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康の新たな旅

自分の好きな趣味、旅行、山歩きで健康を維持、他ボランティアで

兄のお墓お参りと計画してなかったスカイツリーの見学

2014年04月26日 | インポート

4月22日京都から妻は福岡へ、私は東京へ
福岡から兄の友人Nさんと浜松町モノレール駅で合流、一緒に熊谷市郊外にある兄のお墓まで甥っ子のA君の車の運転でお墓参りをして来ました。
4月23日(水)友人の会社訪問、K君の計らいでスカイツリー展望台レストランで食事を頂いた。
順番を待つことなく優先で展望台へ、今日は昨日の雨後の快晴、幸運にも345mからの見晴らしは良かった。

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眼下の道路、ビル小さく、車はプラモデルのように見えた。
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雲一つない好天気でありながら遠くはスモッグなのか、昨日の雨で水蒸気なのか視界が良くなかった。
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展望台のガラスの清掃が定期的に行われている。大変な作業に思えた。
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夕方は実弟と久しぶりの再会、夕食しながら楽しいいひとときが過ごせた。

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本日の夜は米国オバマ大統領が国賓として来日することになっていた。首都圏の高速道路は通行止め、交通機関も厳戒態勢、空港、各駅のコインロッカーは使用禁止、そのためか比較的スカイツリーの観光客も少ない様に感じた。
帰路は羽田から福岡へ、当然空席を利用したシニア割引、日本中,目下移動、沖縄に片道12900円で行ける。時間を気にせずJALもANAも乗れる優遇料金だ。
午後7時55分発で100席ほど空席があった。
自宅に11時半過ぎ帰り着いた。





京都へ孫に会いに

2014年04月26日 | インポート

4月18日~22日
JRの旅行を楽しむためにシニヤ割引のあるJRジパング倶楽部に入会、交通費2~3割の割安利用で京都に引越し手伝いで訪問。
21日は私の古希祝い、長女夫婦の7年目の結婚記念日、そして1歳3か月の孫との再会、に食事会で祝ってくれた。
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うきは市浮羽町樫ヶ平集落のシャクナゲが美しかった

2014年04月11日 | インポート

4月11日(金)シャクナゲの見ごろの季節です。今日の西日本新聞掲載を見て訪ねる。
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山間の静かな集落に元気と明るさを感じました。
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上の方にミツバつつじが満開でした。

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シャクナゲのそばで青い諸葛菜が対照的でした。

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帰りは
星野の池の山キャンプ場、池の周囲を散策
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カメの甲羅ほし

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情報
浮羽町妹川地区樫ヶ平集落でシャクナゲ祭4月13日(日)9~16時迄)
連絡先(0943-77-3486)カーナビ設定可
駐車場が少ない、(シャクナゲ園の中は細いあぜ道、急傾斜有り、足元に注意)





竹田市”荒城の月”で有名な岡城跡を散策

2014年04月06日 | インポート

4月5日(金)国指定の史跡岡城跡、桜も満開過ぎて平日のためか静かな城跡であった。
荒城の月の音楽を聴きながら、小鳥のさえずり、桜と若葉が日差しが当たり気持ち良かった。
城跡は小高い山に有り、東西南北に見晴らしが良く、東西に伸びる2.5kmもある城域の大きさに新ためて驚いた。
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歴史[編集]ウィキペディアフリー百科事典添付

岡城の築かれた天神山は標高325メートル、比高95メートル、城域は、東西2500メートル、南北362メートル、総面積は23万4千平方メートルに及んだ。

伝承では、文治元年(1185年)に緒方惟義源頼朝に追われた源義経を迎えるために築城したことが始まりであるという。その山城は、南北朝時代建武元年(1334年)に後醍醐天皇の支持を受けた大友氏一族[1]志賀貞朝によって拡張され、岡城と名付けられたとされている。一方、『豊後国志[2]によると、志賀氏が直入郡に入ったのは応安2年(1369年)以降のことで、同郡内でも岡城に入る前には木牟礼城(騎牟礼城)を居城としていたという[3]天正14年(1586年)、先に耳川の戦いで敗れ衰退した大友氏を下すべく、薩摩島津氏が豊後府内に迫る快進撃を見せていた中、岡城のみは志賀親次の指揮のもと再三にわたり島津軍を撃退し、親次はその功績から豊臣秀吉より天正15年正月3日付けの褒状を受けている[4]

滝廉太郎(別資料)
明治の作曲家。「荒城の月」「花」で知られている。吉弘,正子の長男として東京で生まれ,父の転勤にともない横浜,富山,東京,大分へと移り住む。竹田で高等小学校を卒業,上京して明治27(1894)年,東京音楽学校(東京芸大音楽学部)に入学する。同31年,卒業後研究科に入学,翌年から同校嘱託となり後進の指導に当たる。









竹田市郊外にある原尻の滝とチューリップを楽しむ

2014年04月05日 | インポート

4月4日(金)日本の滝100選は素晴らしい絶景。
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桜満開一心行の大桜に負けないほど綺麗に咲いていました。

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特徴[編集]ウィキペディアフリー百科事典添付

幅120m、高さ20m。田園に囲まれた平地に突如滝が現れるのが特徴で、「東洋のナイアガラ」と称えられることもある。滝はAso-4溶結凝灰岩が崩落してできたもので、崖面には柱状節理を見ることができる[1]

滝の下流には木造の吊り橋「滝見橋」が、また、すぐ上流には沈下橋がそれぞれ架けられており、これらの橋を通って滝の周りを一周する遊歩道が整備されている。また、滝壺の岸まで降りたり、滝壺をボートで遊覧することもできる。