志を持つには、迷いの中にあるものがまず探し当てる松明は
道標としての志を持った者と、光り輝く光りに満ちた松明を発見するには。
かなり前の大川隆法氏の講演会で話されている。
志を持ったものを探すのはカンタンである。
え?
その人が発信している全て
つまり
まぁなんというか
この人のように自分もなりたいと思う人です。
ともかく今の自分を助けあげてほしい
導いてほしいとか
一切思わない。
そんな人らしい。
光り輝く松明を発見するには
衣食住や悩み相談や細かな問題ある
自分を助けあげて
くれる人は親兄弟ぐらいと思うべし。
ホントの光り輝く松明の光りを持ったものは
個人や一個人を助けあげてはくれない。
そうです。
運転手が横や後ろを向き
運転すれば
横転や衝突事故などは必然として起こるもの。
モーセのように
わたしは決して消えない松明を空高く
かざしている。
私の後にただ沈黙して
ついてくるだけで良い。
わたしは運転手だ。
話しかけたり、質問したりしないで
ただ、ただ沈黙してわたしの後に従う、
人間は神さまが想像し、それを具現化
顕在化したものだから
今現在最低最悪な自分で有れば
その松明を判定間違いはしない。
一瞬でわかるらしい。
わたしなりの解釈する部分があります。
顕在化(けんざいか)とは、潜んでいたことがはっきりと表面にあらわれる、または形としてあらわすことを言います。