
先日、タイガース・1976という記事を書きましたが。
それより遡る事3年。1973年です。
昨日、G+SPORTS&NEWSチャンネルでの2時間番組。
【ジャイアンツ・ヴィンテージ 激突!巨人vs阪神 川上監督編】
またもコピーガードのため、録画できず
1973年10月10日。後楽園でのGT天王山。
前日の試合、5-2でタイガースビハインド。
満塁のチャンスにバッター田淵。マウンド上は倉田。
田淵の打球はレフトスタンド最前列に飛び込む逆転満塁弾
リリーフ江夏が最後を締め、タイガース先勝。
翌11日。前日の逆転の勢いか、タイガース初回に4点先取。
続く2回にも3点を上げ、7-0でタイガースリード
ちなみに、後藤の3塁ゴロを取り損ねたサード長嶋、負傷退場。
これはもうタイガースのもんや と思いきや。。。
連投の先発・江夏が打たれる。
リリーフの上田・古沢と巨人打線に捕まり、なんと逆転される
ピッチャー高橋善正、バッター桑野のシーンです。
後楽園が人工芝になる前ですな。
この後、タイガースは再逆転しますが、9回裏に追いつかれます。
谷村が柳田に同点弾を浴び、結局10-10の引き分け。
巨人ベンチはこんな感じ。
土井選手と関本投手ですな。
関本投手の向かって左側は牧野コーチでしょう。
これが、球史に残るGT激闘です。
この試合が終わり、巨人残り3試合。タイガース残り4試合。
まずタイガース。広島相手に1勝1敗。
ところが、巨人が自分から勝手にコケてくれる
大洋・ヤクルトに連敗してしまう
V8巨人とは思えない戦いぶり。
これでタイガースにマジック1が点灯したのである
巨人残り1試合。タイガース残り2試合。
あと1つ引き分けるだけでエエのである。
昭和39年以来9年ぶりの優勝なのである。
ついに巨人の連覇が止まるのである
中日球場(当時)で行なわれる中日戦にタイガースナインは向かった。
そして・・・
行なわれる筈の胴上げは、【12年先送り】になってしまったのである
今度そういうのがあればご一報を
大きな声では言えませんが、我が家の秘密兵器なら大概のモンは…
>>我が家の秘密兵器なら大概のモンは…
著作権法第120条2項に抵触していますな。いまから大阪府警にTELします
この分だと【スカパー見放題チューナー】とか持ってはるんちゃいまっか?
星野さんが1973年の事を語っていた時に、この試合の事を「語り草」にしていたのを何となく憶えているのですよね。
それでは、また。
はい、田淵幸一さんを完璧に攻略して、星野さんが投げ勝ってしまったはずです。
そんな事を確か、星野さんが以前に当時の事を語っていたのですが…課長さんはその辺の事は詳しいでしょうか?
それでは、また。
この辺になると、シルクはんのほうがお詳しいんですがね
仰る通り、M1でタイガースは中日球場に乗り込みます。勝たなくてもエエんです。引き分けでよかったんです。
先発は誰もが上田次郎や思うてました。この年中日から8勝上げてるドラキラー。ところが、蓋を開けてみれば先発は江夏。【エースに花を持たせてやろう】という親心に見える、かと思えばさに非ず。
前日、江夏は本社に呼ばれてるんです。そこで江夏は本社の偉いさんに『江夏君、明日は勝たなくてエエ。優勝したらカネかかる。金田監督(当時)も了承済みや』旨の事を言われるわけですわ。
それをホイホイと引き受ける男・江夏ではない。アホかとバカかと。頭にカーっと血が上る江夏でありました。
つづく
1回表、タイガース先制。田淵の犠牲フライやったかな?うろ覚え
ところが江夏がピリッとしない。昨日の事で頭に血が上ったまんまか。逆転を喰らいます。
中日の先発は星野仙一。後年ご本人は『タイガースに勝たせてやろうと、ど真ん中に投げてやった』と話しておられますが、真偽のほどは定かではありません。
ただ言えたのは、タイガースナインは金縛りにあったように打てない。リードされた中日に追いついても逆転まではいかず。んで、ピリッとしない江夏は、また中日に引き離されると。
1点差の6回でしたか7回でしたか。ランナーを追いてバッター池田純一。8月の巨人戦でけつまずいてセンターフライを捕り損ね、後年【世紀の落球】と呼ばれたもんであります。
池田の打球はライトへ高々と上がった!やった、逆転や
つづく
ところがあろう事かライト井上。フェンス前でジャンプ一番、この打球を好捕
ときにこの井上、広島から移籍してきた選手なんですね。名曲【燃えよドラゴンズ】に『3番井上タイムリー』とありますが、S50年には山本浩二と首位打者争いをしております。
この首位打者争いの最終戦最終打席。ここでヒットを打ったら逆転首位打者!っちゅうとこでデットボール喰らうんですな。相手はタイガースの米田でしたかどうか(うろ覚え)。誰が見てもデットボール。審判も死球と判定しましたが、この井上『いや、当たってへん。当たってまへん。だから、打たせてくれ。ここでヒット打たないと、首位打者が獲れない』と審判に頼んだのであります。
話が逸れました
何れにせよ逆転の夢断たれたタイガース。江夏もマウンドを降りた。あとを継いだ谷村が中日にダメオシ点を許し、4-2で敗れたのであります。
それで130試合目、甲子園でのTG決戦、勝ったほうが優勝という試合を向かえる事になるのですが、そうなると追う者の強さですわな。歳をとってもV8巨人。なんと9-0の大差で勝っちゃうわけです。
あの年タイガースがもし優勝していたら、球団の歴史も変わったものになってたかもしれませんな。例えば江夏や田淵の放出も先送り、あるいは無かったかもしれません
解説有難うございます^^
「優勝したらカネがかかる」…オイルショック後の73年ですから、フロントの切実さが感じとれます。
でも、それに対して拒む江夏さんの姿勢…重圧に負けたようですが、立派ですね
130試合目の敗戦で優勝を逃す…さぞかし大阪の街は怒号で溢れていたのではないのでしょうか?
当時の私がいい大人だったら、ウサギは蹴り殺しませんが…少なくともイチャモン位はつけていたのかも知れません^^;
江夏や田淵の放出…
何故に放出されたのか、不可解な部分がありましたが…名古屋でこうした背景があった様子を知ってしまうと、少なからず納得してしまいますね。
それでは、また。
結局、タイガースは選手教育に長けてなかったっちゅう事です。江夏も田淵も甘やかした。甘やかしたから助長した。手に負えんようになって放り出したっちゅう事ですわ。
巨人の川上監督(当時)が言いました。【タイガースが優勝すると、子供の教育に良くない】。ホンマに言うたんでっせ
江夏は完全に孤立してましたね。ただ、操縦できる監督に恵まれなかっただけやと思います。金田正泰、吉田義男。ご本人は【チームの和、チームの和と言うけれど、喫茶室でコーシー飲んで駄弁るのがチームの和なんか?】というくらいですから。
そこへ肘の故障もあったもんだから、チームとしては【売り時】やったんでしょう。
南海へ行ってノムさんに出会えて、むしろよかったんでしょうね
田淵さんもね、結局球団が甘やかして。手に負えなくなって。
不運もあるんですよ。入団2年目に広島の外木場から耳にまともに死球受けて生死の境を彷徨って。あれで三半規管やられたんです。自分がマスク被ってて、キャッチャーフライが上がっても、何処に打球が行ったかすぐ分からない。それを【動きが怠慢】と言われるようになったんですな。
加えて腎炎になり、薬の副作用で太ってしまった。
S51年の8月ですわ。巨人戦で田淵の怠慢と取られるプレーで3タテ喰らったんです。キャッチャーフライは追わない、パスボールも追わない。ヘッドコーチのヒゲ辻が田淵に【お前、エエ加減にせえ】と叱責したんです。そしたら吉田監督がヒゲ辻に【おい、田淵に言うてやるな】と。ヒゲ辻さん、怒りましてね。【何で田淵だけ甘やかすんや】言うて、その年のオフに退団されました
結局はブレイザーが【田淵ガ居テハ、私ノ野球デキマヘン】っちゅうて、西武に出すんですがね。
江夏にしろ田淵にしろ、その当時はファンも見切ってたなあ。【トレードやむなし】と。でも、今ではこの江夏・田淵に物凄い帰愁の念を感じるのは何故でしょう?