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今日の一言

日々の生活の中で見つけた「なぜ・なに」について書いています。

ポルシェ935

2025-05-06 11:38:07 | Weblog

MARTINIポルシェ、完成です。これは1/20サイズですが、中学生の頃に作ったのはもう少し小さかったような気がします。モーター内蔵で乾電池を入れたら走っていました。このカラーリングとスタイルが昔から好きで、何十年かぶりに作る事ができてとても嬉しいです。

スーパーカーブームでスポーツカーが好きになり、中学生の頃はたくさん車のプラモデルを作りました。プラモデルを製作する時には、そこに集中して日常を忘れる事ができてとても心が落ち着きます。

今から数年前に患者様が、立派な帆船のプラモデルを当院に寄贈してくれました。その方とプラモデルの話をしていた時に、私の中で久しぶりにプラモデルを作りたいという情熱が再燃したのです。ちょうどその頃に、タミヤからホンダNSXのプラモデルが発売されました。そして工具や塗料を買いそろえ、このNSXから私のプラモデル製作が始まりました。

さて次は何を作ろうかな? やはり私はスポーツカーのプラモデルを作るのが大好きです。


プログの引っ越し

2025-04-18 08:26:49 | Weblog

最初は友達の勧めでYahooブログからブログを始めました。ホームページにリンクすると沢山の人に読んでもらえるようになりました。その後Yahooブログが終了になり、このgooブログで再スタートしました。当時は確か前のブログの引き継ぎがなかったため、残念ながら昔書いたの記事は消えてしまいました。

 
先日、gooブログから今年の秋で終了の発表がありました。今後の選択肢をいろいろ考えました。私は呟きや写真よりも、やはり文章を書きたいので、あれこれ探しましたが取り敢えずAmebaプログに引っ越すことにしました。
 
gooプログで繋がった方々と離れる事はとても残念で寂しいですが、また新たな出会いがあるのかなと思っています。
 

時々ブログ機能が滞ったりトラブルしていた事より、大規模な運営は大変な作業であり労力を要するのだろうなと感じていました。gooブログのスタッフ関係者の方々には、長い間大変お世話になった事へ心より感謝致します。
 
もうしばらくの間、gooブログでお世話になりますので、皆さんよろしくお願いします。
 
な😊

アントワープのお土産

2025-02-20 12:07:45 | Weblog

ベルギー旅行のお土産にとクッキーを頂きました。ナッツが入ったクッキー、甘さ控えめでとても美味しいです。袋のラベルには塔が描かれていますね。アントワープと言えば何かを思い出しませんか。

現在サンテレビで毎朝、アニメのフランダースの犬が放映されています。子供の頃は、日曜の夜はいつもサザエさん、マジンガーZ、そしてカルピス漫画劇場のアニメを順に見ていました。私はムーミン、アルプスの少女ハイジ、そしてフランダースの犬を思い出します。中でもエンディングに強い衝撃を受けたのがフランダースの犬でした。

友人がこのアニメの最終回はとても悲しいと教えてくれたので、私は不安になり小学校の図書館に行ってフランダースの犬の本を借りてきて読んだ記憶があります。アロアと別れて、おじいさんが亡くなり、一緒にいるのはパトラッシュだけになったネロ、最後は濡れ衣を被せられ、、、おそらくあの悲劇のエンディングを知らない人はいないでしょう。このアニメの後半部は小学生に見せるにはあまりにも酷でした。私は多分最終回を見て泣いたと思います。なぜもう少し違った結末にできなかったものかと思います。

さて初めの話に戻りますが、このクッキーのラベルに描かれている塔はアントワープの大聖堂です。ネロが天国に登る直前に見たルーベンスの絵画が飾られている聖堂です。そんな事を考えながらこのクッキーを食べていました。

果たして今の私はどのような気持ちでフランダースの犬の最終回を見る事になるのか、悲しい気持ちにだけはならないようにしたいと思っています。


バンパーステッカー

2025-01-16 09:42:39 | Weblog

FMラジオ局のFM802は平成元年に開局しました。当時はインターネットもなくてリクエストはハガキを送っていました。そして当時流行っていたのがバンパーステッカーです。ハガキを送ってリクエストが採用されると、バンパーステッカーをもらう事ができました。

独自のデザインで作ったステッカーですが、名前から分かるように貼るところは車のバンパーです。もちろん他の所に貼ってもいいんですけどね。

当時私はFM802の他にもFM大阪やKiss FMのステッカーを自分の車のリアバンパーに貼っていました。よく考えるとFM局としても自社の広告になりますね。またその放送局のリスナーである事が一種のステイタスでもありました。FM802はそのような人をヘビーリスナーと呼んでいました。

またステッカーの台紙を使ったプレゼントキャンペーンもあったようです。

私は応募した事はありませんでしたが、この締め切りの曜日から調べると1993年のようです。1993年は大学院の最終学年の時で、論文の仕上げであくせくしていた頃です。今から思えばFM802の放送が私の研究を支えていてくれたのかもしれません。


馬のマークの参考書

2024-11-17 14:21:48 | Weblog

先日小学生の姪っ子が家に遊びに来ていました。宿題をしていたのか、テーブルの上には教科書やノートが置いてありました。その時に、ふと懐かしいものを見つけました。

♪馬(うまー)のマークの参考書 受験 受験 研究社!

確かこんなコマーシャルがあったなあと思って動画検索するとありました。私も自由自在とか受験研究社の参考書を使っていたなあ。そういえばヤングタウンというラジオ番組の中で受験研究社のCMがよく流れていました。よくみると1890年からとありますので、とても長い歴史ある会社なのですね。赤の背景に白色の馬のマークを見て、ふと学生の頃を思い出しました。

調べてみると 受験研究社の原型となった増進堂は明治23年(1890年)に馬を商う会社として創業した事からこの馬のマークがシンボルマークとして使われるようになったそうです。シンプルな配色ですがとても目立ちますね。


記憶に残る日

2024-11-02 16:53:49 | Weblog

1977年(昭和52年)9月3日の19時8分、後楽園球場(現在の東京ドーム)で巨人の王貞治選手はヤクルト戦の第2打席に入りました。そして次の瞬間、日本中の野球ファンが球界史に残る大イベントを見守る事になります。

フルカウントからの第6球を打つと、それが王選手の第756号ホームランとなりました。ハンクアーロン選手の米メジャーリーグの記録を抜いて当時の世界最多本塁打記録を達成した瞬間でした。

当時中学生だった私は巨人ファンだったので、王選手の新記録樹立の瞬間を見たくてたまりませんでした。その日は土曜日、私は7時30分からの塾に行く予定でした。夕食を終えてテレビ中継を見ていました。

第1打席は四球でした。塾へ行く時間が迫る中、私は第2打席に入った王選手をテレビで見ていました。そしてその瞬間が訪れました。ホームランを打った時は感動して嬉しくてたまりませんでした。結局塾へは少し遅刻してしまいましたが、それでも今から思い返すとあの時にテレビで世紀の瞬間を見る事ができて良かったと思っています。

先日の「今日は何の日」で王選手のホームラン記録の事が取り上げられていたので、昔の事を思い出しました。私の人生の中で、記憶に残る日のお話でした。


エキスポ70

2024-06-23 12:14:10 | Weblog

今から50年以上前の夏休みの事です。いつも仕事で忙しい父が休みをとって、家族で大阪の万国博覧会に行きました。とは言っても私はまだ小さかったので、当時の記憶はほとんど残っていません。断片的な思い出のほとんどは、アルバムの写真からのものです。しかし微かな記憶を辿ると、夜遅い時間に煌びやかな電飾の中を家族で歩いた事は憶えています。自分にとってこの非日常的な行動が、とても貴重で嬉しくて記憶に深く残っているようです。

実は現在も私が大切に持っている当時の万博のお土産は、万博の記念切手とバッチです。また当時父親が会場内で使っていたと思われる公式ガイドブックも置いてあります。

ところで大阪万博のシンボルと言えば、故岡本太郎さんがデザインして作られた太陽の塔ですね。

この太陽の塔は、2018年に内部のリノベーションを終えて一般公開が始まりました。当時は私も家族と一緒に塔の中に入ったようですが、全く憶えていません。しかし塔の中を見たくて、公開開始当初は予約サイトをよく見ていました。ところが人気が凄くて数か月先まで予約がいっぱいになっている状況で諦めていました。先日大阪で開かれた学会に参加した時に、ふと太陽の塔の内部見学の事を思い出しました。久しぶりにサイトを確認してみると、若干空きがあったのですぐに予約しました。そして念願の太陽の塔の内部を見学できる事になったのです。

予約時間の少し早く到着しましたが、係の方の許可を得てすぐに入場する事ができました。どうしても塔の中の写真が撮りたかったので、スマートフォン専用の透明ポーチをレンタルしました。これは塔の中でスマートフォンの落下を防止するために使うものだそうです。

太陽の塔の歴史(デザインのデッサン展示など)を見ながら進むと、その奥には地下の顔が姿を現しました。当時の様子を再現しているエリアですが、万博で使われていた本当の地下の顔(第4の顔)は今も行方不明なのだそうです。そしていよいよ塔の内部へ進みました。

そこには足元から頭上高くまで伸びる進化の木がライトアップされていました。木の根元には生命の起源が描かれ、上に向かうにつれて順に生物の進化の過程を見る事ができました。これらのディスプレイは原型に忠実に再現、もしくは修復されたのだそうです。階段を登って写真を撮りながら上に向かいます。万博が開かれた当時はエスカレーターが設置されていたそうです。

これが太陽の塔の手の部分です。グラデーションしながら変化する照明をじっと見ていると中に引き込まれそうな感覚を憶えました。万博の時は、この手の部分進み外に出て、そこから塔の周囲を囲んでいた台座のようなエリアへ進んでいました。

下りは普通の階段を降りて見学終了です。その後は近くの鉄鋼館に向かいエキスポ70パビリオンを見てきました。ここには大阪万博開催時に太陽の塔の頂部に設置されていた「黄金の顔」がそのまま展示されていました。間近で見るととても大きくて迫力がありました。

これは万博開催時の様子をペーパークラフトで再現したジオラマです。近くで見ると、とても精巧にできておりとても驚きました。製作にはかなり時間がかかったのではと思います。

帰りに鉄鋼館の受付で、このパビリオンの記念メダルを買いました。横にある機械にメダルを入れて記念に日付を刻印しました。そう言えば子供の頃は、旅行先にこのようなメダルの自販機があって親に買ってもらいました。昔はダイヤル式の刻印機で、回すたびに「ガチャン」と大きな音が鳴っていました。

さて、いよいよ来年は55年ぶりに大阪で万国博覧会が開かれます。この55年の間で世の中は大きく変わりましたね。今回の万博でも、未来に向けて想像を掻き立てるようなワクワクする展示を見学したり体験ができたりするといいですね。私は是非とも来年の万博に行ってみたいと思っています。

 

 

 

 

 


Last Days

2024-05-28 12:45:03 | Weblog

先日NHKで放送された『Last Days 坂本龍一 最期の日々』を見ました。

まず放送を見終えて、様々な思いが頭の中で嵐のようにうごめき、私はしばらくテレビの前から離れる事ができませんでした。そして改めてこのような貴重な映像を提供して下さった遺族の方たちに心より感謝と畏敬の念を持ちました。

私が初めて担当患者さまを看取ったのは、医師になって3年目の時でした。患者さまは、放射線治療と化学療法を幾度と繰り返した後に病状が悪化して最後はICUで逝去されました。私はその時に涙を流しました。そして医学の力がいかに無力であるかを思い知らされた瞬間でもありました。今回の番組を見て、まさにその時の気持ちが数十年ぶりに沸き上がってきました。なぜこの人に、なぜこんな時に、神はこのような試練を与えなければならなかったのか、何とかできなかったのか。あの時のように、私は自分に問い続けましたが答えは見つかりませんでした。

余命を告げられてからの坂本さんの生きざまには考えさせられる事が多くありました。その考えを敢えてここには書きません。なぜなら感じ方は人それぞれ違うからです。もし自分がこの立場にあったら一体どうしただろう、何を考えるだろう、思考を巡らせても いつも深い森に迷い込んだようになって先が見えず諦めてしまいます。

命には必ず始まりと終わりがあります。だからこそ、生を受けている間は精一杯に悔いのないように生きる、それは紛れもなく重要な事だと思います。そしていつか終わりを告げる時が来たとしても、自分の事をいつまでも心にとめておいてくれる人が、1人でも多くこの世にいてくれれば何も怖い事はないと思います。坂本さんも、多くの人々の心の中で今も生き続けているはずです。


永久の未完成こそ

2024-04-16 15:32:31 | Weblog
「テストで80点の人はそこまでだが 100点の人はそれ以上の実力を持っている」子供の頃によく父から言われた言葉です。特に算数は答えが決まっているため、国語とは違って100点を取る事が出来る科目です。だから算数で100点を取ると父は褒めてくれました。
 
父方のお爺ちゃんは私が生まれる前に亡くなりましたが、何事にも大変厳しい方と聞きました。その教育を受けてきた父は医師でしたが、何事にも完璧を目指して最善を尽くす人でした。その生きざまが、おそらく子供の教育にも反映されていたのでしょう。しかし今から思えば、その厳しさが逆に息苦しく思える時もありました。もっと自由にいられたら、そんな気持ちが芽生えたのは高校生の頃でした。ある日 学校帰りに本屋に立ち寄った時に友人から勧められた本が、加藤諦三さんの「体当たり人生論」でした。
 
 
難しい哲学書などは難しくて苦手な私でしたが、この本はとても読みやすく理解しやすい内容でした。当時自分が悩んでいた事について共感できる内容が多く、何となく人生の指南書のようで私は何度もこの本を読み返しました。そして当時この本の内容に関して感じた事や思った事をメモ用紙に書き綴って巻末に挟みました。実は今もその紙はこの本の中に綴じられています。今から思えばこの本は、自分の人生を変えた本の1つだと思っています。物事を多面的に捉える事をこの本から学びました。何よりこの本を読む事で、心が穏やかになりました。実は今もこの本は大切にしており、自分の子供たちにも読ませました。
 
 
先日本屋に行った時に、加藤諦三さんの本を見つけました。ご高齢になられた現在も執筆を続けておられるようです。
 
さて先日の天声人語に、スペインの教会のサグラダ・ファミリアの事が取り上げられていました。今も建設中のこの教会の一部が2026年に完成する事になったそうです。進行形のものが完成する、これはあたかも大好きなドラマが最終回を迎えるようなもので、寂しくて空しい気持ちになるようだと書かれていました。私の趣味のプラモデルも、作っている時が楽しくて出来上がると嬉しい反面 なぜか物足りなくなる気持ちになるのと似ていると思いました。
 
 
天声人語の最後には「永久の未完成 これ完成である」という言葉が引用されていました。これは宮沢賢治が農民芸術概論綱要の中に書いた言葉です。実は私がこの言葉を知ったのは、様々な事で悩んでいた高校生の頃でした。この言葉を何度もかみしめているうちに、不思議と私の緊張した気持ちが和らいだ事を覚えています。
 
近年、新しい事へチャレンジする若い人が少なくなっていると聞きます。いわゆる失敗が怖くて、挑戦を躊躇してしまう人が多くなっているそうです。しかし、人は失敗して学ぶもの、失敗してもそれで終わらずそこから何かを得る事ができれば、失敗する事には必要十分な意味があるのです。言葉を変えるなら、100点を目指す事は大切ですが たとえ80点でも失った20点を次の機会に取り返せばよい訳です。100点を目指して進み続ければ、それは100点を取っているのと同じになるのだと思います。
 
少しずつでいいから前に進む事が大切なのです。苦しくて 辛くて 不安でも、そのような気持ちになるという事は、それは自分に当たる向かい風なのです。風を感じているという事は、確実に自分は前に進んでいる証拠です。むやみに間違いや失敗を恐れずに、自分のペースで前へ進みましょう。うまくゆかなくても、そこから学べばそれでよいのです。そうすれば確実に新しい何かに近づいていく自分を感じ取る事ができるはずです。
 
😊

アメリカのモールの現状

2023-12-20 12:56:37 | Weblog
(2020年に書いた記事の再掲です)

 私がアメリカのメリーランド州で暮らし始めたのが1995年の事でした。

 当時の居住圏には大きなショッピングモールが2つありました。その1つのホワイトフリントモールは、店舗撤退が続き一帯の再開発計画もあって2015年に取り壊されました。しかし1つだけデパートが残って、計画推進は難航しているようです。ここは自宅から一番近いショッピングモールだった事もあり、よく利用しました。そしてもう1つは車で15分程の所にあるモンゴメリーモール(現在はウエストフィールド・モンゴメリーに改名)です。規模はホワイトフリントモールよりもかなり大きくて、3階にはシネマコンプレックスが入っていました。

 これは帰国後10年目に再び留学していた地を訪れた時に、そのモールへ行った時に撮ったフロアマップです。


 シアーズ、ノルドストロム、メイシーズ、メイシーズホーム、4つの大きなデパートが連結しているのが分かると思います。言い換えると、三越、大丸、そごうなどのデパートが1箇所に集まっているようなものです。私が留学していた頃は、メイシーズホームの所に、JCペニーというデパートがありました。そして十字になった通路に面して数多くの店舗が並んでおり、アメリカの壮大さに驚かされたものです。


 私は広いパーキングロットの屋上にいつも車を停めていました。理由は明るくて治安がよいためです。向こうに見えるのがノルドストロムです。


 ここがメイシーズです。衣類や雑貨をよく買いにきました。


 モールの中はこんな感じです。ここがクリスマスシーズンには煌びやかに飾り付けられて、幻想的な世界に変わります。そして何より楽しみなのがクリスマスショッピングセールです。いろいろな物がかなりお安くなります。


 私がここを訪れた2007年は、アップルが初めてiPhoneを発売した年でした。アップルストアでは、まだ日本では見る事ができない初代iPhoneが店頭に置かれていました。私も手にとって操作しましたが、その凄さに感動した事を今も覚えています。

 しかし時は流れ、ショッピングの形態が店舗へ足を運ぶ従来の形からネットショッピングへと次第に移行していきました。これにより小売業者は大打撃を受けました。加えて店舗拡大を加速させすぎた事、そして何よりアメリカ経済における不況が追い討ちをかけました。既に老舗の小売業者は破綻に追い込まれ、一方で店舗数縮小によって耐えていた業者も今年に入っての新型コロナウイルス感染症による来店者激減により致命傷を受けました。JCペニーは今年5月に破産申請をしたようです。

 

 ネットで現在の状況を見ると、既に3つのデパートは撤退して空白になっています(丸印のところ)。残っているのはメイシーズホームだけです。中心部の店舗も空白が多くなっていて、テナントの入居率は低くなっているのが分かります。かろうじてアップルストアは残っているようですね。

 もし今後アメリカで新型コロナウイルスの感染拡大に収束が見えない場合は、さらにこのようなショッピングモールの荒廃が進む可能性があります。小売業者の規模やマーケティングの広さにおいては、単純にアメリカと日本を比較する事はできないと思いますが、現在アメリカで進みつつあるショッピングモールの異変がいつか日本でも起こるのではないかと杞憂してしまうのは私だけでしょうか。

 アメリカで暮らしてみて気づくのは、1年で最もショッピングモールが輝く時はクリスマスの時期です。今後どのようにモールが変化したとしても、クリスマスの時期だけでも人々が集って賑やかな雰囲気を作って欲しいなと思います。

 な