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支流からの眺め

武漢ウイルスと経済崩壊(1) 厳しい政治的判断はどこでやるのか

 武漢ウイルス感染症(WARS、https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/221e97d2e1ea6aa1772206d2bf72137f)流行に際し、4月7日に外出制限や営業自粛を可能とする緊急事態宣言が発せられ、5月になって更に1か月延長された。政府・安倍総理が、感染症の蔓延、医療提供体制の逼迫から「国民生活および国民経済に甚大な影響」を及ぼす事態であると判断したのである。宣言との因果関係はさておき、この間感染の拡大は阻止され、医療崩壊は回避できたかに見える。その一方で、外出制限や営業自粛のために「国民生活および国民経済に甚大な影響」が生じている。医療崩壊を防ぐために経済崩壊を招く危険が現実になりつつある。

 改めて、その崩壊が懸念されている経済とは何か?それは、人間の生産活動であろう。農産品から工業製品などの具象(モノ)の生産だけでなく、モノでない効用や満足を提供する財(サービス)の生産を含む。(ここでいうサービスとは、日本語で誤用される「奉仕、無料、値引き、おまけ」の意味ではない)。しかし、生産だけでは経済は成立しない。それを誰かが対価を払って購入することが必要である。つまり経済活動とは、誰かが提供してくれるモノやサービスの消費活動なのである。

 今回の外出制限や営業自粛は、まさしく消費の抑制である。電車や飛行機などの移動に便利な交通機関があるのに、使わせない。美味しい食事を提供する準備が万端なのに、来客させない。その一方、少なくとも日本では、WARSの脅威が緩やかになってきている。どこまで外出制限や営業自粛を継続するのかも、十分な科学的根拠があるわけではない。このような条件の中で、経済崩壊の危険を承知で外出制限や営業自粛を国が命じる、補償金(とは言わず、協力金というらしいが)の運用の細部も決めなくてはならない。どちらにしても、全員を満足させることはできない。これは、政治家が結果責任をすべて負うという意味で、厳しい政治的判断である。

 現実的に正しいのは、危険度の高い業種や状態を特定して制限することだろう。危険な業種や状態とは、要するに飛沫が口に届きやすい環境である(周囲に付着した飛沫は個人の手指衛生で防ぐという前提で)。近距離での会話、(マスクを外さざるを得ない)飲食、(脱警戒・大声となりがちな)飲酒、医療・介護・保育などの現場などである。不特定多数と対面すれば、更に危険度が増す。大人数が集まる集会も、一旦感染が起これば影響が大きい。こうした背景を踏まえて、生活上の注意が発信され、業界ごとの対応策も出されるようである。しかし、最後の決断は政治家が行なうことになる。

 政治的判断には、情実や保身が入り込む。科学的正しさが評価されるとも限らない。隙を見せれば足をすくわれる。最優先すべきは政権の維持と味方の歓心であるが、それを露骨には出せない。厳しい判断は、雑念から離れた禅寺で行う「空」の心境だろう。

確かなことは、WARSウイルスとの戦いが終わる(平衡に達する)日は必ずやって来ることである(https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/665667e20eaf9100cc9d046ba06df3ae)。戦いを有利に終わらせるには、広くPCR検査を行う体制を築くことが鍵となろう。(https://blog.goo.ne.jp/tributary/e/b0f74c746758cf532b93979c753a2431)


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