前回に引き続き、この度もセミナーに参加させていただきありがとうございました。
このセミナーのおかけで、自分の心の声をきちんと言葉にするということや、その言葉を聞いてほしい人に伝えるという作業を学びました。また、話し手の方の心の声がピタッとあった言葉になっているか伝え返しながら聞くという姿勢も、まだ不十分ながら学べたような気がいたします。日頃、人との何気ない会話が、一段と違って見えてきたことや、大切な人との会話もより深めることが出来て大変
感謝しています。ありがとうございました。
振り返ってみると、一番はじめに傾聴のセミナーに参加しようと思ったのは、仕事柄学生の話を聞くことが多く、また家庭でも家族の話を聞く場面が多くあったからでした。それまでも、“聴く”姿勢を読んだり、学んだりしていましたが、なかなか上手くいかないと思うことがありました。話を聞き終わって、聞いていた私自身“すっきりしない”何かがありました。私はよかれと思って、自分の時間を使って、寄り添ったつもりだけど、相手もすっきりはしていない、私もそんな相手をみて何かすっきりしない、もやっとした気持ちが残りました。友人と話す時は違ったような気がします。身構えていない、お互いに自然体でいられて、多くを求めていないからかもしれませんが。
仕事柄、家庭の立場的に、相手を受け止めよう、何か解決策を見つけて欲しい、すっきりして欲しいというこちらの思いがあったからかもしれません。
何回かセミナーに参加して、そして生活の中で活かそうと試みてきて傾聴について自分なりに感じた事があります。その1つは、必要な時に傾聴の姿勢をもつ、という事です。聖人ではないので、いつどんな時でも傾聴出来るというのは難しいと感じます。必要な時にスイッチを切り替えるように、『あ、今は腰を据えて傾聴しよう』『傾聴しようとするなら、私はここでどんな事を返すだろう』と考えるようになりました。上手くいって、相手が「ありがとう!そうなの!辛かったんだー」と言ってくれた時があり、上手く相手の気持ちに寄り添えたと思う時がありました。こういう事なのだ、と少し分かったような気持ちになりました。
ただ、家庭内では自分にも関わる事だったり、相手のことばが強すぎたりすると、聞いていられなかったり、黙っていられなかったり、聞きながら嫌な感情があふれてしまったり・・・という事も多く、上手く傾聴出来ないことも多々あります。これをどうしたらいいのか・・・と思い、そんな部分を少しでも解消出来ればいいなと思いまた参加させていただく事にしました。
今回印象的だった事の一つは、“聞き方・表情”に関して、でした。私は、二番手の聞き手でしたが、私の表情が辛そうで、話している方が『私が、辛い気持ちにさせてしまっているのでは、と思ってしまった』と後で話してくださいました。それはいいことなのか、よくないのか・・・。気になる点として話されているので、改善が必要なのだとその場では感じました。ただ後になって思う事は、話し手の方に「辛そうな表情をして聞かれているのは、どうですか?もっとこうして欲しい、というのはありますか。」と伺えば良かったと思いました。
話している方の表情やお話を聞いていて、『とても、つらいんじゃないかな、苦しい思いを抱えてらっしゃるのではないか』と感じたから、辛そうな表情が出てしまった。それはその気持ちを自分の事のように感じ過ぎてしまった、飲み込まれ過ぎてしまったのかもしれません。共感するのが悪い訳ではないと思うですが、相手が、話しにくいのであれば、またその“自分の事のように感じ過ぎてしまい、その事で本来の“聴く”ことからずれてしまうのでは、よくないですし。もう一歩踏み込んで、「どうして欲しかったですか」と聞いてみることと、ただその思いをあたかもその人が感じるように感じながらも、飲み込まれ過ぎないようにしなければいけないのかな・・・と感じました。
でも表情の事を言われた事は無かったので、よいきっかけだったと思います。
あと、一番手の聞き手になった時には、つい伝え返しがまとめに近くなってしまったように思います。そうならないようにしていても・・・。話し手からその点のフィードバックは特になかったのですが、そこも指摘されるのを恐れずに、「伝え返しについてはどうでしたか」と確認する勇気を持ちたいなと思いました。
デモを通して、相手が受け取って欲しいところ、相手が重要と感じているところをゆったりと、重みをおいて伝え返すというのは一つ私にとっては重要なポイントだったと思います。
話を正確に聞いて理解することも大切ですが、そこを伝え返すのではなく、話し手が重要と感じているところを正しく把握して伝え返す。ここをしっかり外さなければ、傾聴についてまた一歩進めるかもしれない、と感じました。
自分が話し手の時には、どうしても感情が伴うと涙が出てしまうことがありまして・・・。しっかり気持ちと向き合おうとすると余計にそうなってしまい、感情を抑えようとするとまた自分の気持ちに率直に向き合う事から離れてしまいそうで、なかなか上手くいきません。本当に感情が揺さぶられることは、練習の場ではやめておくことが無難なのかもしれない・・・とも感じました。
でも、否定もされず、堂々巡りしているようでも非難されず、安心して自分の気持ちに向き合い、それをことばにすることが出来ると、本当の自分の気持ちに向き合うことができたように思います。そうか、こんな風に思っていたんだ・・。問題の解決、とはいきませんが頭で納得しようとしていた事の奥に隠してしまっていた、本当の気持ちを知り、感じてしまった事で、片意地を張らずに素直になるしかないな・・・と少し楽になれたような気がします。
最後のグループでの共有の時に、普段の生活でなかなか傾聴がうまくいかないという話になりました。この場では、傾聴する方、される方も同じスタンスでいるので傾聴が上手くいくが、なかなか生活の場だと難しい場合がある、と。なので、傾聴のセミナーが重要な“聴いてもらえる場”なのだと思います。大切な人、自分の思いを傾聴して欲しい人には参加してもらえるといいのかな、と改めて感じました。なかなか難しいですが。
このセミナーのおかけで、自分の心の声をきちんと言葉にするということや、その言葉を聞いてほしい人に伝えるという作業を学びました。また、話し手の方の心の声がピタッとあった言葉になっているか伝え返しながら聞くという姿勢も、まだ不十分ながら学べたような気がいたします。日頃、人との何気ない会話が、一段と違って見えてきたことや、大切な人との会話もより深めることが出来て大変
感謝しています。ありがとうございました。
振り返ってみると、一番はじめに傾聴のセミナーに参加しようと思ったのは、仕事柄学生の話を聞くことが多く、また家庭でも家族の話を聞く場面が多くあったからでした。それまでも、“聴く”姿勢を読んだり、学んだりしていましたが、なかなか上手くいかないと思うことがありました。話を聞き終わって、聞いていた私自身“すっきりしない”何かがありました。私はよかれと思って、自分の時間を使って、寄り添ったつもりだけど、相手もすっきりはしていない、私もそんな相手をみて何かすっきりしない、もやっとした気持ちが残りました。友人と話す時は違ったような気がします。身構えていない、お互いに自然体でいられて、多くを求めていないからかもしれませんが。
仕事柄、家庭の立場的に、相手を受け止めよう、何か解決策を見つけて欲しい、すっきりして欲しいというこちらの思いがあったからかもしれません。
何回かセミナーに参加して、そして生活の中で活かそうと試みてきて傾聴について自分なりに感じた事があります。その1つは、必要な時に傾聴の姿勢をもつ、という事です。聖人ではないので、いつどんな時でも傾聴出来るというのは難しいと感じます。必要な時にスイッチを切り替えるように、『あ、今は腰を据えて傾聴しよう』『傾聴しようとするなら、私はここでどんな事を返すだろう』と考えるようになりました。上手くいって、相手が「ありがとう!そうなの!辛かったんだー」と言ってくれた時があり、上手く相手の気持ちに寄り添えたと思う時がありました。こういう事なのだ、と少し分かったような気持ちになりました。
ただ、家庭内では自分にも関わる事だったり、相手のことばが強すぎたりすると、聞いていられなかったり、黙っていられなかったり、聞きながら嫌な感情があふれてしまったり・・・という事も多く、上手く傾聴出来ないことも多々あります。これをどうしたらいいのか・・・と思い、そんな部分を少しでも解消出来ればいいなと思いまた参加させていただく事にしました。
今回印象的だった事の一つは、“聞き方・表情”に関して、でした。私は、二番手の聞き手でしたが、私の表情が辛そうで、話している方が『私が、辛い気持ちにさせてしまっているのでは、と思ってしまった』と後で話してくださいました。それはいいことなのか、よくないのか・・・。気になる点として話されているので、改善が必要なのだとその場では感じました。ただ後になって思う事は、話し手の方に「辛そうな表情をして聞かれているのは、どうですか?もっとこうして欲しい、というのはありますか。」と伺えば良かったと思いました。
話している方の表情やお話を聞いていて、『とても、つらいんじゃないかな、苦しい思いを抱えてらっしゃるのではないか』と感じたから、辛そうな表情が出てしまった。それはその気持ちを自分の事のように感じ過ぎてしまった、飲み込まれ過ぎてしまったのかもしれません。共感するのが悪い訳ではないと思うですが、相手が、話しにくいのであれば、またその“自分の事のように感じ過ぎてしまい、その事で本来の“聴く”ことからずれてしまうのでは、よくないですし。もう一歩踏み込んで、「どうして欲しかったですか」と聞いてみることと、ただその思いをあたかもその人が感じるように感じながらも、飲み込まれ過ぎないようにしなければいけないのかな・・・と感じました。
でも表情の事を言われた事は無かったので、よいきっかけだったと思います。
あと、一番手の聞き手になった時には、つい伝え返しがまとめに近くなってしまったように思います。そうならないようにしていても・・・。話し手からその点のフィードバックは特になかったのですが、そこも指摘されるのを恐れずに、「伝え返しについてはどうでしたか」と確認する勇気を持ちたいなと思いました。
デモを通して、相手が受け取って欲しいところ、相手が重要と感じているところをゆったりと、重みをおいて伝え返すというのは一つ私にとっては重要なポイントだったと思います。
話を正確に聞いて理解することも大切ですが、そこを伝え返すのではなく、話し手が重要と感じているところを正しく把握して伝え返す。ここをしっかり外さなければ、傾聴についてまた一歩進めるかもしれない、と感じました。
自分が話し手の時には、どうしても感情が伴うと涙が出てしまうことがありまして・・・。しっかり気持ちと向き合おうとすると余計にそうなってしまい、感情を抑えようとするとまた自分の気持ちに率直に向き合う事から離れてしまいそうで、なかなか上手くいきません。本当に感情が揺さぶられることは、練習の場ではやめておくことが無難なのかもしれない・・・とも感じました。
でも、否定もされず、堂々巡りしているようでも非難されず、安心して自分の気持ちに向き合い、それをことばにすることが出来ると、本当の自分の気持ちに向き合うことができたように思います。そうか、こんな風に思っていたんだ・・。問題の解決、とはいきませんが頭で納得しようとしていた事の奥に隠してしまっていた、本当の気持ちを知り、感じてしまった事で、片意地を張らずに素直になるしかないな・・・と少し楽になれたような気がします。
最後のグループでの共有の時に、普段の生活でなかなか傾聴がうまくいかないという話になりました。この場では、傾聴する方、される方も同じスタンスでいるので傾聴が上手くいくが、なかなか生活の場だと難しい場合がある、と。なので、傾聴のセミナーが重要な“聴いてもらえる場”なのだと思います。大切な人、自分の思いを傾聴して欲しい人には参加してもらえるといいのかな、と改めて感じました。なかなか難しいですが。