『インターネット時代の著作権』

2007-01-30 23:53:23 | 書籍
あいかわらず著作権について考えています。半田正夫、丸善ライブラリー、2001年。つい先日、練馬区のピアノバー店主の裁判に判決が出ました。元はクラシックの生演奏をしていましたが、客の求めに応じてビートルズなども演奏していたとのこと。日本音楽著作権協会(JASRAC)に訴えられ、結果は有罪。執行猶予三年のほか、過去十年分の著作使用料七百八十万円の支払いが命ぜられました。

どう思われますか? 筆者は、個人的には著作権法をなるべく守るように心掛けてはいますが、かつなおJASRACに怒りを覚えます。アルバイトの地元の音大生に人前で演奏する機会を与え、そしてお客を喜ばせる。その店に集まる者同士のコミュニティもあったはずです。しかし店主は著作権料支払いのため、やむなくピアノを売り、店を閉めるつもりのようです。どうして文化をひねり潰すのですか?

その著作権法、改正(改悪)がこっそり検討されているようです。まずは「保護期間の延長(死後五十年の保護から死後七十年へ)」そもそも著作物の多くは過去の創作物からヒントを得て創造されます。シェイクスピア劇も、多くは、言い伝えられた民話、時には同時代の創作から盗用されたと言われています。創造の源泉は、他人の創作/豊穣な海にあったりするのです。文体、コード進行、何かを作る人間なら思い当たるはずです。

なので、欧米に倣うと言いつつ、単なる利権を死守するための保護期間延長は首肯できかねます(かのランドもあるネズミの会社は、自分らの利権を守るため米国議会に圧力をかけ、期間延長を勝ち取りました。そんな欧米の事情に追従して日本も、なんてのはナンセンスの極みです。というか”欧米がこうだから日本もうんぬん”式の思考回路はいい加減にうんざりなのです)。

もう一個、地味ながら重要な改正案があります。それは「著作権法違反への非親告罪の適用」です。つまり、いままでは、違反に対して著作権者(およびその代理者)が訴え出ることで、著作権法違反は成立しました。冒頭のピアノバーの場合も、店を訪れたJASRAC職員(著作権者)によって訴えられ、有罪にまでなってしまいました。

これが非親告罪となれば、そんなものでは済みません。音楽どころか、こうして日々書かれるブログも摘発されかねません。酷い話になれば、あのブログは気に喰わない、あの音楽バーは気に喰わない、で違法を密告(法律なぞはその気になればいくらでも適用範囲を拡大できる道具なのです)。そして、警察による摘発。

個人情報保護法のときも、どういうわけだか法律ができた途端、過剰に反応するひとがいて、ついには小学校の連絡網も作れない始末。人間関係まったく息の詰まる世の中に感じます。著作権法も改悪されれば、表現しようとする度にびくびくしなければならなくなるでしょう。

ひととの関係も、うたを唄ったり、ことばを発することも、ほんとはもっとおおらかで、たおやかなものではないでしょうか。もしもこのまま、あまりに無茶な法律ができたら、筆者は意識的にそれを破ります。

ライブ告知!!

2007-01-29 23:36:10 | 音楽
今日はほんとはバンド、ダイナマイトの練習だったのですが、リーダーの体調不良のため中止と相成りました。仕事が終わった時間からいって、東京から向かって間に合うかも微妙なところだったのですが。

次回ライブの告知をさせていただきます。サイコビリー系のイベントです。日本中から、気合のはいった方々が集まるようです。

2007.2.17(SAT)@高崎CLUB FLEEZ
LIVE(順不同)
 RETRO GRETION(東京)  THE CHERRY COKE$(東京)  JAP KAT(東京)  DTKINZ(東京)
 SNAKES(東京)  GRAIS(横浜)  EIGHTMEN(名古屋)  SPIDERZ(大阪)  JERICHO BUNCH(北九州)
 PSYCLOCKS(厚木)  THE SILVER SONICS(東京) GREASY HASH   DYNAMITE EBBIE AND SUNSETS
 FRANKLIN   ROXMONSEN
SEXY DANCE SHOW
 PINK PARTY POODLES(東京)

ニガー新年会

2007-01-27 23:28:22 | 雑事
昨夜はニガーさんほかみんなの新年会でした。やあ、面白かったです。大爆笑してしまいました。しげちゃん(でがわくん)最高です。あのテンションはそのままに、最近なんだか話のネタとノリに一層の磨きがかかってまいりました。きっと今年は大ブレイクの予感です。まずは、みなさん大変お世話になりました。またぜひ楽しく呑みましょう!!

昨夜ちょろっとサックス吹かせてもらったりはしたのですが、ここのところ音楽は休止状態。酒に酔う前に、くたびれで寝入ってしまう、ていたらくです。今日も昼寝と称して四時間も寝てしまいました。明日は倉庫に行って、お客さんに頼まれた本を出してこなければ。ただいま正念場、あと二ヶ月、がんばります。

(たまきちさん、すいません。どうやって文字を大きくしたら良いのか、いろいろやってみたのですが、よく分かりませんです。)

『桜の森の満開の下』

2007-01-25 23:59:38 | 書籍
安吾を読みなおしています。二十歳のころの悪い友人がしきりに薦めていたのが、これです。彼はこれで泣いたと言っていました。講談社文庫、1989年(初出47年)。

桜の木が満開に彩る時、人は花見と称して宴会を始めます。しかし、そんな風習は江戸時代からのこと。昔の人々は桜は怖しいと思っていたのだと安吾は言います。桜の森の満開の下、例えばたった一人で立ってみれば、それはとても怖しい景色になります。梶井基次郎も「桜の樹の下には屍体が埋まっている」と書いていますね。

ある山賊がいました。彼は人を殺し強奪することをためらいません。山で暮らし、あまり考えることをしない彼ですが、満開の桜の森では頭を狂わせるような苦しみに襲われるのでした。やがて彼は都でとても美しい女を手に入れます。彼女はとてもわがままですが、同時に山賊の気を引いてやまない美しさがありました。

彼女のわがままに流されるまま、彼は都に出、命じられるままに人の生首を集めます。彼はそんな日々に今までにない気持ちを抱くのでした。「女を殺すことによって、とめることができます。そして、空は落ちてきます。彼はホッとすることができます。然し、彼の心臓には孔があいているのでした。彼の胸から鳥の姿が飛び去り、掻き消えているのでした。あの女が俺なんだろうか?」

ついに女を捨て山へ帰る決意を固めた男に、女は思いがけず、涙ながらに私も連れていってほしいと哀願するのでした(女のしたたかな計算もあるのですが)。女を背負い、山の家を目指す彼の眼前には、桜の森の満開が広がっています。

安吾は強度のヒロポン(覚醒剤)中毒者としても知られています。悪い友は今でも元気でやっているのでしょうか。

大学探訪(番外編)Winnie-the-Pooh

2007-01-24 23:45:00 | 雑事
ある大学、十四階建てビルの階段フロアで彼に出会った(写真参照)。「階段上か下に連れてって!! ただし階段からは持ち出さないでください。次の時、何階で会うことができるか、楽しみに階段に来てください。省エネ、体力、健康のことを考えて、エレベーターではなく、階段を」

はじめまして。ぼくは階段のプーだよ。一日じゅう、みんなに連れられて階段をあがったりさがったりするのが、お仕事なんだ。ぼくにはよくわかんないんだけど、省エネとか、みんなの健康に役立っているんだって。えらいでしょ、えへへ。

でも、ぼくがとっても高いビルにいるのも血筋かなって思ったりもしてるんだ。みんな忘れちゃったかもしれないけど、大昔ぼくのご先祖さまはアメリカとか北海道とかあっちこっちで、大きい山の神様だったんだよ。けっこうえらい神様だったみたい。おばあちゃんちに行くと、みんながよくその頃のお話ししてくれたんだ。

だから高いビルでのお仕事も仕方ないかな。運命かなって。ほんとはぼく、ハチミツなめてごろごろしてたり、歌をつくったり、そんなの大好きなんだけど。

今日はね、怪しげなセールスマン風の男がね、あらわれたんだ。九階にいたときだったかな。それでぼくの言葉を読むなり、とってもうれしそうな顔をして、ぼくを一階まで連れていったんだよ。息を切らして。おじさんなんだから無理しなければいいのにね。ばかみたい。きっとあれは筋肉痛になると、ぼくは思うな。

大学探訪(20)日本大学経済学部

2007-01-23 23:52:02 | 雑事
いやに暖かい日が続くかと思えば、急に訪れる身を切る寒さに震えたり。みなさん体調はいかがですか? 筆者は二三日、頭痛と喉の痛みにやられていましたが、かろうじて持ちこたえました。何かと忙しい時期でもありますので、みなさんもどうぞ、ご自愛のほどを。

さて、大学探訪は日本最大の私立大学である日本大学。その経済学部です。日本大学は、各学部の独立性が非常に高い変わった大学です。採算も各々の学部ごとのはずですし、図書館も学部にそれぞれあります。

お客さんとしては難しい面もありますね。経済学部であれば経済関係に特化した図書館とも言えるわけで、なんでもかんでも案内/提案するというわけにはいきません。東大もそこまで独立性はありませんが、似たように学部ごとの図書室が力を持っています。頭を使います。

ワンポイントチェック:経済学部はキャンパスも変わっていて、キャンパスらしいキャンパスはありません。JR水道橋の駅を降りて南に下ると、経済学部~号館というビルがいくつも建っています。街中に大学が散在しているんです。

『羽根むしられて』

2007-01-22 22:51:34 | 書籍
スタンダップ・コメディアンとしても、映画監督としても有名な、ウディ・アレンの短編小説集です。河出文庫、伊藤典夫・堤雅久訳、1992年(原著75年)。ほとんどの短編は米国雑誌「ニューヨーカー」掲載のものです(最近村上春樹の新訳で話題になっているサリンジャーも投稿していた雑誌です)。

「アカバ写本断章」羊飼いの少年がアカバ湾沿岸の洞窟で偶然発見した壷には、不可解な古代文字で書かれた羊皮紙の巻物六巻とアイス・スケート・ショーの入場券二枚が入っていた。考古学者たちは当初、写本の年代を紀元前四千年頃としていたが、解読の段階でときおり現れる「自動車」という言葉から、その見積もりは多いに疑問視されている。

これは「死海写本」とかいつぞや紹介した「ヴォイニッチ写本」とか、そこらへんをおちょくった短編です。歯医者のゴッホが芸術的感性と歯医者としての実務のあいだで苦しむ話や、ハードボイルド小説のパロディがあったりと、爆笑を誘うアイデアばかりです。

いっぽうで、読了後ほんのり悲しみとも優しさとも取れる感情が残ります。タイトルの『羽根むしられて』。羽根とは希望のことであり「希望を失って」という意味がありますが、一方で、羽根をむしられた天使が人間だ、とも言えます。その、そこはかとなく物悲しいイメージが全編に通底しています。

同じく「ニューヨーカー」を本拠地としていた、ドナルド・バーセルミも似たような雰囲気があって大好きです。

昨日はやたらと眠りました。六時間ほどの起床時間でした。お疲れですが、くたばってはおられません。書き入れ時はまだまだ続くのです。

定例飲み会

2007-01-20 17:22:02 | 雑事
昨夜は、前橋でニガーのレコーディングしてきました。あまり自分はそういう機会がないので、パズル組み立てる様な音源作りは新鮮でした。どんな最終ミックスができるか、とても楽しみにしています。今度、ダイナマイトのほうにも音源作り薦めてみようっと。

今日は昔ながらの友だち定例会と、ミルトモ定例会です。長い夜になりそうです。

音源作り

2007-01-19 14:14:24 | 音楽
今日は東京で仕事後、ニガーの音源作成のため、関越ふっとばして前橋に行ってきます。明日は館林の倉庫で、ちょっと仕事して夜は飲み会です。日曜はゆっくり寝てられるかなあ。

本の仕事とサックスで音楽の毎日です。日々是好日?

大学探訪(19)学習院大学

2007-01-18 00:15:11 | 雑事
年度末に向け、着々と案件進行しております。大きな案件のほか、追加予算が出た関係での中規模案件だとか、気の重いクレーム処理に奔走しております。お客さんからのメールや電話が、じゃんじゃん入っております。呼ぶ声に応える毎日です。

ひさびさの「大学探訪」。筆者が仕事で訪れる大学を紹介するコーナーです。今回は宮内庁御用達、学習院大学です。でも変にお高くとまったりせず、全体におっとりとしたイメージがあって、営業として駆け出しの頃から立教とともに大変お世話になっております。

ワンポイントチェック:経済学部に川嶋先生という方がいらっしゃいます。はい、紀子さまのお父さんです。海外に行かれることが多いため、最近はとんとお会いしていませんが、大変気さくな人ですよ。初対面、飛び込みでパンフを持って行ったら「とても重要な情報ありがとう」と笑顔で握手を求められ、面喰らってしまいました。たいてい犬でも追い払うようにしっしっとやられますから。

『伝奇集』

2007-01-17 00:15:48 | 書籍
J・L・ボルヘスは南米アルゼンチンの作家。鼓直訳、岩波文庫、1993年(原著1944年)。英語学校の教師を父に持ち、母は翻訳家、そんな環境に生まれたボルヘスは、屋根裏で父の蔵書を読み耽って育ちました。さらに家族でのヨーロッパへの滞在。そこで彼は、フランスの詩人ボードレールやランボーを識ります。やがて詩人として、前衛的なウルトライスモを推進、雑誌を編集するかたわら、詩から小説へと幅を広げて行きます。

少し前に紹介した、ラファティが酔っぱらいながらでかい声と身振りで大ボラ吹く作家だとするなら、ボルヘスは図書館から出てきた地味な男が大まじめな表情でぼそぼそ大ボラ吹くイメージです。どちらも好きな作家です。

「『ドン・キホーテ』の作者、ピエール・メナール」。十七世紀のセルバンテスによって書かれた『ドン・キホーテ』、それをピエール・メナールは二〇世紀に書こうと試みます。”書き写す”のではなく、”書く”のです。始めメナールは、十七世紀から一九一八年までのヨーロッパ史を忘れること、モーロ人やトルコ人ととりあえず戦うこと、などでそれを達成しようとしますが、すぐに安易として切り捨てます。そして彼は深い思索の世界に入り、いくつかの断章をものにします。

メナールの知人である書き手が述懐します。「…真実、その母は歴史、すなわち時間の好敵手、行為の保管所、過去の証人、現在の規範と忠告、未来への警告」十七世紀セルバンテスによって書かれたこの文章は歴史への単なる賛辞にすぎません。スペイン語もありふれています。

一方で、二十世紀メナールによって書かれた「…真実、その母は歴史、すなわち時間の好敵手、行為の保管所、過去の証人、現在の規範と忠告、未来への警告」という文章。ウィリアム・ジェイムスの同時代人であるメナールはその新たな二十世紀の知見によって歴史に新たな光を照射します。文体も擬古的で、さりげなく気取っています。

目眩が起きるような、アイデアです。というかよくこんな馬鹿馬鹿しく気違いじみた着想が浮かぶな、と感心してしまいます。深読みすれば、現代文学理論において読者の役割を重視した受容論を皮肉ったとも読めます。こんなところが、仏ヌーヴォー・ロマンに影響を与え、ミシェル・フーコーの『言葉と物』に引用までされるボルヘスの魅力なのでしょう。

こんなじっくり読めば読むほど味が出るような物語ばかりの短編集です(歯ごたえは相当ありますが)。このボルヘスの嫡流にあたるのが、ポーランドのスタニスワフ・レムと、イタリアのイタロ・カルヴィーノだと思っています。それらもいずれ紹介しますね(あっ、レムはブログ連載の始めのほうで紹介したことありましたっけ?)。

ウッドベース

2007-01-16 01:14:48 | 音楽
買っちゃいました、ウッドベース。なにを隠そう、筆者、楽器の中ではサックスではなくベースが一番好きなのです。で、バンドのメンバーが売りに出していたので、うっかり引き受けちゃいました。長年眠っていたものなので、まずは弦を張り替えなければ。

ちょっと心配なのは、弾けない、ということですが、なあにそれは大した問題じゃありません。さわっていればそのうち慣れるでしょ。気長に参りましょう。

群馬に行って、バンドの練習してきました。行きは、ああだるい練習なんかしたくねえ、という感じだったのですが、演奏が始まればテンション上がり、身体まで軽くなってきました。音楽って不思議ですよねえ。

『麻雀放浪記(三)激闘編』『(四)番外編』

2007-01-15 01:11:01 | 書籍
激闘編。終戦から早や七年。日本は焼け跡から芽吹く勢いで復興を辿り、坊や哲は”勝負師の生き方=麻雀”という無頼の生き方が通用しなくなってきたことを知ります。麻雀がゲームとして定着し増加する勤め人の娯楽となる一方、金は表や裏の組織を通して流れるようになり、一匹狼のクマ五郎(プロ麻雀師)は雀荘でつまはじきにされる始末です。

哲は”組織”を食いつぶすつもりで、ある会社に雇われ、そこの社長と麻雀を含めた駆け引きを繰り広げますが、やがてそれも行き詰まります。上野で再開したドサ健、出目徳の息子の三井、そして情の深い春美や弥栄と出会い別れを繰り返しますが、ついに全てを失った哲は上野で浮浪者とチンチロリンに耽ります。それはまるで、敗戦直後のあの上州虎らと打った物語の始めのシーンに、一周して戻ったかのようです。

番外編。哲は登場しますが物語の背景へ退きます。替わって前景に出るのは、李億春という人物。何も持たぬまま勝負し、いかさまし、敗れれば指をつめる彼の手は親指を残し全ての指先が切り取られています。大阪で坊や哲と出会い、東京でドサ健を知り、彼はしゃにむに勝負の世界を突き進みます。

彼ら時代遅れの一匹狼達は、大きな時代の流れの産物である組織と、文字通り身体を張った戦いを繰り広げるのでした。

これにていちおう『麻雀放浪記』読了。一九四五年の敗戦から、五〇年代半ばまでの世相を背景に、アウトローの生き方を描いたピカレスク・ロマンの傑作ですね。やっぱ(一)が一番面白かったかなあ。なんだか、坂口安吾が無性に読みたくなってきました。今度、買ってこよっと。

明日は、東京で仕事後、群馬でバンド練習、そして埼玉に戻るという強行軍。ブログ書けそうにないので、先に書いておきました。今日も仕事で群馬行きの荷物があったので高速を往復してきました。ガソリンの減りがとても厳しいです。大変ですな、こりゃ。

麓ライブ!!

2007-01-14 20:18:37 | 音楽
昨日は休日。やりましたよ、お掃除。缶を捨て、部屋を掃除し、水まわりきれいにしました。うーん、すっきり。夕方は友だちの麓くんが、ライブやるってことでお茶の水へ。早めに行って楽器屋で、懲りずにソプラノ・サックスのマウスピース買ってきました(中古なので安いんです)。いつ、これぞというマウスピースに出会えるんでしょうねえ。

ライブよかったです。一人アコギ弾き語りだったんですが、脚踏みサンプラー使って、音を重ねる技も披露。叙情的な曲調と、柔らかい声(始めて聴きましたよ)、時折混ざる歪んだ音で独特の世界を作っていました。センスがいいです。今度、ぜひセッションしましょうね。

その後、お茶の水から埼玉に戻り、ひさびさに宮内家に顔を出してきました。新年のご挨拶。楽しかったです。また伺いますね!!

お仕事と研究会

2007-01-12 23:48:28 | 書籍
今日は、ある図書館で廃棄本が出るということで買い受けに行って参りました。棚にびっちり詰まった本を見て、あ、バイト連れてくればよかった、と思ったものの後悔先には立たず。ひたすら本を縛り、運び出し、車に詰めてきました(写真参照)。現在、腕、背中、脚とだるだるでございます。あー温泉行きたい。

そのうえ昨夜は呑んでました。出版社/書店の営業や編集者が集っての研究会(と飲み会)です。業界では”デジタル”が完全にキーワードとなっています。デジタル書籍というと、専用の携帯デバイスで、というイメージがありますが、学術書籍の業界だけにコンシューマの立ち位置とは違った展開があります。

主たる顧客は図書館(大学、地方自治体)ですから、まあ言ってみればウェブコンテンツとして、資料を提供する形になります。NII(国立情報学研究所)やNDL(国立国会図書館)あたりが、かなり音頭を取って推進してきましたが、ここに来て大手書店も本腰を入れ始めているようです。

先日、アメリカへ行ってきたばかりのある大学図書館司書の方と会ってきましたが、そこでも”司書”=本好きではなく、本というコンテンツに限らない”情報”自体のプロであるべきだと話していました。国、民間である大手書店、受け手である図書館司書、いずれも同じ方向を向いてきております。

ただ、その後の飲み会で昔ながらの編集者(というか編集人)と話をしたり、地味ながらも何十年もあるテーマ一筋に掘り進めてきた研究者(というか先生)と話をすると、やはりモノとしての”本”には、何ものにも代えがたい魅力があるなあと感じます。

フルテクスト検索なんかもってのほか記憶頼りのヤマ勘検索、色とりどりのポストイットだらけ、重くてかさばって苛立たしいほど持ち歩くに不便、一生のうち一回参照できれば良しとして埃にまみれた本も多数。狭い部屋にうっそり繁った本の森。でも、それがいいんじゃないのと今日うんしょこら重い本を持ち運びながら、なぜか誇らしい気分になりました。