四十代男性、知的障害養護学校教員である。加えて変わり者。
数年前、気分変調症(軽度慢性鬱)と診断された。軽い気分変調、躁鬱傾向は昔からあり、改めて鬱の原因を考えているとき思い当たるところはいろいろとあったが、なかでも自分のふがいなさにあきれてきた部分が大きいのではないかと言うことに思い当たった。
日常の忘れ物の多さ、注意散漫傾向による失敗が積み重なって来ているときであった。抑鬱状態の時にはこの傾向は特に強くでるようなのでなおさらである。
主治医とは別に、職場に健康相談というのがあったので産業医による診断を受けてみた。結果はADHDとのことで、薄々その傾向が自分にあることは自覚していたがADHDそのものであるという診断は予想していなかった。しかし、この診断はこの情けなさはADHDからのものであるとわかるととても気が楽になった。
その後、成人の発達障害の診断をしてくれる病院は診断を受けるのに数年待ちという話をきき、一度はそういうところで診断を受けてみたいと思った。そのうちに成人の発達障害の診断をしてくれる病院が開院するというので試しに予約を申し込んでみた。数週間待ちで予約が取れたので診察してもらうことにした。
脳波検査、知能検査、等を経てついた診断名が「アスペルガー症候群」。自分の自閉的傾向には充分気づいていたし、この道はまんざら素人ではない(というより専門に近い?)ので、それがどうした?というのが初めての印象であった。
別に自閉的傾向では日常生活に不自由は感じていないので診断されてもそれ以上の感想はないのである。ただ同時に、不注意、衝動的傾向も指摘された。
どうやらADHDとアスペルガーが同居しているようである。
「それがどうした?」と最初は感じていた診断であるが、改めて小さい頃からのエピソードを並べてみると…見事な自閉である。いままであえて自分に適用しなかった自閉を前提の解釈をしてみると説明の付くことが多い。
結果処方されたのが中枢神経刺激剤とSSRI、抗てんかん剤。薬の効き方についてはまた別に述べるとするが、非常によく効いた。
ここではどうも普通と違うなということを中心に述べたいと思う。
ここにかかれることは自分のことが中心であるのでそれがアスペルガーやADHDに由来するとは限らない。単に自分が変なおやじだからだと言うことも考えられるのでその辺は勘案されたい。変なおやじの変さを見ていただきたいだけである。その中でももっともだと思われることを見いだしていただければ僥倖これに過ぎたるはない。
数年前、気分変調症(軽度慢性鬱)と診断された。軽い気分変調、躁鬱傾向は昔からあり、改めて鬱の原因を考えているとき思い当たるところはいろいろとあったが、なかでも自分のふがいなさにあきれてきた部分が大きいのではないかと言うことに思い当たった。
日常の忘れ物の多さ、注意散漫傾向による失敗が積み重なって来ているときであった。抑鬱状態の時にはこの傾向は特に強くでるようなのでなおさらである。
主治医とは別に、職場に健康相談というのがあったので産業医による診断を受けてみた。結果はADHDとのことで、薄々その傾向が自分にあることは自覚していたがADHDそのものであるという診断は予想していなかった。しかし、この診断はこの情けなさはADHDからのものであるとわかるととても気が楽になった。
その後、成人の発達障害の診断をしてくれる病院は診断を受けるのに数年待ちという話をきき、一度はそういうところで診断を受けてみたいと思った。そのうちに成人の発達障害の診断をしてくれる病院が開院するというので試しに予約を申し込んでみた。数週間待ちで予約が取れたので診察してもらうことにした。
脳波検査、知能検査、等を経てついた診断名が「アスペルガー症候群」。自分の自閉的傾向には充分気づいていたし、この道はまんざら素人ではない(というより専門に近い?)ので、それがどうした?というのが初めての印象であった。
別に自閉的傾向では日常生活に不自由は感じていないので診断されてもそれ以上の感想はないのである。ただ同時に、不注意、衝動的傾向も指摘された。
どうやらADHDとアスペルガーが同居しているようである。
「それがどうした?」と最初は感じていた診断であるが、改めて小さい頃からのエピソードを並べてみると…見事な自閉である。いままであえて自分に適用しなかった自閉を前提の解釈をしてみると説明の付くことが多い。
結果処方されたのが中枢神経刺激剤とSSRI、抗てんかん剤。薬の効き方についてはまた別に述べるとするが、非常によく効いた。
ここではどうも普通と違うなということを中心に述べたいと思う。
ここにかかれることは自分のことが中心であるのでそれがアスペルガーやADHDに由来するとは限らない。単に自分が変なおやじだからだと言うことも考えられるのでその辺は勘案されたい。変なおやじの変さを見ていただきたいだけである。その中でももっともだと思われることを見いだしていただければ僥倖これに過ぎたるはない。