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tons of knots

からだや頭の凝りをもみほぐして、人との絆や結び目がたくさん出来るといいね。
Innovation To Survive

雑草を抜きながら考えたこと  Post Corona Life コロナ後の世界 (10)

2020-10-14 07:52:53 | 払暁半刻
庭の雑草を引きながら考えました。
 うちの小さな庭には芝生を植えていますが、近ごろドクダミが出てきた。ドクダミは乾燥させればドクダミ茶にもなるから必ずしも害ばかりの草ではないけれど、芝生の中に出て来てしまっては如何にもよろしくないので、やはり雑草とみなさざるを得なくて、せっせと草むしりするしかない。ドクダミを抜きながら、ドクダミ畑でもあればそこでは雑草扱いされないだろうにとも思った。
 そこでふと近ごろほとんどいつも一面に出てくる中国のことを考えた。中国もドクダミ草みたいなものかと。芝生の中に生えて来るから抜かねばならぬ。そうせねば、やがて芝生を駆逐してしまうだろうから。見ていると、どうもドクダミの方が威勢がよくて、更に困る。芝生を守ろうとすれば、やはりドクダミを雑草として扱って抜かねばならぬ。芝生とドクダミがうまく互いに生えている場所を分けてくれて、生えてくれれば、ドクダミを雑草と扱う必要もないし、抜く必要もないのだが。
 彼の国にも人口が多くて何とか皆を食わせねばならぬとか、様々に、彼の国なりの事情はあろう。あろうけれども、折角平和な海であったところに出てきて、しかも自国民保護を目的に武装した船を航行させるようになっては、やはり芝生の中のドクダミだと思わざるを得ない。
 近代以後、社会の経済は、物物交換や物とお金を交換する売買で成り立っている。大昔は、まず領土的占領と支配があってその上に交易が成立していた時代だと言えると思う。それでも遠くエチオピアのシバの女王の時代から、領土的野心よりも交易による繁栄を重視した国や時代はあった。そうはいっても、現代でも米国は強大な軍事力でしょっちゅう戦争をしているではないかと言う人がいるかも知れない。確かにその一面はある。特に自国の裏庭と米国が思っている南米や、石油資源の豊富なアラブの世界では、米国に非のあるところもある。それでも、世界の多くの海域で、国際法が確立して各国の領海は守られてきたし、多くの国がその恩恵に預かってきた。特に西太平洋から東シナ海についてはそうだ。
 我が家の庭もそのうちドクダミが生え繁る時期が来るのであろうか? その時、ドクダミ以外の花や草は生き延びられるのだろうか。米国の海軍力が海洋の国際法秩序を維持してきたともいえる太平洋戦争後のこれまでと、やがて時代を経て中国流の海洋秩序となった時代が来るとして、どちらの時代がより周辺各国にとって、そしてそれらの国に住む各国の国民にとって、自由なのだろうか。
 中国流の海洋秩序になった時代に、中国は「民主的でより開かれた海洋秩序」を周辺国に提供してくれるだろうか。中国三千年の歴史は、中国の人たちに自由で民主的な政治を経験させてくれただろうか。中国の人たちはこれまで経験もしていない「自由で民主的な体制」を今後の学習で身に付けることができるだろうか。習さんの「習」は習うという意味だけれど、皮肉なことに習さんの学習科目は「自由」とか「民主」とかではないらしい、というか、学習するのをあきらめた観さえある。
 ドクダミは乾燥させればお茶になり身体にいいことは確かだから、ドクダミがこの世からなくなってほしいなどとは思わないし、ドクダミ畑で繁茂するなら、お茶がたくさん出来てくれればいいと思う。
 でもやっぱり、どう考えても、芝生の中にドクダミは生えて欲しくはないなあ、芝生が駆逐されては困るなあ、とドクダミをむしりしながら考えた。












隣は何をする人ぞ  Post Corona Life コロナ後の世界 (9)

2020-08-18 21:28:48 | 払暁半刻
ここ数日は「命に関わる暑さ」で、何とも不快な夜が続いています。熱中症で夜に具合が悪くなりそのまま倒れてしまう方が続出しているのは何とも痛まい限りです。

ということで、暦はともかくまだ盛夏の真っただ中で、「隣は何をする人ぞ」もなかろう、とおしかりを受けることを覚悟で、以下、これも筆者の友人に送ったメールの一節。

「お隣の中国との関係は、日本にとって実に微妙です。
 中国とは地理的、歴史的な問題もあるし、何より、日本が経済的にも政治的にも米中露という大国に囲まれているために、中国との関係だけを云々しても本当の問題解決の糸口は一向に見つからないからです。ひょっとすると永久未解決問題かもしれないけれども、その時代時代、その時々の情勢の動きの中で少しでも「安定」に繋がる道を見つけて懸命に賢明に乗り切って行かざるを得ないように思う。本来、国際関係とは永久に完全な解決のない「永久問題」なのだと割り切ってしまえば少しは気が楽になるかもしれないけれど、それは、無策、無気力でも仕方ないということではなくて、絶えず一生懸命でなくればないないということでもある。

 さてそこで、ここ数十年の状況をどのように見るか。山と山里に例えると、こんな感じでしょうか。
 日本は米中ロという三つの巨山に三方を囲まれた山里のような位置にあるわけです。そのため、どこかの巨山の頂上を目指して登ろうとすると、別の山から「その山に登るならもう登らせてやらねえぞ」と言ってくる。しかもどの山にも、出掛けて行って拾いたい山の幸がそこそこ豊富にある。おまけに、「中山さん」からは昔文化という川がほぼ千年近く流れ込んでいたために、既にその川が涸れ川であるにもかかわらず、山里の住人の中にはまだその川に水が流れていると錯覚している者、あるいは、今後いつかは水が流れてくるはずだと期待する者もいなくはない。今の山里は「米山さん」のお陰で強風から守られていて、更には米山さんがほかの二つのお山が時に狂風にならないように抑える力もあるけど、どうもその神通力もいつまで保つか判らない兆候もある。

 平和な山里でいようとする方法の一つは、三つの巨山を越えた向こうにある沢山の里の民と仲良くなって、出来れば様々なモノや力が借りられる関係になること。
もう一つは、中山や露山に住む民そのものとも仲良くしたいけれど、各々の山には得体の知れない山の神が住んでいて、山里に降りてくるこれらの山の民とは仲良くできても、そもそも降りて来ない山の民もいて、そういう民は山の神の神通力で金縛りになってしまっている。 それにそもそも、この山里にはそんな時間と手間の掛かる遠交近攻の策を手順立てて、しかも深く静かに続ける根気が見えてこない。その訳の一つには米山の神が他の巨山の神に対抗するために、山里の民の長(おさ)連中に呪いをかけているから、という者もいる。
しかも、山里の民の中には米山の第二国民と錯覚して、あるいはそういう振る舞いが山里で政治的な力を得ることを知っている者もいる。だからこの類の輩は、米山から吹く風にばかり顔を向けている。

 山里の神と民が安寧に暮らせるもう一つの道は、どの巨山の民からも、口をそろえて「あの山里は戦も諍いも無いいい所だ、山里の民皆なが俺達と友達なんだ、あの里の民が傷ついたり里が荒らされる無くのは身を切られるように悲しい、世界の宝だ」と賞賛してくれること、しかもそういう巨山の民の声を巨山の神が無視できない、そんな世になること。でも、これはとても難しい。山の神は一時が万事全てをお見通しで神官たちは己の力が萎えるのを何より怖れているから。
 それでもせめて山里に降りて来た巨山の民とはいい友達関係になりたいものです。」



good talented いい人材とは  Post Corona Life コロナ後の世界 (8)

2020-08-09 21:28:51 | 払暁半刻
新型コロナが流行り始めてからは、友人とは直接会話を楽しめない分、メールでのやり取りが増えました。 そのような中で、コロナ後「国会議員は歳費に見合った仕事をしているか」「最近の議員にはいい人材が少なくなった」という話になってしまいました。その際の当方の一節を紹介させていただきます。

「以下、自分のことを棚にあげて書きます。
 よい人材を選ぶ、実にむつかしいことです。
 会社でも、もちろんビジネスと会社の将来にとって「よい」ですが、よい人材を選ぶのに苦労します。まずは意欲があって周囲を巻き込んでゆける人。でも、「意欲」は往々にして野心の別表現でしかなく、野心は往々にして自分の利益についての野心でしかなかったりする。「周囲を巻き込んでゆける人」も、判断力に問題があると往々にして間違った方向に周囲を巻き込んでゆきます。さらに質が悪い場合は、自分を正当化するために自分の影響力を使って、より事態を深刻にしてしまう(笑)。

 国会議員の”よい人材”は、もっと難しそうです。
 法律家の場合、ほとんどの場合いわゆる徒弟制度に近い育成法です。これによって、個人的な資質、理解力、物事を推し量る想像力、論理力と説得能力などが数年掛けて評価されます。もちろん、価値判断力も自然と評価の対象になってきます。
 国会議員の場合、お話によれば、まずは権力に酔わない人であることが人材の第一条件のようです。かつ、想像するに、悪魔の囁きを吹きかける取り巻きや支持者を注意深くかつ丁寧に斥けられる人でなくてはならないようです。
ただ、思うに、後者の”忌避能力”はある程度頭が切れて誠実な人であれば可能なような気もします。前者の”権力陶酔症”は、結局のところ子供のころからの訓練、教育、自己統制の練度の問題のようですが、同時に日本の政官界の風土が改まらなければ、麻薬や酒タバコの常習と同じで、いつまでたっても改善されなそうです。最近の学生の間では我々の時代と違って、大酒に酔うことが、”いいこと、大人になった証拠”といったポジティブな評価が減り、ネガティブに評価される傾向にあるようです。
お話によれば、英国では、保守・労働両党とも、長い時間をかけて国会議員候補者を選抜し、党の顔として擁立し、時には党の戦略にそって「お国替え」もあるそうですが、”権力陶酔症”に関しては、その制圧にある程度成功しているのではないでしょうか。」

「コロナ後」に即していえば、では、リモート勤務が今後定着していったとして、「いい人材」とは何か、あるいは、
コロナ後も災害や災厄が波状的に発生するとして、これに対処できる「いい人材とは何か」であろうと思います。


造反有理 Reasonable reason of rebellion  Post Corona Life コロナ後の世界 (7)

2020-07-14 16:50:55 | 払暁半刻
造反有理。英語ではConduct rebellion has a reasonable reasonと訳すようだ。
毛沢東が1939年に行った演説で有名になった言葉である(Wikipedia)。日本でもかの学生運動時代に大いに使われた。筆者の理解では「反抗するにはそれ相当の合理的な理由がある」となる。

香港は、有名や植民地戦争であったアヘン戦争(1840-42)を英国が仕掛け、清に勝利した結果、南京条約で99年の租借を清に認めさせた地である。以来、英国の支配下でシンガポールと並ぶ自由経済都市としてアジアの枢要な経済的地位を占めてきた。1997年、租借の期限が切れると共に、中華人民共和国に返還され、特別行政区となった。
その香港は今、国家安全法に揺れている。香港の人権派、民主派は民主化運動の”戦略的後退”を余儀なくされている。敢えて、民主化運動の終焉とか沈静化といった表現は使わない。筆者は、香港の民主派、人権派には、「造反有理」があると確信しているからである。

 皮肉なことである。植民地帝国(これには日本も含まれよう)の侵略や”中国王朝”最後の帝国である清の遺制に抗して立ち上がった中国共産党は自らの行動を「造反有理」と定義付けた。そして、その第三世代(第四世代?)である現在の中国共産党は香港人民の造反を徹底的に抑え込む意気込みである。自らにも「有理」(そう相当の合理的な理由)があると考えていると思う。しかし、人民の声を封殺するその”法”は抑圧以外の何物でもない。なぜなら、香港の人権派や民主派にも同様に「造反有理」があるから。もし、中国共産党が、香港の人権派や民主派の造反に「有理」がない主張するなら、また、人民の声を「抑圧」していないとするなら、それは自ら言い放ち自らを定義したかつての言葉に対して大いなる矛盾ということになる。
 慎重に見てみるなら、毛沢東は共産党の運動について造反有理と言ったが、それは即、「造反は正しい行いだ」と言ったのではないかもしれない。冷徹な現実主義者であった毛にしてみれば、おそらく(筆者のゲスであるが)「これは正邪の問題ではなく、力の問題だ。より多く人民から支持を受けた側が結局は「正しく」よって正しい側が勝利するのだ」と考えていたように思う。彼にとって「正しさ」はその程度のものであったかもしれない。しかし、「造反有理」はその後文化大革命で紅衛兵も自らの正当性を主張する言葉としても使われた。それほど中国では建国とその後に影響力を持ったことばであった。
 いずれにしろ、かつて苦難の建国の途上にあった中国共産党は自らの行動を「造反有理」と称したが、今やかつての「造反」者は立派に「抑圧する側」に変身を遂げたわけだ。
 さて、では、この「抑圧する側」には「理」が有るのであろうか。中国の国土の広さと打ち続く災害や反乱、膨大な人口圧力、未成熟な職業倫理と非効率な行政組織、それらに起因する無能と腐敗、さらにはもっと根源的に社会主義的資本主義という国家統治の原理そのものに内在する理論的矛盾、こういったことをすべてひっくるめて、香港を云々できるほどに「それ相当の合理的な理由」を今の中国は持っているだろうか。
 筆者には、天安門事件直後からとは思わないが、少なくとも現習政権になって以降、中国共産党はこの様々な矛盾を創造的に解決に導いてゆこうとする努力を放棄したのではないかと評価している。であれば、中国共産党は「国を良くする」ということについてもはや自らの「有理」を備えていないということになる。

 香港返還の際英国と中国が締結した返還条約(共同声明)は、1997年から50年間適用されるとされている。単純に考えると条約の一部を構成する「香港の高度の自治」は2047年まで適用されるということになる。Wikipediaによれば、2014年2月、中国は「共同声明は無効だ」と英国側に伝えたという。この通知は共同声明の定める手続きに従ってなされたのだろうか。そうであれば、国家安全法はいずれ出現する可能性の高いものであったともいえる。もし、手続的取決めを無視して中国側が一方的に通告したのであれば、中国は国際的な取決めを遵守しない或いは無視するお国柄だということになる。前者であれば、我々はいささか気づくのが遅すぎた「お人よし」ということになるし、後者であれば、信用のおけない人口数第一の国と今後友好的に条約や取り決めをしてやってゆくことはまず絶望的ということになる。その帰結は、支配されるか、支配されずとも互いが各々孤立的に存在するか、あるいは打ち負かすか、ということになりそうである。ひょっとすると、彼らを「啓蒙し直す」という選択肢もないわけではないが、中国三千年のプライドが許さないだろう。
 矛盾を克服しない人、組織、企業そして国は、いずれは崩壊する。なぜなら、矛盾を抱えるのは避けられないこととしても、矛盾を克服する努力そのものにもその人、組織、企業、国家の存在意義があるから。矛盾を克服する不断の努力を放棄したものはその時点でその存在のすべてが固着し発展は封殺され、矛盾を克服しようと自己改革を努力する競争相手に対して徐々に遅れをとるようになる。その結果は、統御できないほどに矛盾が拡大し、自己崩壊に至る。清を見よ。

香港に限らず中国共産党の支配地にいる人権派、民主派の人々に「崩壊するまで待って」とはとても言えない。せめて、これらの人が望むなら温かく受け入れ、そして何より励まし勇気づける姿勢と努力を維持してゆきたい。

Post Corona Life コロナ後の世界 (6) The game will be over, and .

2020-06-28 08:56:45 | 払暁半刻
The game will be over, and we need to prepare for the clear and present danger.
(ゲームは終わるだろう。そして、今そこにある危機に備えなければならない。)

"The"とは、”トランプ大統領の”ということである。
詳しく調べたわけではないが、記憶に残る限り、ローマ帝国や漢帝国以来、軍人の支持を失った王や政権がその後長く存続した例はない。前国防長官マティス氏のAtlantic誌への寄稿以来、米軍は米国憲法に忠誠を誓っていることを再確認した上で、現職大統領が憲法に忠実ではないことを認識したようだ。報道される最近の米国の世論調査でも、バイデン候補が今年の大統領選挙ではかなりな優勢を示している。

翻って、我が国の政権はどうか。現時点で現職の首相は、歴代一位の在職日数を誇り、来年の東京オリンピック開催時にはどうしても現職の首相として臨みたいのであろう。現に秋の衆院選挙、自民党総裁選4選の声も聞かれ、ここのところ俄かに政局化しているという。
しかし、残念ながら、安倍氏が二回目の首相に就任する前から彼を支えたブレーンのほとんどはすでに政権中枢のアドバイザーではない。彼ら、公共政策の分野において今の日本で望めるほぼ最高レベルの頭脳たちこそ、彼の政権発足時あれほど新鮮で且つ期待を抱くことのできた政策について、立案や助言を任ってきた。しかし、(これは筆者の見解だが、)アドバイザーたちは、就任後幾年か彼のそば近くで身近に彼に接した結果、国を率いる首相の政策遂行能力と理解能力の真の実力と、知見・経験の範囲を知ってしまったが故に、次々と政権を去っていったのではあるまいか。今彼の周囲を固める首相補佐官にできるのは、せいぜい「アベノマスクと支給金」。それも、そのタイミングと実行の手際において、杜撰極まりない。
よくよく観察していると、最近の現政権の政策についての発想や手法は、旧態依然たるものに先祖帰りしてしまっている。

米国は先に見たような具合。
我が国の首相は他に国民的な支持を博する首相候補者が存在しないためにかろうじて在任期間の最長記録を更新している状態。
独メルケルは現代最高の国家指導者であろうけれど、彼女も在任期間が長く、党における位置づけにも陰りが見える。
ジョンソン氏はコロナウイルスに感染した唯一の先進国の指導者だが、Brexit後の英国とEUとの関係は未だ不透明なまま、果たして主張通り輝かしい英国の復活を果たせるのか。そして、仏マクロンの任期は6年。
と、見てくると、凡そこれから2年内に、OECD諸国の主だった指導者はみな交代するのではないか。一方で、二大専制体制国(中露)の指導者たちは、専制なるがゆえに、その地位を確固たるものとして維持している。(危機の要因1)
しかし、世界や各国の直面する課題は増えこそすれ、一つも解決の方向性を見出していない。日本が直接、間接に影響を受けるであろう危機は数多い。
コロナウイルス感染対策。 巨額に膨れあがった財政赤字の収拾。 温暖化に伴う暴風雨の常態化。 老朽化するインフラ。 日本は巨大地震問題だって抱えている(もう60年周期はとっくに過ぎてる)。
国際問題(局地的には、イラン、北朝鮮、アラブ諸国とイスラエル関係、シリア、中印国境衝突等々あるけれども、真の原因は冷戦崩壊後明らかになってきた、「民主制対専制性+経済の国際化」の複合的な問題だろう。)

理由の一つは明らかにトランプ・ゲームがこの複雑さを加速した結果である(危機の要因2)し、二つには、様々な危機に直面したことで、これまで潜在してきた”格差”の問題、”民主的な政策解決能力の限界”が広く認識されてきたことであろう。そのためにかえって問題解決を難かしくしている(危機の要因3)。これらの要因のため、”危機”が、単に自然や経済の現象に関わる危機だけでなく、政治の体制そのものにも及びつつある。Black Lives Matterのデモを見ていると、未だ健全な人々が多数を占めていると確信はしている。しかし同時に、トランプなど典型であるが、自由や社会全体の調和(民主的手続きもそれを実現する手段だが)よりも、目先の自分の利益にのみ固執する層が結集する核を作ってしまった。(水蒸気が空気中を浮遊するほこりや石炭の燃えカスを核にして霧になり雨になるように)この結集した層がたとえいったんは少数派になろうと、その後”平和的な政治プロテスト”だけに頼って運動するという保証や実際上の制約はどこにもないのだ。

解決策を提示しろと言われると、筆者に具体的な方策があるわけではない。
ただ、一つ言えることは、これまでの我が国政権の意思決定手法では、これらの課題の解決に現実的な時間内では対処できないだろうということ。今の政策決定プロセスのままでいては、せっかく物理的には実現可能で具体性のある解決案が提案されても、それを実現するまでの(政治の)決定プロセスと利害調整の方法が整理できていないので、結局議論が議論ままで終始し、具体的に実現までの方途が見いだせない。その結果、時間がかかりすぎて、目の前の危機が制御不能にまでなってしまう。そんな可能性が大いにあると思う。

トランプは舞台から去るのは時間の問題であろう。が、複雑で波状的に襲ってくる”危機”を解決する人間の術の側に、実は本当の”現下の危機”があるのではないか。
そして、重要なのは、我々の次の世代のためには、民主主義体制であることを大前提にした解決手法でなくてはならないということ。(と、筆者は信じている。)
(2020.6.28)