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団子坂

2005年12月26日 | 

団子坂を上る途中の右側が東林町会となります。


大給坂

2005年11月21日 | 

不忍通り通りの団子坂下と道灌山交差点の中間を西に入ると「大給坂」があります。
写真のあたり坂の途中から東林町会となりますが、町内で最も急な坂だと思います。

坂の途中には標識があります。

 [文京区教育委員会の標識]

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 かつて、坂上に大給豊後守の屋敷があったことから大給坂と名づけられた。

 大給氏は、戦国時代に三河国(いまの愛知県)賀茂郡大給を本拠とした豪族で、後に徳川家康に仕え、明和元年(1764)、三河西尾に移封された一族である。

 現在残っている大銀杏は、大給屋敷の中にあったものである。この辺りの高台を、千駄木山といい、近くに住んだ夏目漱石は、次のようによんでいる。

 “初冬や 竹きる山の なたの音。 (漱石1867~1916)

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