myBakumatsu

訪れた史跡/資料館のみアップしています

開陽丸青少年センター

2015-03-29 15:33:41 | 日記
榎本海軍が鷲ノ木に到着して以来、松前城攻略の際、陸軍のための援護砲撃を行った程度で働き場が得られなかったため江差に向かわせ、海上からの砲撃でこの地を攻略する作戦を立て鴎島に向け砲撃したが松前兵はすでに退却した後であった。江差沖に碇泊していたところ強風が吹いて荒れ始めた。機関長の中島三郎助は錨をあげ、蒸気機関を始動させ沖への脱出を試みたがすでに遅く座礁沈没した。

二股口古戦場跡

2015-03-29 15:27:50 | 日記
土方歳三率いた榎本軍の一隊は、箱館から厚沢部を経由して江差へと続く街道のほぼ中間にある二股に到着した。江差から1000名近い新政府軍が進撃してきて一気に押し切ろうとした。対する土方軍はわずか300弱だったという。結果この戦いで台場山を新政府軍は攻略することはできなかった。「新選組の死神が守る陣地」と言われた場所。まだ雪が残り山を登っては行けない。熊とも遭遇しそうな場所でもある。

松前福山城/法華寺

2015-03-29 14:22:49 | 日記
土方歳三は700の兵を率いて蝦夷地共和国樹立の障壁になる松前城攻略に出陣した。宇都宮城以来の城攻め。旧幕府軍艦回天と蟠龍も海上から援護したが海が荒れているため海軍の戦力が期待できないなか土方軍の働きが際立ったという。法華寺は松前城の東側400mに位置している。全軍総督だった土方は、この高台から戦いの全貌を監督指揮していたと言われている。桜の名所だがまだ咲いていない。また風も強く白神岬から見る海は荒れている。

横浜開港資料館

2015-03-14 11:48:03 | 日記
建物は、1931年に建てられ、1972年まで英国領事館として利用されていた。
1981年に開港100年を記念して編さんされた「横浜市史」の収集資料を基に、資料館が開館され幕末関係では、横浜税関運行所模型・ペリー横浜上陸画・ペリー艦隊が最初に来航した時の旗艦サスケハナ号の1/80模型・生麦事件の古写真などが展示されている。
画像資料『F. ベアト幕末日本写真集』に幕末日本の風景と人びとの様子を感じることが出来る。

亀山本徳寺_西本願寺北集会所

2015-03-05 17:24:11 | 日記
京都で、新選組屯所として用いられた西本願寺の建物は、立替の為解体されたが、時を同じくして、同寺と同宗派の姫路市内にある「亀山本徳寺」が火災を起こしたため、京都西本願寺を解体した時保管しておいた材木を亀山本徳寺再建用に送り、殆ど京都にあった本願寺北集会所と同様の建物に再建したようだ。ここにある刀痕の柱は、元々新選組第二の屯所となった京都の「西本願寺北集会所」の柱であり、刀痕もその当時新選組隊士によって腕試しでつけられたものと伝わるが、何の腕試しだったんだ?