道東を発見する旅 第3の人生

あふれるばかりの自由

いよいよ7月

6月も後2日で終わって、今週の水曜から7月に入る。

7月になったら、何かがあって、とんでもないことが起こって、自分が右往左往して、なんて事はまったくない。

だけど、暑くなって身体がバテる事は間違いないだろう。

とりあえず、大きな課題は、7月1日水曜日の午前7時45分から始まる医局会である。

毎回、交代で30分程度のセミナーをすることになっているのだが、3年ぶりに自分の順番が回ってきた。

話のネタは2つ3つあるのだが、明日と明後日、急いで資料を作らなければならない。

前回は、北海道の離島で発見したマダニによる皮膚炎とそれを根絶したことを話した。

今回は、今の勤務先で調べたMRSAのバンコマイシンによる治療の話や質量分析による入院期間の短縮の話をする。

どちらも自分オリジナルのデータで、世間の誰も見たことがないようなデータである。

皆の反応を想像し始めると底なし沼に落ちてしまう。だから、今日と明日はストーリーの完成度をあげることだけ考えよう。

さて、今回は、ネットで読んだ脱北少年の話です。

16歳で北朝鮮から脱北しアメリカに難民として移住した少年の話で心が強くゆさぶられました。それを紹介します。

最初にサイトのリンクをはっておきます。動画のリンクがありますが、これがとても素晴らしい。

もちろん、誰かのアドバイスを受けているのでしょうけど、ゴミあさりと物乞い、窃盗しかしてなかった少年が、アメリカに移り住み、教育を受けて英語を学んだ結果、ここまで喋ることが出来て自由に自分の考えを伝える事が出来ている事に驚愕しました。

【過酷な北朝鮮生活】脱北者だけど、なんか質問ある?【新天地での驚き】
http://askmeanything.blog.jp/archives/1031770672.html#more

脱北

主人公は16歳のときに北朝鮮から中国へ脱北した。

1990年代に北朝鮮では飢饉があり、100万人くらいの人が死んだそうだ。

その時に、主人公の父も餓死した。父の死後、母と姉は中国へ食料を探しに行くといって姿を消してしまったので、主人公はホームレスの孤児になった。

やむなく路上生活をしながら、生きるために盗みを働いたり物乞いをしたりして食べ物を得て、その後、中国へ逃げた。

そこでLiberty in North Koreaとつながりを持って、中国を出てアメリカに移住できるよう助けてもらった。

養子になった家庭のサポートのおかげで高校を卒業し、今は国際関係の学士号取得に励んでいるそうだ。

あふれるばかりの自由

以下、引用

Q. アメリカ1年目はどうだった?その時期に味わった文化的な違いとかは?
 
A. えーと、言葉と文化が確実に最大の障壁だった。

でも本当に困ったのは、人生でなにをすればいいかわからなかったこと。

それが一番難しかった。北朝鮮での僕の日々の夢といえば、食べ物を見つけること、十分な食料を得ることだった。

当時はある意味、食料が愛だった。食料だけが僕の夢だった。

でもアメリカに来ることで、食べ物を与えられた。そういう意味で、僕の夢はすでに叶ってしまった。

だからその後なにを求めたらいいか、本当にわからなかったんだ。おまけに多くの人が僕に言ってきた。

君は自由で、なんでもできるんだ、って。でも誰も自由の意味するものを僕に説明してはくれなかった。

だからそれを自分自身で理解しなきゃいけなかった。新しい友達との出会い、年上の人たちとの会話が僕を助けてくれたように思う。

引用終わり

ここでの感想

北朝鮮では、もの心ついた時から、いつも食べるものが無かったのだろう。

孤児になってからは、くる日もくる日もゴミの中から食べ物を探す毎日が続き、飢えから開放されるのが自分の夢だった。

ある日、突然、夢が叶って完全に不安が解消されてしまった。

そのときの不思議な虚無感が、自分にはとても新鮮に思えた。

そしてあふれかえるほどの自由である。何をして、どう時間をつぶせばいいのか分からないという感覚は、自分にも共感できる。

今の病院に勤務を始めたその日から、自分は十分な食べ物をあてがわれ(人並み以上の給料を貰い)、何をしても構わない、というポストに座ってしまった。

もちろん、最低限の義務はあるけど、勤務先での長い一日を、時間をもて余しながら乗り切ってきたのだ。

さて、主人公は、そこからどう変貌をとげていくのだろう。大きな変化へのステップは動画で見ることが出来る。

鶏の手羽先が変えた運命

時間がある方は、動画をご覧ください。時間が無い方のために、動画の字幕から一部抜粋しました。ネタバレです。

主人公はアメリカでの義父母から高校に通うように言われる。

ただ、主人公は言う。北朝鮮に住んでいるとき、小学校では勉強が嫌いで真面目に勉強しなかったそうだ。

餓死した父からも一生懸命勉強するように言われたが、何もせず中学も通わなかった。

アメリカでは、養父母に言われるまま、仕方なく高校に行きだしたが、何も勉強しなかったそうだ。そしてあるエピソードが起こる。

ある日、家に帰ると養母が鶏手羽先を調理していた。手羽先を手に取って食べながら、もう一つ取ろうとして、(このあたりが、飢えで苦しんできた人生が垣間見える)、
それを取ると皆の分が足りなくなることに気がついた(ここで文明社会の秩序を想い出す)。

それで、取るのをやめて、自分の皿を見ると手羽先が置いてあった。

養父が自分の分を主人公にくれたのだ。

あわてて養父の顔を見たら、養父はやさしい眼差しでじっと自分を見つめてくれていた。

その時、主人公は、北朝鮮で餓死した自分の父親を想い出した。実の父も、食べ物がなく飢えてひもじいときでさえ、自分の食べ物を自分に分けてくれたのだ。

養父の愛情のこもった小さな心遣いが、主人公の心を動かして、それから真剣に勉強するようになり、優秀な成績で高校を卒業して、大学に通っているというストーリーだった。

抜粋終わり

感想

サイトでは、いろんな質問に答えている。

自分も色々考えさせられたのだが、主人公は非常に頭のいい子なのだろう。

アメリカ移住を手助けした団体は、寄付で活動費をまかなっているそうだ。

だから、団体には広告塔が必要で、この少年はその役割を果たすだけの能力を見込まれたのかもしれない。

それで、信頼出来る養父母や教育環境を整えたのだろうし、結果的に団体の期待に応える事で、自分の将来への夢や希望を見出した主人公に自分は人間が本来持つ大きな可能性の広がりを見て感動したのだ。

色々考え出すとキリがないけど、自分の場合は素直に感動した。

特に自分が忘れている飢餓への恐れや最終的には最後の審判の日(自分の人生の終わりの日)を常に見据えて毎日を感謝して生活するという当たり前の人生の流れを忘れてはいけないと感じたのだ。

そして、とりあえず7月の初日に、皆に発表するネタは、3年前から何もやることがないという流れの中で自分が見つけたテーマである。

何とかいい形にしていきたい。

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