私の書斎のいろいろながらくた物などいれた本箱の抽匣(ひきだし)に昔からひとつの小箱がしまってある。それはコルク質の木で、板の合わせめごとにボタンの花の模様のついた絵紙をはってあるが、もとは舶来の粉煙草でもはいっていたものらしい。なにもとりたてて美しいのではないけれど、きの色合がくすんで手触りの柔らかいこと、蓋をするとき ぱん とふっくらした音のすることなどのために今でもお気にいりの物のひとつになっている。中には子安貝や、椿の実や、小さい時の玩(もてあそ)びであったこまこました物がいっぱいつめてあるが、そのうちにひとつ珍しい形の銀の小匙のあることをかつて忘れたことはない。それはさしわたし五分くらいの皿型の頭にわずかにそりをうった短い柄がついてるので、分あつにできてるために柄の端を指でもってみるとちょいと重たいという感じがする。わたしはおりおり小箱の中からそれをとりだし丁寧に曇りを拭ってあかず眺めてることがある。わたしがふとこの小さな匙を見つけたのは今からみればよほど旧(ふる)い日のことであった。
中勘助(1912年)
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