団子坂
2005年12月26日 | 道
不忍通り通りの団子坂下と道灌山交差点の中間を西に入ると「大給坂」があります。
写真のあたり坂の途中から東林町会となりますが、町内で最も急な坂だと思います。
坂の途中には標識があります。
[文京区教育委員会の標識]
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かつて、坂上に大給豊後守の屋敷があったことから大給坂と名づけられた。
大給氏は、戦国時代に三河国(いまの愛知県)賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された一族である。
現在残っている大銀杏は、大給屋敷の中にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は、次のようによんでいる。
“初冬や 竹きる山の なたの音。 (漱石1867~1916)
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