親戚の叔母が亡くなった。葬儀は既に終わっており亡くなった旨の通知がきた。
叔母である。香典を送ろうと思い郵便局へ出かけた。現金書留封筒を買い記入して郵便局を出てすぐに家内に電話を入れようと思いショルダーバックを開けると携帯電話がない。
「うんっ、どこだ」と思い探したがない。家内に電話を入れようとしたが携帯がないのだ。
さて、どうしようかと思案に暮れていると「そうだ、角の銀行ならあるか」そう思って銀行へ行くがない。入り口を出るときに清掃の叔母さんがいたので「この辺に公衆電話がないでしょうか」と聞くと「向かいの西友にあるかもしれない」とう。礼を言ってすぐに西友へ行ってみた。
「あった」普段、買い物をしていて目にしているが、いざ我が身となると慌てて何が何だか分からなくなる。頭の中は、早くドコモへ通知して対処方法を教えてもらわなければとそのことばかりだ。
電話を入れようと思ったら10円玉一個だ。家内に電話を入れて電話が無い。探してみてくれというと「ちょっと待って」といって電話口から離れた。10円玉一つしかない。
直ぐに電話は切れた。
10円玉に崩そうと思い1000円札を握り「さて、これをどうやって崩すのか」と考える。
西友の中に入ったら買い物をしなければならない。携帯のことが気になって買い物どころでない。
そうだ、二階の薬屋で滅菌ガーゼを買おうと思って行ってみると「ありません」という。
仕方なく、切り傷の薬を二本書く。釣銭に10円玉が多くなるように値段を見て買い物をした。
直ぐに先ほどの公衆電話まで行き電話を入れる。探したがないという。
電話を切って考えた。「先ほどの郵便居に忘れたか」そう思いながら戻る。
しかし、現金書留の封書を書き終わったときにその場を確認したはずだ。
そう思いながらも窓口の女性に「先ほど来たものですが、携帯電話の忘れ物がなかったでしょうか」と訊くと首を傾げながら頷いた。
そうだろうなと思い郵便局の玄関を出てショウルダーバックを左の脇から腹を持ってきて
開くがない。口は二つある。小さめの口を開けると中に携帯電話が入っていた。
「あった」
早速、家内に電話を入れた。
コロナウイルスで3か月ほど家に閉じ籠りであった。相当、ボケた様だ。