今日は久しぶりにグダグダ~と過ごしました。
まず、明け方五時頃まで本を読んでまして・・・しかも『地獄の思想』というなかなかの名著を読んでいる最中に、どこからかバイクを噴かすかのような音がしてきて・・・
なんだろう?
なぁーんて思ってたら雨がどざぁーッと降りだして・・・
雷鳴も轟き、まさに「神さへいといみじう鳴りけり」な状態になりました。
さっき、別の本を読み終えて、今日もう一つ手をつけて寝るつもりです。
『地獄の思想』を読んでいると面白いことに気づきます。
まず、『地獄』という考え方が実は洋の東西を問わずにあるということです。かつ、それがいずれも似ているのです。さらにはその思想の根本は同じところにあったのではないか、というもはや洋の東西どころでもなくなりかけるところまで話がいったりしますw
西洋にも、地獄があります。でも、どちらかというと『煉獄』の方がその酷さを表しているような気もします。ダンテの『神曲』などはその代表的作品かもしれません。
鬼の変わりに「幽鬼」と言って日本では幽霊とも思えるようなものもいたりします。
東洋の地獄は、やはり閻魔大王が有名ですね。これは別にギリシア神話にでてくるハデスのように「神格化」されたものではなくて、実は地獄菩薩という仏教の仏様です。この地獄菩薩が地獄で死者を裁判にかけて、現世での罪を洗い浚い裁くわけです。現世において、その罪の有無を調べているのが、実は道端にある「お地蔵様」だったりします。これが閻魔大王にコソッと死者の行いを告げて、裁判、という形にもなるようです。
地獄には灼熱地獄とか針山地獄とかありますが、今回の写真にあるのは衆合地獄というもの。なんでも死者があまりに色に溺れ易い方だと、ひとりの女性が手招きして「私を抱いて」という模様。ほいでもって死者がその美女についていくと、いつの間にか美女は木の上に居る。「早く来てよ」と促されるままに木を登ろうとすると、木の表面が刃に変り、身をボロボロにしながら美女のために木を登るという。
しかーし!
いざ、登りきっても今度その美女は木の下に居て「早く来て~」と死者を促す、その繰り返しの地獄を見る。死者は木に登ったり降りたりで血塗れになって苦しみ死ぬがまた蘇りこの地獄を繰り返すという。
でも、こういうのがあると、とても「地獄」とは思えないです。
読んでいても、なんかニヤっとしてしまったり。。。o(゜^ ゜)ウーン
そんなこんなで、夜が更けていきます。(笑)
追記。今日はテロのあった忌々しい日。けれどその思いを胸に叶わなかったと思われた夢も花ひらいていってくれればいいな、と思います。
犠牲になった方がが「煉獄」で悶えていないことを祈って。合掌。