まずは森村誠一から抜粋します。
これからの論説はお互いに相互作用しているのです。
まずは局所的な否定から始まります。
*疑惑の原点に戻ろうと思いますが、あなたは次の問いには答えていないのでは?
実は何度も答えているのですが、自論が行き詰ってくると、この「局所的否定」原点に戻って一からやり直そうとします。これは否定論ですね。つまり現在言われている定説の否定です。この否定のやり方は様々ですが「もし定説の言うように○○であるなら○○であるはずだ」と勝手に定義してそれを否定します。このAMLでも昔懐かしいホロコースト否定論と同じです。
実は否定論者と言えども滅多に【陰謀論】を口には出さないのです。陰謀論を口にしたとたん自論が破綻することを直感的にわかっているからなのです。否定論とは否定するための論理です。なかった事実を証明するのは困難である(悪魔の証明)と言う論理で否定論の正当性を主張します、しかし陰謀論を口にしたとたんに陰謀論の肯定論者にならなくてはなりません。これは否定論を展開していたときに追い詰められると、土俵際で必死に抵抗していた論理「あったことを証明するのは簡単だ」と主張してきたわけですから陰謀論を簡単に証明しなくてはならなくなるからです。
ですから否定論者は最後まで自らは陰謀論を口にしません。が、否定論の暗黙の問いかけの背後にある論理的礎は陰謀論であることは自明なのです。
さて暗黙の陰謀論が成立したときに、同時にこれも暗黙的に成立するのが歴史修正主義なのです。ですから、この陰謀論・否定論・歴史修正主義と言うのは三位一体の関係にあります。
この歴史修正主義に至るまでの結果はあっという間です。ナチスの台頭も日本軍国主義の台頭も全て同じ過程をたどっているのです。最初は素朴な疑問からはじまります。
フランス革命ナポレオン経典により解放されたユダヤ人は経済の中枢で巨大な力を獲得していきます。国民国家以降の最初の陰謀論は「国民国家成立はユダヤ人の陰謀だ」です。この声が大きくなったり弾圧されたりしながらユダヤ出身閣僚ラーテナウ暗殺をへて最終的にナチズムが台頭します。
今回もそのアメリカ陰謀説の背後にあるのはユダヤ陰謀論なのです。きくちゆみ氏の発行する書籍を順に追っていくと、そこにはまっていく様子が手に取るようにわかります。確かにアメリカの経済や政治には問題点が多いです。それが故アメリカは戦争をせざるを得ない状況があります。それはそれできちんと追求しなくてはならない、しかしそれを陰謀論で行ってしまっては行き着く先はナチスと同じです。
だからこそ重要なのは【真実】なのです。だからこそ陰謀論は、その芽が小さいうちに摘み取っておかないと危険なのです。それが平和主義の中にあってもです。
カトリックの平和主義の中にも陰謀論があったが為にナチスを容認・擁護してしまったのです。
我々は、それが平和主義の中にあろうと軍国主義の中にあろうと、それを徹底的に攻撃し破壊します。ここで冒頭で紹介した森村誠一の言葉が重要になるわけです。
【民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に抱含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。】
最後に「ボーイングを捜せ」をアインシュタインが 『衝突する宇宙』(注1)を批判したときの言葉で批判しておきましょう。
私は何度でも執拗に攻撃します、なぜなら【もう一度言っておけば良かった】と後悔しないためにです。
(注1)代表的トンデモのひとつ、面倒なので自分で調べてください(^^;
陰謀論(疑似科学)にはまっていく人々に続く>>
*コメントは思考錯誤まで
民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に抱含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。陰謀論・否定論・歴史修正主義というものの関係を説明しておきましょう。
民主主義の敵を認めて、ひとたび敵(ファシズム=独裁主義)の天下になれば、ふたたび民主主義を取り戻すために多量の血が流されねばならないことは、歴史の証明するところである。民主主義はその敵に対する絶えざる疑惑と警戒の上に辛うじて維持される。
われわれが「悪魔の飽食」を二度と繰り返さないためにも、民主主義を脅かす恐れのあるものは、どんなささやかな気配といえども見逃してはならない。われわれは民主主義の敵に対して警戒しすぎるということはないのである。そのことをこの実録によって再確認できれば筆者の幸せこれにまさるものはない。
---新版悪魔の飽食、森村誠一著、角川文庫、301P---
これからの論説はお互いに相互作用しているのです。
まずは局所的な否定から始まります。
*疑惑の原点に戻ろうと思いますが、あなたは次の問いには答えていないのでは?
実は何度も答えているのですが、自論が行き詰ってくると、この「局所的否定」原点に戻って一からやり直そうとします。これは否定論ですね。つまり現在言われている定説の否定です。この否定のやり方は様々ですが「もし定説の言うように○○であるなら○○であるはずだ」と勝手に定義してそれを否定します。このAMLでも昔懐かしいホロコースト否定論と同じです。
- もし、言われるように航空機がぶつかったのであれば、この柱は壊れているはずだが壊れていない。(勝手にそう思い込む)
- もし、言われるように遺体を焼却したのであれば真っ先に髪の毛が焼けるはずだが髪の毛が残っているのはおかしい。(勝手にそう思い込む)
- もし、言われるような南京虐殺があったのであれば占領後人口が増えているのはおかしい。(人口推移を偽造する)
- チクロンBは使用者自らにも危険すぎて使えない。←→チクロンBは虱退治の為に使っていた。
- タワー崩壊は火災によるものではない。←→瓦礫の中から溶解した鉄塊が発見された。
- 政府発表のペンタゴン突入のシナリオは信用できない。←→なぜ航空機がそのように突っ込んだと確信しているか?政府がそういっている。
実は否定論者と言えども滅多に【陰謀論】を口には出さないのです。陰謀論を口にしたとたん自論が破綻することを直感的にわかっているからなのです。否定論とは否定するための論理です。なかった事実を証明するのは困難である(悪魔の証明)と言う論理で否定論の正当性を主張します、しかし陰謀論を口にしたとたんに陰謀論の肯定論者にならなくてはなりません。これは否定論を展開していたときに追い詰められると、土俵際で必死に抵抗していた論理「あったことを証明するのは簡単だ」と主張してきたわけですから陰謀論を簡単に証明しなくてはならなくなるからです。
ですから否定論者は最後まで自らは陰謀論を口にしません。が、否定論の暗黙の問いかけの背後にある論理的礎は陰謀論であることは自明なのです。
さて暗黙の陰謀論が成立したときに、同時にこれも暗黙的に成立するのが歴史修正主義なのです。ですから、この陰謀論・否定論・歴史修正主義と言うのは三位一体の関係にあります。
この歴史修正主義に至るまでの結果はあっという間です。ナチスの台頭も日本軍国主義の台頭も全て同じ過程をたどっているのです。最初は素朴な疑問からはじまります。
フランス革命ナポレオン経典により解放されたユダヤ人は経済の中枢で巨大な力を獲得していきます。国民国家以降の最初の陰謀論は「国民国家成立はユダヤ人の陰謀だ」です。この声が大きくなったり弾圧されたりしながらユダヤ出身閣僚ラーテナウ暗殺をへて最終的にナチズムが台頭します。
今回もそのアメリカ陰謀説の背後にあるのはユダヤ陰謀論なのです。きくちゆみ氏の発行する書籍を順に追っていくと、そこにはまっていく様子が手に取るようにわかります。確かにアメリカの経済や政治には問題点が多いです。それが故アメリカは戦争をせざるを得ない状況があります。それはそれできちんと追求しなくてはならない、しかしそれを陰謀論で行ってしまっては行き着く先はナチスと同じです。
だからこそ重要なのは【真実】なのです。だからこそ陰謀論は、その芽が小さいうちに摘み取っておかないと危険なのです。それが平和主義の中にあってもです。
カトリックの平和主義の中にも陰謀論があったが為にナチスを容認・擁護してしまったのです。
我々は、それが平和主義の中にあろうと軍国主義の中にあろうと、それを徹底的に攻撃し破壊します。ここで冒頭で紹介した森村誠一の言葉が重要になるわけです。
【民主主義というものは、本質的に脆い。それは民主主義に反する主義思想をも体内に抱含する。自分を破壊し、覆そうとする敵対思想をも認めなければ民主主義は存在し得ないところに、この体制の脆さと宿命があるのだ。】
最後に「ボーイングを捜せ」をアインシュタインが 『衝突する宇宙』(注1)を批判したときの言葉で批判しておきましょう。
そう、あれは悪い本じゃない。いや本当に悪い本じゃないんだ。ただ、あれのまずいところはクレージーだということなんだよそしてそれは平和主義の中にあろうと軍国主義の中にあろうとそれは歴史修正主義なのです、なぜなら三位一体だからです。
私は何度でも執拗に攻撃します、なぜなら【もう一度言っておけば良かった】と後悔しないためにです。
(注1)代表的トンデモのひとつ、面倒なので自分で調べてください(^^;
陰謀論(疑似科学)にはまっていく人々に続く>>