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和気 別け ワケ清麻呂の先祖 金属を別ける石を別ける鉱山を探す一族超古代史瞑想東内

2016-04-24 13:10:50 | 経済と古代史 金属の歴史の含有した物

道鏡事件の和気清麻呂の先祖は 吉備の国に大昔に住んだ ヌデシ・ワケ ノ ミコト 

第10代 崇神すうじん天皇の御子 11代垂仁天皇の子

ヌデシ・ワケノ・ミコト (鐸石別命)

石を別ける(銅鐸のたく と 同じ字)

この 鐸は 銅鐸の たく=ヌデ を示している(他人様の文章を見た)

銅鐸の部族は 和気氏である

その後に 吉備から 現在の奈良県 纏向に入った一族

出雲の荒神谷遺跡の 銅鐸 銅矛 もこの和気氏の一族とも関係するかも 知れないとこの人は 空想しとる

 

別ける 一族 石を別ける 金属の鉱山を発見したり 

鉱物に関わる 一族 

現在の 岡山県から 兵庫県にかけての県境付近の山々 石を別ける一族が鉱山を探した

兵庫県佐用郡 昔は 吉備の讃容

さよう の 谷で多くの鉱山を見つけた一族 別部の犬(わけべの犬)

 

此処ホレ ワンワンの ワケベの犬じゃ

 

犬の遠吠えで 仲間と連絡を取り合ったかも知れん

呉の王や 太伯を 祖 とする 一族 かも 知れん

 

海流に乗って 超古代に 揚子江の河口あたりから 海を船で渡って瀬戸内に 辿りついたのだろう

南九州を経由してやってきたかも 知れんな~

 

宇佐八幡宮神託事件(西暦769年奈良時代)は その ずっと後の時代で 多分5-600年も のちの時代や

 

称徳天皇は 独身の女性天皇で 道鏡という 坊さんは その称徳天皇の寵愛を受けて 法王にまで 上り詰めたんだ そんで 自身が 天皇になりたいと 画策をした

 

弓削道鏡が天皇位を得ようとしたとされ、紛糾が起こった事件で その確認に 和気清麻呂公が 宇佐に行く ってことになる

この時代では 吉備の 和気氏も 大和朝廷に使える忠実な役人の1人だった

 

たしか 宇佐神宮の創建は西暦で730年くらい だった と思う

宇佐神宮の 元祖の 宮もあるらしいけれど

 

しかし その780年辺りでも 宇佐神宮は 天皇家や貴族にとっても 高い位置にあった ということだ

 

宇佐神宮は 現在 震災の被害が出ている大分県じゃな

 

とにかく 別けの 和気清麻呂公は 奈良時代から

長岡京遷都 平安京遷都の時代の人で 岡山県の出自の 官僚で 忠君愛国の人や

 

その 祖は みまさか 備前 和気 播磨 辺りの出自

磐梨別
(25)佐波良(  -  )
   |美作備前両國造
   |
   |磐梨別
(26)伎波豆(  -  )
   |美作備前両國造
   |
   |磐梨別
(27)宿奈(  -  )
   |美作備前両國造
   |藤野別真人
(28)乎麻呂(  -  )
   |
   +――――――――+
   |和氣 法均尼
(29)和気清麻呂(733-799)(一時は 穢い汚い麻呂と 名前を付けられ鹿児島に遠島)
女子(730-799)← この女性は清麻呂の姉で 女帝のお傍にいた

日本で最初に孤児院を作った人

 

中山太神宮 トーナイ 金属に関わる先祖だ と思う

 

ワシの里を 南に まっすぐ山をいくつも越えると

飛騨の瀧宮

天石門ワケ神社 ここに 2千年動かずと由緒で書いてある

そこを もっと 南に進めば 和気の清麻呂の神社の辺

和気町から 真西に進めば 現在も物部氏が神主をされる 石上神宮(旧 赤磐郡)や

 

弓削道鏡にしても 畿内の八尾市の出の人らしいが

岡山県の 旧 みまさかの国の 津山市の南辺りに 

弓削 という 地名があって これも 不思議

 

なんか 関係するように思うし

八塔寺の 処にも 道鏡の名前や 清麻呂公の名前も残っていて これも 不思議じゃ みまさか と 和気 備前の山中 不思議な 場所

 

 

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