最近、アクセス解析を見ると
よく読まれている記事がこちらでして↓
(すいませんが別タブで開くリンクの貼り方がわからないので
ブラウザバックで戻ってきてください↓)
宝塚のフランス語④ セ・マニフィーク
よく読まれてる理由は、宙組公演で歌われているからだと思います。
(私は見に行ってないけどそれについては今回は言及しません)
google検索で「セ・マニフィーク 意味」と検索すると
当ブログがかなり上位に出てくるみたいです。
大丈夫か、google (笑)
フランス語については
もっとまともなサイトがいっぱいあると思うんやけど…。
というわけで、久しぶりにフランス語を学んでみようかと…。
上記の記事の日付を見たら、なんと3年以上前…。
あれから、ちょっとずつでも勉強してたのかっていうと
全くそんなことはなく(あるわけない)、
いまだフランス語については初歩の初歩もわかってない状態ですが
今回のお題は「セラビ アデュー」です。
セラビって何だろう~。「そらぴ」なら知ってるけど?
もうね、ネットで検索したら何でも出てくるから。
私みたいなド素人がこの記事書く意味…あるのか… っていう話ですが…。
お時間ある方はお付き合いください。
フランス語についてはほんとに、わかってないので
間違えたことを書いていたらごめんなさいです。
C'est la vie. 「セラビ」
意味は「これが人生というものだ(仕方がないさ)」
と辞書に書いてありました。
C'est と書いて「セ」と読む。
「これは~です」という意味。
c' は指示代名詞の「ce」(これ、それ、あれ)がエリジオンしたもの。
est は 英語で言うとbe動詞みたいなやつ。
être の三人称単数現在形がest 。
「エスト」ではなく「エ」と読む。
…っていうか、ここまでは上記の「セ・マニフィーク」と同じでした。
さっぱり忘れていたので、復習ってことで…。
la はvie につく定冠詞。
vie は 「命」「人生」「生活」などの意味がある女性名詞。
今回は「人生」という意味。
ベルばらお芝居の中では、
フェルゼン様が、オスカルが死んだことを知らされて
オスカル(とアンドレ)のことを思って
「セラビ アデュー」と歌う。
「アデュー」 adieu は、「さようなら」の意味。
辞書によると adieu は、
「相手と長期間あるいは二度と会わない場合に用いられる」
とあります。
つまり「セラビ アデュー」は
こんなつらいことが起こる、悲しい別れがある、
それが人生なのだ、というニュアンスなのかなと
思います。
「さよならだけが人生と思い知るとき」
という歌詞があります。
つまり、C'est la vie.という表現には、
何か辛いことや悲しいこと、どうしようもないことがあって
それでも、生きていかねばならない
人生とはそういうものだ
といった、あきらめ、悲しみなどのニュアンスがあるのかな
と感じられます。
…と、まるで自分で考えたかのように書いてしまいましたが
フランス語の説明のサイトなどをいろいろ参照させていただき、
受け売りでして、それを
ベルばらの場面に当てはめて考えさせていただきました。
ベルばらのオスカルを思って歌う場面については
そうした諦観のような意味の「セラビ」で納得できたのですが
この歌は、本編が終わってショー部分で
今度は雪組メンバーから彩風さんへの思いのアデュー
あるいは彩風さんから宝塚への思いのアデュー
として歌われています。
その場面では、そんな投げやりふうの「セラビ」ではないように
思うんですね。
もちろん彩風さんのさよならは悲しいことではある、
宝塚トップさんのさよならは必ずやってくる宿命ではある。
でもそれを「それも人生さ」と言っているとすれば
なんか自分的にはあまりしっくり来なかったんですね。
で、またネットで調べたところ
ポジティブな意味で「これこそが人生(の醍醐味)!」
といった意味で使う場合もあるみたいですね。※
調べた感じでは
ネガティブな(仕方ない…などの)ニュアンスのほうが
多く出てきたのではありますが、
ポジティブな意味合いで
”宝塚男役としての人生、これこそが人生だった!”
というメッセージのほうが
私的にはしっくり来るのかな…と思ったり。
ごめんなさい、あくまで主観なので
実際、どういう感じで歌われているのかは
わからないです。
オスカルへのさよならを歌う場面でもすでに
彩風さんのさよならとだぶって聞こえてしまう部分もあり
冷静には聞けなかった。
でもあくまでもそこはお芝居の中の歌として聞いて、
それが今度、ショー部分では彩風さんのさよならの歌として
しんみりと聴く…
ボレロのようなリズムになって(好き)
彩風さんのソロダンスになっていく
その流れは見事だったし
この歌…なんか頭から離れないんよな。
あと彩風さんの銀橋のダンスが
すごい記憶に残った。
えー、セラビについては以上で、
ちょっと話題変わりまして
ベルばらのフランス語と言えば
まっさきに浮かぶのは「シトワイヤン」ですね。
これはもう説明するまでもないやつですが
ベルばらを初めて見たころは
「シトワイヤンって何?」
と言ってた私です。
私はベルばらで一番好きな場面が
バスティーユの「シトワイヤン、ゆこう~!」です。
これはもう、今回だけでなく今までのベルばらも含めてですね。
ちなみに2番目に好きなのはラストの王妃様が階段を上っていくところで
3番目は「今宵一夜」。
…って、え、フェルゼン様は…?
っていうね。
でも一番好きな楽曲はって言われたら「愛の面影」かもしれない。
↑誰も聞いてないし脱線してるし
ま、それはいいとして
シトワイヤン citoyen は、「市民」という意味。
オスカルが市民に呼び掛けて「諸君!」と何度も言ってるけど
それのようなニュアンスなのかな
諸君っていうとちょっと上からみたいな感じもするけど
「シトワイヤン 行こう!」はそういう感じではなく
「同志の皆さん」と呼び掛けてる感じに聞こえるかな。
citoyenは男性で、女性はcitoyenne
と言うらしいのですが
ここで気になっているのは
最近、ポリコレ的文脈で
男性と女性の呼称を使い分けることに対して
敏感になっている今日この頃
この表現は現代ではどのように使われているのか
気になるところではありますが
知識がなさすぎて
私にはわかりません。
気にしすぎか。
いずれにせよ「シトワイヤン、行こう」は
男性も女性も含んでいるわな。
この「シトワイヤン」「市民」という語、
「革命によって貴族の称号が廃止されて」云々
という話がWikipediaに書かれてて
詳しく調べだすといろいろ考えるべき点がありそうなので
今日はこのへんで退散っと。
※「オンラインフランス語学校アンサンブルアンフランセ」様による
「FRANCE 365」というサイトを参照させていただきました。
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宝塚のフランス語④ セ・マニフィーク
よく読まれてる理由は、宙組公演で歌われているからだと思います。
(私は見に行ってないけどそれについては今回は言及しません)
google検索で「セ・マニフィーク 意味」と検索すると
当ブログがかなり上位に出てくるみたいです。
大丈夫か、google (笑)
フランス語については
もっとまともなサイトがいっぱいあると思うんやけど…。
というわけで、久しぶりにフランス語を学んでみようかと…。
上記の記事の日付を見たら、なんと3年以上前…。
あれから、ちょっとずつでも勉強してたのかっていうと
全くそんなことはなく(あるわけない)、
いまだフランス語については初歩の初歩もわかってない状態ですが
今回のお題は「セラビ アデュー」です。
セラビって何だろう~。「そらぴ」なら知ってるけど?
もうね、ネットで検索したら何でも出てくるから。
私みたいなド素人がこの記事書く意味…あるのか… っていう話ですが…。
お時間ある方はお付き合いください。
フランス語についてはほんとに、わかってないので
間違えたことを書いていたらごめんなさいです。
C'est la vie. 「セラビ」
意味は「これが人生というものだ(仕方がないさ)」
と辞書に書いてありました。
C'est と書いて「セ」と読む。
「これは~です」という意味。
c' は指示代名詞の「ce」(これ、それ、あれ)がエリジオンしたもの。
est は 英語で言うとbe動詞みたいなやつ。
être の三人称単数現在形がest 。
「エスト」ではなく「エ」と読む。
…っていうか、ここまでは上記の「セ・マニフィーク」と同じでした。
さっぱり忘れていたので、復習ってことで…。
la はvie につく定冠詞。
vie は 「命」「人生」「生活」などの意味がある女性名詞。
今回は「人生」という意味。
ベルばらお芝居の中では、
フェルゼン様が、オスカルが死んだことを知らされて
オスカル(とアンドレ)のことを思って
「セラビ アデュー」と歌う。
「アデュー」 adieu は、「さようなら」の意味。
辞書によると adieu は、
「相手と長期間あるいは二度と会わない場合に用いられる」
とあります。
つまり「セラビ アデュー」は
こんなつらいことが起こる、悲しい別れがある、
それが人生なのだ、というニュアンスなのかなと
思います。
「さよならだけが人生と思い知るとき」
という歌詞があります。
つまり、C'est la vie.という表現には、
何か辛いことや悲しいこと、どうしようもないことがあって
それでも、生きていかねばならない
人生とはそういうものだ
といった、あきらめ、悲しみなどのニュアンスがあるのかな
と感じられます。
…と、まるで自分で考えたかのように書いてしまいましたが
フランス語の説明のサイトなどをいろいろ参照させていただき、
受け売りでして、それを
ベルばらの場面に当てはめて考えさせていただきました。
ベルばらのオスカルを思って歌う場面については
そうした諦観のような意味の「セラビ」で納得できたのですが
この歌は、本編が終わってショー部分で
今度は雪組メンバーから彩風さんへの思いのアデュー
あるいは彩風さんから宝塚への思いのアデュー
として歌われています。
その場面では、そんな投げやりふうの「セラビ」ではないように
思うんですね。
もちろん彩風さんのさよならは悲しいことではある、
宝塚トップさんのさよならは必ずやってくる宿命ではある。
でもそれを「それも人生さ」と言っているとすれば
なんか自分的にはあまりしっくり来なかったんですね。
で、またネットで調べたところ
ポジティブな意味で「これこそが人生(の醍醐味)!」
といった意味で使う場合もあるみたいですね。※
調べた感じでは
ネガティブな(仕方ない…などの)ニュアンスのほうが
多く出てきたのではありますが、
ポジティブな意味合いで
”宝塚男役としての人生、これこそが人生だった!”
というメッセージのほうが
私的にはしっくり来るのかな…と思ったり。
ごめんなさい、あくまで主観なので
実際、どういう感じで歌われているのかは
わからないです。
オスカルへのさよならを歌う場面でもすでに
彩風さんのさよならとだぶって聞こえてしまう部分もあり
冷静には聞けなかった。
でもあくまでもそこはお芝居の中の歌として聞いて、
それが今度、ショー部分では彩風さんのさよならの歌として
しんみりと聴く…
ボレロのようなリズムになって(好き)
彩風さんのソロダンスになっていく
その流れは見事だったし
この歌…なんか頭から離れないんよな。
あと彩風さんの銀橋のダンスが
すごい記憶に残った。
えー、セラビについては以上で、
ちょっと話題変わりまして
ベルばらのフランス語と言えば
まっさきに浮かぶのは「シトワイヤン」ですね。
これはもう説明するまでもないやつですが
ベルばらを初めて見たころは
「シトワイヤンって何?」
と言ってた私です。
私はベルばらで一番好きな場面が
バスティーユの「シトワイヤン、ゆこう~!」です。
これはもう、今回だけでなく今までのベルばらも含めてですね。
ちなみに2番目に好きなのはラストの王妃様が階段を上っていくところで
3番目は「今宵一夜」。
…って、え、フェルゼン様は…?
っていうね。
でも一番好きな楽曲はって言われたら「愛の面影」かもしれない。
↑誰も聞いてないし脱線してるし
ま、それはいいとして
シトワイヤン citoyen は、「市民」という意味。
オスカルが市民に呼び掛けて「諸君!」と何度も言ってるけど
それのようなニュアンスなのかな
諸君っていうとちょっと上からみたいな感じもするけど
「シトワイヤン 行こう!」はそういう感じではなく
「同志の皆さん」と呼び掛けてる感じに聞こえるかな。
citoyenは男性で、女性はcitoyenne
と言うらしいのですが
ここで気になっているのは
最近、ポリコレ的文脈で
男性と女性の呼称を使い分けることに対して
敏感になっている今日この頃
この表現は現代ではどのように使われているのか
気になるところではありますが
知識がなさすぎて
私にはわかりません。
気にしすぎか。
いずれにせよ「シトワイヤン、行こう」は
男性も女性も含んでいるわな。
この「シトワイヤン」「市民」という語、
「革命によって貴族の称号が廃止されて」云々
という話がWikipediaに書かれてて
詳しく調べだすといろいろ考えるべき点がありそうなので
今日はこのへんで退散っと。
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