みなさん、こんばんわ。
今日は、少し、冷えます。
みなさんのお身体が、守られ、祝福されますように。
今日は、B君が小学生の時に、とても、つらいいじめにあって、神さまが圧倒的な勝利を現して下さったことをお証しさせていただきます。
今、B君は、高校1年生ですが、小学校の6年生の時のことです。
いじめについていろんな、悲惨なニュースを聞くたびに心が痛みます。
人事ではなく、身近にも起りました。
しかし、この事をB君は、一言も言いませんでした。
まったく、わからなかった・・・・、それは、Bくんは、いつも明るく(不自然な明るさではなく)喜んでいました。
<いじめが、あらわに・・>
なんとなく、お母さんがB君に「お昼休み、学校で何しようと?」と聞きました。
B君は「毎日、図書館にいる。」と答えました。
お母さん「誰と遊びようと?」
B君「一人で本を読んでいる。」
お母さん「どうして、一人なん?」
B君「クラス全員から、無視されている。ぼくがさわると、汚い。」と言われると・・・・。
お母さんは、B君がいじめられている事を初めて、知りました。
「初めて」と言われたけど母だから・・、「何となく聞いた」と言われたけど母だから・・、きっと何かはわからなくても、心に気にかかる部分がチラホラと・・・・、ショックだった!でしょうね。
私達も、・・・・ショック!!でした。
気がついてあげられなかった事、・・・心の中で、ごめんね・・・・。と。
でも、今まで神さまが、B君を守って下さっていた。
そして・・時が来て・・、神さまがそのように導いて下さったと思います。
B君は、よく、感謝の電話(この頃は、毎日、子供達と電話で感謝をするように、神さまに導かれ、何年も続いていました。今は、子供たちが大きくなったので、電話では感謝はしていません。)の中で、「今日、おなかが痛かった事を感謝します。祈ったら、治ったことを感謝します。、頭が痛かった事を、感謝します。・・・・。」と感謝していました。(B君は、とても敏感で、アタック(霊的攻撃)を受けやすいので、そうだと思っていました。)
教会に来ても、その度に、いやしの祈りが成され、帰りには「なおった!」と喜んで、車の窓から「感謝しま~~す。」と見送っている私達夫婦に大きく手を振りながら、ニコニコして帰って行きました。
CS(教会学校)で、「すべてのことを感謝しましょう。もし、意地悪する人がいたら、そのお友達の事を祝福されるように、祈ってください。イエスさまが、触れて下さって、素晴らしい解決を見ていきますよ。」など、何度も語られていました。
その時、B君は、真剣に聞いていました。
それをB君は、実践していたのです。
お母さんは、心が痛んだと思います。(それは、言われませんでしたが、話される時、目が赤くなっていました。)
いじめられている事を話した翌日、B君は朝起きて「おなか痛い、頭も痛い。」と言って、もどしました。
<感謝し、踊って>
お母さんは、いやしのお祈りをしてあげて、B君といっしょにいじめを感謝して、踊りました。「いじめられている事を感謝します。この事も益になる事を感謝します。この背景に、神さまの祝福のご計画がある事を感謝します・・・。」と。
神さまは、私達を成長させるために、また、祝福されるために、時にはその事を通して多くの人々の祝福になるために、さまざまな訓練や試練をお許しになられます。
神さまの守りの手の中で・・・・。
B君は、いじめられている事をお母さんに話せて、心が少し楽になったと話したそうです。
しかし、学校に行く事を思うと、おなかが痛くなったり、頭が痛くなったり、もどしてしまったりの症状が出てしまったけど、「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(聖書の言葉・Ⅰテサロニケ5章18節)この神さまの言葉に従って、お母さんはB君といっしょに、このいじめの故に感謝し、踊ったのでした。
<逃げなかったB君>
お母さんは、おなかが痛いとか頭が痛いと言って、学校へ行った時はいつも途中で保健室に行って、早引きして帰って来ていたので、今日も帰ってくるだろうと思っていました。
しかし、この日は、早引きしませんでした。
学校から、帰って来たB君に、お母さんは学校での様子を聞きました。
「学校に行ったら、気分がなおった。」と、それにお昼休みは、図書室に行かないで教室で一人で寝ていたと・・・。
Bくんは、いつものように、図書室に逃げませんでした。
朝、お母さんは、Bくんと現状を感謝し、喜んで、踊ってから学校に行かせました。
<御からだなる教会でも祈る>
お母さんは、教会に来て、「B君がいじめられているので祈って下さい。」と言いました。
聞いたみんなの心が痛みました。
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだてあって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12章26~27節)
みんなで、この事を神さまに感謝し踊り、祈りました。
「Bくんがいじめられている事が、わかった事を感謝します。神さまが今まで、守って下さっていた事を感謝します。この事を祝福に変えて下さる事を感謝します・・・。」と。
<先生の対応に感謝>
お母さんは、学校の担任の先生にBくんが、いじめられている事を話しました。
話した翌日も、お母さんとBくんは、感謝し、踊って・・・学校へ行きました。
先生が、クラスの全員に紙を配って「今、クラスの中で起っている事があったら、それぞれ、紙に書いて下さい。」と言われたそうです。
クラス全員が、「B君を無視したり、陰で文句を言ったり、汚いと言った」「B君にさわると、呪われると言ったり、プリントを配る時もB君のプリントだけ投げて渡した」「B君の机もさわらなかった」などと書かれてあったそうです。
それから、先生は2時間、一人一人にじっくり、考えさせられたそうです。
今、B君は6年生です。(このお証しが、書かれた時)
5年生の一学期からだんだんといじめが始まり、みんながやっているから自分もといじめの輪が、クラス全員にまでも広がっていき、全員でB君をいじめていたそうです。・・・・
それは、一年間以上続いたのです。
もし、ここで、神さまがあらわにして下さらなかったら・・・・・。
ほんと~~に、感謝します。 それでも、Bくんは、学校に行っていました。
そして、感謝の電話の時は「今日、学校が楽しかった事を感謝します。算数が、楽しかった事を感謝します。」といつも、言っていました。
「学校が楽しかったの?」と聞くと「うん!」「何が、楽しかったの?」「○○して遊んだ事、う~ん、いろいろ」とほんと~に、楽しそうに話し、感謝していました。
まさか・・・・!?の出来事でした。
一年以上も、まだ、子どもなのに・・・よく、誰にも言わないで耐えたなぁーと・・・。
主が、共にいて下さらなかったら、感謝を知らなかったら、教会に来ていなかったら、こうは、ならなかったと思います。
お母さんも、先生に「B君は、教会に行ってるから、神さまがいるから、感謝を知っているから、いじめているクラスのみんなの祝福のお祈りが出来たんですよ。教会に行っていなかったら、ニュースで聞くような事が起きていたかも知れません。教会に行っていたから、一年間も耐えられたんですよ。」と言われたそうです。
先生も、「そうですね・・・。」と。
私達も、悲しいいじめのニュースを聞くたびに、教会へ来てくれていたら・・・・。と何度も思い、すべての子供達を守ってくださーい!と祈らされています。
「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31章6節)
「聖書はこう言っています。『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ10章11節)
<B君の苦悩と喜び>
先生が、クラス全員に2時間じっくり考えさせられて、B君に「B君、みんなに何か言うことがありますか?」と言われました。
B君は、「いつまで、ぼくは、苦しんだらいいんですか?」とクラスのみんなに問いかけたら、みんなの顔が変わったそうです。
そして、みんなが、謝って来たそうです。
今まで、懇談会でもいつも先生に「、B君がみんなの中に入らない、意見も言わない。」と言われていました。
みんなも、「B君は、何かする時手伝わない。」と言っていました。
でも、みんなが、いじめていたのです。
先生も、まさか・・・・と驚かれたことでしょう。
でも、ちゃんと対応して下さった事を心から、感謝します。
B君は、いじめの話し合いの中で、心の中でずっとクラス全員の祝福を祈り、信仰の告白をしていたそうです。
話し合いの後、「一緒に遊ぼう。」と誘われたり、B君の机を運んでくれたり、図書室も「一緒に行こう。」と・・・・・。
学校から帰って来て、喜んで話してくれたそうです。
先生も、話し合いの事を報告しに来て下さったそうです。
神さまの導きと時は、完全です!
悲惨な事になることなく、B君もみんなも深い傷が残ることがないように、して下さいました。ほんとーに、心から感謝します。
主の十字架クリスチャンセンター教会の群れの働きの中にある、荒地に川ミュージックから出されたオリジナルのゴスペルの歌集で「やすらぎ」があります。
現在、6集まで出されています。(今この11月に、11集が出版されました。)
その6集のなかに「主のもとに行こう」というゴスペルがあります。
1.主のもとへ行こう 主は待っておられる
心を開いて 今主の前に出よう
主に近づこう今 主にふれよう今
心の闇は消えて 平安がつつむ
かけがえのない あなたを
主は愛しておられる
2.主のもとへ行こう 主は捜しておられる
主の目にあなたは 価値ある者だから
主に帰ろう今 永遠の家
神は一人子を 与えるほどに
この世を愛された あなたは愛されてる
いじめから解放されたB君は、輝いています。
神さまは、あなたを愛しておられます。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(聖書の言葉:ルカ1章37節)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書の言葉:マタイ11章28節)(み声新聞に載せていただきました。)
いじめや他の事でも、苦しんでいたり、不可能とあきらめている方、おられませんか?
聖書の神さまは、全能です!ほんとーーに、不可能なことは、何もあられません。
奇跡も不思議もなされます。
ぜひ、一人で抱え込まれないで、教会に来て下さい。
今日は、少し、冷えます。
みなさんのお身体が、守られ、祝福されますように。
今日は、B君が小学生の時に、とても、つらいいじめにあって、神さまが圧倒的な勝利を現して下さったことをお証しさせていただきます。
今、B君は、高校1年生ですが、小学校の6年生の時のことです。
いじめについていろんな、悲惨なニュースを聞くたびに心が痛みます。
人事ではなく、身近にも起りました。
しかし、この事をB君は、一言も言いませんでした。
まったく、わからなかった・・・・、それは、Bくんは、いつも明るく(不自然な明るさではなく)喜んでいました。
<いじめが、あらわに・・>
なんとなく、お母さんがB君に「お昼休み、学校で何しようと?」と聞きました。
B君は「毎日、図書館にいる。」と答えました。
お母さん「誰と遊びようと?」
B君「一人で本を読んでいる。」
お母さん「どうして、一人なん?」
B君「クラス全員から、無視されている。ぼくがさわると、汚い。」と言われると・・・・。
お母さんは、B君がいじめられている事を初めて、知りました。
「初めて」と言われたけど母だから・・、「何となく聞いた」と言われたけど母だから・・、きっと何かはわからなくても、心に気にかかる部分がチラホラと・・・・、ショックだった!でしょうね。
私達も、・・・・ショック!!でした。
気がついてあげられなかった事、・・・心の中で、ごめんね・・・・。と。
でも、今まで神さまが、B君を守って下さっていた。
そして・・時が来て・・、神さまがそのように導いて下さったと思います。
B君は、よく、感謝の電話(この頃は、毎日、子供達と電話で感謝をするように、神さまに導かれ、何年も続いていました。今は、子供たちが大きくなったので、電話では感謝はしていません。)の中で、「今日、おなかが痛かった事を感謝します。祈ったら、治ったことを感謝します。、頭が痛かった事を、感謝します。・・・・。」と感謝していました。(B君は、とても敏感で、アタック(霊的攻撃)を受けやすいので、そうだと思っていました。)
教会に来ても、その度に、いやしの祈りが成され、帰りには「なおった!」と喜んで、車の窓から「感謝しま~~す。」と見送っている私達夫婦に大きく手を振りながら、ニコニコして帰って行きました。
CS(教会学校)で、「すべてのことを感謝しましょう。もし、意地悪する人がいたら、そのお友達の事を祝福されるように、祈ってください。イエスさまが、触れて下さって、素晴らしい解決を見ていきますよ。」など、何度も語られていました。
その時、B君は、真剣に聞いていました。
それをB君は、実践していたのです。
お母さんは、心が痛んだと思います。(それは、言われませんでしたが、話される時、目が赤くなっていました。)
いじめられている事を話した翌日、B君は朝起きて「おなか痛い、頭も痛い。」と言って、もどしました。
<感謝し、踊って>
お母さんは、いやしのお祈りをしてあげて、B君といっしょにいじめを感謝して、踊りました。「いじめられている事を感謝します。この事も益になる事を感謝します。この背景に、神さまの祝福のご計画がある事を感謝します・・・。」と。
神さまは、私達を成長させるために、また、祝福されるために、時にはその事を通して多くの人々の祝福になるために、さまざまな訓練や試練をお許しになられます。
神さまの守りの手の中で・・・・。
B君は、いじめられている事をお母さんに話せて、心が少し楽になったと話したそうです。
しかし、学校に行く事を思うと、おなかが痛くなったり、頭が痛くなったり、もどしてしまったりの症状が出てしまったけど、「すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(聖書の言葉・Ⅰテサロニケ5章18節)この神さまの言葉に従って、お母さんはB君といっしょに、このいじめの故に感謝し、踊ったのでした。
<逃げなかったB君>
お母さんは、おなかが痛いとか頭が痛いと言って、学校へ行った時はいつも途中で保健室に行って、早引きして帰って来ていたので、今日も帰ってくるだろうと思っていました。
しかし、この日は、早引きしませんでした。
学校から、帰って来たB君に、お母さんは学校での様子を聞きました。
「学校に行ったら、気分がなおった。」と、それにお昼休みは、図書室に行かないで教室で一人で寝ていたと・・・。
Bくんは、いつものように、図書室に逃げませんでした。
朝、お母さんは、Bくんと現状を感謝し、喜んで、踊ってから学校に行かせました。
<御からだなる教会でも祈る>
お母さんは、教会に来て、「B君がいじめられているので祈って下さい。」と言いました。
聞いたみんなの心が痛みました。
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)「もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだてあって、ひとりひとりは各器官なのです。」(Ⅰコリント12章26~27節)
みんなで、この事を神さまに感謝し踊り、祈りました。
「Bくんがいじめられている事が、わかった事を感謝します。神さまが今まで、守って下さっていた事を感謝します。この事を祝福に変えて下さる事を感謝します・・・。」と。
<先生の対応に感謝>
お母さんは、学校の担任の先生にBくんが、いじめられている事を話しました。
話した翌日も、お母さんとBくんは、感謝し、踊って・・・学校へ行きました。
先生が、クラスの全員に紙を配って「今、クラスの中で起っている事があったら、それぞれ、紙に書いて下さい。」と言われたそうです。
クラス全員が、「B君を無視したり、陰で文句を言ったり、汚いと言った」「B君にさわると、呪われると言ったり、プリントを配る時もB君のプリントだけ投げて渡した」「B君の机もさわらなかった」などと書かれてあったそうです。
それから、先生は2時間、一人一人にじっくり、考えさせられたそうです。
今、B君は6年生です。(このお証しが、書かれた時)
5年生の一学期からだんだんといじめが始まり、みんながやっているから自分もといじめの輪が、クラス全員にまでも広がっていき、全員でB君をいじめていたそうです。・・・・
それは、一年間以上続いたのです。
もし、ここで、神さまがあらわにして下さらなかったら・・・・・。
ほんと~~に、感謝します。 それでも、Bくんは、学校に行っていました。
そして、感謝の電話の時は「今日、学校が楽しかった事を感謝します。算数が、楽しかった事を感謝します。」といつも、言っていました。
「学校が楽しかったの?」と聞くと「うん!」「何が、楽しかったの?」「○○して遊んだ事、う~ん、いろいろ」とほんと~に、楽しそうに話し、感謝していました。
まさか・・・・!?の出来事でした。
一年以上も、まだ、子どもなのに・・・よく、誰にも言わないで耐えたなぁーと・・・。
主が、共にいて下さらなかったら、感謝を知らなかったら、教会に来ていなかったら、こうは、ならなかったと思います。
お母さんも、先生に「B君は、教会に行ってるから、神さまがいるから、感謝を知っているから、いじめているクラスのみんなの祝福のお祈りが出来たんですよ。教会に行っていなかったら、ニュースで聞くような事が起きていたかも知れません。教会に行っていたから、一年間も耐えられたんですよ。」と言われたそうです。
先生も、「そうですね・・・。」と。
私達も、悲しいいじめのニュースを聞くたびに、教会へ来てくれていたら・・・・。と何度も思い、すべての子供達を守ってくださーい!と祈らされています。
「強くあれ。雄々しくあれ。彼らを恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主ご自身があなたとともに進まれるからだ。主はあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(申命記31章6節)
「聖書はこう言っています。『彼(イエス・キリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ10章11節)
<B君の苦悩と喜び>
先生が、クラス全員に2時間じっくり考えさせられて、B君に「B君、みんなに何か言うことがありますか?」と言われました。
B君は、「いつまで、ぼくは、苦しんだらいいんですか?」とクラスのみんなに問いかけたら、みんなの顔が変わったそうです。
そして、みんなが、謝って来たそうです。
今まで、懇談会でもいつも先生に「、B君がみんなの中に入らない、意見も言わない。」と言われていました。
みんなも、「B君は、何かする時手伝わない。」と言っていました。
でも、みんなが、いじめていたのです。
先生も、まさか・・・・と驚かれたことでしょう。
でも、ちゃんと対応して下さった事を心から、感謝します。
B君は、いじめの話し合いの中で、心の中でずっとクラス全員の祝福を祈り、信仰の告白をしていたそうです。
話し合いの後、「一緒に遊ぼう。」と誘われたり、B君の机を運んでくれたり、図書室も「一緒に行こう。」と・・・・・。
学校から帰って来て、喜んで話してくれたそうです。
先生も、話し合いの事を報告しに来て下さったそうです。
神さまの導きと時は、完全です!
悲惨な事になることなく、B君もみんなも深い傷が残ることがないように、して下さいました。ほんとーに、心から感謝します。
主の十字架クリスチャンセンター教会の群れの働きの中にある、荒地に川ミュージックから出されたオリジナルのゴスペルの歌集で「やすらぎ」があります。
現在、6集まで出されています。(今この11月に、11集が出版されました。)
その6集のなかに「主のもとに行こう」というゴスペルがあります。
1.主のもとへ行こう 主は待っておられる
心を開いて 今主の前に出よう
主に近づこう今 主にふれよう今
心の闇は消えて 平安がつつむ
かけがえのない あなたを
主は愛しておられる
2.主のもとへ行こう 主は捜しておられる
主の目にあなたは 価値ある者だから
主に帰ろう今 永遠の家
神は一人子を 与えるほどに
この世を愛された あなたは愛されてる
いじめから解放されたB君は、輝いています。
神さまは、あなたを愛しておられます。
「神にとって不可能なことは一つもありません。」(聖書の言葉:ルカ1章37節)
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(聖書の言葉:マタイ11章28節)(み声新聞に載せていただきました。)
いじめや他の事でも、苦しんでいたり、不可能とあきらめている方、おられませんか?
聖書の神さまは、全能です!ほんとーーに、不可能なことは、何もあられません。
奇跡も不思議もなされます。
ぜひ、一人で抱え込まれないで、教会に来て下さい。