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訪れた史跡/資料館のみアップしています

寛永寺 上野戦争

2015-04-29 11:16:07 | 日記
慶応四年(1868) 5/15早朝、上野公園入口 西郷さんの像がある山王台の下あたりにあった黒門付近で新政府軍の砲撃が始まったという。
迎え撃つ彰義隊は山王台の高台から反撃し、寛永寺のある上野山からも攻撃し始めのうちは優勢だったが、
新政府側のアームストロング砲による砲撃が届くようになり形勢逆転となったようである。
当時の戦闘を物語るものとして、国立博物館あたりにあった御本坊の表門が移転され寛永寺・輪王殿の表門に当時の弾痕が多数残っている。

白虎隊伝承史学館

2015-04-25 19:14:57 | 日記
鶴ヶ城落城式場に敷いた赤い毛氈を会津人が式後切り取り持ち帰ったという一部が展示されている。
またここには、佐幕派のみならず戊辰戦争に関わった多くの人物の写真や江戸期の女性化粧道具などの資料も展示されている。磐越西線の旅も良いが上野辺りから会津若松直通電車で1.5時間だったら観光客も増えるだろうに…

会津藩滝沢本陣跡

2015-04-25 19:12:52 | 日記
会津藩主が領内巡視や参勤交代の際に休息所として用いた場所で、松平容保が白虎隊に出陣を命じた場所として伝わる。また、土方歳三が容保公を警護するためこの本陣にとどまったという。茅葺屋根による書院づくりの建物内には、弾痕や刀傷が残っている。

会津新選組記念館/阿弥陀寺

2015-04-25 19:06:30 | 日記
幕末維新&古式銃砲ミュージアムとして知られるこの記念館には、会津藩をはじめ新選組・奥羽越同盟軍・旧幕府軍・新政府軍の歴史資料や「八重の桜」で使用された「スペンサー七連発騎兵銃」など多種類の銃の展示がある。
また、記念館から徒歩2分の七日町阿弥陀寺の会津藩戦死者墓地の脇には、新選組三番隊組長 斉藤一の墓地がある。彼は会津藩士として投降し、以後半生を会津人「藤田五郎」として生涯を閉じ、本人の希望によりここ阿弥陀寺に眠っている。

木更津 請西藩陣屋跡

2015-04-24 15:15:07 | 日記
上総国(千葉県)請西藩の第3代藩主、林忠崇をご存知ですか。
王政復古の後、徳川に殉じる決意を表明、殿様なのに脱藩し明治1年(1868)4月藩士並びに人見勝太郎、伊庭八郎ら旧幕府遊撃隊を率いて木更津の陣屋を出立。
5月箱根に新政府軍および小田原藩兵と交戦するも敗北。熱海から館山へ次いで咸臨丸により奥州小名浜に上陸。奥羽越列藩同盟軍に参軍するが、10月徳川家の家名存続を知り仙台で降伏。その後、農民となり江戸~箱館など各地を放浪し学校の教師もやり、最後はアパートの2階に暮らし昭和14年まで長生きしたという歴史上最後の大名。