今日、自分の経歴を見直しをしているうちに、自分の大学時代の卒業研究のことを思いだし、ちょっと検索してみた。
私は、1969(昭和44)年に東海大学工学部機械工学科に入学して生産機械を専攻した。
大した青雲の志もなく、ボーッと3年の間湘南キャンパスに通った。3年の終了間際に最終学年の卒業研究の希望調査があった。
そこでもボーッとしていたら、担当の坂井徹郎先生(助教授)に呼ばれ、卒研テーマを与えられた。
「はあ、そうですか」みたいな感じで与えられたテーマは、「粉末冶金」(ジキンじゃありませんよ「ヤキン」です)だった。
いくら機械工学科と言っても、冶金は範疇になかった(メカニズムが好きなのに⤵️)けれど、自発的に選ばなかった自分が悪かったので仕方なく坂井先生に従った。
4月からは、なんと❗六本木(旧防衛庁前)の東京大学生産技術研究所(生研)まで、東林間から小田急で新宿経由で電車&バス通勤が始まった。
生研は、旧陸軍歩兵8連隊の建物をそのまま使った、上空から見ると八角形のビルで、薄暗い片隅には厩舎の跡もあって、青白くひげ面のちょっと不気味な板橋技官に「昔兵隊があそこで首を括った」と脅かされたりした。
教官は坂井助教授で、研究室の原善四郎助教授(当時)のもと、板橋正雄技官と明智清明助手から指導を受けた。研究生は同級の我々アホ学生5名で、それぞれの研究テーマを与えられ、汚い部屋で日々雑誌を読んだりラジオを聴いて過ごし、時々試料の作成(水素炎の雰囲気で鉄粉を還元する。空気が混入すると大音響で軽石の蓋が吹き飛ぶ💥)をおっかなビックリ行う日々が続いた。
後半になって、ようやく鉄粉を電気抵抗で焼結するテストピースの作成と各種分析用の試験工程に入った。日暮れも早まる研究室の薄暗い中で六本木だというのにクリスマスの賑わいもないまま作業を続け、年度末近くにようやくレポートが完成した💦
私の研究テーマは「抵抗焼結法による複雑機械部品の製造に関する研究」で、ひとつ誇れることは、従来高電流&電圧の電気抵抗により行う焼結法で欠かせないアルミナセメント系の絶縁体(塗布が難しい)を使用していた。それをプレイボーイなどのヌードグラビア紙が絶縁効果があるという先生のアドバイスで、手間のかかる塗布作業を止めて、このグラビア紙を絶縁体に採用した。その結果生産性は格段に向上することになって、その後の研究も容易に進むことになった。
という訳で、先ずは同僚のアホ学生にプレイボーイなどの雑誌を集めさせ、毎朝それを一冊一冊手にとってヌードを眺めてから作業に入るという日々が続いたのだった。
今日ネット検索して、原先生の研究抄録や著作も発見できたが、長年の研究の一端を担えたことに今になって気がついた私は、きっとチコちゃんに叱られるだろう😱
Don't sleep through life!
私は、1969(昭和44)年に東海大学工学部機械工学科に入学して生産機械を専攻した。
大した青雲の志もなく、ボーッと3年の間湘南キャンパスに通った。3年の終了間際に最終学年の卒業研究の希望調査があった。
そこでもボーッとしていたら、担当の坂井徹郎先生(助教授)に呼ばれ、卒研テーマを与えられた。
「はあ、そうですか」みたいな感じで与えられたテーマは、「粉末冶金」(ジキンじゃありませんよ「ヤキン」です)だった。
いくら機械工学科と言っても、冶金は範疇になかった(メカニズムが好きなのに⤵️)けれど、自発的に選ばなかった自分が悪かったので仕方なく坂井先生に従った。
4月からは、なんと❗六本木(旧防衛庁前)の東京大学生産技術研究所(生研)まで、東林間から小田急で新宿経由で電車&バス通勤が始まった。
生研は、旧陸軍歩兵8連隊の建物をそのまま使った、上空から見ると八角形のビルで、薄暗い片隅には厩舎の跡もあって、青白くひげ面のちょっと不気味な板橋技官に「昔兵隊があそこで首を括った」と脅かされたりした。
教官は坂井助教授で、研究室の原善四郎助教授(当時)のもと、板橋正雄技官と明智清明助手から指導を受けた。研究生は同級の我々アホ学生5名で、それぞれの研究テーマを与えられ、汚い部屋で日々雑誌を読んだりラジオを聴いて過ごし、時々試料の作成(水素炎の雰囲気で鉄粉を還元する。空気が混入すると大音響で軽石の蓋が吹き飛ぶ💥)をおっかなビックリ行う日々が続いた。
後半になって、ようやく鉄粉を電気抵抗で焼結するテストピースの作成と各種分析用の試験工程に入った。日暮れも早まる研究室の薄暗い中で六本木だというのにクリスマスの賑わいもないまま作業を続け、年度末近くにようやくレポートが完成した💦
私の研究テーマは「抵抗焼結法による複雑機械部品の製造に関する研究」で、ひとつ誇れることは、従来高電流&電圧の電気抵抗により行う焼結法で欠かせないアルミナセメント系の絶縁体(塗布が難しい)を使用していた。それをプレイボーイなどのヌードグラビア紙が絶縁効果があるという先生のアドバイスで、手間のかかる塗布作業を止めて、このグラビア紙を絶縁体に採用した。その結果生産性は格段に向上することになって、その後の研究も容易に進むことになった。
という訳で、先ずは同僚のアホ学生にプレイボーイなどの雑誌を集めさせ、毎朝それを一冊一冊手にとってヌードを眺めてから作業に入るという日々が続いたのだった。
今日ネット検索して、原先生の研究抄録や著作も発見できたが、長年の研究の一端を担えたことに今になって気がついた私は、きっとチコちゃんに叱られるだろう😱
Don't sleep through life!