパートでのんびりしています。サッカーを観ていまして、そんなに興味はないのですが、オマーンの応援団の音楽がとても興味深いです。あのパイプ風の音は、循環呼吸法ですね。非西洋音楽では多用される技法。学校の先生には眉をひそめられてしまうようなニ管同時吹きの特殊奏法とともに、挑戦はしているものの、いまだ習得できていないので時間があればじっくり取り組みたいところです。

歯のメンテナンス

2008-06-05 19:45:34 | 雑事
辛抱強く歯医者に行っています。下の前歯の神経処置して、今日から上の前歯に取りかかりました。義歯を外してと、あ、歯なしになってしまった。

歯がないことにはサックス吹けないので、取り急ぎ仮歯を入れてもらいましたが、違和感ありあり。こんなんで、土曜のチンドン興行、日曜のライブ、大丈夫ですかね。不安です。

風向き

2008-06-03 23:50:06 | 雑事
書籍と高等教育は大きな変革期を迎えていて、仕事の現場も荒波に晒されています。業務上の機密もあって詳しくは書けませんが、いま業界で働く者としては、日ごとに変化する状況への素早く的確な対応を迫られています。お客さんのところで肌で感じた変化、業界関連の出版物を読んで得た知識、ネット上の虚実ないまぜ雑多ながら最新の情報。嗅覚を磨かなければ、道に迷うどころか路頭に迷う結果になりかねません。

気が抜けず、しかし数年前から最前線で洗礼を浴びてきて、常に追いつこうと駆け出して、商売に付きものの泥臭い世界も見て、でもそれが少し面白くもなってきています。仕事だけでは息が詰まりますが、遊びにあまり時間も掛けられなくなっています。音楽への気持ちが変わってきたことも影響があるかもしれません。伴奏やセッションで奏でることよりも、いまの自分になにができるか、新しいことを生み出せるか、に気持ちが移っていて下手をすればリーダーの楽曲、歌を壊すのではないかと危惧を抱えギリギリの線で綱渡りをしています。

自分自身の方向も少し変えるべきなのかもしれません。