1867年11月15日、坂本龍馬と中岡慎太郎は京都の潜伏先である近江屋で何者かに襲われ命を落とす。龍馬とともに海援隊で活躍していた陸奥陽之助は、龍馬を暗殺した犯人が、その年の4月に起きた「いろは丸」事件で多額の賠償金を支払わされた恨みをもつ紀州藩の藩士・三浦休太郎であると断じて、彼を討つことを決意し、海援隊・陸援隊の中から仇討ちの同志を募る。
三浦側は危険を察知して、会津藩を通して身辺警護を新選組に依頼する。1868年1月1日、陸奥ら15名の襲撃者は油小路の旅宿・天満屋2階で、護衛の新選組隊士・斎藤一、大石鍬次郎、吉村貫一郎らとともに酒を酌み交わしていた三浦休太郎を襲撃。陸奥らは、三浦休太郎を警護していた新選組と斬り合いになったが、結局三浦を討つことはできず、同志の十津川郷士出身の中井庄五郎が返り討ちにあって命を落とす。酒飲んで警護できるんだから凄い。
三浦休太郎は戊辰戦争が勃発すると一時捕縛されるが、間もなく釈放され明治政府に出仕している。
石碑は新選組の屯所があった不動村から少し北へ行った油小路通沿い、西本願寺の門前付近。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1d/10/f379f730bef13c24d1b996cc145a5a1e.jpg)
三浦側は危険を察知して、会津藩を通して身辺警護を新選組に依頼する。1868年1月1日、陸奥ら15名の襲撃者は油小路の旅宿・天満屋2階で、護衛の新選組隊士・斎藤一、大石鍬次郎、吉村貫一郎らとともに酒を酌み交わしていた三浦休太郎を襲撃。陸奥らは、三浦休太郎を警護していた新選組と斬り合いになったが、結局三浦を討つことはできず、同志の十津川郷士出身の中井庄五郎が返り討ちにあって命を落とす。酒飲んで警護できるんだから凄い。
三浦休太郎は戊辰戦争が勃発すると一時捕縛されるが、間もなく釈放され明治政府に出仕している。
石碑は新選組の屯所があった不動村から少し北へ行った油小路通沿い、西本願寺の門前付近。
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