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バッテン長崎の人

長崎の良いところ発信、植物観察、旅日記、日々感じること、自分での新発見、写真付きで日記や趣味を書く

長崎の街を駆け抜けて行った若者がいた、坂本竜馬と言う脱藩人が。

2016-01-08 06:59:59 | 長崎物語




私は坂本竜馬をあまり知らない、

彼が長崎に何故やってきたのか。その頃世界に門徒を広げていたのは鎖国時代でであった、日本で長崎だけであったことに

あったのでは。海援隊を結成のためでもあったろうし、又亀山社中と言う会社をも設立している。

火薬とか銃が長崎に貿易と言う名のもとに、多く輸入されていたのは間違いはないのだが、それらを多く

日本中に売り財を成したのかも知れない。いや彼に裏社会を利用して彼に接したのであろう。

何年か前に、坂本竜馬が長崎で作った亀山社中を訪ねる機会があった。

ここが亀山社中かと思った小さく、山奥まるで隠れ家風に我が目には映った。



日本の夜明けに努めたのは間違いない。

また、亀山社中に戻ると、江戸時代は全く山の中、山半ばにあった。その亀山社中をさらに山頂に行くと

なかなかの光景、風情があった。近くの家の人に聞くと、昔、そこに茶屋があったというのである。

確かに亀山社中から遊びに行くには長崎の中心街までは遠過ぎる。書の茶屋に行くと近く、又長崎港も眼下にあった。

その時代長崎は隠密が多くいたことだろう。長崎では竜馬も一人で外出するのは、危険であったのかもしれない。

坂本竜馬が時に遊びに行っていた、花月と言う料亭があるがなかなか高級の料亭である、今も長崎では高級で

私などはとても行けるところではない、長崎の歴史をえいえいと引き継いでいる料亭である。

花月には坂本竜馬が喧嘩して柱に刀傷があります。私が見たところ、こじ付けのようにみえた。

その真偽はは今となっては誰にもわからない。人生表もあれば裏もある。

まだまだ、長崎には江戸時代が垣間見えます。昨年は世界遺産に軍艦島がなった。

長崎には夢が沢山なければならない。