トドムンド日誌

DE曽根崎デッド・エンド・ストリートPARA中津マージナルヴィル[トドムンド]の赤裸々な記録である。

中津の街

2009-04-09 15:57:08 | Weblog
 街全体が「アジール」である・なんてことよく言ってます。

 どの街もそうなのですが「再開発・再開発」と、何かの呪文のごとく、しかもそれは「いいことだ」みたいなニュアンスで語られ過ぎな状況にF○CKなTODO O MUNDOといたしましてはですね、ここはひとつ「脱・進歩のすすめ」など、一言申し上げときたいわけであります。

 モノがなかった頃から時代は進んできて、しかし、そのう、あるところでこのニッポンは臨界点に達したと思う訳です。その後は「自己組織化」してしまった進歩によって、「もうええっちゅうねん」な進歩が続いていると思うのです。

 それはヒトを幸せにするということではなく、もう、なんていうの・いらんおせっかいによって、生活を「必要以上に」便利にすることに貢献していくだけだったと思う訳であります。

 まず・それはヒトが使いこなせないような「進歩」だったり、それによってヒトとヒトの対面して何かすることを排除する事だったり、それによって、2ちゃんねらー・のような「誰かばれんようなとこでは・思い切り口汚く他人を罵る」とかいう精神を育む結果になっちゃった・と思います。

 「昔は良かった」とおとーさんたちが、延々言ってきたわけですが、今回に限っては「昔が良かった」はアリ・な気がします。それ以上の進歩はTOO MUCHであったなんてことはいろんなとこで証明されている訳だからね。

 で・その昔ってのはいつなん? 具体的に・という話になるのですが、それは80年代ではないか・と大雑把に思う訳です。20~30年前ぐらいのサム タイム イン ビトウィーン。ここらへんがモノの進化も行き過ぎではなく、ヒトもヒトであり、要するに共同体が機能していた・という2つの曲線がちょうどクロスする時間帯だろうと思えます。

 そんな風情の残る街は今時ないぜ・もう、なんて思っていたところ、なんとそれに近い街があったりして、それが中津だったりして・なんですね。

 曾根崎のように、おおっぴらに資本が入ってきて街自体を根こそぎ変える・なんてのはある意味わかりやすいし、抵抗もできるのだけれど、街自体の表層の変化は大規模ではなくとも、例えばわかりやすく「でっかいスーパー」ができる・とか、ジャンカラができるとか、そんなことでも街自体は変容していきます。

 そんなことからは極力遠いところに中津はある・と思うのです。特にTODO O MUNDOのある辺り。

 学生の頃に住んでいた「緑橋」の街を思い出しました。個人的な事で言えば。その状態からはかなり「痛んで」しまっている中津の街ですが、その痛み・もまた、ヒトが昔のスタイルで生きているという証しであったりもします。

 曾根崎時代に迷い込んできたドイツ人の建築家の女性と話してて「私たちは元あったものを残しながら街全体のデザインを考えるわよ」なんて言っていた事を思い出します。

 ニッポンには(京都とかを除けば)ないコンセプトであったりもします。

 TODO O MUNDOのユルさ・というのは「人間性の回復」というようなことをテレながら茶化して言っているのと同義でもあります。デッドエンドストリート時代は「露地」によって守られていたけれど、中津では「街」に守られている気がします。
だからDE曾根崎デッドエンドストリートPARA中津マージナルヴィルなのですね。

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