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どんこの空(そら)に 。

きっと何かが足りない~それを探す日記~

自分の言葉。

2011-04-12 | Sandstorm




自分が住んでいる名古屋競馬場周辺は、埋立地だそうだ。
名古屋競馬の弥富のトレーニングセンターがあるところが干拓地。
有名な大事業、鍋田干拓地である。
まあどちらにせよ、海抜0メートル地帯。
人間の手で作り出した陸地であることには変わりはない。
有名な伊勢湾台風の時の名古屋南部の惨状は世間でもよく知られている。
父はここで、まさに被災者となり、その時の話は小さい頃から何度も聞かされた。
堤防が決壊し水嵩が高くなるのは本当にあっという間で、逃げる間などほとんどなかったらしい。
貯木が家々をなぎ倒し、人々はガレキと同じように流されたということだ。
父は幸いにも、厠(かわや)の屋根にしがみつき、九死に一生を得て助かった。
父は有刺鉄線でモンペの下半身を剥がされながら泳いだということだが、もしあのとき作業服など着ていたら溺れ死んでいただろうと言っている。
そんな父が生きているからこそ、いま私という人間もここにいる。
まさに運命だ。




ただもうひとつ、あまり世間には知られていないであろう地元の話がある。
それは父が、親や祖父から聞いた話。
はるか過去、東海地方を襲った濃尾地震のとき、この近辺(名古屋市港区)の家々はみなズブズブと地中に沈んでいったそうだ。
今でいう流動化現象だろうか。
実際に、当時私の家系の人間が住んでいたわけではないので、詳しくは到底わからないが。
ただ、我が家が十数年前に下水道の工事をしたとき、地中深くから家の土台らしきものが見つかった。
工事の方々も驚いていたそうだが、おかげで工事も大変だったらしい。
ということは、現在の私の家は、以前あった古い家の土台の上にさらに土台から建っているということになる。
もし、東海地方で今回のような東日本大震災級の地震があった場合、津波の前に逃げる術すら失われるのかも知れない。
あくまで憶測。
ただ、知らないよりは良い。
それだけのことだが。




いくら危険な地域であるとはいえ、自分が生まれた故郷を捨てるなど、それは酷な話である。
そんな簡単なことではない。
現在の福島の方々の思いを考えれば、心が痛む。

















日本各地でプロ野球が始まった。
やるべきか、やらざるべきか、開幕を早くするのか遅くするのか。
そんな議論は、結局は被災地の問題とは別のところで決着する。
どんな理由などつけようとも、本質的にそんなことは関係ない。
その他多くの「頑張ろう日本」のキャッチコピーも同じこと。
結局は、経済最優先なのだ。
当然といえば当然。
卑しいといえば卑しい。
利用すべきといえば、そうなのかも知れない。
ひとりひとりは、自らで生計を立てて生きている。
誰も責められるわけもない。
経済は怖い。




ただ、選手ひとりひとりがどんな意識でプレーするかとか、労働者ひとりひとりがどんな意識で働くのかとか、また消費者ひとりひとりがどんな意識で行動するのかということは、別の話。
大切であるし、尊いものだ。
開幕戦は楽天が勝った。
マリーンズファンには悔しいが、東北の方々の元気に繋がればとも思う。
人間はエコノミックアニマルであるのと同時に、慈愛の心を持った素晴らしい生き物でもある。

















やはり、頼らざるを得ないのは政治の力か。
何かが変われば、それで全ての人が笑えるなんてありえない。
頑張ろう、日本。
ひとりひとりの胸に。












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