goo blog サービス終了のお知らせ 

天津ドーナツ

みんなで力を合わせて、天津の日本語教育を楽しく、元気にしましょう。ご意見・ご要望は左下の「メッセージ」からどうぞ。

知識・資格が役に立つとき…『致知る』メールマガジンからの転載です

2011-10-16 09:07:00 | 顧問・アドバイザーから
致知随想」ベストセレクション
────────────────────────────────────


       「私の人生を拓いたもの」
       
       
            黒澤眞次(くろさわ・まさつぐ=イカリ消毒社長)

        
               『致知』2004年4月号より


────────────────────────────────────


 昭和三十八年八月、事務所に電話が入りました。
 
 
 「大変です、爆発事故です!」。
 
 
 私と兄は取る物も取りあえずに
 現場の池袋のデパートに向かいました。

 その日、デパートは定休日でした。
 全館の消毒を依頼され作業をしていましたが、
 昼休みに一服しようとマッチに火をつけた瞬間、
 可燃性の殺虫剤に火が燃え移ったといいます。
 
 隣では別の業者がシンナーを使って塗装しており、
 そこに火の手が及び爆発。
 デパートの七、八階が全焼し、
 死亡者が出るほどの大事故となってしまいました。
 翌日の新聞には「戦後最大の大火災」の文字が躍りました。

 その前年、創業者である父が急逝。
 社員十五名程度の小さな消毒会社でしたが、
 二十二歳になったばかりの兄と私、
 十代の弟が力を合わせて運営してきました。
 
 それがまさかこんな事態になってしまうとは……。
 死んでお詫びしようか、それとも刑務所で罪を償おうか。
 
 いずれにしても、とにかく謝罪に行かなければなりません。
 
 翌日、兄と二人でデパートのオーナーの元を訪ねました。
 
 すると、


「起きてしまったことは仕方がない。
 せっかくお父さんが残された会社なんだから、
 二度と事故を起こさないように気をつけて頑張りなさい。
 
 君たちはまだ若い。
 世のため人のためになる仕事をしてほしい」


 と、責めるどころか、私たちを励ましてくださったのです。
 兄も私も溢れる大粒の涙を止めることができませんでした。

 その後、消防署や警察で事情聴取を受けました。
 そこで聞かれるのは、決まって
 「危険物取扱主任者」の資格の有無。
 
 恥ずかしながら、その時までそんな資格があることなど、
 まったく知りませんでした。
 
 他にも業務に必要な資格があるのではないかと調べてみたところ、
 実に多くの知識・資格が必要だったのです。
 
 結局、あの事故は無知が引き起こしたものなのだ。
 消毒の仕事は一歩間違えば人の命をも奪ってしまう。
 二度と事故を起こさないためにも、
 一所懸命勉強しなければならない、と切実に思いました。


 その日から仕事の合間を縫って資格試験の勉強を開始。
 翌年には社員全員が「危険物取扱主任者」の免許を取得しました。
 
 高校卒業後すぐにこの仕事を始めたこともあり、
 大学に行っていない分、自分は資格で他の人に追いつこうと、
 その後も一年に一つ資格試験に挑戦し、合格していきました。

 数年後、ある朝、妻と一緒に近所を散歩していた時、
 朝五時から「朝の集い」の看板に出合い、
 「どなたでもご自由に参加できます」
 との内容に興味を惹かれ、
 早速、好奇心から夫婦揃って集いに参加。
 それが倫理法人会へ入るきっかけとなりました。

 その席で、「朝を制する者が人生を制す」という
 丸山先生の言葉を聞いた時、
 以前軽飛行機操縦のライセンス取得で
 ともに学んだ上智大学教授の故・酒井洋先生を思い出しました。
 
 電気工学の工学博士でありながら、ヴァイオリンを弾き、
 中国語の通訳免許を持ち、書道の大家。
 
 ご著書『ナポレオン睡眠法』では、
 人間は三時間寝れば十分と主張し、
 ご自身も三時間の睡眠の後、明け方から
 勉強されているとおっしゃっていたのです。

 以来、私も早朝三時半に起床し勉強を続けてきましたが、
 思いのほか集中できることを実感しています。
 
 特に経営者にとって時間は何より貴重ですが、
 日中は会社内での仕事に追われ、
 夜は得意先とのお付き合いもあり、
 結局、経営者が自分のための時間を持てるのは朝、
 それも「朝飯前」しかないのです。


 私は早朝勉強に切り替えてから一年に二つの資格取得に挑戦し、
 現在は七十八の資格を有するまでになりました。
 
 社内にも「環境スペシャリスト制度」を導入し、
 現在在籍する六百五十名の社員たちは、
 平均して五つ以上の資格を取得しています。

 社員がそれぞれの知識を持ち合って相談すると、
 あちこちで融合化反応を起こし、
 次々と新商品に結びついていきます。
 
 例えば、殺鼠剤に慣れたネズミは抵抗性を持ってしまい、
 ちょっとやそっとの毒では死ななくなってしまいます。
 
 さあ、どうしようかと話し合っていると、
 栄養士の資格を持っている社員は、
 
 「人間もおいしいものばかり食べていると
  体の調子が悪くなるから、
  逆にネズミが喜んで食べて臓器を悪くさせる
  栄養剤がいいのではないか」
  
 と提案。すると他の社員は
 「脳震盪を起こさせ、その間に電気ショックを与える」
 「一瞬のうちに凍死させる」など、
 どんどん新商品のアイデアが出て、
 現在わが社では五百三十一もの特許を持つに至りました。

 資格を取る、勉強するということは、
 経営道、人生道に繋がると思います。
 
 学びによって気づきを得て、
 はじめてお客様が感動する商品を作れ、
 サービスができるのです。

 私は資格により実に多くの人との出会いがあり、
 気づきがありました。
 
 私の人生は
 
 
 「資格によって師に出会い、
  資格によって道理を尋ね、
  資格によって人生を拓いてきた」
  
 
 と思っています。
 
 七十八の資格のどれ一つとして無駄なものはなく、
 
 すべてが私の人生を豊かにしてくれました。
 本来ならあの事故で潰れてもおかしくなかったわが社が、
 いまこうして六百五十名の社員とともに
 増収増益を続けているのも、
 先に述べたデパートのオーナーの励ましと、
 「学ぼう、勉強しよう」という社風の賜物と思っています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

日本語能力試験という資格は、おそらく、特許につながるなどの「自分・会社、そして社会のために役立つ何か」を

生み出す力にはならないと思います。

ですので、「能力試験」や「大学の定期テスト」がクリアできる範囲でしか勉強していない人は、

社会に出てから苦労すると思います。

この苦労と言うのは、「頑張っているのに幸せじゃない」と感じてしまうという意味です。

なぜなら、人は、自分の人生を自分でコントロールできていると感じることが、

幸せのひとつの要素だからなのですが、何も生み出すことができない人は、人に言われたことを言われたままにやっていくことしかできないからです。

ドーナツにおける成功の基準

2011-10-04 02:34:28 | 顧問・アドバイザーから
大阪地検特捜部が民事再生法違反容疑で逮捕した服飾卸売会社社長、谷絹子容疑者は「中国ビジネスのカリスマ」としてマスメディアに登場し、著書も出版。ビジネスマン向けの雑誌では、豪勢な暮らしぶりを披露していた。一方で金融機関からの巨額の融資が焦げ付くなど、次第に経営状態は火の車に。「成功するまで続ければ、失敗はない」。自著でこう説いていた谷容疑者。華やかにみえた成功は、逮捕という結末を迎えた。

「途中でやめるから失敗になるのだ。成功するまで続ければ、失敗はない」

谷容疑者は平成19年に出版した著書「ついに出た!本当に役立つ中国ビジネス虎の巻」で、成功の秘訣(ひけつ)をこう記していた。

谷容疑者は昭和61年にUFOの前身となる会社を創業し、上海や北京で国内外の衣料品のOEM(相手先ブランドによる生産)を展開。平成21年7月期決算では895億5千万円の売り上げを計上するなど、「彼女(のアドバイス)なくしては中国ビジネスは成功しない」ともてはやされるまでになった。



19年に発行されたビジネスマン向けの雑誌では、中国での定宿として、各国要人が集う北京の釣魚台国賓館を使っていると紹介。自身のブログでも、F1レーサーやプロゴルファーとの親交をアピールしていた。

一方で、上海で勤務経験のあるUFO元社員は「生産量や工賃から判断すると、工場の年間売上高は5億~8億円だった。経営がうまくいっていたと感じていた社員はいない」と話す。20年9月ごろには、すでに経営状態が悪化。取引先にまで「欧米の企業から商品代金30億円の金がある」と融資を求めるなど、なりふり構わず資金繰りに奔走した。

谷容疑者は管財人への説明や産経新聞の取材に対しても、疑惑を一切否定。「根拠のないマスコミ報道などが資産の劣化につながった」などと主張し、債権総額の9割免除を求めるという「荒唐無稽な内容」(債権者)の民事再生案を提示していた。一方で、東京と大阪のタワーマンションにある自宅は売却。自身の所在は、ごく一部の関係者にしか明かしていなかったという。(MSN産経ニュースからの転載です)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、ドーナツという日本語学習サークルの顧問という肩書きで仕事をしています。

ドーナツの目的は、

「学生が(日本語力・その他の能力・人間的に)成長する環境を創る」

「天津の各大学同士および日本人社会がつながるプラットホームになる」

の2点を通じて、天津市の社会に貢献するというものです。



この目的を達成するための手段として、たとえば、

「全ての大学で、年に1度、天津市全体のコンテストを開催し、

日本人会・日本企業にも参加してもらう」ということが考えられます。



ただ、ここで勘違いしてはいけないのが、

イベントをたくさん行うこと=成功ではない、

ということです。



集まる人が多くなって、ドーナツという名前が天津の日本語教育・日本企業の間でも

知られていくようになると、「大成功ですね」と言われることも多くなってきます。

そして、そのうちに、「イベントの数・集まった人の数・賞品の豪華さ」などが、

成功の基準になっていきます。



ドーナツの成功の基準は、数値で図れる目標を達成したかどうか、ではありません。

目的を達成したのか、その達成の過程で学生は成長したのか、です。

まして、数値を上げるためにうそを積み重ねるというのは、本末転倒です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

11月5日に行われるスピーチコンテストも、ドーナツの成功のひとつの過程です。

本来の目的がどこにあるのか、スタッフ一人ひとりが納得できるように、対話を積み重ねたいと思います。

ドーナツが解決する就職問題

2011-09-26 18:53:08 | 顧問・アドバイザーから
ドーナツのひとつの目的に、「日本語科の学生の就職問題を解決する」というものがあります。

と、このように書くと、「うん、それはいい目的だ」とうなずいてくれる方が多いかと思いますが、

もしかしたら、そのような方々のご理解と、私の目指しているところは違うのかもしれません。



そこで、今後のためにも、私の考えていることを書いておくことにします。



私は、ドーナツがあることによって、日本語科の学生の就職率が上がる状態になることを

目指します。しかし、この目的にはいくつかの意味が含まれています。



まず、天津市の日本語科の学生が新卒時で100%の就職率を達成する、というのは絶対に無理です。



天津市に限っても、日本語科の学生は5000人、日本語学校などで学んでいる人も合わせると、

20000人前後、と言われています。また、企業の採用枠は、景気の動向に左右されますので、

毎年100%を目指そうとしたら、以下のような方法をとるしかありません。



1.可能性のある学生だけに絞る

2.人数は数人から10人以内

3.絶対に採用枠を設けてくれる職種・企業に絞る

4.その職種・企業が必要とするような能力を身につけるために、最高レベルの講師を雇う

5.書籍・視聴覚教材・食事・住まいなど、一流のものを揃える

6.世界の一流の人物との交流の機会を、日常的に設ける



日本で予備校に勤めていたときに、

「合格率90%」「クラスの一人を除いて全員合格」という発表はするけれど、

人数は公表しない学校がありました。

そこで、確認してみると、「最終的に残った5人のうちの4人が合格」とか、「二人のうちの一人」とか、

「数字ってすごいな…」と思うことが少なくありませんでした。



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドーナツが目指しているのは、新卒時の日本企業への就職率の向上、だけではありません。



別に日本企業じゃなくてもいいし、どこに就職したのかを調べ発表する必要もありません。

ただ、ドーナツに関わることによって、その学生の就職の可能性が高くなれば、それでいいと思っています。



また、新卒時に限る必要もありません。

5年後、10年後に、何かに気がついて仕事を一生懸命にするようになる、

そのときに本当の意味での就職ができるようになる、

その種を蒔くことができたら、それはすばらしいことだと思うのです。



さらに言えば、ドーナツが目指しているのは、人生への就職率の向上です。



人生への就職というのは、

自分の人生に責任を持とうとすること、です。



その手助けができたら、ドーナツの名前なんて知らない人がいっぱいいても、

どうでもいいと思っています。

“担板漢”にだけはなるまい。…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2011-08-28 09:41:08 | 顧問・アドバイザーから
先月の「日本人と議論」特集、「妥協ぎらい」の最後に・・・「妥協を許さぬ毅然とした態度」だとか「正義の道は真っ直ぐだ」などという態度こそ、危ない思想に思えるのだ・・・と私は書いた。
 これに対して、中国にお住まいの、恐らく日本人の方(無署名)から、コメントを頂いた。

(川端注:この日本人は私です。入力ミスで無署名となってしまいました)
 
 ーーーー「私自身もそうなのですが、「いさぎよくない」と言われると、とても恥ずかしく思うのは、日本人の特性でしょうか。いさぎよく腹を切れ」「いさぎよく散る」という言い方は、時代劇などでも聞いたことがありますが、それは「生きて虜囚の辱めを受けず」につながるのでしょうか。
 バランスの問題かとも思うのですが、こちら中国でも正義を貫き最後は湖に身を投げた「屈原」を偲びますし、孔子のような方もいます。
 何より、塚越さんご自身が、「本当の対話を追求する」という一点だけは譲ってこなかったように、私には思います。塚越さんは、今まで、自分が譲れない線をどこに設定するのか、ということをお考えになったことはありますでしょうかーーー

 まずはコメントを頂いたことに、厚く、お礼申し上げます。
 ところで、日本人特有の「いさぎよさ」が、戦時中の「生きて虜囚の辱めを受けず」に直接繋がるかどうかは、難しいところですね。たどりたどって行けば、無縁とは言い切れませんが・・・。
 「いさぎよさ」には、「未練がましくなく」、「ワルアガキをせず」といった、すっきりした“終わり方の美学”のような味がします、日本人の好みの態度でしょうが、いささか「かっこよすぎる」という雰囲気があることも否めません。
 「屈原」的な生き方をとるか、「孔子流」で生きるかといわれても、現代に生きる私にとっては、どちらも“偉大な、伝説の生き方”です。
 人はそれぞれ、その時を生きているのですから・・・
 私のような凡人は、終生「顧みて悔やむばかり」の人生です。“譲れない一線”を設定して、強く生きてきたという意識は、残念ながら無かったように思います。強いて言えば「来るを拒まず、去るを追わず」というのが生き方だったのかなと、顧みております。
 そして、中年になってからは、“担板漢”にだけはなるまい。そう思い定めていました。
 
 “担板漢”、ご存じでしょうが、これも元は中国からきた言葉だとおもいますが、禅宗でもよく使われていますね。
 “担板漢”とは、板を担いだ男です。
 どの辞書を見ても、「物事の一面しか見ない人のこと」と書いてありますが・・・私には、もっと深い意味を持った“ことば”だと思えるのです。
 
 男が、板を肩に担いでいる・・・この絵を、頭に描いてみましょうか。
 板の一面だけがみえると同時に、板の裏面は勿論のこと、板で遮られた向こうの世界が見えなくなるのです。即ち、世界の半分が視界から消えてしまう。板が長ければ長いほど、残りの視野は狭まります。ひどいときには、右と左の肩に、二枚の板を担ぐ男すら見かけますね。こうなれば、左右の板に挟まれた、極狭い前方の隙間しか見えなくなるのは必然です。斜眼帯をつけられた競争馬です。こんな人に町を歩かれたら、どうなるでしょう。物騒でなりませんな。
 とかく、「妥協を許さぬ毅然とした態度」だとか「正義の道は真っ直ぐだ」と思いこんでいる人には、この手の人が多いのではないか。そう思うのです。
 間違えないで欲しいのは、私が「自分の生き方を真っ直ぐ通す」ことに反対しているわけではなく、むしろ、「我が道を通しすぎて、意地を張りすぎた過去」を持つ男であり、もう一度若返っても、同じ道を通るかも知れぬと、自分では分析しているのです。
 私が、「顧みて悔やむ」のは、もっと人の“ことば”を沢山聞くべきだったという反省です。
 
 価値観の違う人の意見を無視する人は、相手にも、あなたの意見も無視されるチャンスを与えていることを自覚しなければなりません。お互いさまですからね。
 
 江碕玲於奈さんも、人間一人の頭脳の出力はせいぜい25ワット。だからこそ、多くの人の意見に耳を傾けることが大切なんだと、言っておられた。
 ネール首相が娘のインディラさんに「人は、話し合うことによってのみ“真理への糸口”を見つけることが出来る」と述べた。「真理」などと言うモノは、そう簡単に見つかるモノではなく、せいぜいその糸口を見つけるために、人間は対話をする。そう言っているのですね。
 若い頃、古垣鉄郎さんに「神は、人は一つの口と、二つの耳を人にお与えになった。これは、人の“ことば”に、もっと耳を傾けなさいと言うことでしょう」とさとされたことを思い出します。
 だからこそ、「“担板漢”にだけはなるまい」と、己を戒めているのが、本当の姿でしょう。
 
 多くの日本人は議論を、論戦だとか論争と混同する。勝った負けたの勝負にしてしまう。堂々の論陣を張り、論的を論破する。その「ひとりよがり」な姿勢が問題なのだと、私は考えます。
 本来、議論とは、話し合うことによって、互いの誤りや誤解を訂正しながら、妥協の道を探るという智恵の対話・江碕さん流に言えば、ウイズダムの対話をすることなのでしょう。
 互いが「コンファタブル」になるまで、論理的に語り合う。それが、民主主義を支えている原点だし、そうした議論のありようを理想とし目標として、それに近づけたいと、話し合ってみるのです。
 でもね、現実には、いつでも「コンファタブル」に終われると言うわけにはいかないものなんだよね・・・それが人間なのだろうか。

自信

2011-08-22 20:51:35 | 顧問・アドバイザーから
「自信がありません」とよく口にする学生がいます。

「自信を持つように」とよく口にする先生がいます。



でも、私は、そういう人たちと、どのような話しをしたらいいのか、

とまどってしまいます。

それは、この人たちが言う自信が、何に対するどの程度の自信なのかが分からないので、

その後の会話を続けるのが難しいのです。

自分の日本語が日本人に通じる自信がない、とか、

スピーチコンテストで、覚えた原稿を間違いなく再現できる自信がない、とか、

観客があくびをしても笑顔をキープできる自信がない、とか、

自分のミスをストレートに指摘してくる人を相手にする自信がない、とか、

会話が上手になる自信がない、とか、

社会に出て経済的に自立する自信がない、とか、



何かしら具体的に話してくれたら、こちらも一緒に考えることができます。

それは、この場合の自信がないというのは、

「それができるようになるための効果的な練習方法・ポイント・考え方を知らない」

「どこの誰がそれを教えてくれるのかを知らない」

ということとほとんど同じで、解決方法を一緒に考えることは可能だと思うからです。



私自身のことを言えば、人間関係を構築する・友好的に保つ・修復する・上手に終わらせるという自信がない、

つまり、人間関係に不安があると大変だなと実感しています。

(あんまり気にしない人もいますよね)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ドーナツは、学生たちのそういうさまざまな不安(自信のなさ)を解決するために作りました。

それがどれだけの効果があるのか、おそらく10年、20年という時間が経たないと検証はできないと

思いますが、教育とはそのようなもののはずです。



20年後、中国も日本も、今とは違う社会になっていると思いますが、

そのときの社会の中心になっているのは、今の大学生たちです。



願わくば、ドーナツを卒業した学生たちが、自分の頭で考え、周囲の人と協力し、

自分がいる社会に貢献できるようになっていてほしいものです。