前回、亡き祖母の雑賀家譜に記載ある「雑賀三緘(カン)」について記載しましたが、今回から信憑性についての
私の調査検証したことを逐次報告いたします。
雑賀家譜に記載ある雑賀三緘は、「後太平記」と「中古日本治乱記」にあることは述べましたが、ともに信憑性は
「低い」或いは「無い」とのことがこの世界では常識のようである。今回これを打破しようと試みる暴挙にでることと
なった次第です。これも亡き祖母の御先祖様を慕うあまりからですので容赦願います。
先ず、史料についてですが、皆様はご存じであったかも知れませんが私は、今回調査するまで残念ながら知りません
でした。概略は下記の通りです。
「後太平記」:作者は多々良一龍。42巻。「太平記」以降の南北朝時代後期から戦国時代を扱う軍記物語。
作者の詳細は不明のようですが、姓から察するには朝鮮からきた多々良氏大内氏と関係があるようで、
毛利に関する記載事項が多数あり。
作成時期:延宝5年(1677年)に成立したとされるが、草稿は元和3年(1617年)に完成したという疑い
があるとのこと。
既に、「後太平記」の信憑性の検証は江戸時代に萩藩にて「閥閲禄」を編纂した元就研究家である
永田政純が「新歳軍記」緒言にて「後太平記」に記載されている毛利関連の事案について信憑性を確認
している。
「中古日本治乱記」:作者は山中長俊(1547年~1608年)。豊臣秀吉の右筆。秀吉の命により「太平記」の後を承けた
形で、貞治元年(1362年~慶長2年(1597年)までの二百数十年に亘る記述を終えたが秀吉が
没した。その後朋友太田和泉守資方の勧めを容れて増補し慶長6年の関ヶ原の戦いで終結。
序文:慶長7年(1602年)
以上二冊の史料に対して、この世界では信憑性が高いと通説の織田信長の側近(右筆との説があるようだが?)で
ある太田牛一が書いた「信長公記」で同様の事案を記載した箇所との比較検証を実施した。
「後太平記」も「中古日本治乱記」も記載期間が、二百年以上に亘るために信憑性が「低い」「無い」と見られるのは、
致し方ないと思われる。又、仮作・仮託とのことでもある。
しかし、萩藩の永田政純が「後太平記」に記載ある毛利家関連の調査をしたように、多々良一龍・山中長俊・太田牛一が
生きた同時代の戦国時代に限定して見た場合は違って来るのではないか。
そのように考えた私は、三冊に記載ある関連事案を事案毎に一シートに横並びに国会図書館より入手した史料から
パソコンに入力した(全部を入力するのに約半年を要した)。
但し、三冊に同じように記載あるのもあれば二冊にしか記載されていない事案もある。要は記載事案が「信長公記」
との比較検証で正しいか否かである。
次回はこの暴挙と思われる事案を列挙し、検証した事を報告いたします。
・・・・・・・・・・続く・・・・・・・・・・・・・・・・・
私の調査検証したことを逐次報告いたします。
雑賀家譜に記載ある雑賀三緘は、「後太平記」と「中古日本治乱記」にあることは述べましたが、ともに信憑性は
「低い」或いは「無い」とのことがこの世界では常識のようである。今回これを打破しようと試みる暴挙にでることと
なった次第です。これも亡き祖母の御先祖様を慕うあまりからですので容赦願います。
先ず、史料についてですが、皆様はご存じであったかも知れませんが私は、今回調査するまで残念ながら知りません
でした。概略は下記の通りです。
「後太平記」:作者は多々良一龍。42巻。「太平記」以降の南北朝時代後期から戦国時代を扱う軍記物語。
作者の詳細は不明のようですが、姓から察するには朝鮮からきた多々良氏大内氏と関係があるようで、
毛利に関する記載事項が多数あり。
作成時期:延宝5年(1677年)に成立したとされるが、草稿は元和3年(1617年)に完成したという疑い
があるとのこと。
既に、「後太平記」の信憑性の検証は江戸時代に萩藩にて「閥閲禄」を編纂した元就研究家である
永田政純が「新歳軍記」緒言にて「後太平記」に記載されている毛利関連の事案について信憑性を確認
している。
「中古日本治乱記」:作者は山中長俊(1547年~1608年)。豊臣秀吉の右筆。秀吉の命により「太平記」の後を承けた
形で、貞治元年(1362年~慶長2年(1597年)までの二百数十年に亘る記述を終えたが秀吉が
没した。その後朋友太田和泉守資方の勧めを容れて増補し慶長6年の関ヶ原の戦いで終結。
序文:慶長7年(1602年)
以上二冊の史料に対して、この世界では信憑性が高いと通説の織田信長の側近(右筆との説があるようだが?)で
ある太田牛一が書いた「信長公記」で同様の事案を記載した箇所との比較検証を実施した。
「後太平記」も「中古日本治乱記」も記載期間が、二百年以上に亘るために信憑性が「低い」「無い」と見られるのは、
致し方ないと思われる。又、仮作・仮託とのことでもある。
しかし、萩藩の永田政純が「後太平記」に記載ある毛利家関連の調査をしたように、多々良一龍・山中長俊・太田牛一が
生きた同時代の戦国時代に限定して見た場合は違って来るのではないか。
そのように考えた私は、三冊に記載ある関連事案を事案毎に一シートに横並びに国会図書館より入手した史料から
パソコンに入力した(全部を入力するのに約半年を要した)。
但し、三冊に同じように記載あるのもあれば二冊にしか記載されていない事案もある。要は記載事案が「信長公記」
との比較検証で正しいか否かである。
次回はこの暴挙と思われる事案を列挙し、検証した事を報告いたします。
・・・・・・・・・・続く・・・・・・・・・・・・・・・・・