髪を切りに行った。社会人になってからは大体1.5ヶ月に1度くらいの割合でしかも安いところである(部屋の一つ隣の店)。でも、社会人1年目くらいまでは僕は散髪屋ではなく美容院に行っていた。いつから散髪屋に変わったのだろうか?
思い出せば高校生の頃から僕は何故か美容院に行っていた。何軒かの店を渡り歩いたのだけれど、やっぱり一番好きだったのは二十歳くらいの時に行っていたJR太秦駅の前にあった店である(名前は忘れたけれど。。。)。もっと言えばそこにいた美容師さんがすごく好きだった。年齢でいえば当時の僕から見て6~7歳くらい上だった。
何が良かったのかというと、その人が話してくれる僕のまだ見たことの無い世界というか世の中というか、大袈裟に言えば京都の片田舎で暮らす僕に世間とはこういうものだと教えてくれたというかそんな感じで。あの頃は周りにあまり自分より大人な人がまだいなかったから特にそう思えたのかもしれないけれど、カットしてもらうたびに尽きない話題を僕に提供してくれる人だった。僕が一時期、香港映画にハマったのもやっぱりこの美容師さんの影響だったと思う。
でも1年くらいでその人は他所の店に移っていったらしく、ある日そこに行ってもその人の姿を見つけることはできなかった。それ以来その店には行っていないし、その人がどこに行ったかも聞いていない。そして僕はまたいろんな店を渡り歩くようになった。
今、髪を切ってもらっている店にはもう3年くらい通っている。チェーン店みたいだから毎回カットしてくれる人は違うし大して話もしない。それが普通になった。でも、ふと鏡に映るカットされている自分の姿を見ながら思い出すことがあるのだ。顔も思い出せないその美容師さんの事を。
誰かの心の中に、例え顔や名前を忘れてしまっていてもその存在だけがいつまでも残るような、そんな印象を他人に与えられる人ってすごく素敵だと思う。僕にもそんな人はいるのだろうか?
多分いないだろうなぁ。。。
思い出せば高校生の頃から僕は何故か美容院に行っていた。何軒かの店を渡り歩いたのだけれど、やっぱり一番好きだったのは二十歳くらいの時に行っていたJR太秦駅の前にあった店である(名前は忘れたけれど。。。)。もっと言えばそこにいた美容師さんがすごく好きだった。年齢でいえば当時の僕から見て6~7歳くらい上だった。
何が良かったのかというと、その人が話してくれる僕のまだ見たことの無い世界というか世の中というか、大袈裟に言えば京都の片田舎で暮らす僕に世間とはこういうものだと教えてくれたというかそんな感じで。あの頃は周りにあまり自分より大人な人がまだいなかったから特にそう思えたのかもしれないけれど、カットしてもらうたびに尽きない話題を僕に提供してくれる人だった。僕が一時期、香港映画にハマったのもやっぱりこの美容師さんの影響だったと思う。
でも1年くらいでその人は他所の店に移っていったらしく、ある日そこに行ってもその人の姿を見つけることはできなかった。それ以来その店には行っていないし、その人がどこに行ったかも聞いていない。そして僕はまたいろんな店を渡り歩くようになった。
今、髪を切ってもらっている店にはもう3年くらい通っている。チェーン店みたいだから毎回カットしてくれる人は違うし大して話もしない。それが普通になった。でも、ふと鏡に映るカットされている自分の姿を見ながら思い出すことがあるのだ。顔も思い出せないその美容師さんの事を。
誰かの心の中に、例え顔や名前を忘れてしまっていてもその存在だけがいつまでも残るような、そんな印象を他人に与えられる人ってすごく素敵だと思う。僕にもそんな人はいるのだろうか?
多分いないだろうなぁ。。。