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時の関守

たましいの絆 3 母の記憶(2)天からの贈りもの

私が4~5歳くらいのことです。
2歳上の姉がその場にいませんでしたので、姉は小学校に行っていたのだと思います。

私たちが住んでいたアパートに、一人の中年の女性が訪れました。
話しの内容を、子どもながらに聞いておりますと、次のようなことでした。
「この町で身を立てようと、田舎を出てきたのですが、うまくいきません。
田舎に帰ろうと思うのですが、帰る汽車賃もありません。
切符を買うには、今自分が背負っている布団を、売るくらいしか方法がみつかりません。
この布団を買ってもらえないでしょうか。」

そんな内容だったと思います。
母はとても同情して、その布団を買うことにしました。
女性はとても喜んで、帰って行ったのですが、女性が玄関を出てちょっとしてから母は、
「これを買ってしまったら、後でお父さんにおこられる。」
とつぶやいて、布団を背負い、私の手を引くと、女性の後を追いかけたのです
そして、女性にやっぱり買うことはできないと告げ、
女性は「やっぱりそうですよね。」と言って、お金を返してくれました。
そのとき、私の顔を見て、「坊っちゃんにこずかいね。」
と言って、私の手に10円玉を握らせてくれたのです。

私の心の中は、なぜお金に困っている人が、私におこずかいをくれるのかという疑問と、布団買ってあげればよかったのになぁ、という思いがあふれていたように思います。

私が子どもとしてすごした時代は、まだまだ昭和の貧しい時代で、このようなことは、たくさんあったように思います。
傷痍軍人(戦争で手足を失ったりして、街角で通行人からお金を寄付してもらっていた)さんも、街角でたまに見かけることがありました。
学校に行けば、ぼろを着ていた子もいました。
私はけっして、慈悲ぶかい人間でもありませんし、どちらかというと打算的な人間といってもいいのですが、昭和30年代という時代が、そのとき子どもだった私の心を、それなりに苦しめたのはまちがいありません。

人はさまざまな苦労をすると思うのですが、どんなによい環境であっても苦労はあります。
人がうらやむような人であっても、人しれず苦しんでいるものです。

私は苦労というものは、人を耕す鋤(すき)のようなものだと思っております。
私たちの心というものは、まだ耕されていない一片の土地のようなものです。
苦労という鋤で耕やかされなければ、しだいにカチカチの地面となり、どんなに種を蒔いても、肥料をほどこしても、花が咲き、実がなることはないのです。

苦労を自らもとめれる人は、とても強い人だと思います。
しかし、ほとんどの人は、自ら求めていない苦労のなかで、苦しんでいます。
でもそれは、ほんとうは贈りものかもしれません。
なぜなら、その贈りものは、私たちに進むべき道を教え、後押しさえしてくれることがあるからです。
そうなればそれは、天からの贈りものにほかならないと思います。

コメント一覧

放浪の人生日記
「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」=鹿之助
あき
おはようございます

「それは、ほんとうは贈りものかもしれません。
なぜなら、その贈りものは、私たちに進むべき道を教え、後押しさえしてくれることがあるからです。
そうなればそれは、天からの贈りものにほかならないと思います。」

この部分、強く共感します。私も恩寵だと感じています。
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