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とみしゅう日記

ティーンエイジ・ボンバイエ

ミッチーさんつながりで、高校時代のこともちらっと書いてみましょう。

僕が通っていた県立K高校は、県内で「進学校」と目されていました。
偏差値で言うと、60強という感じ。

とはいえ僕自身、有名大学を目指すつもりはさらさらなく、
「なんとなく」入学したというのが実感です。
実際、入学後の成績は散々なものでしたから。

「歴史のある学校」というのは、「校舎が古い学校」とほぼ同義です。
K高校もその例にもれず、全体的にボロボロでした。
地盤沈下が顕著で、あちらこちらに隙間が入り込み、
トイレも公園の公衆便所並みの荒れかた。
ついでに、学校近くの雑貨屋では、
賞味期限の切れたパンが普通に売られていたとの噂。
三重苦もいいところです。

中学時代までは、そこそこ「クラスの人気者」だった僕も、
高校では見る影もなく、
「名もなき生徒」として3年間を過ごしました。

ただし、それはクラスでのこと。
僕の高校時代は、すべてが部活とともにあったと断言できます。

入学直後、僕は演劇部に入るつもりでいました。
中学時代、やはり演劇部に入ったものの、
3年生の先輩とまったく反りが合わず、
早々に退部してしまった苦い思い出があったのです。
「今度こそは」の思いを胸に、演劇部の部室を探しましたが…
部室がどこにもありません。

なんと! K高校には演劇部がなかったのです!

厳密に言えば、演劇部があった時代もあったらしいのですが、
部員が減少して自然消滅してしまったとのこと。

それなら、僕が新たに演劇部を作る!
…などと意気込むほどの情熱はなく、
別の選択肢を考えることにしました。

そうして選んだのが、「文芸部」だったのです。

文芸部とは、つまり「文章を書く」ことを活動内容としている部です。
同人誌を年に数回発行して、無料で配布していたんですね。

文章を書くことは好きでしたし、
脚本を書く勉強にもなるかもしれない…ということで、
さっそく部室を覗いてみることにしました。

震度3の地震でも耐えられるかどうか定かではない、
年季の入りすぎた部室棟(平屋)の一室に、文芸部はありました。

えーと。

正直言いまして、そのときの印象はほとんど覚えていませんので、
細かいところは割愛させていただきます。

当時の部員構成は、たしかこんな感じでした。
(途中入部組もいたんだけど、この際一緒くたにしちゃいます)

・3年生:不明(確か、男の先輩がいらっしゃったような…)
・2年生:Mさん(♂)、Uさん(♂)
・1年生:とみしゅう、カワダ、ハシモト、モンマ、イイムラ

ものの見事に男所帯ですよ。

この連中が部室に集まって、せこせこ執筆を…するわけがありません。
そもそも、前述のとおり、部室はボロボロ。
いちおうテーブルはありましたけれど、
とても執筆に集中できる環境ではありません。

では、部室で何をするのかといいますと…

基本的には、雑談&トランプ(またはウノ)です。
のちに、TTRPG(いわゆるテーブルトーク)を
やることもありましたけどね。

さすがに同人誌の発行時期になると、
それっぽいことはしていたんですが、
基本的には「だべり場」ですよ。

でも、楽しい時間でした。
けっこう真剣な話もしました。
恋愛について語ることもあったし、
社会情勢について語ることもあった。
みなアクが強い連中だったけれど、
だからこそ本音でぶつかり合えたんだろうなぁ。

もちろん、小説も書きましたよ。

この頃、親に頼み込んで「ワープロ」を買ってもらいました。
東芝の Rupo という機種です。
液晶はモノクロだったし、
プリンターは熱転写式で印字速度も遅かったけれど、
この Rupo を使って、たくさんの文章を書きました。

そうそう、ファンレターを貰ったこともあったなぁ。

僕らの代が2年生になって、後輩ができました。

・ミキ(♀)
・ミツイ(♂)
・シバタ(♂)

3人とも、やっぱりアクが強い面々だったけれど、
いい後輩たちでした。
そのうちの一人、ミキさんのお友達が、
僕らの文芸誌の読者だったのです。

で、ミキさんを通じて、ファンレターをもらったんですよ!

細かい内容は忘れてしまったけれど、
確か「金管楽器の乾いた音」という描写に対して、
「楽器の音は“しめっている”ほうが、いい音だと思います」
というような指摘をされた記憶があります。

…吹奏楽部の部員だったんですね、その人は。

音楽の知識なんてろくになかったから、
「なるほど、そういうものなのか」と思ったことは覚えています。

僕らの代が3年生のころ、ミッチーさんが文芸部に入部しました。
そのとき、一緒に入部してきた“ちーちゃん”と、
実はのちのちお付き合いすることになるのですが、それはさておき。

ミッチーさんは、実にハキハキした女性でした。
僕と同様、演劇が好きだったようで、
演劇の話をあれこれした記憶があります。

ミッチーさんに刺激を受けて、
高校最後の文化祭で芝居をやることにしました。
数少ない友人にも声をかけて、僕が脚本を書きました。
装置も照明もろくに使わなかったけれど、
とても楽しい思い出になってしまいました。

ちなみに、僕が主人公の少年を演じました。
ミッチーさんには、若くして亡くなってしまう
ヒロインを演じてもらいました。

前述のように、学業における高校3年間は、
さして語れるものがありません。
勉強に関してはおちこぼれに近く、
現役での大学受験には失敗しました。
理数系学科は、常に赤点ギリギリだったなぁ。

でも、文芸部員としての日々は、とても楽しいものでした。

高く評価されるような作品は書けなかったけれども、
今もこうしてブログで文章を書き続けていられるのは、
そしてミッチーさんと再会できたのは、
あの3年間にそれなりの「価値」が
あったからなのだろうと思っています。

ビバ、青春!
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