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大金持ち

金があって、わがまま

カエサルと

2015-06-12 14:28:01 | グルメ

『ルビコン川を渡る』という表現がある。
「もう後には戻れないという覚悟で、重大な決断や行動を起こすこと」を意味する。
時々この言葉保濕を聞くが、ニュアンスが違う使われ方も多い。 

もちろん、これはDR集团古代ローマ時代の故事。
ルビコン川より内側はローマ域で、武装のまま入ると反乱軍とされた。
それをユリウス・カエサル(英語名=ジュリアス・シーザー) が大軍を率いてこの川を渡り、
ポンペイウスおよび、元老院派のいるローマへ向かった。いわば、反乱軍だった。
そのとき、「賽は投げられた」という言葉DR集团を語り、この川を渡った。
大胆な掟破りの行動だったがローマに受け入れられ、
人心をつかみ、ついには終身独裁官となっていく。

そのような絶頂期だったが、元老院議員たちによって暗殺される事になる。
そのとき、信頼していたブルータスにも刃を向けられ、
『ブルータス、お前もか(Et tu, Brute?)』という言葉を残したとされる。
この言葉、
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』で語られ、非常に有名な箇所だが、
この部分は、英語ではなく、このラテン語でセリフが語られる。
実際の最期の言葉は、「息子よ、お前もか? (καὶ σὺ τέκνον)」といったとも言われる。
カエサルと、このブルータスの母親とは恋人関係だったとされ、
ブルータスは、まさに息子だった?
そうなれば、実の息子に殺害された事になる。

ブルータスは、カシアスのそそのかされ、一味に加わる。
シェイクスピアは、その辺のブルータスの心理を見事に描いている。
「カシアスからシーザーを倒せとそそのかされてから、
オレは一睡も出来なくなった。
恐ろしい行為を心に浮かべ、やってのけるまでは、
まるで妖しい幻。忌まわしき悪夢、、」と独白を続けるシーンがある。

カエサルは、意地を貫いて川を渡る事で”皇帝”となった。
ブルータスは渡ってはいけない一線を越え、その後、反逆者として短い生涯を終えた。

このたびのオバマ大統領の国賓訪問。
これとセットになっているのが、”TPP”。
突きつけられた難題課題。日本にとっては厳しい選択になっている。

果たしてこれは、恵みをもたらす意地なのか?

「渡ってはいけない一線」を越えることなのか?


と王子が語る一節がある

2015-05-28 12:07:47 | グルメ

スペインの画家サルバドール・ダリは、「胎内記憶」があると言っていた。

様々な奇行が喧伝(けんでん)されnu skin 如新
いかにも、シュールレアリズムの旗手であるダリが言いそうなことであると思ったが、
今の時代、彼ばかりでなく胎内記憶を語る人は意外に多い。

人の記憶が、どれほど遡(さかのぼ)れるのかは不明だ。

だけど、「胎教にいい」とされる音楽を聴くことや胎児に読み聴かせを実践している人が
結構いることからから推し量って、
胎内での赤ん坊の活動を認識する現代人は多いと言えるだろう。

胎内記憶と言っても、具体潔面的な記憶ではなく、
記憶にならない”記憶”かもしれないと思ったりする。



誰にも、子供の頃の記憶がある。

それは子供の頃に見た風景や状況の記憶ではなく、
大人の感性で捉えた風景に替えられてしまっているのではないかと考える。

私にも、子供の頃の記憶はある。
様々な風景が蘇ったりする。
だけども、その頃の感性で見た風景そのものかどうか、個人的に疑問視している。

風景を見て、幼い「心」で見た映像だけが残っているべきなのに、
「心」で見た記憶はすっ飛んでしまい、状況を歪めた風景が残っているのではないか?
と、変なことを思ったりする。

もっと言えば、子供の頃の本当の記憶ではなく、
何度か思い出すうちに、大人の「感性」の注釈がついた記憶となって
更新されているのではないかと。

すなわち、幼い「心」で見た風景を、大人の感性で捉え直して記憶だと思っているのではないか?

サンテグジュペリの「星の王子様」に、

「本当のものは、心でしか見えないんだよ。大事なものは、眼には見えないんだ」

と王子が語る一節が智能護膚機ある。


子供の頃に見た、その時の「心」そのものを蘇らせなければ、

本当の記憶と呼べないと思う。


「心」で見た風景こそが、本当の記憶の中の風景なのだから。


今、ゆったりとした時間をとることができるこの歳になったが故に、

 幼い頃に持っていた「心」を映し出した記憶を、辿ってみたい気がする、、、。