
【訴訟】そしょう (名)スル
訴える者と訴えられる者を当事者とし、裁判機関が第三者としての立場から裁判をなす手続き。
(三省堂辞書「大辞林」より)
山本茜騎手が、元所属厩舎の調教師を提訴していたということです。
それにしても、なぜ今さらこの時期にメディアに出てくる?
そこには当事者同士とは全く別のところで、何か世論を制御している存在も私には感じずにはいられませんが。。。
まあそんなことはさておき、肝心のその内容と言えば。。。。。
何かことの一部分だけをステレオタイプに強調されて報道されてしまっているような気もしますが、ただそこから第三者的な見解を述べさせて頂ければ、やはり「やりすぎ」の感も感じずにはいられませんね。
今時の世間の風潮を眺めていると「厳しさの中でなければ人は育たない」とは改めて思いますが、それにしても・・・いくら師弟関係とはいえ”全裸”はやりすぎでしょう。
昔気質の熱血調教師と、芯の強い女性騎手。
指示通りの騎乗を求める調教師の苛立ちと、納得できない若手騎手。
相手を説き伏せようとするに、つい思い余って勇み足?
そういうやり方が通った時代もあるのかも知れませんが、今や一般的に”パワハラ”が問題になる時代です。
受け手側の受け流す術の貧困さやそれを撥ね返す反発力の問題もあるのでしょうが、そうは言っても弱者の”精神的苦痛”はその命さえ奪いかねないもので、最近の人権訴訟の中心問題でもあります。(十数年前まででは考えられなかったことですが。)
それが特に相手が女性ともなれば、”セクハラ”ということになるでしょう。
その苦痛の大きさは、残念ながら男性の私には思いもつかないくらいの大きな負荷なのだと想像されます。
特に今回の場合は、競馬社会という比較的昔ながらに閉塞された社会の中での師弟関係の話。
女性でなくとも、ただでさえ少なからずストレスは感じ得る状況が続くことは想像できます。
そのことを理解した上であえてここで、さらに彼女が提訴までするということは、よほどに彼女の許容範囲以上のことがあったのかも知れません。
これらの話は、あくまで「群盲、象を評す」というような、ただの個人的な私見でしかないのではありますが・・・・・。
それにしても、今回のこの訴訟問題が「タバコを吸って肺ガンになった人がタバコ屋を訴える」とか、「クスリを包装ごと飲み込んでクスリ屋を訴える」とか、のオカシな訴訟でないことだけは確かでしょう。
訴える側の山本茜騎手としても「今後も彼女に続くであろう女性騎手達のため」という崇高な意識を明らかに感じ取れるものであり、決して胡散臭い思惑や金勘定などが見え隠れするようなものには思えません。
ただ、訴えられる側の調教師としても、見解には明らかに彼女と相違が見られるのであれば、キチンと主張はすべきでしょう。
どちらにも、守るべきものはあるのです。
そして最終的に、第三者としての答えは、裁判所が出すもの。
私がここで、とやかく言えることではありません。
裁判において、私は「勝ち」「負け」という言葉は好きではありませんね。
確かに、私利私欲が絡んで「勝つ」ために裁判をしている人間もいます。
でも、この裁判はそういう類のものではないと思います。
いや、そう思いたいです。
どちらも包み隠さず全ての真実と、その信念を正しく主張しているのなら、今回の裁判所の回答は、今後のこの世界の在り方についての指針にもなってくるでしょう。
そうあってもらいたいです。
山本茜騎手、もう休養はナシ、と願います。
今週は大きなレースも控えています。
馬も、ちゃんと走らせてやって下さい。
昨日今日始まった話でもないでしょう。
競馬ファンはそんなことは望んではいません。
だた、世論の反応には従ったほうがいいかも知れませんね。
よろしくお願いします。
それでは、また。