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tsurugiのブログ

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イジメと流動性

2019-09-02 19:49:00 | 日記
イジメは大人の集団でもおこる
たぶんイジメに関わる個々人の
道徳、倫理観や、理性のレベルと
イジメとの間に相関はない
だからイジメ問題をそう言った観点から
糾弾しても意味がない

(これは自殺についても当てはまる
ことだけどここではそれについてかかない)

じゃあなにがイジメを引き起こすか
というと
集団の密室性、流動性
がそれにあたる、と思う

ムショのなかで多くのイジメを目撃し
体験もした
社会の縮図、と言われる通り
そこでは人間のあらゆる欲望、負の面が
ありのままの形で蠢く
そんな所でイジメは日常的に行われていた

ムショにもスクールカーストならぬ
工場カーストがある
工場=クラスのようなもので、
オヤジ=担当刑務官=クラス担任
を頂点としたピラミッドが築かれる

カーストの底辺に落ちることは
工場での生活権を失うことを意味する
すなわち、工場から退場するか
生活に必要な物品や、菓子などの嗜好品を
奪われる、生活権と引き換えに献上することが
強制される
もしくは暴力で文字通り叩かれる。

○年間で10をこえる工場を
体験することで
このムショにおける
カーストの生成やイジメのあり方に
パターンがあることがわかった

つまり、集団の構成員の入れ替わりの
少なさ(=密室性)
が高いほどイジメはおこりやすい
また
集団内での権力、利害関係の様態(=流動性)
が固定的であるほどイジメはおこりやすい

このようにイジメは
その集団のメンバー一人一人の
性質によらず、集団がおかれた環境、状況に
左右されて起きるもの
いわば、集団自己といったメタな
切り口からによってはじめて捉えることが
できる種類の現象だということがわかった

と、いうか
そーゆーふーに
おれには感じられた

と、いうか
スマホでの文字入力
まだ時間かかるし
脈略が分からなくなりやすくて
使いづらい

このやり方にアタマを切り替えるのに
時間がかかりそう
ノートに書くアナログと
デジタルではどうやら頭の使い方が
違うらしい
ノートにかくのと画面に打ち込むので
書く内容が違ってくるということ

うらしまタローを驚かせたこと

2019-09-01 19:37:00 | 日記
た・カップ麺がやたらうまい
→え?こんなにうまかったっけ?1日3食でも十分いける。案外食べ物で感動した中のベスト3入りするかも

・街が整体、整骨院だらけ
→地方だからでしょうか?コンビニより多いんじゃね?街が高齢化仕様になってる

・ほとんどの店が閉店、他店舗になっている
→○年間に耐えうる店をつくるのは難しいってことか

・老舗は改装して外観がかわってる
→変化し続けるのが生存の秘訣?

・2週間たって未だ知り合いに1人も合わず
→おれがこもってるからか、みんな移住したのか。なんか何世代かタイムトラベルしたような。昔の記憶とこの土地が未だ結びつかない
結合するのはおそらく過去の登場人物、親しい知り合い、友達との遭遇、会話によって。けど会うのがこわい

・スマホがやたらオーバースペック
→誰が使いこなせてるんでしょう?あんがい女子高生とかの方がクラウドとか駆使してたりして

・app、サービスがやたらトゥーマッチ
→これ全部処理してたらそれで一日潰れてしまう。ポイント、クーポンの費用対効果はマイナスでしょう。けどなんか30ポイント(30円)とかに必死になってしまう

・情報を処理し切れずつねにオーバーフロー状態
→○年間、情報過疎地に幽閉されてたせいでアタマのCPUが完全焼き付いてしまってる
外界がスローモーションで感じられる
巨大な生物になったように自分のうごきがノロノロにかんじられる

・逆に、○年間が夢のことやったように一瞬の出来事に思えてきた
→事件も、パクられたことも、ゴクの生活も夢やったんじゃあ?歳だけくった自分がポカンと浮いてる

不条理こそ現実

2019-08-30 21:14:00 | 日記
あんな不条理を犯した
おれに不条理をとなえる資格はない

けどずっと目の前の不条理に対して
不服を言い立ててきた
そーすることが自分の代名詞にすら
なってた

不条理が、そんな現実に
抗うことが
好きなんやろう

帰ってきても
やっぱり不条理を
さがしてる、求めてる

そんなものに何の意味も
ないこと知ってるのに

そーやってしか
現実を生きられなくなって
しまったのかもしれない

くだらない生には
不条理という'意味の味付け'が
必要なのかもしれない

primary key

2019-08-29 22:03:00 | 日記
頭下げたりなら
いくらでもしてやるけど
主導権を執られる事だけは
許さない

ゴクのなかでも
主導権だけは守り抜いた
同囚も官もおれからそれを奪う事は
できなかった
○年間、不自由であれど
自分のセカイを生きることが出来た

シャバにどれほどの自由があろうと
主導権を渡してしまえば
もうそこはおれのセカイじゃない

やっぱり大切なのは
主導権を握り続けること

これは誰のでもない
このおれの人生
このおれのセカイ

それがどうした?
って言う態度。
怯えたり、隠れたりは
そういうのは
おれのセカイじゃあない