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天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

天津視覚障害者日本語訓練学校の青木先生のホームページです。

2011-08-18 06:53:42 | 顧問・アドバイザーから
天津視覚障害者日本語訓練学校の青木先生のホームページです。

http://safina.jp/


目が見えない人がどうやって日本語を勉強しているのか、気になりませんか?

天津の大学日本語科の学生は、こういう人たちと交流し、
お互いに磨きあっていってほしいと願っています。

人脈の広げ方

2011-07-23 09:18:24 | 顧問・アドバイザーから
昨晩、日本から天津に出張で来ている方に、晩ご飯をご馳走になりました。

ドーナツの副会長も一緒です。



そのときの会話の一部です。

「天津の次は○○に行くんだけど、その時の通訳が

川端さんの教え子ですよ」

「え?どの学生ですか?名前は…」

「えーと、確か、○○さん…」

「あ、知っています。天津の○○大学の学生ですね」

「あ、そうです。そう言っていました。

日本人と話したことはあるのかと聞いたら、天津の川端先生と話したことがあると言っていました」

「そうですか、彼女は日本語はあまり流暢ではないけれど、

まじめでいい学生だと思います」

「やはりそうでしたか。いや、実は、あともう一人の候補がいて、

そちらのほうが日本語は上手だったんですが、メールのやり取りをして

○○さんの方が一生懸命にやってくれそうだったので、○○さんに頼みました」

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人脈を広げようとして、ドーナツをやっているわけではありません。

でも、同じように何かの志を持っている人とは、必要なときには出会うようになっている、

そのときに恥ずかしくないような仕事を積み重ねよう、そう考えています。



○○さんも、私と出会って半年以上も後に、またこのようなつながりができるとは

思っていなかったでしょう。

でも、最初の出会いのときから、一生懸命に勉強し、相手の事情を考えようとしている

ことは伝わってきました。

だからこそ、私もその学生のことを覚えていますし、また同じ理由で、

日本から出張する方にも選ばれたということです。



「人脈の広げ方」と書きましたが、人脈は広げるものではなく、広がるものだと私は思います。

自分の仕事と目的、そして、周囲の人を大切にして、いい出会いを求めていく、

そういう毎日を積み重ねていれば、自然に広がっていくのが人脈だと私は思います。

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ドーナツの副会長は、その方の日本語をほとんど理解できませんでした。

初対面の日本の方の日本語が理解できない、これが、今の大学日本語科の標準的なレベルだと思います。

もしかしたら、日本の大学の中国語学科の学生も同じかもしれませんが、去年の副会長も、その前の会長も、

最初は私との打ち合わせも、日本語ではできなかったのですから、大丈夫です。



すごく傲慢な言い方ですが、

天津の日本語教育の地下10階まで空いていある穴が、

いつになったら埋めることができるのか私には分かりませんが、

こういう仕事してきた無名の人はたくさんいます。



メンバーの一人一人の成長のためにという目的を忘れずに進めていき、

気がついたときにはたくさんの人とつながっていたという日が来るのを楽しみに頑張ることにします。

目が見えないって小さいこと?

2011-07-07 16:50:03 | 顧問・アドバイザーから
天津市視覚障害者日本語訓練学校に行ったときのことです。



授業の感想を求められて、

「目が見えないというのは、大変なハンディだと思うのですが、

世の中には、体のどこかが動かない人も、心にハンディを抱えている人もいます」

と話したところ、



青木先生が、

「そうです。目が見えないというのは小さなことです」

とおっしゃいました。



先生ご自身、6歳のときに光を失い(目が見えなくなったという意味です)、

アジアの視覚障害者のために何ができるのかを考え、日本そして中国に

視覚障害者の学校を作っています。



特に中国の日本語学校は、中国でも唯一の視覚障害者日本語訓練学校で、

日本政府からも中国政府からも表彰されています。



そして、なんと、あの宋祖英さんに表彰状を手渡され、

「茉莉花」を歌ってもらったのです。(いいな~)



また、私が見学したときに、生徒の中に「千手観音」のチームで琵琶を弾いている

人もいました。

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目が見えない、耳が聞こえない、手や足が動かない、

貧しい家庭で育った、(河南省のように)大学合格ラインが他県より高い、

面倒を見なければいけない人がいる、他人と交流できない、



などのハンディを持っている人は、すくなくありません。

ある人は、生まれたその場所が悪かったとしかいいようのない

ハンディを抱えています。



「不幸など存在しない、不幸だという解釈が存在するだけだ」という人もいますが、

それでも、やはり不幸だとしか言いようのない状態はあると思います。

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その上で、

目が見えない人が、「こんなことは小さいことだ」と言えるのであれば、

私たちのような大学で生活をしている健常者には、どんな大きなハンディがあるのでしょうか。



「先生、宿題が多くて…」

「能力試験の単語が覚えられなくて…」



視覚障害者でも能力試験のN2、N1に合格していますし、

中には150点以上の学生もいます。

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大学の教室を回ってみると、その理由がよくわかります。

空き時間に教室にいる学生は少なくないのですが、

勉強をしているのではなく、「教室にいるだけ」なのです。



教室に座っていればご飯が食べられる、寝るところもある、

それなのに、何で勉強しなければいけないのか、

そう考えるようになっても無理はありません。

何しろ、「小皇帝」として育てられた学生が大部分なのですから。

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「こんな甘ったるい現場は、一日でも早く離れたい」

そう思ったことは、数え切れないぐらいあります。

そのほうがどれだけ楽か、分かりません。



でも、今の自分が持っている環境や条件で、最大の努力をしない人が、

別の場所にいっていい結果が出せるとは思えません。

だから、私はこれからも大学日本語科の中で、日本語科の改善に取り組みます。

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障害者のことを「チャレンジド」と呼ぶそうです。

「障害ではなく挑戦する人」という意味ですね。



大学日本語科にも私自身にも、少なくない障害がありますが、

障害ではなく「チャレンジ」だと思えばいいのではないでしょうか。

大学生のみなさんも、「自分の生活は苦しい」と考えるのではなく、

「チャレンジがいっぱい用意されている生活だ」と考えてみたらどうでしょうか。

子牛→孔子とドーナツ

2011-07-02 18:46:23 | 顧問・アドバイザーから
めきしこさんという方のブログからの転載です。

URLは、http://homepage2.nifty.com/GAKUS/storehouse/hetareron/kousi.html

(転載ここから)

最初に前置きを。・・・そう、今回のスポットは古代中国の偉人・儒教の祖、孔子です。・・・決して、ダジャレではありません。ま、まさか、牛が主人公の中国まんがを描こうと思って、挫折なんかしていません。でも、いつか描写して見たかったもの。というか、孔子とめきしこはちょっぴり似ていたりします。そして、断言してもいいです。孔子はリッパなヘタレです。そして、この悠久なる大陸をヘタレさまよい、こよなくヘタレを愛し、ヘタレ死んだのです。尚、描写は史実に基づきながらも、めきしこ流にヘタレナイズされていますのでご了承ください。

■ ある日の古代中国

そう、仔牛は弟子たちと一緒にヘタレさまよっていました。何しろ世は戦乱の真っ只中、「人を優しくいたわりましょう」などとノンビリしたことを言っている間に、財産は愚か、命まで奪われてしまうような時代なのです。でも、仔牛は言いつづけたのです。「みんながみんなを思いやり、いたわりあって、幸せな世界にしよう!」・・・みんなはバカだと思いました。でも、仔牛とその弟子たちは、ただのバカではありませんでした。何だかヨレヨレでヘタレさまよっているくせに、気品高くいつも楽しげで、理想に燃えています。時には賢い人に招かれて知恵を授けたり、気持ちの正直な人たちからゴハンを恵んでもらったり、そうして中華大陸をあっちいったりこっちいったり。そんな仔牛が晩年、弟子たちと過ごしたある日の午後のことでした・・・。


仔牛「ああ、今日はいい天気だなァ・・・そうだ!みんな、空の下で問答でもしようっか!」
一番弟子・元ヤクザの子路がはしゃぎます。
「イヤッホー!!いいっスねー!アッシは大賛成ですぜ!オ・ヤ・ビ・ン!!」
さっそく一同は、五月の爽やかな風の中で、仔牛の問いをドキドキして待つのでした。
「もし、みんながどっかの国の政治ができるなら、まず何をしたい?」
と、仔牛がワクワクした目で訊ねます。さっそくお調子者の子路がしゃしゃり出て、
「もし、アッシに滅亡寸前の国を任せられたら、三年で間違いなく国民は勇気をもち、軍隊は強くなり、みんなが立派に生活していけるようになれるぞ!」
普段はにこやかな冉有も負けじと頑張ります。
「私だって、三年もあれば衣食をとても豊かにすることができます。そして、散々になった王家を立て直して、リッパな政治をします!」
秀才の公西華も冉有に負けじと胸を張って答えます。
「わたしはリッパな政治を行う為に、公正で有能な人間をじゃんじゃん登用します!」
それぞれ皆が、自分の抱負や意見を述べ合う中で、楽しそうに聞き入る仔牛。
「さぁ、次で最後だね。曾點は何がしたい?」仔牛が訊ねます。すると曾點は、
「私はみんなのように立派な意見はないんだけど・・・」と、少しはにかみながら
「私は春の日、友達をたくさん誘って美しい川のほとりに行きたい!そして水遊びをしたりお弁当を食べたりした後、雨乞いの舞台で楽しい歌を唄いたい!そして、帰り道に唄い残りの歌を輪唱しながら、楽しく帰って来たいっ!」
と、楽しげに語った瞬間!
「ベリィグーッ!いいなー!いいなー!わしもそれにチョー大賛成ーっ!」と、仔牛は大喜び。
そして、仔牛は続けます。
「子路も冉有も公西華も他のみんなもそれぞれにリッパ!そして抱負を持つことはスバラシイ!でも、わしは曾點の意見が一番好きだ!曾點の意見はみんなほどにリッパではないけど、わしは大賛成だ!今すぐやってみたい!楽しいのダ、きっと!国全体が明るく楽しく、賑やかになって、そしてみんながきっときっとハッピーになれる!」
仔牛の言葉を聞いた弟子たち。・・・そして、みんなの心に五月の楽しげな春の風が吹き抜けるのでした。

(転載ここまで)

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この方の子牛論(孔子論)は、すべて読みましたが、映画の『孔子』、日本語の『論語物語』などともちょっと違う、なんだかとっても親しみやすい、それでいてやっぱりすごい人だなと思える孔子像が描かれていました。

興味がある人は、ぜひ読んでみてください。



「現代は孔子の時代と違う」という人もいるかもしれませんが、

私はあまり変わらないのではと思います。



それは、冒頭にある



「何しろ世は戦乱の真っ只中、「人を優しくいたわりましょう」などとノンビリしたことを言っている間に、財産は愚か、命まで奪われてしまうような時代なのです。」



という部分からも分かります。



NHKの特別番組でも、

「日本の老舗企業は外国資本の敵対的買収を防がなければ、伝統がつぶされてしまう」という

イギリスの研究者の声が紹介されていました。

外国資本は、その会社の技術や伝統を守るためではなく、短期間に利益を上げることを目的に買収します。

文化的に価値がある技術や製品でも、金儲けのために「合理化」をせまられてしまうのです。



日本の元金融企画庁長官の方とお会いしたとき、

「世界金融危機は、アメリカのお金で頭がいっぱいになった人間が引き起こしたという側面を否定できない」とおっしゃっていました。



私の勤める大学は「天津財経大学」で、金融を勉強している学生も少なくありません。

そして、コンピューター上でお金を操作することに興味を持ち、新聞の経済関連ニュースを読み漁っている

学生もいます。



しかし、例えば、どうして野菜の値段がこんなに高いのに、農民は貧しいのか、ということを考える授業はありません。あるのは、どうしたら自分がお金持ちの側にまわれるのか、ということだけです。



経済的に不安定だと、気持ちも不安定になるのは、事実です。

給料日に繁華街や高級デパートで買い物をしたり、豪華な食事をしたりするのは、楽しいことです。

でも、人生の楽しみが「お金を使うこと」だけだとしたら、それは、立派な「お金の奴隷」ではないでしょうか。



夏休みに、ドーナツの学生リーダーの研修をしますが、

これこそが私がドーナツでやりたかったことであり、

(畏れ多いのですが)孔子が弟子達と繰り返した問答と行動の真似事です。



1年目、2年目のリーダー達にはできなかった長期休暇中の研修が、

3年目にしてようやく実現できる、そう思ったら、なんだか嬉しくなってきました。



孔子もたぶん、お金がいくら手に入るかよりも、弟子達と話ができるのが楽しかったのではないでしょうか。

そして、「楽しいのダ、きっと!国全体が明るく楽しく、賑やかになって、そしてみんながきっときっとハッピーになれる!」とあるように、みんながハッピーになることが私にとって幸せなこと、そう考えていたのではないでしょうか。

ドーナツが大切にすること

2011-07-01 02:37:33 | 顧問・アドバイザーから
ファンキー末吉さんが、ブログの中で、



いい服を着なくても、売れてる振りや金のある振りをしなくても、
「いい音楽」をやってるだけでついて来てくれる人達がいる。



と書いているのを見つけました。

(ファンキー末吉とその仲間達の独り言 6月27日 http://www.funkyblog.jp/)



ドーナツを始めてしばらくすると、

「ドーナツの川端先生ですか」と言われることが増えてきました。

中にはビジネスの話を持ちかけてくる人もいましたが、私自身、

「ドーナツがすごいサークルのように見せかけること」を意識していたので、

そういう人たちに声をかけられることに抵抗はありませんでした。



しかし、天津市のみならず、他の都市の日本語関連機構からも声をかけられるようになり、

「これがドーナツでやりたかったことなのか」という疑問を持つようになりました。



それで、参加する学生を増やそうとするのは止めて、

活動の質を高めることに専念することにしました。



すると、人人網でもそうですが、

近づいてくる学生の質が変わってきました。

逆に言えば、有名な人が好きな人が離れていったのかもしれません。



ファンキーさんの足元にはとうてい及びませんが、

日本語教育を真剣に考えたい人と交流できるようになりつつあるのを

感じています。



例えば、

世界翻訳コンテストで優勝して、日本に1年間招待された方、

視聴覚障害者に日本語を教えている方、

アナウンサーの草分けだったNHKの方、

日本語教師になりたくて真剣に勉強している学生たち、

ドーナツが何をやっているのかを天津まで聞きに来てくれる交流基金と協力隊の方、



そういう人たちと出会うことが増えてきたので、

ドーナツも、この方向でいいんだなと思いますし、

そういう人たちを大切にしていきたいと思います。