Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

第24冊 『居酒屋』

2007年09月02日 | 本(小説など)
 正直、久しぶりに大作を読んだという感じがある。なんとなくこれさえ読んでおけば、他の研究書なんか読まずとも、当時のフランス社会を覗けるような気がしてきます。

 アンドレ・ジッド(*1)は、ゾラのルーゴン・マッカ―ル叢書を毎夏に1冊というペースで読んでいたといいます。そう考えると、僕の今年のフランス文学を読むという裏に隠された、ゾラの作品を辿ることは、少々難があったのだと言わざるを得ないのかもしれません(笑)

 エミール・ゾラの『居酒屋』という作品を読みました。フランス語ではassommoirというらしく、辞典では古い言い回しとしての「居酒屋」として載っています。個人的には、居酒屋ときくと日本のそれを思い出すので、タイトルは居酒屋ながらも、感覚的にはバーみたいな感じなんじゃないかしら? と思っていたりします。

 粗筋を簡単に。主人公のジェルヴェーズと、ランチエは、上京してパリへやってきます。しかし住むところはやはり中心よりも外れたところ(以前、パリにはかつて城壁や門があるというお話をしましたが、彼女たちは貧しい故にそのあたりの住まいにしか住めず、結果的に描写の中にも門の存在ができてきます)。ランチエは初めのほうで、新しい女を作って、ジェルヴェーズを捨てて消えます。洗濯女のジェルヴェーズは、ランチエの息子をかかえて生活に夢見ながら頑張ってゆきます。ブリキ職人クーポーに見初められて結婚したり・・・しかし幸せな結婚生活も、うまく続いてゆかず・・・
 作中、数多く登場する「居酒屋」にも注目すると面白く、また食事の場面がそれなりにリアルに描かれている。

[1]『居酒屋』と現代に通ずるもの
 『居酒屋』のなかに表れる人々の様子や、社会事情などは、簡単に言えば現代の日本にも適しているような感じがする。格差社会と呼ばれて、富むものは富んで、貧しい者はとことんまで貧しいという負の関係。酒と女の商売。それらに因む、最終的に「死」を求める姿。日本と相変わらないような気がした。むしろもっと酷くなれば、この小説のようになるんだろうという展開を働かせてしまい、少々不気味だった。古賀照一さんの「あとがき」もこの思いを助長した。

「高度に繁栄している日本の社会も、ひと皮むけば、『居酒屋』の貧民と同じです。そこからは、無数のナナ(*2)という美しい銀蝿、高級売春婦がとびかつていかざるをえないのです。現在の日本の社会の姿をそこに読み取る思いなしには、人は『居酒屋』を読み通すことはできないでしょう。」(新潮文庫、p.740)

[2]ジェルヴェーズという女性
 主人公ジェルヴェーズだが、作品の始まりでは、最後ほどの怠惰性は見受けられなかった。まじめに働いて稼いで、夫につくしていた。しかし環境が変わるとこうも変わってゆくのかというくらい、彼女は変わってゆき、最後は道端で飢え死ぬようなものである。ゾラの『実験小説論』とよばれるもののせいなのだろうが、逆に読んでいてこの試みにたまに泣かされることがある。それはあまりにも無情だったからであり、それがあまりにも「自然」らしいからだ。

[3]葬送人夫の扱い方
 ゾラの作品には、死を登場させるゆえに、死神の化身とも揶揄されたことのある葬送人夫が必ず登場する。『制作』のときもそうだが、棺を作り、墓穴を作り、最後に土で棺を埋めるという仕事を持つ人たちだ。彼らの登場は、死さえも商業として成り立っているのだ、というのを強調させるかのようで、現代と変わらない小説だと思わせる店を強くするような気がする。


(図書紹介)
エミール・ゾラ『居酒屋』古賀照一訳、新潮文庫、1960年.
*僕が読んだのは2007年38刷です。


(*1)André Gide. 1869-1951. 仏、小説家、批評家。人間性の諸問題に確実に立ち向かい、20世紀前半の文学に指導的役割を果たした。『狭き門』『裏金つくり』など。

(*2)ナナは、ジェルヴェーズとクーポーの娘。彼女が主人公になった作品がルーゴン・マッカ―ル叢書の『ナナ』。ちなみに息子たちも各巻に登場する。クロードは『制作』、ジャックは『獣人』、エチエンヌは『ジェルミナール』。


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