世界中がコロナ禍の真っ只中にある。
地球上全体に生きる人間の命は、まるで神様に選別をされているかのような錯覚に陥るほどの危機に晒されている。
各国政府が表向きウイルスの封じ込めに躍起になる。
外出規制。
そこで自然に考えれば経済が止まるのは自明の理。
各国は国民に少なからずのお金を捻出することになる。
どこの国も今年度は財政赤字はまぬがれないだろう。
世界中の国々が軒並み赤字財政になっても、それでもなぜか世界は回る。
そもそも財政赤字って何?
世界中の国が赤字になったとしても、それでも世界は経済も政治も死んで動かなくなることはない。
そもそもお金って何?
どこからかお金が無くなれば、別のどこかに貯まっていくものと考えるのが道理ではないのか?
お金はどこにある?
根本的にお金の考え方が間違っているというならば、お金のシステムそのものが現代の人間社会からずれてきているのではないか?
何のためにお金はある?
お金は等しく人間社会を円滑に行うためのもの。
株式売買から複雑なファンド。
今や実態のない仮想通貨たるもので仮想現実のような取引が行われるのが当たり前な時代。
お金の価値はどこにある?
借金まみれの国だらけの世界。
その借金まみれのひとつの国から何兆円規模のお金が国民一人一人に支給されるらしい。
我々個人がそれにより手に入れることができるお金は、紛れもなく実態として認識できるものに間違いはないのだろうが、それはどこからか湧いて出てきたようなものに思えて仕方ない。
お金って何?
お金ってどこにある?
インフレ、デフレ、お金の価値。
すべてが絶対的な価値ではなく、ただルールの内のバランスで保たれているだけのものならば、国も企業も団体も個人ですらも、この緊急事態の中では今すぐパワーゲームは止めて地球規模でウイルスの恐怖から回避するために行動すべきというのが本来の正論だろう。
これが滑稽無糖な夢物語であることは理解している。
みんな“お隣さん”よりお金持ちになりたい。
結局行き着くところ人間なんてその程度の生き物だ。
今回とて、この後この世界の緊急事態につけこんで新しく構築されるであろう新しい秩序の上に立とうとする存在がそこに生き残るだけのことだ。
皆、運良くその勝ち組の中に居たいと願う。
いつだって、人はその繰り返し。
だからこそ、このコロナ禍がこんなに大規模になってしまったことは間違いのないことである。
生きてさえいればと願うのか、勝ち残っていなければならないと思うのか。
そんなことを考えている間に、自分もいつしかこの世からいなくなるのだろう。
人は間違いなくいつか死ぬ。
生きてさえいればと願っても、結局ずいぶん低利必勝なトコにベットしているだけのことのようにも思えてくる。
お金ってどこにある?
企業が借金したら間違いなく死ぬだろうが、国は借金しても死ぬことはないのか?
ただひとつわかることがあるとすれば、人は借金があっても死ぬことはないということだけだ。
とてつもなく苦しくて死にたくなることはあっても。
病気なのか不慮の事故なのかウイルスなのかはわかるはずもないが、人はいつかは年老いて死ぬ。
ならばせめて生きているうちは、お金にとらわれて死ぬことだけはないようにしたいと思う。
とにかく今は命を繋ごうとする医療現場の方々の使命感に感謝と敬意を表することしかできない。
お金よりも大切なものが、確実にそこにはある。
綺麗事でしかないのかも知れないが、今はそれしか言葉が思い浮かばない。