漕ぐ、歩く、走る、我がボート人生徒然草

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学生時代の漕艇部活動を、停年退職後に再度始めた、その日々の記録

漕ぎ方随想その1

2017-07-28 17:42:04 | プロフイール2

 7月20日、27日と連続して、桐友会漕艇活動を実施し、そこで問題となった漕ぎ方に関し今回はコメントする。その前に、昨27日は曇天に拘わらず猛暑で、かつ多数の小艇でコースが混みあう状況で、操艇に注意した日であった。画像の1枚目は、2番漕ぐ富安くんのスナップで、桐友会皆勤の実績は、ボートに掛ける情熱のなみなみない事を示す。画像の2枚目は、土方ホール横で業者と商談中の沢田くんだが、桐友会艇庫の空白スペースに更にエイトを格納する構想で、技術的・資金的な面での話し合いの状況である。”問題となった漕ぎ方”については、同様に、20日の活動状況の概要を先にコメントをする。この日はメンバーは、C内野・S藤波・3大木・2富安・B橋爪で、小泉さんはコース外を自転車で伴走でコーチ担当したが、艇外からの指摘は、乗艇クルーだけでは気付かない点も多く、参考になった。で、漕ぎ方についてだが、3蕃漕いだ小生(大木)に対し小泉コーチから、キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込むと、厳しい指摘が何回もなされた。というわけで、問題となった漕ぎ方というのはこの件であるが、これを機に漕ぎ方について、多少検討した次第である。
 漕ぎ方あるいは漕法でもいいが、慶応流・早稲田漕法・東大流・外語流とか筑波漕法とかいろいろ言われるが、今回は原点あるいはルーツを考えてみた。となると、本家のイギリスにまで遡ることになる。かって、非常に古い話となるが、主流であった英国伝統漕法(English
Orthodox style)に対し、革新的な指導法で旧来を一新させたのがフエアバーン漕法(the Fairbairn style)であった。フエアバーンは自らの指導法について、1926年に "RoWing Notes" を刊行し世に問うたが、1926年は大正15年あるいは昭和元年という昔であり、本書も最早稀こう本の領域であるが、同和鉱業鈴木氏と東大淡青会の尽力で、1979年に我が国で復刻本として刊行されている。今回は、この復刻本を参考に、原点としてのフエアバーン漕法を検討した。フエアバーンは当書で、英国伝統漕法とフエアバーン漕法の違いについて、簡潔に指摘してる。英国伝統漕法は、肩あるいは上体を始動させることから入る漕法で、スライド部分や脚ぶはどうしても遅れることになる。
これに対しフエアバーン漕法では、上体より、脚部・スライド部・手の動き、そして何よりブレード捌きを重視する漕法と説明する。フエアバーンは、肩から上体の動きを重視する漕法は、見た目は派手だが(showy)艇を前進させる力は劣るという。
 ”It was a showy movement and gave the illusion that the shoulders were thereby doing much more work.
Catching it with the shoulders, and hollowing the back, and holding it straight was very showy. The
shoulders appeared to go faster, because the slides being held,and the back being held flat,and the stomach out,they did move relatively faster.Whereas,with the weight of the lower part of the body being
driven out. ・・・ ”(出所:『復刻本 Real Orthodoxy』 ⅩⅩⅩⅴⅱ より)

 フエアバーン漕法が、どのような変遷へて現代漕法へ発展したか、その過程はこれから検討するが、漕法の歴史を検討しその中で<キャッチの位置高くその分だけオールが切れ込む>その原因を考える、この方向もなか参考となる。3枚目画像は、復刻本掲載の、従来と違うフエアバーン・スタイルの実演である、4枚目はケンブリッジ・クルーを自転車でコーチするフエアバーン本人である。

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