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どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

話題の人。

2010-07-02 | Sandstorm
                     (写真 : 父としゃぶしゃぶ)





今話題の人といえば、サッカー日本代表監督、岡田武史氏。
良くも悪くも、いまや言わずと知れた日本の顔。
通称、岡ちゃん。
岡ちゃんといえば、98年フランス大会最終予選の”カズ外し”などがあまりにも有名。
あの頃の三浦知良選手といえば、多少の衰えはあったにしろ長い間日本のサッカー界を牽引し、日本の一般大衆にサッカーを大きく知らしめた神に近い存在だったから、その反響は凄まじかった。
むしろあの頃の一般大衆にすれば、前任監督の更迭で降って湧いてきたような監督の岡ちゃんよりも、カズの方がよほど有名でカリスマ性もあった。
あれ以来、その能力は全く別として、岡田監督というキャラクターが好き嫌いの大きく分かれる存在になってしまったように思う。
また、それは岡田監督自身のその後にも、大きく影響を与えているように感じる。
頑なまでのあの戦術への執着も、その時背負った十字架のよるものが大きいだろう。
良い意味でも、悪い意味でも。
今回は、それがある程度良い方向に出た。
紆余曲折ながら実績を積み、その意志の固さなど、彼自身にもカリスマ性が少なからず備わってきたということか。
特に選手からの信頼は、大衆の想像以上だったようだ。





ただ自分が、岡ちゃんについて一番印象深いのはそれとは少し違う。
自分にとっての岡ちゃんのキャラは、初めて彼を知った時であった。
それはその4年前、94年アメリカ大会の最終予選。
いわゆる、のちに”ドーハの悲劇”と呼ばれるあの試合の日だ。
最終予選の最終戦、対イラクに勝てば日本史上初のワールドカップ出場となるはずだった試合のロスタイム。
日本は同点に追いつかれ、夢は無残に散った。
深夜、その時自分はNHKの放送を観ていた。
画面では、全盛期のカズやラモス、ジョーやゴンが芝生に崩れ落ちていた。
オフト体制の中、韓国を破り初めてアジア大会を制するなど、まさにそのまま夢へと突き進むであろうと日本中の全てのサポーターが信じていた中の悲劇。
誰もが落胆した。
実況アナウンサーも、実況解説者も、声色にそれは隠せなかった。
そしてNHKのスタジオにカメラが切り替わった時、人目をはばからず泣き崩れる一人の解説者が映った。
それが岡田武史氏、その人である。





今現在のように、民放でバラエティー感覚でやっているような中継ではない。
インターネットもない。
ケータイもない。
そんな時代。
そんなお堅いNHKのスポーツ中継の解説者が、生中継の真っ最中に目の前のデスクに身を屈めて嗚咽して泣いているのである。
ある意味、あの日の晩はそちらの方が衝撃的であった。
今どき、そんな人がいるのか。
それが偽りのない感想であった。
岡ちゃんが日本代表監督になるはるか前の話。
その時、彼がその4年後に監督に就任するなんて誰も思わなかった。
そして一人のカリスマよりも、自身の戦術的意義を優先する決断。
そして何よりも、15年後のこの日を誰が想像しただろうか。





監督とは、特殊な役回りである。
戦術理論や采配はもちろん大切である。
ただ、いくら高度な戦術理論を持ち、優れた采配ができるとしても、必ずしも優秀な監督にはなれない。
そのことは、すでに歴史が証明している。
それは優秀なヘッドコーチやテクニカルディレクターがいれば十分なのである。
どんなスポーツでも同じだろうが、監督の一番の手腕は「人を動かすこと」ではないか。
それは並大抵のことではない。
何百人というスタッフ、選手のトップに立ち、その大きな船を意思の方向に進めていくわけなのだから。
特にプライドを持ったプロの集団であれば、なおさらである。
岡ちゃんにそれがあるかと訊かれたら、それはわからない。
何をやっても何を言っても、いつも無理をしているように見えてしまうのは、私だけだろうか。
もっとどっしり、もっと憎らしい程の余裕の表情で、同じことができる人物も世の中にはゴマンといるだろう。
そんな風に思う。
ただ、岡ちゃんには「情熱」がある。
戦術理論も、采配も、全ては日本サッカーのためにという「愛」を感じる。
だからこそ余計に「苦悩」したのではないか。
彼は決して、自分自身の監督としてのキャリアにこだわる素振りは見せなかった。
それがたぶん、「サムライ」な選手たちをここまで動かせたのだと思う。






この15年でいつの間にか、「岡ちゃん」はまぎれもなく監督らしい顔になった。
彼が監督として一流なのかどうかは、素人の私には知る由もないが、そのハートは今回十分に世間一般に伝わったように思う。











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