出来れば今日のうちに。
思い出したくなる時が、きっとあるから。
昨日の夜、飼い犬が亡くなりました。
もう随分前から「もうダメかな」と何度も言っていた気がします。
今年の夏は越せるのかな、冬は越せるのかなと、もう何度考えたのか忘れました。
もう殆ど骨と皮みたいだったので、暑さでも寒さでも死んでしまいそうでした。室外犬だったので、余計。
18歳でした。もう一ヶ月くらいで、19歳でした。
いつからか、もう何年生きたか覚えていませんでした。
そんなに生きていたんだと、死んでから初めて知りました。
私の今までの人生の3/4も一緒に生きていました。
いてくれることが当たり前みたいだったから、もう歳だな、弱ってきたなと思っても、
心臓がちょっと弱いだけで内臓は健康だって言われてて、その通りたまにドッと体調を崩したり食欲がなくなったりするけど元気だったから、本当はどうだったのかわからないけれど、
辛いのならもう、と思ったり、
でも私はまだその存在に支えられていたかったから、
心の中では「もうちょっと、生きていて欲しい」と願い続けていました。
何度も、何度も、そう思いました。
そう思う間、何度も元気になって、生き続けてくけてくれた気がします。
食欲が無くなって小屋から出てこなくなった金曜日の朝も、
水を飲ませてもらったりしながら、
また今度も数日後には元気になりそうな気がしていました。
日曜日は、沢山水を飲んで、殆ど食べなかったご飯も食べました。
明日か明後日には元気になるのかも、と思いました。
でも月曜日になってまた水も飲まなくなって、ご飯も食べなくなって、今度はもうダメなのかもしれないと思いました。
「もうちょっと、生きていて欲しい」じゃなくて、
「できれば、生きて欲しい」と思いました。
火曜日には、ご飯を食べていたようですが、食べたものを吐き戻していました。
少し、噛まずに飲み込んでいたと思われる好物のジャーキーが消化されずにありました。
立ったり、立てなくなったりしていたけど、もう、ちょっとしかない段差の小屋にも自力で入って行けないようでした。
「もういいよ」と、思えました。
夜、小屋に様子を見に行った祖母が、小屋の前でぐったりしているのを見つけました。
それからもう、立ち上がれませんでした。
おしっこも、うんちもしていて、吐いていたから、胃の中も空だったと思います。
空っぽだけど、みんなに囲まれて、微かに呼吸をしていました。
寒くて、家にも上げてやることが出来なかったから、最後まで見ていたのは祖母だけでした。
動かなくなった後しばらくして、やっと触ることが出来ました。
まだ少し、触った頬には温もりが残っていました。
眠れなくなりそうだから、その夜には考えないようにしたつもりだったけど、あんまりよく眠れませんでした。
今朝、家の裏に埋められました。
今はまだ、埋めた所がこんもりとしているけれど…時間が経てば、徐々に平らになっていくんだそうです。
ありがとう、さようなら、おやすみなさい。
ガンで先に逝ってしまったお姉さんもいるから、多分寂しくはないと思います。
記事を打っていて、やっといっぱい泣けました。
まだ油断していると何かの拍子に涙が出てしまうけれど、大きな声を上げて泣いたりはしない。
悲しいことよりも、感謝の気持ちのほうが大きいのです。
思い出したくなる時が、きっとあるから。
昨日の夜、飼い犬が亡くなりました。
もう随分前から「もうダメかな」と何度も言っていた気がします。
今年の夏は越せるのかな、冬は越せるのかなと、もう何度考えたのか忘れました。
もう殆ど骨と皮みたいだったので、暑さでも寒さでも死んでしまいそうでした。室外犬だったので、余計。
18歳でした。もう一ヶ月くらいで、19歳でした。
いつからか、もう何年生きたか覚えていませんでした。
そんなに生きていたんだと、死んでから初めて知りました。
私の今までの人生の3/4も一緒に生きていました。
いてくれることが当たり前みたいだったから、もう歳だな、弱ってきたなと思っても、
心臓がちょっと弱いだけで内臓は健康だって言われてて、その通りたまにドッと体調を崩したり食欲がなくなったりするけど元気だったから、本当はどうだったのかわからないけれど、
辛いのならもう、と思ったり、
でも私はまだその存在に支えられていたかったから、
心の中では「もうちょっと、生きていて欲しい」と願い続けていました。
何度も、何度も、そう思いました。
そう思う間、何度も元気になって、生き続けてくけてくれた気がします。
食欲が無くなって小屋から出てこなくなった金曜日の朝も、
水を飲ませてもらったりしながら、
また今度も数日後には元気になりそうな気がしていました。
日曜日は、沢山水を飲んで、殆ど食べなかったご飯も食べました。
明日か明後日には元気になるのかも、と思いました。
でも月曜日になってまた水も飲まなくなって、ご飯も食べなくなって、今度はもうダメなのかもしれないと思いました。
「もうちょっと、生きていて欲しい」じゃなくて、
「できれば、生きて欲しい」と思いました。
火曜日には、ご飯を食べていたようですが、食べたものを吐き戻していました。
少し、噛まずに飲み込んでいたと思われる好物のジャーキーが消化されずにありました。
立ったり、立てなくなったりしていたけど、もう、ちょっとしかない段差の小屋にも自力で入って行けないようでした。
「もういいよ」と、思えました。
夜、小屋に様子を見に行った祖母が、小屋の前でぐったりしているのを見つけました。
それからもう、立ち上がれませんでした。
おしっこも、うんちもしていて、吐いていたから、胃の中も空だったと思います。
空っぽだけど、みんなに囲まれて、微かに呼吸をしていました。
寒くて、家にも上げてやることが出来なかったから、最後まで見ていたのは祖母だけでした。
動かなくなった後しばらくして、やっと触ることが出来ました。
まだ少し、触った頬には温もりが残っていました。
眠れなくなりそうだから、その夜には考えないようにしたつもりだったけど、あんまりよく眠れませんでした。
今朝、家の裏に埋められました。
今はまだ、埋めた所がこんもりとしているけれど…時間が経てば、徐々に平らになっていくんだそうです。
ありがとう、さようなら、おやすみなさい。
ガンで先に逝ってしまったお姉さんもいるから、多分寂しくはないと思います。
記事を打っていて、やっといっぱい泣けました。
まだ油断していると何かの拍子に涙が出てしまうけれど、大きな声を上げて泣いたりはしない。
悲しいことよりも、感謝の気持ちのほうが大きいのです。