月と太陽の善悪の判断?
みなさまもうすぐ春分点?
北回帰線 22.5度?
南回帰線 22.5度?
南緯、と北緯
経度と緯度
これによりますと
折り返し地点ということになりますね^^
南半球はこれから秋が深まりつつ…
私たち北半球の住人たちはこれから夏に向かって・・・
このように教わってしまったから
最新の宇宙の出来事などとなると
ただ、ただ
そうなの?
で、、
終わってしまう。
科学技術の進歩が
日進月歩ですね。
月を三日観ないうちに
あれれ状態だった。
まして拍車をかけているものが
量子コンピューターの目まぐるしい発展と
観測機器の性能が飛躍的な精度で観測できる時代に入っているようです。
電子顕微鏡は一昔前から10万分の一ミリが測定できました。
今は、はるか何万年光年先の星の、
ありとあらゆるものが
人間が理解できるように様々なフィルター技術で
「特異点」なるものを、、
いやというほど科学の世界で見せつけられているようだ!
科学と人間生活はとても良い関係性が出来上がっているが、、
解明のつかない事柄は
ただ単に
偶然とか、自然の成り行きで、
という言葉で
それ以上の見解は
科学者の立場では言い表すことを
意識的に避けてきたのが、、
これらが本当の現状です。
がしかし、
観測機材の飛躍的発展において
数限りない偶然があまりにも多く観測できる世の中では
奇跡と言わざるを得なくなってきているようだ。
偶然が一つや二つであればそれは本当の偶然であるが
けた外れの偶然は偶然ではないこととなってしまっった。
そこまで観察する計測器が精度をあげているようだ。
コペルニクスの望遠鏡で見た世界観の次元の壁を超える時が・・・
今、、
また到来しているかのように見える。
太陽と月は
どんな人にも
ぼくの好きな人にも
ぼくの苦手な人にも
ぼくの嫌いなタイプの人にも
ぼくが一度も会ったことのない人にも
太古の時代の時も
今の時代の人にも
未来の人にもあまねく公平に
ただただ光り続けるだろう
ぼくが悩みの中の時にも
ぼくが苦しみの中の時も、
ぼくが病の中の時も
涙の時も
喜びの時も
絶えず絶やすことなく
月と太陽は
そんなお前は
よくないとか
よくやった、、えらいぞとか
もうちょっとひとかな
いまいちだな
などなど
太陽と月は
人間や動物や植物や鉱物や空気や風や水や
それらに対して
行動していることに
善悪はない
なに一つに対しても
善悪を決めない。
善もよし、悪もよし
と
みているように思える。
善悪を決めたのは他ならぬ
このぼくの個性とこれまでの経験から
そう決めているに過ぎない。
ただはっきり言えることは
一歩や二歩三歩後退することもあるが、、
全体的にはかなり前に
ぼく以外の人たちも
進み続けている
着実に進んでいっる!!!!
痛手や苦い経験や人には絶対に話せない・・・
そんな経験を通して
自分自身の良い行い事
悪い行いごとを通して
言い換えれば
経験を重ねることで
善も悪も受け入れられるような神近くの神秘性を得られていくようにも思える。
今年の春分の日の少し前に
心得として
感謝♪