社長のコラム

仕事の事や、日常の事、なんでも書いていきます。

-30度適用

2008-01-28 | 日記
この冬は例年より寒いのか?変わらないのか、雪が多いのか?少ないのか?判らない気がいたしますが、朝晩や時折来る寒波には要注意です。私の車も好く走ってくれてもう直ぐ25万キロに成りますがエンジンの調子も良くまだまだ走れそうです。
 冬になればウィンドーウォッシャー液も凍らないタイプを使用しますね、マイナス何度までOKとか書いて販売して有ります。私もそれを使っていて先日の休日も自宅の棚から少しだけ減ってたのを持って車の所に行きましたが、妻の車との距離が狭くその車を移動して自分の車に注入予定でした。エンジンを掛けて妻の車も見てこちらも足りないなーと思い、最初にその車にドクドクドクと入れたら全部入ってぴったり終わった。
自分の車も未だ大丈夫だけどせっかくその気になったので昨年の余っているのがあったと思い倉庫を見たら、色の付いた「-30度CまでOK」と書かれたシールを発見ラッキー、喜んで入れた、入れながら容器に張って有るラベルを見たらラジエター液と書いて有り色も緑っぽい???待てよ??と成った。次の瞬間「ヤバイ!」と気が付いたがもう満タン位まで来ていた。早速車やさんに電話したが笑われた、どうしたら良いか心配で聞いたら「少し粘つくけど其のままでも良いじゃない、少しづつ水を継ぎ足して薄めて行くか、抜き取るしかないよ」と聞き其のままで実行しております、レバーを押せばグリーンの液体が窓に広がり異様な感じの視界を作ってくれます、2月いっぱいは楽しめそうですがちょっと恥ずかしい気もします。皆さんもやって見ては??でも笑われるので真似しない方が良いかもね。

私の子供の頃の冬の食べ物

2008-01-13 | 日記
私の子供頃は雪が多く寒さも今より厳しかった。薪ストーブ一台が暖房でも有り炊事のかまどでもあった。木の燃え残りのあかくなった炭を堀コタツに入れて別の部屋は過ごした、練炭や豆炭も併用し冬の暖を取って過ごした。
 雪国だから冬は野菜は取れ無くなるので、乾燥や凍らせて保存食を作っていた、今でも販売しているが、大根の葉の干して煮込んで食べる味噌汁は私の大好物で今も探して購入し食べている、酒かすを少し入れたら尚美味しくなるし、とろろ昆布を入れたら最高においしい。
 その頃は、ご飯もつばの付いた釜で炊いていた、沸騰したら弱火に成るように鍋を持ち上げ火力を調整するんです。釜の蓋は木で出来ていて厚み結構あった。蒸気で持ち上がらない為だったかと思う、ご飯が炊けるまで決して蓋を開けたら駄目と言われた。
 火加減も左右するが釜底には「おこげ」が何時も出来る、これが美味しい為に皆で取り合いによく成った、お米と雑穀のヒエを混ぜて炊くおこげは特に美味しかったです。
 寒の入りになると、大根を煮て「寒干し大根」を作った。清流の川溜まりで、15センチくらいに切って煮た後、縄に通して大根を水に漬けて少し置き、今度は外の寒風に吊るして旨みは残して水分だけが凍って太陽が出れば水分が無くなるのでスポンジのように成る、煮込みの時に入れて食べるとだし汁を吸い込んでくれるので欠かせない冬の食材だった。
冷蔵庫も無い頃だから近所では皆同じ様な食べ物ばかりだった。肉や魚はと言うと、秋の収穫で蓄えた、豆とか麦とか小豆、雑穀などと行商の人が箱で売り歩く魚を物々交換をした、箱で買うので軒先に吊るして干せるものが多く、ホッケ、タラ、サンマ、イカが多かった。それを少しづつ食べ繫いだと思う、肉は野ウサギが食べれた、針金で作った輪で捕獲できた時代だったから、私も子供ながら真似して仕掛けたが一回も成功した事が無く何時も父親がとった場合のみ食べれた。他には飼っているニワトリで卵を生まなくなったら、そのニワトリが何時の間にか鍋に入った。集まり事とか親戚が来て手伝って貰った時に食べた様で、ニワトリが居ないと悲しんでた子供が夜には「うまいなー」とその肉を食べていた、肉類はご馳走でめったに食べれなかった。
 今は飽食になってしまい子供達にも、自分でも肉や魚は簡単に食べている時代ですが
はたして良い時代なのかどうか判らなくなって来ました。
 今度は食べたくても野ウサギはいないし、ご飯も電気釜だし、ニワトリを飼ったとしても自分で殺せないし、懐かしい思い出だけで終わってしまうのかなと思っています。
 


新年もどうぞ宜しく。

2008-01-05 | 日記
新年明けましておめでとうございます。新年早々に沢山の方々より年賀状を頂き感謝致しております。平成も20年に成りました、昭和天皇陛下様が崩御されたのがそんなに古く感じないのに月日の経つのは早いものです。当社も創業以来20年と半年が経過しております、まさに平成と同じ歩みです。
 新年を良き年にする為に今年は「皆様に必要とされる会社に成る為の行動」を社員一丸となり、学び実践して行く所存です。きっと皆様が必要と思われなければ生き残る価値の無い会社であると確信致しております。厳しい環境の中でも皆様にお声を掛けて頂ける仕事を目指し、地域と共に発展して行ければ幸いと思います。どうか本年も㈲ホクブプランニングをごひいきのほど宜しくお願い申し上げます。
 写真は平成20年1月5日正午の我が社です。