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tsurugiのブログ

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カネ

2019-09-17 23:14:00 | 日記
社会復帰するには金がいる
シャバで生きてくには金がいる

カネカネカネカネカネカネ

なんど迂回しようと最後は必ず
金の壁にブチ当る

金なんかなくたっていい
金なんかどうにだってなる

そう思って帰ってきた

けど現実は

カネカネカネカネカネカネ

あっちもこっちも金の話ばっかり

みんな金のことで悩んでる
金を中心に揉め事や幸いごとがおこってる

金は倫理、道徳といった価値基準より
もっと深いところで
シャバの社会、コミュニティの成立に
関与している

だからシャバで生きる限り金からは
逃れられない

安い価値観は現実に淘汰される

、、、
それならこの大ッ嫌いなカネを
自由のために支配しにかかるしかない

(出家はまだはやい)

だからみんな
カネカネカネカネカネカネ
って必死になっている

そうだった、やっとその
スタート地点におれは戻ってきた

世の中の当たり前に
やっと今たどり着いた

やれやれだ

教示的物言いの怪しさ

2019-09-16 22:47:00 | 日記
他人に何かしらを諭している時
その人はあくまで
自己確証を行なっている

教示的物言いは
発言者の自己肯定を
根源的に含んでいる

教える、という行為は
原理的に自己確証的になる

で、自己確証は自己不安より
生じるものだろうから

教示的物言いをする人は
自己不安を抱えた人
なんだと思う

もっといえば、
なにかを語ろうとすること
そのものにもこの原理が
当てはまる気がする

成熟した人は
多くを語らない

かたる必要がない

ウェブテクノロジーを用いた
一億総発信者社会は

ウェブ上に仮想構築された
一億総不安者社会なのかもしれない

自己否定的な発言ですら
この原理から逃れることはできない

自己否定は語られた時点で
皮を被った自己肯定になる

つまり自己否定は語り得ない

それはただ示されるのみ

言い換えれば
自己否定はそれを語る内容ではなく
形式において自己否定的であり
それは発言者の意図に反して
ただ示される

ということか
ややこしい、眠たい

、、、

ワタシワ
ジコフアンヲ
カカエテイル
という事です





Digital divide 3.0

2019-09-15 22:55:00 | 日記
ある日のメモより(草稿)


デジタルディバイド

1.0:デジタルを持つものと持たぬ者の格差
→新たな標準への対応コスト、乗り遅れ、取り残されによるビハインドを食らうリスク

2.0:デジタルを駆使する者と持て余す者の格差
→オーバースペックの割を食らう

3.0:デジタルで創造する者と消費する者の格差
→僧侶と奴隷の二項関係 少数の僧侶の知的生産.発達の場を複数の信者の堕落で支えるシステムによる搾取→マスの神(一神)からニッチの神(多神)へ
→大衆消費から少衆分離社会へ
小さな神々がやおよろずに支配するセカイへ

、、、

神になるための能力、機運、権力が一部に集中するセカイ
から
神になるための道具が万人に所与として
配られたセカイ

道具を駆使して神になる者(創造者、インフルエンサー)

道具に傀儡にされ原罪を背負う人間に堕落する者(消費者、フォロワー)

、、、

多神
1.0:駆使する神→geek オタク のめり込む者 技術
2.0:与えられた神→gifted 天才 与えられた者 才能
3.0:資格を得た神→stigma 宿命 選ばれし者 
語る権利

落月 -自殺のアルゴリズム-

2019-09-14 22:32:00 | 日記
自殺する者に取り憑いている狂気と
火に飛び入り自らの命を絶つ虫たちの
それとは全くもって同じものに違いない

虫たちは自殺者であり
自殺者たちは夜のコンビニ前の
害虫灯に集まる蛾や昆虫だ

虫たちが狂気の如く闇夜の
炎や灯に体当たりをするのは
走光性というプログラムによるものらしい

本来かれらにとって日がくれた後
唯一存在する光は
月がもたらすそれだけだった

走光性は光に向かうためのプログラム
ではなく、月明かりを頼りに水平飛行
行うための機能だと言う

これだけ世界に月とは別の
人工による光源が闇夜を照らしている
にも関わらず
走光性をもつ生物の殆どは
想定された環境下でその機能の恩恵に
与っていることだろう

しかし一方で
垂直方向に無限に離れた場所に
あるはずの光源が
突如目の前にあらわれるという
想定外の事態に遭遇してしまう
不運なものたちも一部存在する

それがあの飛んで火に入る
虫たちの姿だ

天高くから落ちてしまった月は
今度は虫たちを無条件に吸い込む
ブラックホールへと化す

得てしてプログラムというもの
想定外の入力に出くわすと
本来の任務が遂行不能になるだけでなく
システム全体に対して致命的な
ダメージを与えるような暴走を引き起こす
ことがある(これをふつうバグと呼ぶ)

生存のために不可欠なアルゴリズムは
月の落下という異常事態を前に
死を招くデスアルゴリズムに変貌する

虫たちは愚かさではなく
アルゴリズムの"正常な"暴走
により狂気を現す

ヒトにプログラムされた
アルゴリズムもこれと何ひとつ
かわらない

生存のために組み込まれたアルゴリズム
はある環境下で死のアルゴリズムとなりうる

ただヒトにとっての落月は
光源の位置や走光性とは
別のものであるというだけだ

その内容はここではかかないが
それよりも重要なことは

自殺という狂気が
道徳や理性的判断といった
意識上の問題により起こるものではなく

(意識下の身体機能的、本能的な
いわば意識というソフトに対しての)
身体というハード上の問題(バグ)
によって生じているという事実である

それゆえ、ハード本体に故障がある
コンピュータシステムの問題を
ソフトウェアによって
解決することが不可能
なのと同じように

人間の自殺を
感情的、意味的な操作で
扱おうとすることは
極めて無意味なこと

自殺という狂気は
意識レベルの問題によるものでは
なく、身体機能的障害によるものである

ゆえにその対策も身体レベルで
行われなければならない

、、、

人間は意識というサブシステム
過信しすぎたために
メインシステムである身体の問題を
無理矢理、意味的に扱おうとする
という愚を犯しているだけにすぎない

足を骨折した者はどれだけ
精神的努力をしても走り出す
ことはできない

不運にも落月に直面した人物もまた
どんな意味的な支えを得ても
死の誘惑に抗うことは出来ない

それは本能・DNAレベルの
アルゴリズムの正常な働き
によって起こされる異常・バグプログラム
なのだから

落月-moon drop-

それは死への最後の極地だった
あの場所では全ての入力が
死という出力に変換される

、、、

人間にとっての
落月の内容が解明されれば
ヒトの自殺は防ぐことが出来る

人をあの死を招く病・錯覚現象から
救い出すことできる

ヒトは何を想定
それに合わせたアルゴリズムを
身体に組み込み

いかなる異常事態がシステム全体を
破壊するまでのバグ(=自殺)を
引き起こさせるのか

、、、












狂気は汎く

2019-09-13 23:57:00 | 日記
いい感じに薄暗い
居酒屋の座敷の一席で
一人が手洗いのため席を立った

ゴンッ
という鈍い音とほぼ同時に
「イテッ」
という声が上がり
一瞬の間をおいて
一席は笑い声に包まれた

席を立った男は
天井から吊るされた
低めの位置にある照明器具に
その頭をぶつけてしまった
ようだ

一同の笑い声がやみ
一瞬の注目から
照れ隠ししながら
逃れていこうとする
男の背にむけて
こんな一言が発せられた

「そんなとこにある照明に
頭をぶつけるのは、きみが
そんなにも巨体だからにちがいない」

声は続く、

「きみなそんなにも巨体なのだから
これからもそうやって
あらゆる場所の照明に頭をこづけるに
きまっている」

そして最後に、

「さあ、きみがもう二度と
頭をぶつけないようにその巨体を
切断して問題のないおおきさにしてあげよう」

声の主はそう言うと大鉈を振るって
男に襲いかかった

、、、

この寓話はなにを意味するか

もちろん、ここに登場する
男は巨体の持ち主などではなく
たまたま、不注意により
照明器具にあたまをぶつけた

つまり照明器具は
ちょっとした注意を向ければ
回避できる位置にあった

いいかえれば、
その注意を怠れば
誰もがあたまをこづけて
しまいかねない場所にその照明はあった

しかし声の主は
男を条件に限らず何時たりとも
必ず、絶対的に、照明に頭を
ぶつけうる存在と解釈した

その誤った認識により
男は巨体の持ち主であると
事後的に決定付けられてしまった

、、、

犯罪に手を染めるもの
狂気を起こすものもまた
事後的に
絶対的にそうありうるものとして
想定される

心の闇、狂気の沙汰の
存在が後付けされる

彼らの過去は、狂人の文脈に
再解釈されて行く

そしてそんな異常の持ち主である
彼らは矯正の対象者となる

このロジックによる
リスクは何か

狂気を特殊化、例外化してしまうこと
は、それらを他人事にしてしまい
油断を生む

また、曲がっていないものを矯めようと
することで、
かえって別の歪みが生じてしまう

あるいは、曲がっていて然るべき
ものを無理に矯めることによって
社会不適応な木偶の坊をうみだすことになる

つまり、
絶対的な犯罪因子×矯正
という演繹は
そもそもの第一前提にに誤りが
あるために論理的には正しくとも
事実としては正しくない

犯罪矯正というコンセプトには
根本的な誤りがあり、それゆえ
犯罪者の再犯を防ぐことも
社会の犯罪抑止に貢献することも
ありえない


これが狂気をたまたま起こし
矯正により狂気を事後的に植え付け
られた、そしてその姿をいくつも
目の当たりにしてきた当事者の
実感だ

こんなことは
決して語られてはならない