



競馬の最後の直線は、オンナが口説かれる瞬間によく似ている気がする。
鼻面を併せるかのような追い比べ。
せめぎあう力と力、心と心のぶつかり合い。
馬体が併って数完歩。
やがてどちらかが、ほんの少し怯んだその瞬間に、勝負は決する。
その瞬間が、究極のエクスタシー。
馬も騎手も観客も、その空間には歓喜と溜息が入り交ざる。
悲しいかなそのあとは、勝者と敗者の差はただ拡がるのを待つしかないだろう。
それはまるで、氷が融ける瞬間に似たような感覚。
絆される瞬間。
そんなエロチシズム。
まあそれでも、競馬を見て、そんなことを考えている阿呆など、まずどこにもいやしない。
考えることと、感じること。
ただそれは自覚はなくとも異なるものであり、それが無意識に観客を高揚させる要素ではあるというのは、たぶん間違いないことのように思う。
絶対的であるはずのチャンピオンが、挑戦者のたった一発のカウンターパンチに一瞬ヒザが落ちるその瞬間。
打たれながらも終盤まで踏ん張る孤高のエースが、そのたったひとつの失投から堰を切ったように崩れていく光景。
世紀のロックスターが、スキャンダルに堕ちるワイドショー。
そして、アイドルがいつしか不意に大人の顔を見せるとき。
それは、空が青から碧に変わる時間。
ひとときの溜息が出るような茜空。
一瞬の煌き。
強さと危うさの同居。
その刻に、見る者は心を奪われる。
それはどんなカリスマであろうとも、自らを演じきれたりはしない。
演じたものは、そのほとんどを見透かされてしまう。
その揺らぎを隠そうとするエロチシズム。
それは、儚く、そして切ない。
バベルの塔が崩れ落ちる瞬間だ。
それが見る者にとっては、最高にエキサイティング。
観客はエクスタシーを感じ、密かなエロチシズムに酔う。
本音と建て前。
そこには、無自覚な「表」と「裏」がある。
王座陥落。
世代交代。
誰もが持ち合わせる下衆な感情で、見る者はみな勝者と敗者を見届けるのだろう。
そこには正も誤もない。
ただ、それに思いを巡らせる人がいるだけのことだ。
競馬の最後の直線は、オンナが口説かれる瞬間によく似ている気がする。
せめぎあい。
一瞬の煌き。
強さと危うさの同居。
やがて否が応でも決着はつき、それは観衆の目に晒される。
エロチシズム。
勝者と敗者。
歓喜に飛び上がる人、うなだれる人。
ふいに見上げた競馬場の空には、美しい茜空が広がっていた。