死にガラスの話 (奈良県)
むかしむかし、なんでもあてる、えらい八けみ(うらない師)がいてな。その八けみに見てもろたら、どんなことでもようあわすんで(よくあてるので)、ひょうばんやってんげな(だったそうな)。
その八けみは、いつも、八けの本をたいせつにもっていて、その本をよんでは、人びとに八けをみてやっていたそうな。
「わしのよめはんは、どっちのほうからもろたら、ええやろ。」
「うちのとっちゃんの病気はなおるやろうか。」
「ことしゃ、商売もうかるやろか。」
「わえ(わたし)のうんせい見ておくれ。」
村の人はもちろん、となり村の人たちまで、どんどん、みてもらいにきて、大はやりやったそうな。うれしいことやったら、みんな喜んで帰るが、かなん(悪い)ことや、さきの不幸なことまであんまりようあわされるので、そのうち、だんだんかなん(不安)ようになって、八けみてもらいにくる人がへってきてんげな。
八けみも、本のとおりみたら、ほんまに死ぬる日なんか、ピタリとあたんので、自分でもこう(おそろしく)なってきて、とうとう、その八けの本を燃やしてしまうことにしてんげな。そこで、、八けみは庭に出て、よせ集めたしばに火をつけ、ボーボー燃える火の中へ、たいせつなその本を、ほりこんでんげな。ほしたら(そしたら)、ふしぎなことがおこってんて(おこったんだって)。
本の燃えてるけむりの中から、ふしぎふしぎ、まっ黒な鳥が飛び立っていったんやって。その鳥が、いまのカラスやってんげな。
それからはな、あしたか、近いうちに死ぬる人があると、ガアガアと悲しそうに鳴いて、
「あした死人があるぞ。」
「近くでだれかが死ぬるから・・・。」
と教えてくれるということや。
ほんでに(それで)、今でもカラス鳴きが悪いと、
「こころ(きもち、気分)悪いな。だれか死ぬるんとちがうか(死ぬのではないか)。」
と、人びとはあんまりええきもちがしないで、気にするというはなしや。
〈話者・稲葉アキノ 再話・稲葉長輝〉【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編 日本標準発行】
からすのもち (奈良県宇陀郡野依小二年 大谷正登)
お正月のおもちをつくとき、からすのもちをいっしょにつくります。からすが、田んぼや畑につくってあるお米ややさいのたねをほじくらないように、おもちをついてやるのだそうです。
おじいちゃんとおばあちゃんが、からすのもちを十二こつくりました。
「からすがきたら、おもちをなげたりや」と、おじいちゃんがいったので、ぼくとまさるちゃんがながぐつをはいて、おもちをやりにいきました。
「からすこい。もちやろ」と大声をだしながらあぜ道を歩いていきました。ちょうどからすがニひきとんできたので、
「まさるちゃん、いまのうちにやろえ」といって、
「そらあ、そらあ」とかけ声をかけながら、からすのほうへなげてやりました。よその田んぼや畑にもなげてやりました。ぼくらがいると、いくらまってもたべにこないので、まさるちゃんとそうだんして、走ってかえりました。家のちかくまでかえって、さっきのからすを見ると、もうおりてきておもちをたべているようでした。
うちへかえると、おじいちゃんが、
「正登よ、からすたべたか」といったので、ぼくはさっきのことをはなしました。
「からすがたべたら、らい年は田んぼも畑もほう年やと、むかしからいうねで」とおじいちゃんがおしえてくれました。
「どうして十二こやのん」とたずねたら、
「一年は十二か月やから、十二こ作んねんで。うるう年やったら十三こや」とこんどはおばあちゃんがいいました。
(へんなことするなあ)と、ぼくは思いました。
【『子ども日本風土記《奈良》』日本作文の会編集・岩崎書店】
カラスとゴッコ (アイヌ動物話)
ある日カラスが浜べへいってみると、はるか沖なる海底にゴッコ(さかな)がいた。
「陸へあがってこいよ!あくしゅしよう!」
とカラスがいうと、
「また、わたしがあがっていけば、おじさんはわたしの肉をほじくるんでしょう?」
とゴッコがいった。すると、カラスがいうことには、
「どこの世界に、かわいいおいごの肉をほじくるおじさんがあろうぞい?」
といった。
ゴッコはあんしんして、あがってきた。
カラスは大よろこびで、ゴッコの肉をすっかりほじくりだし、ただ白い骨ばかりのこして、はらをつめがます(むしろの袋)のようにふくらませながら、海ぞいにしりをふりふりあるいていくと、ホッキ貝がひとつ、なぎさにあがって、口をぽかんとひらいていた。
それをカラスが見ると、またもやたべたくなって、その中へくちばしをつっこんだ。するとホッキ貝はたちまち口をとじて、したたかにカラスのくちばしをしめつけた。
カラスはどうてんして、首をふりふり、いうことには、
「沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!
沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!」
というと、波の底に声があって、
「うそだ ポクポクカピヤ!
うそだ ポクポクカピヤ!
おじとだまして わたしをころしたやつ!
うそだ ポクポクカピヤ!」
と、なにものかがいうと、ホッキ貝は、いよいよ力をこめてしめつけたので、カラスのくちばしは、ぽっきりときれて、ホッキ貝は海の中へ、
「チョンボッ!」
と、とびこんでしまった。
カラスは大いにあきれながら、家へかえってきて、あらとをもちだして、くちばしをとぐ音、
「小さいくちばし ゴッシゴシ!
小さいくちばし ゴッシゴシ!」
と、とぐのであった。
それからのち、カラスのくちばしは、あのようにまるくなったのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社】
火けしのカラス (宮城県)
むかしある村で、村のほとんどがやけるほど、大きな火事がありました。
子どもたちのたき火の火の粉が、ちかくのかれ草に、もえうつったのです。
火に気づいて、おとなたちがかけつけたときは、もう手がつけられません。ちょうどふいてきた強い風にあおられて、火はめらめらと四方、八方にひろがっていき、またたくまに野をなめつくして、家々をやいていきました。
村じゅうが火の海になっても、火はいっこうにおさまりません。火の粉をふきあげ、ほのおをたてがみのようにふるわせながら、となり村へともえひろがるほどのいきおいをみせていました。
「これでは、どこまでひろがるかわからんぞ」
「たいへんなことになったが、手がつけられん。どうしたらいいんじゃ」
村の人たちは、ただもえさかる火をみつめているばかりです。
すると、そのときです。
となり村の西の山のうえに、まっ黒な雲が、もくもくとわきあがりました。
「ありがたい、天のたすけじゃ。雨雲じゃ。雨がふってくれれば、火はきえるじゃろう」
村の人たちは大よろこびで空をみあげましたが、それは雨雲ではありません。なん千、なん万羽とも知れない、カラスの大群でした。
山にすむカラスたちが火事におどろいて、いっせいに空へとびあがったのかとおもいましたが、どうもそうではありません。
カラスたちはみな、くちばしになにかくわえているのです。
「あいつら、なにをくわえておるんだろう?」
よくみると、カラスたちは、葉のついた小えだを一本ずつくわえて、とんでくるのです。「あんなもの、はじめてみるぞ。カラスたちはいったい、なにをしておるんだな」
村の人たちは、頭のうえをとんでいくカラスの大群を、ふしぎそうにみあげていました。 カラスたちは、村をこえて海へとんでいくと、海のうえすれすれにおりて、くわえてきた木の小えだを、ちょんちょんと水につけました。そしてまた、黒雲のようになって村までとんでくると、もえつづける火のうえで、くわえている小えだをうちふりました。
すると空から、雨のように水がふってきました。
カラスたちは、なん回もなん回も、同じことをくりかえしていました。
おかげで大火事も、どうにかとなり村へもえうつらずにすみました。村の人たちはほっとしましたが、あたりいちめんのやけ野原をみて、おもわず息をのみました。
やけ野原のあちこちに、なん百羽とも知れぬ、黒くこげたカラスの死がいが、ころがっていたのです。みんな火をけしながら、けむりにまかれたり、つかれはてたりして、死んでいったカラスたちです。
それをみた村の人たちは、
「わしらのために死んだ、気のどくなカラスたちじゃ。ねんごろに、とむらってやらねばな」といって、死んだカラスたちのおはかをつくってうめてやりました。そして、毎年二月一日になると、村では「火けしのカラスぼうずにだんごをやれ」といって、おだんごをつくり、野や山のカラスたちにふるまうようになったという話です。 【日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社】
むかしむかし、なんでもあてる、えらい八けみ(うらない師)がいてな。その八けみに見てもろたら、どんなことでもようあわすんで(よくあてるので)、ひょうばんやってんげな(だったそうな)。
その八けみは、いつも、八けの本をたいせつにもっていて、その本をよんでは、人びとに八けをみてやっていたそうな。
「わしのよめはんは、どっちのほうからもろたら、ええやろ。」
「うちのとっちゃんの病気はなおるやろうか。」
「ことしゃ、商売もうかるやろか。」
「わえ(わたし)のうんせい見ておくれ。」
村の人はもちろん、となり村の人たちまで、どんどん、みてもらいにきて、大はやりやったそうな。うれしいことやったら、みんな喜んで帰るが、かなん(悪い)ことや、さきの不幸なことまであんまりようあわされるので、そのうち、だんだんかなん(不安)ようになって、八けみてもらいにくる人がへってきてんげな。
八けみも、本のとおりみたら、ほんまに死ぬる日なんか、ピタリとあたんので、自分でもこう(おそろしく)なってきて、とうとう、その八けの本を燃やしてしまうことにしてんげな。そこで、、八けみは庭に出て、よせ集めたしばに火をつけ、ボーボー燃える火の中へ、たいせつなその本を、ほりこんでんげな。ほしたら(そしたら)、ふしぎなことがおこってんて(おこったんだって)。
本の燃えてるけむりの中から、ふしぎふしぎ、まっ黒な鳥が飛び立っていったんやって。その鳥が、いまのカラスやってんげな。
それからはな、あしたか、近いうちに死ぬる人があると、ガアガアと悲しそうに鳴いて、
「あした死人があるぞ。」
「近くでだれかが死ぬるから・・・。」
と教えてくれるということや。
ほんでに(それで)、今でもカラス鳴きが悪いと、
「こころ(きもち、気分)悪いな。だれか死ぬるんとちがうか(死ぬのではないか)。」
と、人びとはあんまりええきもちがしないで、気にするというはなしや。
〈話者・稲葉アキノ 再話・稲葉長輝〉【「奈良のむかし話」奈良のむかし話研究会編 日本標準発行】
からすのもち (奈良県宇陀郡野依小二年 大谷正登)
お正月のおもちをつくとき、からすのもちをいっしょにつくります。からすが、田んぼや畑につくってあるお米ややさいのたねをほじくらないように、おもちをついてやるのだそうです。
おじいちゃんとおばあちゃんが、からすのもちを十二こつくりました。
「からすがきたら、おもちをなげたりや」と、おじいちゃんがいったので、ぼくとまさるちゃんがながぐつをはいて、おもちをやりにいきました。
「からすこい。もちやろ」と大声をだしながらあぜ道を歩いていきました。ちょうどからすがニひきとんできたので、
「まさるちゃん、いまのうちにやろえ」といって、
「そらあ、そらあ」とかけ声をかけながら、からすのほうへなげてやりました。よその田んぼや畑にもなげてやりました。ぼくらがいると、いくらまってもたべにこないので、まさるちゃんとそうだんして、走ってかえりました。家のちかくまでかえって、さっきのからすを見ると、もうおりてきておもちをたべているようでした。
うちへかえると、おじいちゃんが、
「正登よ、からすたべたか」といったので、ぼくはさっきのことをはなしました。
「からすがたべたら、らい年は田んぼも畑もほう年やと、むかしからいうねで」とおじいちゃんがおしえてくれました。
「どうして十二こやのん」とたずねたら、
「一年は十二か月やから、十二こ作んねんで。うるう年やったら十三こや」とこんどはおばあちゃんがいいました。
(へんなことするなあ)と、ぼくは思いました。
【『子ども日本風土記《奈良》』日本作文の会編集・岩崎書店】
カラスとゴッコ (アイヌ動物話)
ある日カラスが浜べへいってみると、はるか沖なる海底にゴッコ(さかな)がいた。
「陸へあがってこいよ!あくしゅしよう!」
とカラスがいうと、
「また、わたしがあがっていけば、おじさんはわたしの肉をほじくるんでしょう?」
とゴッコがいった。すると、カラスがいうことには、
「どこの世界に、かわいいおいごの肉をほじくるおじさんがあろうぞい?」
といった。
ゴッコはあんしんして、あがってきた。
カラスは大よろこびで、ゴッコの肉をすっかりほじくりだし、ただ白い骨ばかりのこして、はらをつめがます(むしろの袋)のようにふくらませながら、海ぞいにしりをふりふりあるいていくと、ホッキ貝がひとつ、なぎさにあがって、口をぽかんとひらいていた。
それをカラスが見ると、またもやたべたくなって、その中へくちばしをつっこんだ。するとホッキ貝はたちまち口をとじて、したたかにカラスのくちばしをしめつけた。
カラスはどうてんして、首をふりふり、いうことには、
「沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!
沖の小舟がもどったぞ ポクスラ!」
というと、波の底に声があって、
「うそだ ポクポクカピヤ!
うそだ ポクポクカピヤ!
おじとだまして わたしをころしたやつ!
うそだ ポクポクカピヤ!」
と、なにものかがいうと、ホッキ貝は、いよいよ力をこめてしめつけたので、カラスのくちばしは、ぽっきりときれて、ホッキ貝は海の中へ、
「チョンボッ!」
と、とびこんでしまった。
カラスは大いにあきれながら、家へかえってきて、あらとをもちだして、くちばしをとぐ音、
「小さいくちばし ゴッシゴシ!
小さいくちばし ゴッシゴシ!」
と、とぐのであった。
それからのち、カラスのくちばしは、あのようにまるくなったのである。
【北海道の民話─ふるさとの民話6─ 日本児童文学者協会編 偕成社】
火けしのカラス (宮城県)
むかしある村で、村のほとんどがやけるほど、大きな火事がありました。
子どもたちのたき火の火の粉が、ちかくのかれ草に、もえうつったのです。
火に気づいて、おとなたちがかけつけたときは、もう手がつけられません。ちょうどふいてきた強い風にあおられて、火はめらめらと四方、八方にひろがっていき、またたくまに野をなめつくして、家々をやいていきました。
村じゅうが火の海になっても、火はいっこうにおさまりません。火の粉をふきあげ、ほのおをたてがみのようにふるわせながら、となり村へともえひろがるほどのいきおいをみせていました。
「これでは、どこまでひろがるかわからんぞ」
「たいへんなことになったが、手がつけられん。どうしたらいいんじゃ」
村の人たちは、ただもえさかる火をみつめているばかりです。
すると、そのときです。
となり村の西の山のうえに、まっ黒な雲が、もくもくとわきあがりました。
「ありがたい、天のたすけじゃ。雨雲じゃ。雨がふってくれれば、火はきえるじゃろう」
村の人たちは大よろこびで空をみあげましたが、それは雨雲ではありません。なん千、なん万羽とも知れない、カラスの大群でした。
山にすむカラスたちが火事におどろいて、いっせいに空へとびあがったのかとおもいましたが、どうもそうではありません。
カラスたちはみな、くちばしになにかくわえているのです。
「あいつら、なにをくわえておるんだろう?」
よくみると、カラスたちは、葉のついた小えだを一本ずつくわえて、とんでくるのです。「あんなもの、はじめてみるぞ。カラスたちはいったい、なにをしておるんだな」
村の人たちは、頭のうえをとんでいくカラスの大群を、ふしぎそうにみあげていました。 カラスたちは、村をこえて海へとんでいくと、海のうえすれすれにおりて、くわえてきた木の小えだを、ちょんちょんと水につけました。そしてまた、黒雲のようになって村までとんでくると、もえつづける火のうえで、くわえている小えだをうちふりました。
すると空から、雨のように水がふってきました。
カラスたちは、なん回もなん回も、同じことをくりかえしていました。
おかげで大火事も、どうにかとなり村へもえうつらずにすみました。村の人たちはほっとしましたが、あたりいちめんのやけ野原をみて、おもわず息をのみました。
やけ野原のあちこちに、なん百羽とも知れぬ、黒くこげたカラスの死がいが、ころがっていたのです。みんな火をけしながら、けむりにまかれたり、つかれはてたりして、死んでいったカラスたちです。
それをみた村の人たちは、
「わしらのために死んだ、気のどくなカラスたちじゃ。ねんごろに、とむらってやらねばな」といって、死んだカラスたちのおはかをつくってうめてやりました。そして、毎年二月一日になると、村では「火けしのカラスぼうずにだんごをやれ」といって、おだんごをつくり、野や山のカラスたちにふるまうようになったという話です。 【日づけのあるお話365日 2月のむかし話 谷 真介編・著 金の星社】
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