

十代の女性の魅力は、肌が綺麗なことだ。
二十の女性の魅力は、線が艶かしいことだ。
三十の女性の魅力は、仕草が可愛いことだ。
四十の女性の魅力は、言葉が美しいことだ。
特にここ最近になって思うのは、
女性の魅力に、あまり容貌など関係ないということだ。
相応に、ふさわしい魅力があるということだろうか。
春には春の、秋には秋の、良さがあるように。
無理な繕いなどするから、余計におかしく思える。
うんざりしたことも数限りない。
臭い四十の独身男が、勝手に思い込んでいることだから、
別に気になどしないでもらいたい。
四十を超えて、四十男の魅力は何かと考えた。
男が考えるそれと、女が考えるそれとは、
もしかしたら、全く違うものなのかも知れない。
考えることからして意味がないことだ。
どちらにせよ、たぶん自分には、
今や、ひとかけらも備わっていないものだと思う。
長い月日をかけて、両の手の平から、
どんどん零れ落ちてしまったものだ。
少しでも楽な道を行くために、
どんどん自ら捨ててしまったものだ。
でもふと思った。
私が思う女性の魅力は、
普通に生きていれば、誰もが手に入れることができるものだ。
ちゃんと食べて、ちゃんと寝て、
ちゃんと遊んで、ちゃんと学んでいれば、
自然と醸し出されてくるはずのものばかりだ。
もう一度、背筋を伸ばしてまっすぐに歩いてゆけば、
自分にも、まだ取り戻せるかもしれないと思う。
四十を過ぎると、男も女も臭くなる。
それはどうしようもないことだ。
どんな香水をつけても、それは消せやしない。
人間臭い。
どんなに格好つけても、それはごまかせやしない。
悲しいくらいに。
君が魅力的であればあるほど。
"adiós, señorita".