
2月11日(月)
9日に、東京ベイコート倶楽部で国士舘大学応援団100周年式典があり、行って来ました。
私は昭和53年に56代目の団長をつとめたので嬉しさもひとしおでした。
38年前に入団した頃を思い出しました。
当時、斜里から上京し、右も左も分からなく、新聞配達をしながら応援団で頑張ったものです。
それから4年間、色々な人と出会いご指導いただき、団長になりました。
東都6大学1部リーグの応援にも神宮球場に毎週、行ったものです。
南海に入団した高柳や、広島のピッチャー長富などの応援したものです。
正月には箱根駅伝の応援に行き、往路の芦ノ湖でゴールをすると箱根小涌園ホテルで幹部交代し、夜はどんちゃん騒ぎ。次の日は新しい団長のもと復路の応援したものです。
その当時国士舘は強く10番以内に入っていました。
私の青春でした。
その力で今日まで人生を歩んでおります。
9日に、東京ベイコート倶楽部で国士舘大学応援団100周年式典があり、行って来ました。
私は昭和53年に56代目の団長をつとめたので嬉しさもひとしおでした。
38年前に入団した頃を思い出しました。
当時、斜里から上京し、右も左も分からなく、新聞配達をしながら応援団で頑張ったものです。
それから4年間、色々な人と出会いご指導いただき、団長になりました。
東都6大学1部リーグの応援にも神宮球場に毎週、行ったものです。
南海に入団した高柳や、広島のピッチャー長富などの応援したものです。
正月には箱根駅伝の応援に行き、往路の芦ノ湖でゴールをすると箱根小涌園ホテルで幹部交代し、夜はどんちゃん騒ぎ。次の日は新しい団長のもと復路の応援したものです。
その当時国士舘は強く10番以内に入っていました。
私の青春でした。
その力で今日まで人生を歩んでおります。
むかし、かすやしげる先生のところでお世話になった、中央大学応援団の白水です。
当時反目し合っていた国士舘大学応援団と中央大学応援団を結びつけてくださったのも鳥越先輩であると感謝しています。自分も今、全日本学生応援団連盟の中央大学選出評議員として末席におります。応援団も時代の流れに沿って変革のじきにはあります。
しかし、「愛と正義の応援団精神」はいつの時代においても普遍のものだと思って微力ながら尽力していく所存です。