Entre ciel et terre

意訳して「宙ぶらりん」。最近、暇があるときに過去log整理をはじめています。令和ver. に手直し中。

秋の夜の月の光はきよけれど 人の心の隈は照らさず

2023年09月27日 | 日々雑感
 今年の夏に、某都市伝説の番組をたまたま見てしまったところから、暇をみつけては「宇宙」のことについての記事や、動画をみて楽しんでいます。

 例えば、地球からみて今、現在わかっている「宇宙の広さ」、宇宙地図みたいなものがわかる動画があるのですが、アレを見ていると、「地球」といえども、どんなにちっぽけな存在なのか、ということがわかります。
 あんなのを見ていると、日々の、諸々のことなどは、なんかほんと、どーでも良くなってくるんですよね。笑

 さてさて。宇宙の成り立ちについては、ビッグバンの話をきいたことがあります(何回聞いても、私は分かったような、分かんないようなを行ったり来たり...)が、人間って本当、宇宙への関心が高いと思うのです。
 今年はプラネタリウム100周年の記念の年みたいです(※ドイツ・イエナにあったカール・ツァイス社のプラネタリウムが近代プラネタリウムの始まりだとか。日本は1937年から。大阪市立電気科学館の製作したものから。)が、確かに身近なところに星空を模倣したりすること、まぁ、もっと古く言えば砂漠の民が星空を使って、季節を知り、旅への道しるべとしていたことを考えれば、宇宙、天体とともに人も生きてきたということなのでしょう。

 ところで、この宇宙への憧れは、どこから来るのでしょうか?
 いえ、もちろん憧れなんてないよ、という方もいらっしゃると思いますが...
 最近は、”宇宙葬”という、遺骨を宇宙へ、という取り組みもあるみたいです。
 (参考まで。私が見た新聞記事では、費用:人、ペットともに、遺骨の重さ50g~200gまでで、55万~110万円ぐらいとのこと。これは...。)

 まるで旅行に行くときに、旅先で既視感にとらわれる、なんていう話を聞いたことがありますが、もしかしたら、宇宙にもそういう本能的に感じさせる何かがあるのではないでしょうか。

 そうすると、いろんな神話、伝説、物語に盛り込まれた月や太陽の話というのは、どことなくファンタジーから少しずつ科学的? 現代的?な捉え方もできるような。
 「かぐや姫」みたいに、実は地球人と、どこか異星人とのお話だったりするのかな? と想像できますね。
 古代エジプト、太陽神ラーとファラオだったイクナートン(アメンホテプ4世)との関連は? などなど。(アマルナ美術のデフォルメされた姿、容姿は、どことなく人間離れした姿を想起させます...)
 『聖書』も似ていませんか? 神が「光あれ」といって、この世界ができた、は今思えばビッグバン? を思わせるような部分にも読み取れます。でも、問題は、じゃあその様子は、誰が見ていたの? どうやって伝えたることができたの? と。やっぱり宇宙人がいて、後から教えてくれたのかなぁ...?

 そういえば、最近、メキシコでも宇宙人のミイラが発見された、と話題になっていましたね。

 ということで、秋の夜長に、とりとめのない宇宙を考えるのは、ピッタリな気がして。笑
 凝りもせずに、またつらつらとここまで書きあぐねてしまう次第でありましたとさ。


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